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世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子) はてなブックマーク - 世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子)




イギリスのロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』を、これまで3度観た。
一度目は学生時代からのコアなクイーンファンの友人が応募して当選した公開直前のプレミア試写会で、二度目はやはり学生時代からさんざん一緒にコンサートに行った別のロックファンの友人がチケットを取っていた「爆音」上映会。そして三度目は中学2年生の双子の息子たちを連れてIMAXの大画面で……という具合だ。
50年以上生きているけれど、映画館で立て続けに3度も同じ映画を観たのは人生で初めてのことだ。しかも毎回泣いてしまった。驚いたのはフレディが亡くなってからずっと後に生まれた中2の息子たちも感動のあまり泣いていたことだ。
ブライアンとロジャーは8年もの歳月をかけて、よくぞここまでしっかりとクイーンの歩みとフレディの人生を映画という美しい芸術に仕立ててくれたと思う。70年代にテープがすり切れるほど重ね録りをしてアルバムを作ったのと同じ熱意をもって映画作りにのぞんだのではないか。
思えば中学1年のときに初めてクイーンの曲に出会い、高校時代から本格的にクイーンを聴き始め、1985年には念願の武道館ライブに行き、今も毎日のようにクイーンの曲を聴きながら生きている。そして、いつの間にか自分がフレディの年を追い越してしまったことに気づき、愕然とするのだ。

「子どもたちが『この人のライブに行きたい』というので、この人はもう死んでしまったんだよと言ったら、子どもが泣いてしまった」――Twitterでそんな内容のつぶやきが流れるほどに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を通して「新しいクイーンファン」が増えている。ボーカルのフレディ・マーキュリーは今から27年前の11月24日に天国へ旅立った。自他ともに認めるコアファンのジャーナリスト、猪熊弘子さんがフレディの魅力を改めて伝える。

■1991年11月24日の悲報
1991年11月24日、あれから27年もの月日が経ったとは思えないほど、今もあの日のことは鮮烈に覚えている。フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが飛び込んで来たのだ。まさにその前日にフレディ自身がAIDS(後天性免疫不全症候群)であることを告白したことが報じられたばかりだった。
当時、AIDSはまだ不治の病だった。その年の2月に発売された「イニュエンドゥ」のPVで、痩せて形相が変わってしまったフレディの様子を見て、これはただ事ではないとは思っていたけれど……
当時は今のようにインターネットなどはなく、ニュースが世界中にネットで瞬間的に広まるような時代ではなかった。私は自宅で定時のテレビニュースでその知らせを聞いた。そのあとも、、私がクイーンファンであることを知っている記者の友人たちも通信社の配信でフレディ死去の報を得て「フレディが…」と電話をくれた。
「フレディが死んでしまった」
涙がボロボロ流れ落ちた。





たまたま小学生の頃からかわいがっていた愛猫が死んだのが翌日25日で、2つの悲しい別れが続いたことも忘れられない記憶だ。
それから2週間ほど後、私は海外での取材でオーストリアに行った。帰りはロンドン経由だったので、私はオックスフォードストリートのレコード店HMVまで駆けつけて、フレディの追悼本を買いまくった。店内にはフレディの追悼コーナーができていた。
その後、長い長い子育ての時間を経て(実は現在大学生の長女には密かにクイーンの曲に関わりのある名前を付けている)、私が再びロンドンの地に立つことができたのは、2016年9月のことだった。そのとき私は迷わずケンジントンにあるフレディの家を見に行った。フレディが最後を迎えた家だ。
「Love of my life」を捧げたという元恋人のメアリー・オースティンが今でも管理しているというスタジオ付きの家は、地下鉄の駅から10分ほど歩いた住宅街の中にあり、もちろん「豪邸」ではあるが想像していたよりもずっとシックなたたずまいだった。グリーンがかった高く長い壁には、世界中から訪れたのだろうと思われるファンのさまざまな言語での書き込みがたくさんあった。





