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気になりィーモ!!

気になった記事や事柄を 自分のノート代わりとする場に していけたらと思ってます。

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震災から7年の “宮城県沿岸の今” を伝える英国人YouTuberの動画 はてなブックマーク - 震災から7年の “宮城県沿岸の今” を伝える英国人YouTuberの動画

◆What Happened In Japan After The Tsunami?


via https://rocketnews24.com/2018/03/11/1030259/

・東日本大震災から7年…地震の犠牲者に追悼の声が相次いでいる
 https://matome.naver.jp/odai/2152072036727605701

・【3.11特集】東日本大震災を生き抜いた人々の感動エピソード5選に涙が止まらない! 「見えない存在」の助け、命を懸けた救助…!   
 http://tocana.jp/2018/03/post_16245_entry.html

・サンドの2人を復興支援に動かしたカフェ
 http://blogos.com/article/282876/

・震災から7年もいまだ仮設住宅での避難生活7万人以上~不透明な状態が続く生活再建の行方
  http://blogos.com/article/282947/


・震災後 サンドウィッチマンがネタで使わなくなった『言葉』に、ハッとする
2018年3月11日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した、お笑いコンビのサンドウィッチマン。
7年前に東北で起きた東日本大震災をきっかけに、変化した考えかたや行動について語りました。

■震災から7年を経て
共に宮城県仙台市出身で、震災当日も宮城県気仙沼市でロケをしていたという2人。震災直後から積極的に被災地を訪れ、さまざまな支援活動を行ってきました。
サンドウィッチマンが開設した被災地への義援金口座『東北魂義援金』には、7年間でおよそ4億円の義援金が集まっています。
そういった現状を受け、番組内でサンドウィッチマンの伊達みきおさんは「それだけたくさんの人に協力していただいたからには責任があるし、ちゃんとやりたい」とコメントしました。

■ネタ中に使わなくなった言葉
番組で共演した糸井重里さんに「震災後、お笑いの面で気を付けたことはあるか」と問われた伊達さんは、次のように告白。
いまだからいえることだと、実は僕らのネタってあの、「死ぬ」っていう単語が結構出てくるんですよ。それは、やめましたね。

震災後しばらくは、ネタ中に「死ぬ」という言葉を使わないようにした理由を「簡単にはその言葉を出せないと思ったし、僕らの中でもいいたくなかった」と語る伊達さんに、相方である富澤たけしさんもうなずきました。

■友人との「またいつか」をやめた
さらに伊達さんは、震災をきっかけにやめたことの1つに「友人とのあいまいな約束」を挙げます。
僕なんかは、友達とかと「じゃあ今度飯行こうね」なんていう、いつ行くか分からないような約束するじゃないですか。「今度会おうね」みたいな。
そういう時は、必ず会うようにするようになりました。

「会えなくなるような気がして。何があるか分からないから」と続ける伊達さん。伊達さんによると、東北では震災後、同窓会を開催する人たちがとても増えたのだそうです。

■復興のゴールとは
7年経ったいまも、明日があるか分からないという危機感が常にあるというサンドウィッチマンの2人。
震災をきっかけに、伊達さんは午前3~4時ごろまで眠れなくなったエピソードを明かし、富澤さんは外出する際に食料や飲み物を持ち歩かないと不安になるという現状を語りました。
番組内で糸井さんから「復興のゴールはあるのか」と問いかけられた2人は、首を横に振ります。
伊達さんは「震災を知らない世代が立て直していくんでしょうね」とつぶやき、何十年後の未来に思いをはせました。
被災地への活動を行う中で、さらに地元への愛が深まったというサンドウィッチマン。被災地に人を呼びこみ、盛り上げていく活動は今後も続けていくつもりだといいます。
サンドウィッチマンの震災に対する考えや行動に、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられました。
・2人の話を聞いていて、7年間で危機感が薄れていったことに改めて気付かされた。
・分かる。震災後、遠方の友達には積極的に会いに行くようになった。
・復興のゴールはどこなのか…。重いけれど、少しずつでも近付いていると思いたい。

