FC2ブログ

気になりィーモ!!

気になった記事や事柄を 自分のノート代わりとする場に していけたらと思ってます。

≫ EDIT

[CM] 松岡茉優 - ロペピクニック「どんなときも。song by 松岡茉優」篇 はてなブックマーク - [CM] 松岡茉優 - ロペピクニック「どんなときも。song by 松岡茉優」篇



・full MV ver
関連記事
スポンサーサイト
ブログパーツ アクセスランキング

| CM | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[MLB] 大谷翔平が大リーグ新人王受賞 日本人で4人目 はてなブックマーク - [MLB] 大谷翔平が大リーグ新人王受賞 日本人で4人目

K10011708461_1811131000_1811131001_01_02
大リーグ1年目のシーズンに投打の二刀流で活躍したエンジェルスの大谷翔平選手が12日、アメリカンリーグの新人王に選ばれました。日本選手が大リーグの新人王を受賞したのは2001年のイチロー選手以来、4人目です。
大リーグのアメリカンリーグとナショナルリーグの新人王は、全米野球記者協会の会員となっている記者30人ずつの投票で決まります。
このうちアメリカンリーグでは、投打の二刀流でプレーして、ピッチャーで4勝、バッターでホームラン22本をマークした24歳の大谷選手のほか、▽ヤンキースのサードを守り、ホームラン27本、打率2割9分7厘を残した23歳のミゲル・アンドゥハー選手、▽同じくヤンキースのセカンドで、ホームラン24本を打った21歳のグレイバー・トーレス選手が最終候補の3人になっていました。
そして、12日に今シーズンの受賞者が発表され、大谷選手がアメリカンリーグの新人王に選ばれました。
日本選手が大リーグの新人王を受賞したのは1995年の野茂英雄投手、2000年の佐々木主浩投手、2001年のイチロー選手に続いて大谷選手が4人目です。
大リーグの新人王は1947年に全米規模での表彰が始まりましたが、ピッチャーとバッターの両方で本格的にプレーする選手が受賞するのは大谷選手が初めてです。
大谷選手は、100年前に投打で活躍したベーブ・ルース以来となる「二刀流」の選手として、鮮烈なデビューを果たすとともに今回の受賞によって大リーグに新たな歴史を刻みました。
一方、ナショナルリーグの新人王には、ブレーブスのレフトを守り打率2割9分3厘、ホームラン26本をマークした20歳のロナルド・アクーニャ選手が選ばれました。

■大谷「すごくうれしい」
新人王を受賞した大谷選手は、大リーグ専門チャンネルの番組のインタビューで、「すごくうれしいです。応援してくれた方にとってもうれしいことだと思うので、よかったと思います」と感想を話しました。
そのうえで、投打の二刀流でプレーした今シーズンを振り返り、「数字だけ見れば、バッターでチームに貢献できたのかなと思っています。大事な時期にピッチャーとして抜けてしまったので、そこだけは心残りだと思っています」と述べました。
また、日本選手の新人王受賞はイチロー選手以来であることを質問されると、「子どもの頃からずっと見てきましたし、憧れのような選手です」と答えていました。

■圧倒的な支持を受けた大谷
新人王は、全米野球記者協会の会員の記者のうち、30人ずつが投票を行って選出されます。投票を行う記者は、レギュラーシーズンの成績や活躍ぶりをもとに1番目から3番目まで、新人選手3人を選んで投票します。1番目に選ばれた選手には5ポイント、2番目は3ポイント、3番目は1ポイントが加算されます。
今回、アメリカンリーグの新人王の投票では、大谷選手に対して、30人の記者のうち25人が1番目で投票するなどして大谷選手が137ポイントを獲得しました。
2位は、ヤンキースのサードでホームラン27本を打ったミゲル・アンドゥハー選手で89ポイント。
3位は同じくヤンキースのセカンドでホームラン24本を打ったグレイバー・トーレス選手で25ポイントでした。
昨シーズン、アメリカンリーグの新人王は、ヤンキースで52本のホームランを打って、ホームラン王にもなったアーロン・ジャッジ選手が受賞し、投票者した30人全員から1番目に選ばれて150ポイントを獲得しました。
今シーズンは大谷選手をはじめ、新人離れした活躍を見せた選手が複数いて、接戦になると予想されていましたが、大谷選手が圧倒的な支持を受けてほかの選手を大きく引き離す結果となりました。