■ベルばらや原辰徳が人気だったころ
初めてクイーンの曲を聴いたのは、今からちょうど40年前の1978年、中学1年生の時だった。
ちょうどその当時、私の周囲の女子の間では洋楽といえばベイ・シティ・ローラーズが超絶人気で、みんなタータンチェックのグッズや缶バッジを付けていた時代。ほかに『ベルばら』と、現・巨人軍監督の原辰徳氏が巨人入団前から大人気で、私の記憶の中では、ローラーズとオスカルと原選手がごちゃ混ぜになっているくらいだが、その中で鮮やかかつ不思議な印象を残していったのがクイーンだった。
放送委員として給食の時間に当番で校内放送の担当をしていたので、好きな曲をかけることができた。学校にあったLPレコードはクラシックがメインで、洋楽はビートルズのレット・イット・ビーやイエスタデイ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」といった教科書に載っているような曲がほとんどだったが、時には先輩たちが勝手に自分の好きなレコードを持ってきて曲をかけることもあった。そこで聴いたのがクイーンの「キラー・クイーン」だった。
指を鳴らす音からはじまり、メロディアスなピアノと印象的なボーカル、美しいコーラス、そこに重厚なギターの音が絡んでいく楽曲は、それまで一度も聴いたことがないとにかく不思議な印象で、いきなり心を引き付けられた。田舎の小さな中学校の木造平屋建ての古い校舎の真ん中あたりにあったちっぽけな放送室で、私は初めてクイーンに出会ったのだ。

■多様性をフレディから教わった
本格的に聴くようになったのは高校時代だ。田舎の女子高だったが、出会った友人たちがみんなローラーズ以来の強烈な洋楽ファンで、クイーンも彼女たちに教えてもらって聴くようになった。
当時は高校生のお小遣いではそう頻繁にレコードを買えなかったので、誰かがLPを買えばカセットテープにダビングしてもらったり、FM番組を「エアチェック」(録音)したりして聴いていた。『Music Life』を愛読するようになり、東郷かおる子さんのクイーンへのインタビュー記事を読みまくった。
今のようにすぐに動画が見られる時代ではなかったので、東郷さんの書かれる文章を熟読することからクイーン一人ひとりのキャラクターを理解することしかできなかった。たとえばインタビューの主語を「俺」と訳すか「僕」や「私」と訳すかで、読者の受け取り方は随分違って来るはずで、メンバーの個性にあわせて主語からかえていたのだ。
そういう意味では、東郷さんらがクイーンの音楽はもちろん、メンバーの人となりを的確に伝えてくださったことが、私を含む日本中のファンのクイーン愛を育くんでくれたのだろう。
LGBTへの理解についてもそうだ。ゲイの人は音楽界や芸術の世界で珍しいことではないし、むしろその方がカッコイイ、当たり前だよね、みたいな感覚があった。女子高生にも全く抵抗がなかった。フレディの派手なパーティや「愛人」の話はいつもMusic Lifeで読んでいたが、いやだと感じたことが一度もない。
後に84年に発売されたアルバム「The works」に入っている「Break Free」は女装のPVで波紋を呼び、アメリカに御出入り禁止になったのは有名な話だが、私は当時からあのPVが大好きで、友人たちとも何度繰り返し観たかわからない。フレディがザンジバルからの移民であることも同じくMusic Lifeで読んだ。
どこで生まれようと、どんな人であろうと関係ない。素晴らしい音楽を私たちに与えてくれる人が好き、ただそれだけのことだ。多様性を認めることの大切さ。そのスタンスをクイーンから学んだ。
そういえば、フレディはよくMusic Lifeのワースト・ドレッサー賞に輝いていたけれど、あのパッツンパッツンの市松模様タイツや、短パン1丁+首にタオルでステージに出られるのはこの世で(今はあの世でも出ているかもしれないが)フレディしかいない、ということをギャグにしつつも褒め称えていたのだろう。
個人的には70年代の白いヒラヒラのジュディ・オング風の袖が付いた服をフレディとブライアンが着ている姿がいちばん好きだ。70年代の長髪&ヒラヒラの王子様風のクイーンが今もいちばん美しいと思っている。