震災から7年という時が経ったいまも、以前のような生活を送れないまま暮らしている人たちはたくさんいます。
震災の爪あとは、被災地で暮らす人の生活だけでなく、心にもなお残り続けているのです。
いまの私たちにできることは何か…と、改めて考えさせられます。
via https://grapee.jp/467189
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| 事件 | 21:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[動画] 6つの衝撃映像で振り返る3.11の本当の恐怖 ― 津波の恐ろしさを後世に はてなブックマーク - [動画] 6つの衝撃映像で振り返る3.11の本当の恐怖 ― 津波の恐ろしさを後世に

■イオン前で地震発生~津波襲来(宮城県多賀城市)

 宮城県多賀城市のイオン前。仙台港から100mほど内陸に入ったところにある。大地震発生後に屋外に避難した人々が、遠くに津波が襲来しているのを見て、「上がって!」と叫ぶとともに、車が流されている光景を見て悲鳴を上げる。
 このような市街地は、周囲に高い建物がない地域に比べると避難できる商業施設などがあるため、恵まれているかもしれない。市街地で津波に襲われそうになったら、とにかく高い建物に上ることだ。

■仙台港近くのオフィスで地震に遭遇(宮城県仙台市宮城野区)

 この映像は津波ではなく、地震発生時のものだ。仙台市宮城野区の仙台港近くにあるオフィスで撮影された。東北地方太平洋沖地震では、仙台市宮城野区で震度6強を記録したが、撮影者は「大地震だ!」と叫びながらも撮影の手を止めず、結果的に貴重な映像となった。頑丈そうなビル内とはいえ、勇気を振り絞っての撮影だったに違いない。その後、屋外に出て、外の状況も撮影されている。撮影者は、津波が襲来した際には同ビルの階上に避難したものと思われる。

■仙台空港の滑走路に津波が襲来(宮城県名取市)

 海上保安庁音仙台空港基地の保安官による、津波襲来直後の無線での報告。仙台空港の滑走路まで津波が押し寄せた光景を撮影している。多くの自家用車や小型飛行機が流されていく。
 撮影者と思われる保安官が、「ここも危ないですが逃げようがありません。今2階にいますけれど、どうなるかわかりません」と伝える。その後に保安官らは、2階にいても身の危険を感じ、屋上へと避難して全員無事だったという。

■高台から津波の襲来を眺める人々(宮城県気仙沼市本吉町前浜地区)

 映像の開始時点で、すでに津波が襲来している。津波が軽々と堤防を超える様子を見て、撮影者の男性は「あぁ、もうダメだ」「ここまで来ないか?」などとつぶやく。その後、撮影者も危険を感じて、より高台へと避難を始めた。
 気仙沼市の死者数は1,000人以上と、大震災で3番目に多かった。震災後、国は同市に高さ9.8mの防潮堤を約1kmにわたって築くという案を示した。しかし地元住民からは、白砂青松で知られる海水浴場が消えてしまうと反発の声が上った。巨大防潮堤の建設によって赤土が流出し、陸と海が分断され、カキの養殖などの漁業にも悪影響が出るという。大震災を契機に、各地で防潮堤建設ラッシュが始まり、「日本中の海岸が壁で覆われる」といった声も上っているが、必ずしも住民たちがそれを望まないケースもあるようだ。

■石巻ガス本社屋上から津波を撮影(宮城県石巻市明神町)

 宮城県石巻市明神町の石巻ガス本社の屋上から撮影された映像。石巻港に押し寄せた津波によって、車が次々と流されていく。「これでは終わりだな」「ここもヤバイよ」「友だちが心配だー」といった声が上がる。その後、撮影者を含む人々は、建物の屋根の上へと避難した。周囲を見渡した光景を見ると、撮影者のビルより高い建物はほとんどないようだ。多くの人々が、高台に避難できずに命を落としたと推測される。
 石巻市では、東日本大震災で最大となる3,200人以上の命が失われた。この映像から得られる教訓は、海沿いの土地で暮らすか働いている場合は、津波襲来に備えて避難する場所を特定しておくべきということだ。

■消防団員が避難を呼びかけながら撮影(岩手県陸前高田市)