■地元からも喜びの声
大谷選手の出身地、岩手県奥州市では、地元の人たちから新人王に選ばれたことを祝う声が聞かれました。
このうち63歳の女性は「おめでとうございます。息子が野球をしていたので、大谷選手をわが子のように応援してきました。手術した右ひじが早くよくなってほしいです」と話していました。
また、66歳の男性は「大谷選手は地元の宝です。手術後の経過が気になりますが、またテレビで応援したいです」と話していました。
このほか、65歳の理容店の男性店長は「奥州市は景気が低迷しているので、大谷選手には今後も頑張ってもらいたいです。来シーズンはバッティングでの活躍を期待しています」と話していました。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181113/k10011708461000.html


・ライバルも認める二刀流=ルース以来の衝撃評価
 投手として4勝(以上)、打者として2桁本塁打。歴史的な名選手ベーブ・ルースが1919年に9勝、29本塁打をマークして以来の快挙を21世紀の大リーグに再現した。右肘の故障に悩まされた中、エンゼルスの大谷が二刀流で新人王を手に。「けがしたのは悔しいが、その中でこういう賞をもらえたのは光栄」と喜びを口にした。
 現代野球の常識を覆した活躍は、メジャーの一流選手をうならせた。シーズンが終盤に入った9月。アストロズのエース、ジャスティン・バーランダー投手は、新人王が大谷とアンドゥーハルの争いになると予想していた。「大谷がやってきたことはとても印象的だ。ルーキーなのにルースと並び称されるようなことを成し遂げるのは、とても特別なこと」。同じ地区でしのぎを削り、大谷が印象に残る対戦相手として名を挙げたメジャー屈指の好投手が、受賞にお墨付きを与えていた。
 ヤンキースのアンドゥーハルは、故障での離脱はなく149試合に出場。本塁打、打点、打率で大谷を上回り、チームは100勝を挙げてプレーオフ進出を果たした。それでも新人王の記者投票で大谷が支持を得たのはバーランダー同様、二刀流の登場に衝撃を受けたからこそだろう。
 投手としては、肘の故障もありわずか10試合の登板に終わった。それでも初登板で初勝利を挙げ、2戦目となった4月8日のアスレチックス戦では七回1死まで走者を一人も許さない快投。打者としては、メジャーの強打者にも劣らぬパワーを印象付けた。9月には24試合で27安打を放ち、7本塁打を含む13本が長打と圧巻の打棒。「大リーグで、投手としても打者としても、あれほど才能がある選手を見たことはない」とバーランダー。投打の両面で示した存在感は強烈だった。
 via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018111300279&g=bsb

・大谷翔平のメジャー新人王に思う、イチロー以来の日本人受賞の意義。
 https://number.bunshun.jp/articles/-/832492

関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| スポーツ | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[訃報] マーベル・コミックの生みの親、スタン・リー氏が死去 95歳 はてなブックマーク - [訃報] マーベル・コミックの生みの親、スタン・リー氏が死去 95歳