■いつ解散してもおかしくない時
高校2年の1981年11月には、「グレイテストヒッツ」が発売された。その当時のクイーンには常に解散説がつきまとい、4人もバラバラに活動していて、いつクイーンが解散してもおかしくない状態だった。
来日公演があれば絶対に行きたいと思っていたが、1982年の来日公演はちょうど高校3年で大学受験を控えていたし、東京公演もなく、大学生になったら行こうと諦めた。しかし、無事に大学生になったというのにしばらくクイーンは活動を停止していて、なかなか来日公演はなかった。
ついに手に入れることができたのが、1985年5月の武道館公演のチケットだ。武道館2階のやや東側のスタンドの一列目という最高の席で、高校時代の友人4人で駆けつけた。フレディの声は高音があまりよく出ず、やや辛いものがあったように記憶しているが、それでも生のクイーンの演奏は絶叫ものの感動で、フレディの「レーロ!」に呼応して「レーロ!」と歌ったことは今も忘れられない。
「次も来日したら必ず行こうね!」とみんなで約束したが、その約束は実現しなかった。結局、その時のライブが最後の来日公演になってしまったからだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のラストに出てくるLIVE AIDはあの武道館のライブからわずか2ヵ月後だから、私が熱狂したあの武道館での4人の姿そのものなのだと改めて思うと、また思い出し泣きしてしまいそうだ。
ちなみにLIVE AIDは1985年7月13日に開催された、アフリカ難民救済を目的とした20世紀最大のチャリティーコンサートだ。日本でも中継されたはずだが、なぜか私には当時の思い出がない。午後9時から翌日正午までの放送という長丁場で、いつ誰が出てくるかわからなかったから、見ることができなかったのかもしれない。
先日、ついに完全版のDVDを手に入れて観てみたが、クイーン以外に大好きでよく聴いていたバンドがたくさん出ていて、最後まで楽しめた。しかし、やはりいちばん素晴らしいのはクイーンの20分間だ。超シンプルすぎるステージをあれほど完璧に盛り上げ、スタジアムを興奮の渦に巻き込んだ20分間は、クイーンの最後の大きくていちばん美しい打ち上げ花火だったのだと思う。





■クイーンのメンバーが幸せでいることが幸せ
フレディの死後、ベースのジョン・ディーコンはほぼ音楽活動から引退し、今はロジャーとブライアンだけが「クイーン」の看板を掲げて活動している。2006年には元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースをボーカルに迎えて再出発したが、私自身は、ポール・ロジャースのボーカルは受け入れられず、ライブには行かなかった。その後、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「Queen with Adam Lambert」としてライブを開始した。私も2016年10月の武道館ライブには足を運んだ。
個人的には特に大好きだったジョン・ディーコンがいないことが本当に寂しいが、もともとクイーンというバンドはブライアンとロジャーが始めたバンドだったことを思えば、今の2人の活動は、ただ70年代始めに彼らがバンドを始めた時に戻っただけなのかもしれないと思えるようになった。