 消防団員が撮影した映像。周囲の人々に「逃げろ、逃げろ!」と呼びかけながら、自らも車に乗り込んで避難する。恐らくスマホで撮影を始め、運転中もハンドルを握りながら撮り続けたのだろう。時には画面が横になったり逆さになったりするが、撮影が続けられた結果、後世に伝えるべき貴重な映像資料が残った。
「(津波が)堤防を超えて来たから逃げろ」と拡声器を使って繰り返すが、道行く人々の多くは、後ろを振り向きながら普通の速度で歩き、緊迫感があまり感じられない。震災時には、約2kmにわたり高さ5.5mの防潮堤があったが、津波で全壊し、市役所などがある市街地は壊滅した。もしかすると、消防団員が切羽詰まった声で呼びかけても、急ぐそぶりを見せなかった人々の中には、防潮堤の存在を信頼しきっていて、津波を堤防が超えることなどありえないと疑っていた人もいたのだろうか。
 陸前高田市では、宮城県石巻市に次ぐ1,500人以上の死者が出た。今年1月には、高さ12m、全長2kmにわたる新しい防潮堤が完成した。だが、防潮堤が高くなったからといって、それに全幅の信頼を置いてはならないだろう。東日本大震災では、高さ12mを超える津波に襲われた地域も多かったのだ。

via http://tocana.jp/2017/03/post_12573_entry.html

◆東日本大震災公開動画検索システム
WS002
 http://311movie.irides.tohoku.ac.jp/SearchPage;jsessionid=1B869D823096381B34A0AF5CD88E6C2A?0


◇震災から6年…まだまだ続く行方不明の捜索と復興の現状
 https://matome.naver.jp/odai/2148917695866245301

・【3.11】「復興したとはまだ言えない」 東日本大震災から6年、気仙沼の街はいま
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/kesennuma-city-311_n_15291180.html

・【東日本大震災特集】まだ語られていない課題、知られていない話がある
 https://www.buzzfeed.com/ryoyamaguchi/311-2017?utm_term=.ww0yqeeDL#.yig2kOOeG

・あの日、津波で亡くなった娘へ 父が贈るあたたかく、少しふしぎな手紙
 https://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-suzuki-san?utm_term=.txqdGRR3w#.ibjAnggQw

・冷酷すぎる! 安倍首相の3.11会見打ち切りで露わになった政権の東日本大震災“被災地”切り捨ての姿勢
 http://lite-ra.com/2017/03/post-2984.html

◇栄村大震災とは? 3.11翌日の震度6強 「忘れられた被災地」の現状は
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/sakaemura-daishinsai_n_15306046.html
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台湾が原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止 はてなブックマーク - 台湾が原発全廃へ 福島第一事故受け、25年までに停止

 台湾の蔡英文(ツァイインウェン)政権が2025年に「原発ゼロ」にすることを決め、行政院(内閣)は、再生エネルギー事業への民間参画を促す電気事業法の改正案を閣議決定した。太陽光と風力発電を中心に再生エネの割合を20%まで高めることを目指す。東日本大震災後の反原発の民意を受けたもので、改正案は近く立法院(国会)で審議に入り、年内の可決を目指す。
 世界的にはドイツが2022年までの原発全廃を決めるなど、欧州を中心に脱原発の動きがある。一方、増える電力需要に応えるため中国やインドが原発を増設させており、アジアでは台湾の取り組みは珍しい。
 改正案は20日に閣議決定され、6~9年かけて発送電分離も行う。蔡総統は「改正は原発ゼロを進め、電源構成を転換する決意を示すもの」としている。
 台湾では原発が発電容量の14・1%(15年)を占め、現在は第一~第三原発で計3基が稼働中。