koya_AP18316676312929
スパイダーマンやキャプテン・アメリカなど、米国のスーパーヒーロー漫画の新時代を築いたコミック原作者、スタン・リー氏が12日に死去した。95歳だった。
リー氏の娘の弁護士によると同日の朝、ロサンゼルスの自宅から搬送された先の病院で息を引き取った。同弁護士はリー氏の死因を明らかにしていない。
1939年に漫画界でのキャリアをスタートさせたリー氏は、漫画の原作や編集、イラストレーターなどとして活動。60年代初めには、スーパーマンやバットマンといった従来のキャラクターと一線を画す新たなスーパーヒーローの創作を手掛けるようになる。
こうして生まれたのがスパイダーマンやハルク、アイアンマン、ソーなどのキャラクターたちだ。決して完全無欠ではなく、人間的な弱さや日常生活での困難を抱えているという設定は、それまでのヒーロー像にはみられないものだった。作品の舞台も架空の世界や都市ではなく、ニューヨーク市など実在の土地がそのまま描かれた。
61年から64年にかけて世に出たこれらのスーパーヒーローは多くがアニメ化、実写化され、テレビや映画で世界的なヒットを飛ばした。
72年からマーベル・コミックの発行人を務めるようになったリー氏は、同社の顔として知られる存在になる。マーベルのヒーロー映画の大半ではゲスト出演もこなした。
2006年のインタビューでは「スパイダーマンが現在のように世界的なヒーローになるとは全く思っていなかった。当時はとにかく漫画が売れて、仕事を続けられることだけを望んでいた」と振り返っている。
via https://www.cnn.co.jp/showbiz/35128549.html

https://gigazine.net/news/20181113-stan-lee-passed-away/

koya_AP18316676311928

◆スタン・リーさん死去 かつて語ったスパイダーマン誕生


・スタン・リーが死去。『アベンジャーズ』を生み出したマーベルの伝説的クリエイターが歩んだ歴史
https://www.gizmodo.jp/2018/11/the-history-of-stan-lee.html

・興収記録も次々塗り替え、マーベルのスーパーヒーローがハリウッドにもたらした変革
 https://www.cnn.co.jp/showbiz/35128571.html



関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 映画 | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか はてなブックマーク - なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか

img_32e84a371c749ef92609b3a70d6bc02684035
日清食品創業者の安藤百福(1910-2007)と、その妻・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「まんぷく」が好調だ。視聴率は放送開始1ヶ月以上を経ても、20%超をキープする。インスタントラーメンという国民食への視聴者の関心の高さを感じさせるが、物語には、一切触れられていないことがある。
それは安藤百福が台湾出身者であるという来歴である。なぜ台湾というルーツが消されたのか。安藤とはいかなる人物だったのか。『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』著者の野嶋剛氏が台湾の故郷への現地取材を行うと意外な事実が次々と明らかになった。

■国籍と即席麺
放送が始まったのが今年10月。私もほとんど欠かさず見ており、戦前戦後の厳しい社会環境でたくましく支え合う2人の夫婦愛に時には心を揺さぶられ、時にはハラハラしながら引き込まれている。現在までの視聴率もなかなか好調なようである。
このドラマでは、安藤は日本人として描かれている。しかし、実際のところ、安藤は台湾人の両親のもとに生まれ、台湾で教育を受け、台湾でビジネスをスタートさせ、成人してから日本に拠点を移している。日本国籍を正式に取得したのも、即席麺ビジネスが軌道に乗った後だった。
事実関係からいえば、安藤は、台湾出身の華僑(または華人)である。ところが、その台湾要素がドラマからは綺麗さっぱり抜け落ちているのだ。
筆者は、台湾出身者の日本での活躍を描いたノンフィクション『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)を今年6月に刊行し、その中で、安藤についても一定のページを割いて取り上げている。そのこともあって、「まんぷく」で安藤の台湾ルーツが触れられていないことには、いささか違和感を感じないではいられなかった。