■「私たちは家族だ」



ブライアンは、2012年10月から毎日のように、インスタグラムやツィッターで投稿を行っている。最近ではそれに刺激を受けたのか、ロジャーもインスタを始めた。つい先日は、ロジャーが自宅の庭に引き取ったフレディの像を見上げて「庭を歩き、旧友に挨拶する(A walk in the garden...saying hello to n old friend)」という投稿をしていて、ジンとしてしまった。大スターのリアルなつぶやきをじかに受け取れる時代が来るとは、フレディが亡くなった27年前には全く想像もしなかった。
ブライアンのつぶやきはロックスターとしてのこともあれば、天文学者としての時、一人の良き夫や父親としての時もある。時には英国政府を批判する政治的な発言や、動物愛護主義者としての呼びかけもある。世界的なロックスターが、大好きな星の話しを夢中でしている様子などを垣間見ることができると、「あぁ、ブライアンが嬉しそうで嬉しい」と優しい気持ちになる。なんとなく、クイーンのファンはみんな、フレディやロジャーをまるで親戚のちょっとイケてるおじさんのように感じているのではないかとこのごろよく思う。
私は今、大学院の博士課程後期に席を置いて博士号を取るために学んでいるが、研究が辛くてくじけそうになったときにはいつもブライアンが2007年にインペリアルカレッジで天文学の博士号を取ったことを思い出すようにしている。ロックスターの道を歩みながらも天文学者の道もあきらめなかったブライアンの生き方に、リアルタイムで励まされている。
もうフレディはこの世にいないけれど、ジョンも表舞台には出てこないけれど、ブライアンとロジャーの生き生きとした姿を見るだけで、毎日、幸せな気持ちになってしまう。この時代に生きていて本当に良かったと心の底から思える。この数年、ますますクイーンが好きになっている。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中では何度も“We are family.”という言葉が出てくるが、実際、クイーンは一度もメンバーチェンジをせず、お互いを家族として大切にいたわりながらここまで続いてきた。ファンもそんな「家族」として扱って貰っているように感じる。
それぞれ世界の違う場所で違う人生を生きているが、みんなクイーンが好き。それだけで十分に「家族」なのだ。フレディには今もこんなにもたくさんのあなたを愛する「家族」が世界中にいるんだよ、と伝えてあげたいくらいだ。
この原稿を書きながら、ふとクイーンの曲がかかっていることに気づいた。息子たちがクイーンの曲を聴いていた。「胎教」はもちろん、子守唄のようにしょっちゅうクイーンを聴かせていた息子たちは、映画を観て、全ての曲を知っていたので驚いたと言っていた。「家族」には確かにしっかりと次の世代が育っている。
via https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58624


◇賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ ~映画は嘘をつくから素晴らしいのだ~ (by伊藤 弘了)

 映画は嘘をつく。なぜか。観客に嘘を真実だと思い込ませるためである。映画『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、2018年)はきわめて巧妙にこの逆説を生き抜いている。
 筆者は特別熱心なクイーンのファンというわけではない。正直に言えば、『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞している間、「聴いたことはあるけれど、これもクイーンの曲だったのか」という体験を何度もした。そして、気がついたときにはすっかりこの映画に夢中になっていた。
 それでは、この映画の何にそれほどの魅力を感じたのか。クイーンの音楽そのものに人を惹きつける魅力があることは言うまでもないだろう。この映画に批判的な見解を示す人の多くも、クイーンの音楽を否定しているわけではない。むしろ、コアなファンほど、史実の改変や脚色を施された映画の物語を問題にしているように思われる。
 一方で、映画は世界中で驚異的な大ヒットを記録している。筆者のほかにもこの映画自体に魅力を感じた観客が膨大にいるのである。
 その魅力の源泉とは何なのか。筆者は映画研究者=批評家である。音楽的な知識には自信がないが、映画のことなら分析できる。というわけで、分析のためにこの映画を劇場で5回見てきた。その結果、ラストに置かれたライヴ・エイドのシーンが実に巧みな「嘘」に基づいて作り上げられていることがわかった。この記事では、クライマックスをなすライヴ・エイドの再現シーンに注目し、観客を取り込むために映画がどのような嘘をついているか、大きく4つにわけて解き明かしていこうと思う。

■宣伝文句「魂に響くラスト21分」がすでにウソ
 ライヴ・エイドのシーンがいかに忠実に再現されているかは、すでに各種宣伝やレヴューでさかんに取り沙汰されている。使われている楽器や衣装はもちろん、会場となったウェンブリー・スタジアムのセットは、ピアノの上に置いてある灰皿や飲み物のカップ類に至るまで緻密に再現されているという。また、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックは、優秀なムーヴメント・コーチの助けを借りて、ライヴ当日のフレディの動きを忠実に再演してみせている。SNS上には、じっさいのライヴ・エイドを撮影した映像と映画の該当シーンを比較する動画もアップロードされており、人々はその再現率の高さに文字通り目を奪われている(この動画は現在までに860万回以上再生されている)。
 確かに一見したところ、2つの映像でフレディが見せる動きはよく似ているし、映画がスタジアムやステージまわりの各種小物にまで気を配っていることも窺える。だが、この2つの映像は、いくつかの点で決定的に異なっている。この違いに着目することで、映画の周到な戦略が浮かび上がってくる。
 ライヴ・エイドの「完璧な再現」を売りにするこの映画は、クイーンがステージ上でパフォーマンスを披露した時間がおおよそ21分であったことにちなんで、「魂に響くラスト21分」という惹句を宣伝に用いている。しかし、ここにはすでに大きな「嘘」がある。