WS001

だが、東京電力福島第一原発の事故で台湾でも反原発の世論が高まり、原発ゼロを公約に5月に就任した蔡氏が政策のかじを切った。台湾も日本と同様に地震が多い。稼働中の全原発は25年までに40年の稼働期間満了となる。同法改正案では25年までに全原発停止と明記し、期間延長の道を閉ざす。
 改正案では再生エネルギーの発電と売電事業をまず民間に開放。送電は公営企業の台湾電力が引き受ける。これまでは台湾電力が電力事業を基本的に独占してきたが、同社を発電会社と送売電会社に分割。再度法改正を行い、再生エネ以外の電力事業も将来開放する方針だ。
 政権は原発に代わる電力源として再生エネルギーに力を入れる。太陽光と風力発電を再生エネの柱とし、発電容量の割合を現在の4%から25年には20%に拡大することを目指す。石炭発電は30%、天然ガス発電は50%とする。また太陽光発電を今後2年で152万キロワット増やすなどといった短期的目標も設定。電力購入価格の20年間保証や融資優遇策などで民間投資を呼び込む。
 再生エネは天候などに左右されるため、同時に節電や蓄電にも取り組む。ただ、太陽光発電は10年で24倍にする計画で、政権の思い描く通りに進むのかどうか疑問視する声もある。電力関係者の間からは「実現のハードルは非常に高い」との指摘も出ている。
via http://www.asahi.com/articles/ASJBQ5Q7SJBQUHBI014.html

・原発ゼロにかじを切った台湾。資源の少ない「島国」の決断は吉か凶か
 http://www.mag2.com/p/news/225341

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| 政治 | 03:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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吉田元所長の証言記録が明らかに はてなブックマーク - 吉田元所長の証言記録が明らかに

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東京電力福島第一原子力発電所の事故当時、現場で指揮をとっていた吉田昌郎元所長は、過酷な状況のなかで、次々と緊急事態への対応を迫られました。
吉田元所長は、何を考え、どう判断していたのか。
政府の事故調査・検証委員会が聴取した、延べ28時間、400ページに及ぶ証言記録が明らかになりました。

■「逃げてはいない」
福島第一原発の事故当初の3月15日、東京電力が現場から撤退しようとしていると一部で指摘されたことについて、吉田元所長は「何をばかなことを騒いでいるんだと、私は一言言いたいんですけれども、逃げてはいないではないか、逃げたんだったら言えと。現場は逃げたのか、逃げていないだろう。これははっきり言いたいんです。逃げろなんてちっとも言っていないではないか」と述べ、強い不快感を示しています。
そのうえで、吉田元所長は「最後の最後、ひどい状況になったら退避しないといけないけれども、注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。例えば事務屋とか、いろんな方がいらっしゃるわけですから、そういう人は極力、より安全なところに行ってもらうということをしないといけないとは思っていました」と述べています。
さらに、2号機が危機的な状況にあったことを踏まえ、当時の細野・総理大臣補佐官に電話で「プラントはものすごい危ない状態です、ぎりぎりです、水が入るか入らないか、賭けるしかないですけれども、やります。ただ、関係ない人は退避させる必要があると私は考えています、今、そういう準備もしています」と伝えたと述べています。
また「ことばづかいとして『撤退』という言葉は使ったか」という質問に対し、「使いません、『撤退』なんて」と答えています。

■「指示で混乱」
吉田元所長は、総理大臣官邸や東京電力本店などからの直接の指示で、事故対応の現場が混乱した様子も証言しています。
吉田元所長はまず、総理大臣官邸と直接やりとりをすることになったことについて、「何で官邸なんだというのがまず最初です。本店の本部は何をしているんだ。それから、保安院さんももちろんですけれども、そちら側でしょうという感じだった。ずっとおかしいと思っていました」と述べ、官邸との対応は東京電力の本店が行うべきだったという認識を示しています。
また、3月14日、2号機が危機的な状況に陥り、原子炉を冷やすための方法を検討していた際、当時の原子力安全委員会の班目春樹委員長から電話があったことを明かしたうえで、「早く開放しろと、減圧して注水しろと。四の五の言わずに減圧、注水しろということがあって、清水(社長)が班目委員長の言うとおりにしろとか、わめいていました。現場も分からないのによく言うな、と思いながらいました」と述べています。
そのうえで「私だって、早く水を入れたくてしょうがない。そう思っているんですよ。だけれども、手順ってものがありますから、現場ではできる限りのことをやって、あとがスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなかそれが通じないんですね。『ちゅうちょ』していると思われているんです。何もちゅうちょなどはしていないです」と述べ、東京から相次いで出される指示に困惑した心境を明かしています。