■曖昧にするしかなかった理由
安藤のバックグラウンドについて、10月に放送された「まんぷく」第8回のなかで、安藤役の主人公の萬平(長谷川博己)が、妻の仁子役である福子(安藤サクラ)に語りかけるシーンがある。このドラマではしばしばラーメンを食べるシーンがでてくるが、2人の初デートでもラーメンを食べながら、萬平は自分の過去をこう語った。
「父親はものごごろつく前に、母親はそのすぐ後に亡くなりました。ぼくは兄弟がいなかったから、一人で親戚の家を転々としたんです。ぼくは自分が迷惑をかけるのが嫌だったから18歳で働き始めたんです。修理屋でね。そのうちカメラでも時計でも大概のものは直せるようになって、25歳で大阪に来ました」(福子の相槌などは省略)
ここに台湾はなく、萬平は台湾人ではなく、日本人として描かれていくことが決定した瞬間であった。安藤が早くに両親を亡くし、若くして働き始め、大阪に来て仕事をするようになったのは事実だ。
しかし、萬平が日本のどこで育ったのか、両親や祖父はどこにいたのか、ということは触れられていない。フィクションとはいえ、史実に近づけながら描く宿命のなかで、萬平のルーツについては曖昧にするしかなかったのだろうと私は推察した。
一方、それゆえに不自然さも否めない箇所もあった。結婚式を挙げた2人が近親者と一緒に記念写真をとる場面があった。並んだのは、萬平以外はほとんどが福子の親族や関係者たちで、萬平の家族や親族は一人もいなかったようだった。ここでは萬平の過去はほとんど消えているように見える。
では、なぜ萬平は台湾人ではなく、日本人でなければならないのか。それを考えるため、私は、安藤の出身地である台湾中部の嘉義へ行くことにした。台湾新幹線で台北から一時間半。嘉義は台湾の米どころであり、日本人観光客にも人気のある阿里山があるところだ。

■故郷も取材していたが……
安藤百福が生まれた場所は、当時「台南州東石郡朴子街」と呼ばれた。現在は地名変更で「嘉義県朴子市」になっている。日本の区にあたる朴子市の市役所を訪れると、市役所の盧春霖行政室主任が対応してくれた。
「『まんぷく』のことは知っています。その件で、つい先日、NHKの方がリサーチに来ました」と盧主任。朴子市のトップである王如経市長からは「私が育った家は呉百福さんの家の真向かいなんですよ」という話も聞かされた。
王市長と話し込んでいると、思わぬ来客が市長室に現れた。
「こんにちは、呉仁健といいます。呉百福(安藤百福)は私のおじです」
呉さんは長く教育界で働き、校長まで務めた。市長からも「呉校長」と呼ばれる地元の知名人だ。呉さんはたまたま講座を聞くために市役所に来ているところ、「日本からメディアの取材が来ている」と言われ、私を訪ねてきてくれたのだ。血の繋がりのせいか、顔立ちがどこか安藤に重なる。
呉さんによれば、呉さんと安藤は遠い親戚にあたり、安藤より呉さんはひとつ下の世代で、いとこ甥にあたる。呉家の先祖は、1793年、台湾へ中国大陸・福建省の漳州から日本に渡った。後日私のお願いで呉さんから送られてきた族譜(家系図)によれば、安藤の父親・呉阿獅には三人の息子がいて、安藤はその末っ子だった。
呉阿獅は早くに亡くなり、安藤は祖父・呉武に育てられた。