■「ラスト21分」実際の時間は...
 映画で描かれるライヴ・エイドのシーンは、じっさいには13分30秒しかない。確かに、ライヴ・エイドの演奏開始からエンディングで流れる2曲までを含めれば20分弱にはなるが、現実にクイーンの行ったステージ上のパフォーマンスが20分弱である以上、それを「完璧に再現」したと言うからには、劇中の対応するシーンの長さを揃えるのが筋だろう。



 ただし、筆者はこの嘘を批判したいわけではない。むしろ肯定的に評価したいのだ。7分以上も鯖を読んでいながら、そのことを指摘するレヴューがほとんど見当たらないのは、映画が成功している何よりの証である(もっとも、劇場にストップウォッチを持ち込んで時間を計りだすのはへそ曲がりな批評家くらいのものだろうが)。ほとんどの観客は、13分30秒の映像を21分のライヴ・パフォーマンスの再現として違和感なく受け入れている。つまり、21分というのは、物理的時間としては嘘でも、観客の生理的時間としては正しいのである。
 それでは、なぜこのような錯覚を与えることが可能になるのだろうか。その鍵を握るのが、再現シーンがついている2つ目の「嘘」である。

■再現シーンに費やされているショットは実際の3倍
『ボヘミアン・ラプソディ』の再現シーンと、じっさいに行われたライヴ・エイドの記録映像の二つ目の違いは、そこで費やされているショットの数である。記録映像(YouTubeでも視聴できる)が21分を175のショットで構成しているのに対して、再現シーンは13分30秒を約360のショットに割っている。使われているショット数に倍以上の違いがあるのだ。しかも、時間としては映画のライヴ・シーンの方が短い。そこで、両者を同じ条件で比較するために、ショットの平均持続時間(ASL=Average Shot Length)を求めてみることにしよう。
 すると、記録映像のASLが7.2秒であるのに対して、再現シーンのASLは2.3秒であることがわかる。ひとつひとつのショットにかけられている時間には平均して3倍以上の開きがあることになる。映画の再現シーンは、“スーパーソニック”な編集をクイーンの音楽と結びつけることで映画のグルーヴを増幅させ、観客に時間的な短さを感じさせないようにしていたのである。
 もちろん、単に短いショットを畳み掛ければ即座に観客に高揚感をもたらすことができるわけではない。それほど単純な話なら、あらゆる映画のASLはもっと短くなっているはずだ。ライヴ・エイドの再現シーンがすぐれているのは、そこに組み入れるショットの選択が絶妙だからである。このシーンには、じっさいのライヴでは撮影できないようなショットが大量に紛れ込んでいる。

■記録映像にはなかったスタジアムの「外」の様子
 それはどのような種類のショットだろうか。もっとも象徴的なのは、会場となったウェンブリー・スタジアムの「外」にいる人々を写したショットである。ショット数で言うと、これが25ほどにのぼる。ライヴの「完璧な再現」を謳うからには、スタジアムの内部(ステージおよび観客席)の映像のみで完結させるのが本来だろう(じっさい、記録映像はすべてスタジアム内のショットで構成されている)。だが、映画はライヴと直接には関係しないはずの映像を取り入れることによって、ライヴの「完璧な再現」を目指しているのだ。



 スタジアムの外の映像としてどのようなものが映し出されているか、その内容を具体的に見ていこう。まず、バーのテレビでライヴを見ている人々を写した一群のショットがある。バーの人々のショットは、スタジアムの観客のショットに織り交ぜられて編集されている。たとえば、「レディオ・ガガ」の演奏場面では、フレディのパフォーマンスに対してスタジアムの観客たちが両手を挙げて応えるが、同様の反応を示すバーの人々のショットがここに挿入されているのである。

■劇中のバーの人々は我々観客を"教育"している
 スタジアムの観客とバーの人々の反応が同じなのであれば、ことさらバーの人々を写す必要はなかったのではないか、と思うかもしれない。しかし、筆者の考えでは、バーの人々を写したショットはこのシーンに絶対に必要なものである。なぜなら、テレビの画面越しにクイーンのパフォーマンスを見ている劇中のバーの人々は、映画のスクリーン越しに同じパフォーマンスに見入っている我々観客の立場そのものだからである。スタジアムで生の演奏を見ている観客と、その様子を見ている映画観客との間にはスクリーンという絶対的な境界線が引かれている。劇中でライヴをテレビ視聴する人々には、スタジアムと映画館を媒介し、映画観客にこの境界を乗り越えさせるための蝶番としての役割が託されているのである。
 あるいは、こう言ってよければ、映画の観客は、スクリーンに映し出される自らの似姿を通して、ライヴのパフォーマンスにどのような反応を示せばいいのかを教育されているのだ。我々は、劇中の観客と同様に、熱狂をもって応えればいいのである。各地で好評を博している本作の「応援上映」は、映画による教育が見事に奏功している証左である。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」削除 3つ目の「ウソ」の意味
「観客」の問題をもう少し見ていこう。クイーンが「観客との交流」を重視していたことは映画内でも繰り返し強調されている。ライヴ・エイドの再現シーンでは、その「観客」の範囲を映画の観客にまで拡張しようと試みているのである。じっさいのライヴ・エイドで演奏された「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を再現シーンから削除するという劇中の「嘘」は、実はこの読みを裏付けてくれる。
 2度の足踏みと手拍子によって観客のライヴへの参加を可能にした「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のパフォーマンスは、劇中でも作曲過程からライヴの成功までを詳しく描き出している。だからこそ、ライヴ・エイドのシーンからはこの曲が削除されたのである(もう一度繰り返すのは蛇足になってしまう)。もちろん、映画の尺の問題はあるだろうが、そこで真っ先に切られたのが「ウィ・ウィル・ロック・ユー」であったことは必然と言っていい。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を埋めたオリジナルシーン
 なぜなら、映画は「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を消去する代わりに、フレディの発声による「エーオー」のコール&レスポンスによって「観客との交流」というテーマを十分に展開しているからである。もちろん、このパフォーマンス自体はじっさいのライヴ・エイドでも行われているが、映画はこのパフォーマンスを劇中のほかのシーンと連関させているのである。劇中で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をライヴ演奏した際、フレディは最後にこのコール&レスポンスのパフォーマンスを短く2度だけ行なっている。
 この「エーオー」は、フレディがエイズの診断を下された際、廊下ですれ違った別の患者(おそらくはフレディのファン)の呼びかけに応えるという形で変奏されてあらわれる(これは映画オリジナルのシーンである)。最後のライヴ・エイドのシーンでフレディが見せる圧巻の「エーオー」は、直前に置かれたこのささやかなコール&レスポンスを大掛かりに反復したものなのである。エイズの告知シーンでファンからの呼びかけに小さく応えたフレディが、今度はファンに向けて全身全霊のパフォーマンスで呼びかける側にまわっているのだ。

■"民主主義的な"ショット配分 4つ目の「ウソ」の意味
 映画が「観客との交流」と並んで重要視しているのが「家族の物語」である。全篇の集大成とも言うべきライヴ・エイドのシーンでこのテーマを打ち出すために、映画は4つ目の「嘘」をついている。それはまず「バンドは家族」であることを映像的に示すところから始められる。このシーンは、ウェンブリー・スタジアム全体を見下ろすカメラが、超満員の観客の上を舐めるように滑っていき、ステージ上でピアノを奏でるフレディの顔のクロースアップを捉えるまでをひと続きに収めた華麗なショットによって幕を開ける。
 フレディのクロースアップに続いて映し出されるのは、クイーンのメンバーであるジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)、ロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ブライアン・メイ(グウィリム・リー)をそれぞれ単独で捉えたショットである。このあと、再びフレディのショットに戻って、今度はブライアン、ロジャー、(間にもう1度フレディを挟んで)ジョンの順に再びメンバーのショットが続く。このきわめて「民主主義的」なショット配分は映画独自のものであり(記録映像のカメラはもっぱらフレディを追い続けている)、バンド=家族の対等な関係性を示唆している。
 映画のカメラはバンドのメンバー以外にも向けられる。ライヴ・エイドのシーンには、ステージ脇からパフォーマンスを見守るフレディの元恋人メアリー・オースティン(ルーシー・ボイントン)と“友人”のジム・ハットン(アーロン・マカスカー)、マネージャーの“マイアミ”・ビーチ(トム・ホランダー)を捉えたショットが複数回にわたって挿入されている。彼らも広い意味でフレディの家族と言うべき存在であり、このシーンは彼/彼女たちをきちんと物語化して提示している。

■なぜクイーン演奏中に寄付が集まったように見せたのか?
 もちろん、映画はフレディと実の家族とのつながりを強調することも忘れない。このシーンには、自宅のテレビでライヴの様子を見ているフレディの家族のショットも挿入されている。とりわけ母親の存在は重要である。ライヴの直前にジム・ハットンとともに実家を訪れたフレディは、その帰り際に「ステージからママに投げキスを送る」と約束しており、映画ではじっさいにそれが果たされている。ライヴの最後の曲である「伝説のチャンピオン」を歌い終えたフレディは、観客席=カメラに向かって投げキスを飛ばす。すると、画面はそれを受けとめる母親のショットに切り返されるのである。母親はその場にはいないので、これは映像のうえでだけ成り立つ偽の切り返しである。このショット編集の妙によって、映画の観客にはフレディと母親の「交流」が成就したことが理解されることになる。
 また、ライヴ・エイドが目標としていた100万ポンドの寄付が集まったのがクイーンの「ハマー・トゥ・フォール」演奏中であったかのように描かれている点も、ひそかに家族のテーマと通じている。このチャリティ・コンサートが掲げる「アフリカ救済」という大義は、やはり直前のシーンでフレディと父親の会話を通して強調されていた。フレディは、父親が息子に望んでいた「善き思い、善き言葉、善き行い」を見事に実践することで、その期待に応えてみせたのである。(※)

■『ボヘミアン・ラプソディ』は再現ではなく、映画的勝利
 ここまで見てきたように、ライヴ・エイドのシーンは、「完璧な再現」などではまったくない。このシーンには映画的な潤色がふんだんに施されており、劇中で展開されたテーマや伏線を回収する場として効果的に機能している。これによって、観客は物語世界への没入を強力に促され、満足感を得ることができる(同時にクイーンのコアなファンや批評家たちはこの物語に乗り切れなかったと考えられる)。だからこそ、このラスト・シーンは多くの観客に「完璧な再現」という虚構を信じ込ませることができたのである。これを見事な映画的“勝利”と言わずして何と言おうか。
「交流」や「家族」というテーマに即してシーンの細部を検討してきたが、これら以外にも、映画にしか見られないショットがいくつか存在する。たとえば、「ボヘミアン・ラプソディ」のシングル・カットに強硬に反対した音楽会社の社長(マイク・マイヤーズ)のショットが差し挟まれている。社長の読みとは裏腹に、「ボヘミアン・ラプソディ」は大成功を収め、クイーンは世界的なロックバンドへと成長していった。しかし、鳴り響く電話のベルを無視して憮然とした表情を浮かべているかに見える社長は、実はひそかにそのような事態を喜んでいるのかもしれない(周知の通り、社長役のマイヤーズ自身はクイーンの大ファンである)。
via http://bunshun.jp/articles/-/9782


◆映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告




◆Queen Perform Live at LIVE AID on 13 July 1985 [ORIGINAL]


・クイーン (バンド) -:Wikipedia

・クイーン、フレディ・マーキュリーの知られざる10の真実
 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29438

・映画『ボヘミアン・ラプソディ』、そして1991年のブライアン・メイのインタビュー記事を題材にたどる史実との相違 
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20181125/bohemianrhapsody
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