■「後方支援体制」
吉田元所長は、原発事故対応に必要な資材や物資の輸送など、後方支援体制を巡る問題点についても指摘しています。
吉田元所長は、福島第一原発の事故で外部電源が失われたあと、東京電力本店から送られてきたバッテリーについて、「本店の方では種類は違うかも分からないけれども、手当たり次第、集めたものを送ってくるということになったんですね。困るのは、こっちがいちいち仕様を確認しに行かないといけない。それから、小名浜にある私どもの基地に1回送って、そこからうちに持ってくるのに、線量が上がっているので持ってこられない」と述べて、放射線量が高くなった福島第一原発に直接、運び込むことができなかったと指摘しています。
そのうえで「輸送手段だとか、そこまで考えてくれないで、物だけここに持ってこられても困ってしまう。それから、いろんなものを送ってくるものですから、使えるか、使えないか、仕分けをしないといけない。非常にまいったなと思ったのはそこですね。物を取りに行くのに、うちの人間を出さなければいけない。忙しいときにやめてくれよと、ジャスト合うものをここまで持ってきてよというのが、私どもの強い要望だったんです」と述べて、混乱する現場に物資を支援する際には、輸送手段の確保や仕様の確認をしておくことが重要だという認識を示しています。

■「汚染水の処理は」
福島第一原発の廃炉作業で深刻な問題になっている汚染水について、吉田元所長が、早い段階で危機感を抱いていたことも分かります。
吉田元所長は、事故から16日後の3月27日に、当時の海江田・経済産業大臣や細野・総理大臣補佐官などと会談したことを明かしたうえで、「これから水の処理が最も重要だと、これをしっかりやらなければプラントは安定化できないと明確に伝えました」と述べています。
さらに、吉田元所長は「高濃度汚染水の水位がこれからどんどん上がっていって、それをそのまま流し続けるのかと、そう思いました。そこの悩みが、保安院や本店のメンバーに共有されていないことが、非常に腹立たしく思いました。原子炉に水を入れ続けているわけですから、それがどこかから出てくるので、それを処理しなければならないのは当然であるのに、そういったいらだちがずっとありました。流出を止めろと言われていたわけですが、水の処理をどうするか、どこに貯めるか、そういう提案が一切ないにも関わらず、現場として頑張れと言われていたわけです」と述べ、増え続ける汚染水への危機感を、政府や東京電力と共有できず、悩んでいたことを明らかにしています。

■「責任者としての覚悟や思い」
吉田元所長は、原発事故対応の指揮を執った、現場責任者としての覚悟や思いも証言しています。
聞き取りの記録によりますと、3月14日、3号機の格納容器内部で圧力が高まり、吉田元所長はいったん退避命令を出しましたが、それを解除して作業を再開した直後、3号機が水素爆発しました。
このときのことについて、吉田元所長は「最初、現場から上がってきたのは、40何人行方不明という話が入ってきた。爆発直後、最初の報告ですけれども、私、そのとき死のうと思いました。それが本当で、40何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていました」と述べています。
この爆発でけが人は出たものの、亡くなった人はいなかったことについて、吉田元所長は「胸をなで下ろしておりますが、これも不幸中の幸いです。がれきが吹っ飛んでくるなかで、現場にいて1人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」と振り返っています。
また、事故翌日の3月12日、吉田元所長は、避難を余儀なくされた地元の住民への対応を進めるよう、テレビ会議の席で東京電力本店に求めていて、その際の心境について「避難されている方の不平不満というか、全然状況が分からないと言っていますよ、という話があったんで、これはいかんなと思って」と述べています。
さらに、「官庁だとか、連絡だとか、それでこんなになっている状態で、とても出て行って地域住民に説明するような状況にないということがあって、これは発電所でできないから誰かにやってもらうしかないんで、そこは本店頼みますよと、そういうことをお願いしている」と話し、事故対応の現場ではとても地元の人たちへの対応はできず、東京電力本店にしっかり対応してほしかったと述べています。

■「地震・津波想定」
吉田元所長は、平成19年4月から3年間、東京電力本店で原発の安全対策などを担当する原子力設備管理部の部長を務めました。
吉田元所長は、部長就任から3か月後に発生した新潟県中越沖地震に触れ、「想定を上回るような地震が来る可能性は、オールジャパンどこでも、もう一度見直さないといけない」、「地震・津波については、ものすごい大きな関心事だった」と述べ、地震・津波対策に重点を置き、福島第一原発と第二原発への津波の影響評価を土木学会に依頼したことを明らかにしています。
これについて、吉田元所長は「10(メートル)だと言われれば10でもいいし、13なら13でもいいんですけれども、こういう津波が来るよという具体的なモデルと波の形をもらえなければ、何の設計もできないわけです」「そこを決めてもらうために、土木学会をお願いしているんであって、土木学会がこうだとおっしゃるんだったら、例えば15メートルと言われれば、至急それに対応した対策を、当然うちはするということは間違いなくそう思っていました」と述べ、しかるべき根拠が示されれば、津波への対策を取っていたはずだという考えを示しています。
一方、政府の事故調査・検証委員会によりますと、東京電力は、平成20年に明治三陸地震と同様の規模の地震が福島県沖で発生したと想定すると、福島第一原発周辺では津波の高さが最大10メートルを超えるとする試算をまとめました。
この結果は、当時の東京電力の副社長と吉田元所長に伝えられましたが、根拠が十分でない仮定の試算だとして、実際にはこうした津波は来ないと考え、津波の想定や具体的な対策の見直しにはつながらなかったということです。
こうしたいきさつについて、吉田元所長は「福島県沖の波源というのは、今までもなかったですから、そこをいきなり考慮してやるということは、仮想的にはできますけれども、原子力ですから費用対効果もあります。お金を投資するときに、根拠となるものがないですね。何の根拠もないことで対策はできません」と述べ、具体的な根拠が示されないなか、巨額の費用がかかる津波対策をとることはできなかったと釈明しています。
そのうえで、「貞観津波を起こした地震のマグニチュードよりももっと大きなものが来たわけですから、マグニチュード9が来た。日本の地震学者、津波学者の誰が、あそこにマグニチュード9が来ると言うことを事前に言っていたんですか。貞観津波を考えた先生たちも、マグニチュード9は考えていないです。それを言い始めると、結果論の話になりますと言いたいです」と述べ、津波対策が十分でなかったと、原発事故のあとになって批判されることへの不満を漏らしています。[2014.08.25]
via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140825/k10014075991000.html

◇吉田調書妙録
・【吉田調書抄録(1)】 吉田所長「撤退なんて言葉、使うわけがない」「アホみたいな国のアホみたいな政治家」
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081811160010-n1.htm
・【吉田調書抄録(2)】 海水注入「テレビ会議、音声切った」「うるさい、黙っていろ、と」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140819/dst14081911010006-n1.htm
・【吉田調書抄録(3)】 津波襲来、全電源喪失「はっきり言って、まいった」「絶望していた」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140820/dst14082011240016-n1.htm
・【吉田調書抄録(4)】 1号機爆発「短時間のドンという振動」「どう生かすかが一番重要だ」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140821/dst14082113370010-n1.htm
・【吉田調書抄録(5)】 ベント躊躇せず「大臣命令で開くもんじゃない」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140822/dst14082209580008-n1.htm
・【吉田調書抄録(6)】 3号機爆発 「死者出たなら腹切り死のうと」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140823/dst14082310030002-n1.htm
・【吉田調書抄録(7)】 政府への不信 「腐った指示ばかりだった」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140824/dst14082417300008-n1.htm
・【吉田調書抄録(8)】 注水活動「申し訳ないがすべて意味なかった」 ヘリ放水「セミの小便」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140825/dst14082509060002-n1.htm
・【吉田調書抄録(9)】 「これは誰が殺したんですか」地震・津波対策への思い 
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140826/dst14082613220009-n1.htm

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放射能濃度、5カ所で最高値=福島第1港湾内外の海水−東電 はてなブックマーク - 放射能濃度、5カ所で最高値=福島第1港湾内外の海水−東電

 東京電力は16日、福島第1原発の港湾内と港湾外の計5カ所で、海水中の放射性物質濃度が過去最高値を更新したと明らかにした。同原発の地下水では最近、放射性物質濃度が最高値を更新するケースが相次いでいるが、海水への影響について、東電は「原因は分からない」と話している。
 東電によると、福島第1原発港湾内の2、3号機の取水口間で12日に採取された海水で、トリチウムが1リットル当たり1900ベクレル検出された。この場所での最高値は4月14日の同1400ベクレルだった。近くの別の採取ポイントでも海水にトリチウムが同1400ベクレル含まれており、これまでの最高値の同1200ベクレルを上回った。
 また、1、2号機の取水口間で15日に採取された海水からは、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が同840ベクレル検出され、この場所の最高値である同540ベクレルの1.5倍超となった。
 安倍晋三首相は昨年、同原発の汚染水の影響について「港湾内で完全にブロックされている」と述べていた。[2014.05.16 20:27]
via http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014051600886&m=rss


・格納容器から汚染水漏えいを初確認 福島第1原発
福島第1原発について、東京電力は2014年5月15日、事故で核燃料が溶け落ちている3号機の格納容器から汚染水が外側の部屋に漏れているのを確認したことを明らかにした。格納容器から漏えい場所が見つかったのは初めてという。
報道によると、遠隔操作のカメラを使って格納容器の損傷を調べていたところ、配管の貫通部から汚染水が主蒸気隔離弁室に流れていることが分かった。東電では、漏えいを防ぐ方法を検討している。[2014.5.16 13:32 ]
via http://www.j-cast.com/2014/05/16204918.html


◇福島の子ども甲状腺がん50人に 県、放射線の影響調査
 福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、対象者の約8割の結果がまとまり、がんの診断が「確定」した人は県が今年2月に公表した数より17人増え50人に、「がんの疑い」とされた人が39人(前回は41人)に上ることが17日、関係者への取材で分かった。
 県内の震災当時18歳以下の約37万人を対象に県が実施。今年3月までに1巡目の検査が終わり、4月から2巡目が始まっている。
 チェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がん増加が確認された。このため県は、今後がんが増えるかどうかなど、放射線の影響を調べる。 [2014.05.18 02:35 共同通信]
via http://www.47news.jp/news/2014/05/post_20140518023638.html


◇ドライベント、3号機準備 震災3日後、大量被曝の恐れ

 東京電力が2011年3月14日、福島第一原発3号機で高濃度の放射性物質を人為的に外気に放出するドライベントの準備を進めていたことが分かった。国はこの時、混乱を避けるため3号機の危機を報道機関に知らせない「情報統制」をしており、多数の住民が何も知らないまま大量被曝(ひばく)する恐れがあった。当時の吉田昌郎(まさお)所長(13年死去)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」で明らかになった。
 ベントは原子炉格納容器が圧力上昇で壊れて放射性物質が大量放出されるのを防ぐため、格納容器内の気体を人為的に抜いて圧力を下げる最後の手段。水を通して抜くウエットベントと比べ、水を通さないドライベントは100~1千倍、濃度の高い放射性物質を外部に出す。今回の事故対応では実施されなかった。
 吉田調書などによると、3号機は14日未明、注入する水が枯渇して危機を迎えた。東電はウエットベントで格納容器の圧力を下げようとしたが下がらず、14日午前6時23分、次善の策としてドライベントの検討を始めた。午前7時前の時点で甲状腺がんを起こす放射性ヨウ素が南南東の風に乗って北北西方向に広がり、3時間で福島県北部の相馬郡付近が250ミリシーベルトになると予測。この値は甲状腺被曝の影響を防ぐため安定ヨウ素剤を飲む当時の国の目安100ミリシーベルトを超えていた。 [2014.05.21]
via http://www.asahi.com/articles/ASG5N2F8DG5NUEHF003.html


◯吉田調書: http://www.asahi.com/special/yoshida_report/

◇「美味しんぼ」は、なぜ「福島の真実」編を描くにいたったのか。超ていねいに振り返ってみた
 http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140521/E1400633882840.html


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