■台湾にいたもう一人の夫人
「呉家はみんな『六脚郷更寮村』と呼ばれる場所に暮らしていて、呉百福の一家は私たちの家の隣に暮らしていました。といっても、彼とは一度も会っていません。彼の奥さんが暮らしていて、息子さんを育てていました。私などは奥さんにいつも可愛がってもらっていました。彼の家の前には楊桃(スターフルーツ)の樹があって、実をとって私たち近所の人間に配ってくれた優しい人でした」(呉)
安藤には、日本で仁子と結婚する以前に、台湾のふるさとで結婚している女性がいたのだった。彼女の名前は黄綉梅といい、すでに亡くなっている。
ここでいう「息子さん」は安藤宏寿のことで、のちに台湾から日本に呼び寄せられ、一時期、日清の社長に就任している。安藤は日本と台湾で家庭を持っていたことになるが、当時こういう形は珍しいわけではなかった。もちろん「まんぷく」では萬平にほかに家庭があった、という設定はなされていない。
呉家の間では、安藤百福は神秘的な存在で、複雑な思いを抱く存在だという。呉氏が共同所有する「六脚郷更寮村」にはいまも安藤名義分の土地もあるという。呉仁健さんは安藤と故郷との関係を、こんな風に語った。
「日本で大成功を収めていることは知っています。故郷の誇りという気持ちもあります。ただ、彼は私の知る限り一度も故郷に戻らず、呉家との縁も切っています。彼は若い頃、嘉義で衣類を売る事業を失敗していたそうです。それで台北に行ったと聞いています。もしかすると嘉義にいい思い出がなかったのかもしれません。そのことも故郷と距離を置いた理由のように思います」
華僑の間には「故郷に錦を飾る」ということが一つの成功者のモラルとなっている。それは自分を育て支えてくれた故郷に恩返しをする、という考えに基づくのだが、故郷愛がなかったかどうかはわからないが、事実だけをみれば、安藤がこうした行動をとった形跡は嘉義には残されていなかった。
日清食品のホームページで安藤の経歴を解説する「安藤百福クロニクル」でも台湾出身であることは完全に伏せられている。
日清食品の関係者に、安藤の国籍に関して質問したことがあるが、「安藤氏はほとんど日本人だったと聞いています」という答えだった。しかし、少なくとも成人する前のほとんどの時間を台湾で過ごし、その後も台湾で家族を持っていた安藤は、台湾人のアイデンティティを強く持っていたはずで、本人の意思で意識的に台湾との縁を切ろうとしていた可能性が高いように思える。

■チキンラーメンが理由…?
では、どうして安藤側は台湾との関係を強調しなくなったのか。
安藤については、日本の台湾華僑社会で評判が芳しくないことは確かだ。それは、安藤がチキンラーメンの販売で成功する前に、華僑との間で金銭的なトラブルがあったと指摘する華僑もいる。彼が経営者を務めて倒産した信用組合の問題が絡んでいるとも言われるが、古い時代のことなので検証は難しい。
ただ、安藤はチキンラーメンの発売後、台湾との関わりをほとんど語らなくなり、華僑社会との人間関係も失われていったと言われる。
もう一つ考えられるのは、チキンラーメンの「発明」と台湾との関わりに議論が及ぶことを避けようとしていた可能性がある。
安藤が「発明」としている麺を油で揚げて調味料をまぶし、お湯をかけて食べる調理法については、安藤の出身である台湾南部において、戦前から「雞絲麵」(ジースーミエン)「意麺」(イーミエン)などと呼ばれる油揚げの即席麺が広く存在していたからだ。
安藤がその故郷の即席麺にヒントを得て、油で麺を揚げたチキンラーメンの商品化に成功したのではないかという推理を、私は前掲著「タイワニーズ」のなかでも展開した。また、日本の台湾華僑の間でも、同様の指摘はあちこちで耳にする。
そうしたことも、安藤サイドが台湾との関わりを語りたくなかった理由かもしれない。だが、即席麺を大量生産化し、日本と世界に広げた安藤の経営業績は、たとえそれが完全な発明でなくてもまったく曇ることはないのだが。
NHKは作品公式サイトに、「実在の人物をモデルとしますが、激動の時代を共に戦い抜いた夫婦の愛の物語として大胆に再構成し、登場人物や団体名は改称した上、フィクションとしてお届けします」と前置きしている。台湾というルーツは、「夫婦の愛の物語」には必要なかったということだろうか。
しかし、今後のドラマの主要な中身となる「チキンラーメン」の「発明」については、前述のように安藤が台湾出身でなければ思いつかないことであった可能性が高い。
また、成功を目指して必死に事業を起こしては失敗し、それでも最後に日清食品の創業に結びつけた彼のたゆまぬ努力は、日本社会でマイノリティであった台湾出身者のハングリー精神抜きに語ることは難しい。
さらに重要なことは、日本と台湾との歴史的関係のなかで、安藤が戦前、日本語教育を受けたゆえに戦後の日本でも活躍の道が広がったことについて一切触れないことで、日本が日清戦争で清朝から獲得した台湾を、50年間にわたって統治した史実すら隠してしまう歴史認識の問題も孕んでいるように思える。
ドラマではすでに萬平は台湾人ではないという設定になっているので変更は難しいだろうが、安藤が台湾出身者であるという事実については、今後も日本社会で広く知られていくべきであると私は考えている。
via https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58365


