FC2ブログ

気になりィーモ!!

気になった記事や事柄を 自分のノート代わりとする場に していけたらと思ってます。

≫ EDIT

[CM] シンガポールの保険会社による教育基金のCM 貧しい一家を支える長女と体が不自由な父・・・ はてなブックマーク - [CM] シンガポールの保険会社による教育基金のCM 貧しい一家を支える長女と体が不自由な父・・・



スー・ファンはしっかり者の長女で、体が不自由な父と幼い弟と妹と暮らしている。学校の勉強も人一倍がんばり、試験の成績も優秀。学校が終わってからは、叔母の店でタルト作りのアルバイトに精を出し、家計を支えている。そんな彼女は、まさに”一家の希望”だ。
父は「私の亡くなった妻が言っていた。スー・ファンは他の子どもたちと違う、と。あの子はいつも家族のことをいちばんに考えている」と語る。
学校の試験結果発表の日、スーは先生から「よく頑張ったわね」と成績表を手渡される。その晩、食卓で父に成績を聞かれた彼女は「あまり良くなかったの…」と父に告げた。いつも必死に勉強していた姿を見ていた父は当然、「なぜなんだ、一体どうしたんだ?」と詰め寄る。
そんな父に「だから、卒業したら進学せずに働こうと思うんだ」と告げるスー。家族想いの彼女は「働けば家計だって助けることができるから」と理由を説明するが、父は「学業も修めなくて、誰が雇ってくれるというんだ! 私のように役立たずになってもいいのか!?」と激昂してしまう。父の落胆ぶりと怒りに何も言い返せなくなってしまうスーだったが、さらに父は幼い弟と妹に「お姉ちゃんみたいな出来損ないになるんじゃないぞ!」とまで言い放った。なんとも後味の悪いまま1日は終わり、その後も父のスーへの失望の気持ちは消えず、家族の空気は寒々としてしまう。
そんなある日、父はスーの机の上に学校の成績表があるのを見つけた。あの子の成績が悪くなるなんておかしい…と感じていた父は成績表をこっそり見てしまうのだが、スーの成績は悪いどころかほとんどが”A”という、あまりに優秀な成績だった。
そこでようやく、父は全てを悟る。スーは家族のために嘘をついていたのだ。そこへ帰って来たスーに「私が役立たずなばかりに、すまない…」と泣きながら何度も謝る父。彼女も泣きながら「心配しないで、きっと物事は良くなっていくから」と慰め、親子は抱き合うのだった…。
「どんな子どもでも、その未来が犠牲になるようなことはあってはならない」…この映像作品は、シンガポールの保険会社が主催する教育基金の広告。経済的な事情のためにポテンシャルを発揮することができない子どもたちのための基金である。スー・ファンのように、自らの意思で学業を諦めようとしたのだとしても、若者の可能性が閉ざされてしまうのは悲しいことだ。このCMは、全ての子どもがその可能性を全うできるようにと訴えているのである。
via http://getnews.jp/archives/1158695


関連記事
スポンサーサイト



ブログパーツ アクセスランキング

| CM | 13:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

リー・クアンユー氏が死去、91歳 シンガポール建国の父 はてなブックマーク - リー・クアンユー氏が死去、91歳 シンガポール建国の父

singapore-lee-kuan-yew2
シンガポールの首相を30年以上にわたって務め、同国建国の父と呼ばれたリー・クアンユー元首相が23日未明に死去した。91歳だった。
首相府が声明を発表した。同国の首相は現在、リー氏の長男、シェンロン氏が務めている。
リー氏は重い肺炎で2月5日から入院し、6週間以上にわたって人工呼吸器をつけていた。
同氏は1923年生まれ。シンガポールが英連邦の自治州となった59年から首相を務め、65年にマレーシアから独立したシンガポール共和国の初代首相に就任。天然資源のない小国を清潔で安定した国際経済の中心地に育て上げ、「シンガポール建国の父」としてたたえられた。
90年に首相の座を退いたものの、その後もシェンロン氏が首相に就任する2011年まで閣内にとどまるなど、大きな影響力を維持した。
2002年にはCNNとのインタビューで、政界に入るきっかけとなったのはシンガポールが日本軍に占領された時代の経験だと語り、「私はそこで権力の意味を悟った」と述べた。
08年のインタビューでは、自身がたどった道を「第三世界の条件下で、第一世界のオアシスを誕生させることを目指した」と振り返った。同氏が主導したシンガポール式の国家資本主義は、中国の経済改革のモデルとされた。
リー氏は一方で、言論統制や批判勢力への強硬姿勢が批判を呼ぶことも多かった。国際NGO「国境なき記者団」が発表した14年の「報道の自由度ランキング」で、シンガポールはコンゴ共和国やメキシコ、イラクに近い150位と判定されている。
オバマ米大統領は98年、米ホワイトハウスで会談したリー氏を「20~21世紀のアジアの伝説的な偉人の一人」「アジア経済に奇跡をもたらした人物」とたたえた。
リー氏はまた、米誌タイムが10年に発表した「世界で最も影響力のある100人」の1人にも選ばれていた。[2015.03.23]
via http://www.cnn.co.jp/world/35062124.html?ref=rss

◆リー・クアンユー元首相死去=シンガポール建国の父-「世界の貿易港」築く
 30年余りにわたってシンガポール首相を務め、小さな都市国家を東南アジア随一の先進国に育て上げたリー・クアンユー氏が23日未明、入院先の病院で死去した。91歳だった。2月5日に重い肺炎で入院。集中治療室(ICU)で人工呼吸器を装着し、抗生物質の投与を受けていたが、最近になって危篤状態に陥っていた。
 長男のリー・シェンロン首相は23~29日を国の服喪期間にすると発表。遺体は25~28日、国民が哀悼の意をささげられるよう国会議事堂に安置される。国葬は29日午後2時(日本時間同3時)からシンガポール国立大学講堂で営まれる。
 日米欧からの外資導入を推進。マレー半島先端の小島にすぎなかったシンガポールを「世界の貿易港」「アジアの金融センター」に変貌させて繁栄の礎を築き、「シンガポール建国の父」と呼ばれた。
 1923年、当時の英植民地シンガポールで華人(中国系)家庭に生まれた。第2次大戦中、シンガポールを占領した日本軍の報道部に約1年勤務。終戦とともに渡英し、ケンブリッジ大(法学)を首席で卒業した。帰郷後は弁護士として活動。54年に留学経験者の仲間を中核として、後に与党となる人民行動党(PAP)を結党し、書記長に選ばれた。
 英連邦シンガポール自治州の総選挙で59年にPAPが勝利すると、35歳で自治州首相に。63年、シンガポールのマレーシア連邦加入に伴い州政府首相となり、65年8月、マレーシアからの分離・独立で成立したシンガポール共和国の初代首相に就任。90年11月にゴー・チョクトン第1副首相(当時)に首相の座を禅譲するまで、長期間にわたり近代的な都市国家建設と工業化を進めた。[2015.03.23]
via http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2015032300020&m=rss

・リー・クアンユー:Wikipedia

・「彼はシンガポールそのもの」 リー・クアンユー氏が築き上げたモノ
 http://www.huffingtonpost.jp/triport/lee-kuan-yew_b_6997636.html
関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 政治 | 00:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |