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[動画] 世界で2番目に飲まれている飲み物「お茶」の歴史 はてなブックマーク - [動画] 世界で2番目に飲まれている飲み物「お茶」の歴史

◇The history of tea - Shunan Teng

水に次いで世界で2番目に飲まれている飲料が「お茶」です。トルコでは甘いチャイが飲まれ、対照的にチベットでは塩辛いバター茶、日本では抹茶など、お茶は消費される国によってさまざまな飲み方があるのですが、そんなお茶のルーツに迫るTEDのムービーが公開されています。

中国の神話に登場する神農は、人々に効果のある薬草を見つけ出すため、山の中で目に付く草木を片っ端から食べて歩きました。その中には毒草もあり、神農は1日に72回も食中毒になったと言われています。
そんな中、神農が見つけたお茶の葉を口にしたところ、毒で弱ったからだを復活させる効果が得られたと伝えられています。
実際のところ、お茶の葉に解毒効果はありませんが、古代の中国でお茶が重宝されていたことを書き記しているわけです。
考古学では、世界で初めてお茶の木が栽培されたのは、約6000年前の中国だと言われています。約1500年前のギザの大ピラミッドが建設されるよりはるか前から、人々はお茶をたしなんでいたのかも。そんな中国のお茶の木は世界中で飲まれているお茶の源流になっているとのこと。
しかし、お茶の葉はもともと飲料として飲まれていたわけではなく、ある国では野菜として食べたり、ある国では穀物と混ぜておかゆにしたりと、古くは食物として消費されてきました。
約1500年前になり、ようやく人々はお茶の葉にお湯を入れると飲料として飲めることに気がついたそうです。

数百年の時を経て、お茶の飲み方は洗練されていきます。中国で乾燥させたお茶の葉を挽いて粉状にしたものとお湯を混ぜた飲料が誕生し……
その飲料は「末茶(抹茶)」と呼ばれるようになりました。
中国で抹茶は非常に人気の飲料になり、中国のお茶の文化の始まりになったとも言われています。その証拠に、中国の皇帝は本や詩とともにお茶をたしなんでいたこともわかっています。

9世紀の唐王朝時代、日本人の僧侶が初めてチャノキを日本に持ち帰ったとのこと。
それが日本の茶道文化の発祥となり、独特なお茶の作法を生み出すことにつながりました。
中国では、14世紀の明王朝時代にお茶が磁器や絹に並ぶ、重大な輸出財の1つに数えられるほどになったとのこと。輸出品としてお茶の人気が高まったことで中国に多大なる経済的影響力があっただけでなく、世界中にお茶が普及するきっかけになったそうです。

1600年代になると、オランダの商船がヨーロッパに大量のお茶を運ぶようになりました。
ヨーロッパに運ばれたお茶は、1661年にチャールズ2世と結婚したキャサリン・オブ・ブラガンザ王妃に親しまれ、王妃はイギリスに紅茶の文化を根付かせた功績者とされています。
また、当時のイギリスは植民地の拡大を続ける世界的強国でした。イギリスが世界的な影響力を強めるにつれ、世界中に紅茶の文化が広まっていくきっかけにもなったとのこと。
しかし、1700年までのお茶は中国で栽培されていたため、コーヒー豆の10倍の価格で販売されていたとのこと。
高価なお茶は貿易商品としても重宝され、交易に当時で世界最速の大型帆船「クリッパー船」が使われるなど、西洋の貿易会社間での激しい競争を生み出しました。
当時のイギリスはお茶の代金として銀を支払っていたそうですが……
「お茶の葉の対価として銀は高価すぎる」ということが発覚し、紅茶の支払いには麻薬のアヘンが使われるようになったとのこと。その結果、アヘンは中国で大量の中毒者を生み出し、重大な公衆衛生問題に発展しました。
1839年に、清王朝はアヘンを運ぶイギリス船を破壊するという声明を出しました。これがきっかけで、清とイギリスの間で2年間にわたって続けられた「アヘン戦争」が勃発したわけです。
アヘン戦争に勝利したイギリスは、香港を植民地化しました。
同じころ、イギリスの東インド会社はお茶をイギリスで栽培し、市場をコントロールすることを望みました。
そこでイギリスのプラントハンターであるロバート・フォーチュンは、中国からチャノキを盗み出し、インドのダージリンへ運んだことで知られています。

中国を起点に世界中に広まったお茶はさまざまな発展を遂げ、国によってまるで異なる味わいの飲料として世界中で親しまれています。・・・
via http://gigazine.net/news/20170519-history-of-tea/



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キリン「生茶」が販売終了寸前から再ヒットした理由 はてなブックマーク - キリン「生茶」が販売終了寸前から再ヒットした理由

2014年頃、キリンビバレッジの『生茶』ブランドは存亡の危機にあった。00年に発売してから5年間は、緑茶市場の拡大とともに販売数も右肩上がり。しかし競合の躍進もあり、売上は最盛期の半分にまで落ちていたのだ。ここで、マーケティング担当者が考えた「秘策」とは?

■シェア20%の大ヒット商品だったが発売5年後には飽きられた
 ブランドは、企業の「資産」だ。トヨタ、ベンツ、資生堂などは、社名を聞くだけで企業姿勢や、商品の強み、クオリティが思い浮かぶ。この状況になるまで、上記の企業はどれだけの実績をあげ、広告費を使っただろう?
 もちろん、商品も同じだ。
  キリンの『生茶』ブランドは2000年に誕生した。CMに女優の松嶋菜々子さんを起用し、お茶カテゴリーのシェアトップだった伊藤園『おーいお茶』を猛追した。現在『生茶』ブランドを担当する菅谷恵子氏が「当時の担当者から聞いた話ですが」と誕生秘話を明かす。
 「生チョコレート、生ビールなど、日本人は『生』という言葉にいいイメージを持っています。そこで『お茶にも生があればどうだろう?』と考えたのがブランド名の由来です」
 このコンセプトに基づき、キリンビバレッジは緑茶の研究を重ねた。お茶を高温で淹れると、カテキンという苦みの成分が出る。一方、低温の場合、カテキンの溶出が抑えられ、テアニンをはじめとするアミノ酸の味――すなわち旨みや甘みが際立った味になる。
 そこで、キリンは最適な温度を59度と定め、お茶を抽出した。また抽出の工程で、乾燥させたり、火を通したりする前の「生茶葉」を使い、少し青々しい香りを加えた。その後、「生」という言葉が受け入れられ、同時に「甘い/旨みがある」という特徴も認知されて、『生茶』はカテゴリシェア20%を超える商品にまで成長した。
 しかし、ブランド力は必ず衰退していく。例えばiPhoneが登場したばかりの頃は、持っていると「洗練された人」「新しい物が好きな人」というオーラをまとえたものだ。だが、あまり斬新さを感じさせない進化が続けば、すぐ「日用品」になってしまう。『生茶』も同じだった。

WS001

「2005年をピークに売上は微減を続けました。次第に『薄い』という評価が目立つようになり、飲むシーンを調べても『喉の渇きを癒やす』という回答が増え、『緑茶の味を楽しむ』といった評価は減っていったんです」
 お茶を選ぶ時「どうしても『生茶』がいい」という強いモチベーションを持ってもらえなくなっていたのだ。要するに、飽きられてきたということだ。

■ついに訪れた存亡の危機「ライバル研究では打破できない」
 多くのブランドが「定番化」を目指す。しかし、そのあとは「飽きられる」こととの戦いが待っている。その後『生茶』はリニューアルを繰り返した。毎年のようにパッケージを変え、たびたび『濃い生茶』や『玉露入り』のような派生商品も出した。
 しかし、すべての派生商品が売れたわけではなかった。なかにはお茶の炭酸『スパークリング』など思うように販売数が伸びなかったものもあったのだ。こうして微減傾向が続く中、サントリーの『伊右衛門』、日本コカ・コーラの『綾鷹』といった競合が現れた。
 この状況が数年続き、どうすれば打開できるのか、という場面でブランドリーダーに就任したのが菅谷氏だった。
 彼女は16年の戦略を練るにあたって「そもそも『生茶』ブランドを存続すべきか否か」という議論を重ねた。いっそブランドを解体してしまえば、まったく新しいコンセプトで商品開発ができるのだ。
 だが、全国の営業担当に聞くと、その多くが「存続すべき」という答えを返してきた。飽きられてきたとは言っても、15年の時点で年間約1800万ケース売っていたブランドだ。やはり、キリンの「資産」には違いなかったのだ。
 ブランドという名の「資産」は捨てられない。だが、このままではジリ貧。そんな場合、どんな施策をとればブランドは復活するのか。ここで菅谷氏が興味深いことを話す。
「私見ですが、私は『競合を見てはいけない』と思っています」
 仮に小学館であれば、競合と言えば講談社を真っ先に思い浮かべるだろう。だが出版業界の真のライバルは、電車通勤・通学時間や夜寝る前の時間を奪っていった「スマホのゲームや動画」なのではないか?トヨタ自動車のライバルは、日産ではなく、自動運転車プロジェクトを急ピッチで進めるGoogleなのではないか?菅谷氏が話を続ける。
「競合関係に目を奪われると、現状を追認し、少し変える程度の進化しか実現できません。では、どうすればいいか…。その答えは“商品を歴史の中で捉えなおす”ことだと、私は思います」
 彼女はまず、緑茶の歴史を調べたという。平安時代、お茶は遣唐使が持ち帰ってきて、貴族や僧侶が楽しむ高級品だった。その後、安土桃山時代に千利休が文化にまで高め、明治期になると、特別な時間に飲むものとして一般に普及し始めた。そして昭和後期にペットボトル飲料になり、最近は「急須でお茶を淹れたことがない」世代も増えた。
 では、次は?
「技術力を活かし、ご自宅の急須では淹れられない『お茶』をつくれないか?と思ったんです」

■淹れ方、茶葉の破砕方法… 「お茶の歴史を進化させる」ほどに研究した
 緑茶の茶葉は、蒸して、揉んで、乾燥させてつくる。だが、もっとこの文化には深みがあった。例えば『かぶせ茶』。お茶の新芽を育てる時、日光を1週間ほどさえぎることで、うまみの成分を多く含んだ濃い緑茶の茶葉になる。ほかにも、抹茶のように、茶葉を石臼等で細かく粉砕する手法もある。
 そこで、様々な淹れ方を試す中で、「生茶葉に圧力をかけ、旨みを抽出する手法」にたどり着いた。お茶の味に青々とした深みが加わるのだ。確かに、家庭では実現できない淹れ方だ。長い年月をかけて日本人が培ってきたお茶の文化には、深みがある。しかし、進化はここで終わり、というわけではない。「こう淹れるとおいしい」という技術はもっと発展してもいい。
「ほかに、粉砕した茶葉を使う手法も取り入れました。ただし、これが奥が深く、粉砕する茶葉の種類はもちろん、粒の細かさによっても味は異なるのです。また、粒の大きさが揃っていると、味がよくなることもわかりました」(菅谷氏)
 そこで同社は、茶葉を粉砕するにあたって硬いボールを使う『セラミックボールミル』にするか、空気圧を使う『ジェットミル』にするかなど、機械的な研究までした。確かにこれは「お茶の歴史を進化させる研究」と言えるはずだ。
 こうして研究を重ねると、少し不便なお茶ができた。ミクロン単位にまで粉砕した茶葉が入っているため、うっすら濁っているのだ。また、粉砕した茶葉が沈殿するため、飲む前に振ったほうがおいしい。これではお客に一手間かけさせることになるが、「私は『これでいい』と感じました。なぜなら、ブランドには『背景』が必要だからです」(菅谷氏)
 人間も同じで、ふとした仕草やこだわり、言葉遣いによって、人柄が伝わることがある。これはむしろ商品の理解を促進するチャンスでもあったのだ。
 こうして、パッケージも変更し、新しい『生茶』を世に出すと、このコンセプトは広く受け入れられた。3月にリニューアルしてから2ヵ月で500万ケースを突破。前年のリニューアル2ヵ月後と比較をすると、約9割も増加した。年間販売目標も2500万ケースに上方修正。発売後、消費者調査を実施すると「生茶の味を楽しみたい」という声が一気に増え、今もシェアは順調に伸びている。

20160318kirinnamacha2

 ブランドは企業の資産だ。だが、それはパッケージやCMのリニューアルなど、薄っぺらい活動で築けるものではない。まず、お茶ならお茶の「歴史を創る」くらいの覚悟が必要だ。同時に、研究したことを「伝える」のはもちろん、「伝わってしまう」ほどのつくりにすることで、消費者はやっと、商品に振り向いてくれるのだ。
via http://diamond.jp/articles/-/105945


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