関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 人物 | 20:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[Jリーグ] G大阪MF遠藤保仁、フィールドプレーヤー初のJ1通算600試合出場 足かけ21年で快挙達成 はてなブックマーク - [Jリーグ] G大阪MF遠藤保仁、フィールドプレーヤー初のJ1通算600試合出場 足かけ21年で快挙達成

JL18530_d29

JL18484_070
 ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁が10日、J1リーグ第32節の湘南ベルマーレ戦でJ1通算600試合出場を達成した。同記録は史上2人目、フィールドプレーヤーでは初の快挙となる。
 遠藤は1998年、鹿児島実業高から横浜フリューゲルスに加入。翌99年から2シーズンは、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)でプレーした。2001年にG大阪に加入すると、主軸としてJ1リーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献。リーグ、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)、天皇杯を制して三冠を達成した14年には、自身初のリーグMVPに輝いた。
 プロ21年目を迎えた今季も、ここまで日本代表DF三浦弦太とともに全試合に出場。湘南戦のスタメンに名を連ね、ピッチに立ったことでJ1通算600試合出場を達成した。
 これまでJ1で通算600試合以上出場しているのはGK楢﨑正剛(名古屋グランパス)のみ。38歳の遠藤が史上2人目、フィールドプレーヤーとしては初の快挙となった。[2018.11.10]
via https://www.football-zone.net/archives/146944

■遠藤保仁の年度別J1通算出場数
1998年:横浜フリューゲルス/16試合
1999年:京都パープルサンガ/24試合
2000年:京都パープルサンガ/29試合
2001年:ガンバ大阪/29試合
2002年:ガンバ大阪/30試合
2003年:ガンバ大阪/30試合
2004年:ガンバ大阪/29試合
2005年:ガンバ大阪/33試合
2006年:ガンバ大阪/25試合
2007年:ガンバ大阪/34試合
2008年:ガンバ大阪/27試合
2009年:ガンバ大阪/32試合
2010年:ガンバ大阪/30試合
2011年:ガンバ大阪/33試合
2012年:ガンバ大阪/34試合
2013年:ガンバ大阪/--試合
2014年:ガンバ大阪/34試合
2015年:ガンバ大阪/34試合
2016年:ガンバ大阪/34試合
2017年:ガンバ大阪/31試合
2018年:ガンバ大阪/32試合


■J1出場試合数ランキングトップ20(カッコ内は現所属/最終所属)
1位 楢﨑正剛(名古屋) 631試合
2位 遠藤保仁(G大阪) 600試合
3位 中澤佑二(横浜FM) 592試合
4位 阿部勇樹(浦和) 561試合
5位 曽ヶ端準(鹿島) 528試合
6位 小笠原満男(鹿島) 524試合
7位 伊東輝悦(沼津) 517試合
8位 山田暢久(浦和) 501試合
9位 明神智和(長野) 497試合
10位 山口 智(京都) 448試合
11位 中村憲剛(川崎) 436試合
12位 前田遼一(FC東京) 428試合
12位 森﨑和幸(広島) 428試合
14位 大久保嘉人(磐田) 426試合
14位 今野泰幸(G大阪) 426試合
16位 新井場徹(C大阪) 423試合
17位 川口能活(相模原) 421試合
17位 西川周作(浦和) 421試合
19位 藤田俊哉(千葉) 419試合
20位 佐藤寿人(名古屋) 404試合
※2018.11.10時点


◆遠藤保仁、J1通算600試合達成へ。親友たちだけが知るヤットの凄さ。
 https://number.bunshun.jp/articles/-/832451

・フィールドプレーヤー史上初のJ1通算600試合出場達成! 遠藤保仁のキャリアを振り返る

page-9
 https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181110/860375.html

関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| サッカー | 17:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT