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水木しげるさん 死去 (漫画家 93歳)=「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画 はてなブックマーク - 水木しげるさん  死去 (漫画家 93歳)=「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画

WS002
「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」など妖怪をテーマにした作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、30日朝、東京都内の病院で多臓器不全のため亡くなりました。93歳でした。
水木さんは大正11年に大阪で生まれ、鳥取県の境港市で育ちました。高等小学校を卒業後、新聞配達などをしながらデッサンの勉強を続けていましたが、昭和18年に徴兵されて南方戦線に従軍し、爆撃のため左腕を失いました。復員後、紙芝居の画家やアパート経営などをへて昭和32年に漫画家としてデビューしました。
幼いころお年寄りから聞いたお化けや妖怪の話からイメージをふくらませた「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などの漫画が大ヒットし、テレビや映画にもなって、妖怪ブームが起こるなど人気を集めました。また、自分の戦争体験を元にした「総員玉砕せよ!」や歴史上の人物を題材にした「劇画ヒットラー」では、戦争の愚かさや人の幸せとは何かを問いかけ、漫画界の第一人者として活躍しました。
ふるさとの鳥取県境港市に設けられた妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ「水木しげるロード」には、毎年多くの観光客が訪れ、地域振興にも貢献してきました。また、妻の武良布枝さんが書いた自伝「ゲゲゲの女房」が平成22年にNHKの連続テレビ小説でドラマ化され、「ゲゲゲの~」がその年の流行語大賞に選ばれるなど、水木さん夫婦の生き方に多くの共感の声が寄せられ話題となりました。
水木さんは、平成3年に紫綬褒章を受章し、平成22年には文化功労者に選ばれています。
水木さんは平成26年12月に心筋梗塞で入院しましたが、平成27年2月に退院してから仕事場にも頻繁に訪れ、仕事の指示などをしてきたということです。
水木さんは今月11日、自宅で転倒し、頭を打って東京都内の病院に入院していたということですが、30日午前7時ごろ、多臓器不全のため93歳で亡くなりました。[2015.11.30]

■長女の原口尚子さん「最後は家族でみとる」
水木しげるさんの長女の原口尚子さんは、水木さんの自宅の前で報道陣の取材に応じ「入院したあと意識がうっすら戻って、これから元気になるなというところだったのでとても残念でした。最後は家族でみとりました。お別れの会を開こうと考えています」と話しました。

■弟の幸夫さん「優しい兄だった」
水木しげるさんの弟の武良幸夫さん(91)は、30日午後2時半ごろ、東京・調布市の水木しげるさんの事務所前でインタビューに答え「最後に会ったのは兄が今月上旬に入院したときで、亡くなるとは思わず驚いています。優しい兄でしたが、戦争の思い出になると話に力が入ったのを覚えています。天国で妖怪たちが友達になっているかもしれませんね」と話していました。

■松本零士さん「最近まで精力的に創作活動」
水木しげるさんが亡くなったことについて、同じ漫画家で水木さんと親交があった松本零士さんは「水木さんは自分自身の戦争体験に基づいて、多くの作品を生み出されました。戦後も、『ゲゲゲの鬼太郎』という一つの大きなジャンルを築き上げられたのをはじめ、最近まで、年齢を感じさせないほど精力的に創作活動に取り組まれました。亡くなられたのがとても残念です」と話しています。

■ちばてつやさん「戦友失ったよう」
水木しげるさんとおよそ50年にわたって親交のあった漫画家のちばてつやさんは「水木さんは大先輩ですが、デビューした時期が近かったため、漫画が悪書だと言われた時期からともに苦しい時代を生きてきました。戦友を失ったような気持ちでとてもつらいです」と話しました。また、水木さんの人柄について「パーティーなどで会ったときには、互いに『老けたなぁ』と言って頭をなであったことを覚えています。いたずらをしていつも誰かを笑わせようとする温かい人でした」と振り返りました。
さらに、みずからも自身の戦争体験に基づく作品のあるちばさんは、水木さんの戦争を描いた作品について「柔らかく温かくくすっと笑ってしまうようなユーモアの中に戦争のつらさがにじみ出る作品がたくさんあります。先輩として尊敬していましたし、戦争がどういうものかもっと描き続けてほしかったです」と話し、水木さんの死を惜しみました。

■つげ義春さん「丁寧に細かく描くプロの職人」
水木しげるさんのアシスタントを務めるなど、およそ50年にわたって親交がある漫画家のつげ義春さんは「水木さんは絵を丁寧に細かく描くプロの職人で、彼の手伝いに行って以降、雑で汚かった私の作風も細かく丁寧になった。人柄は繊細だが表向きは太っ腹で、おうような人物だった。最近は体が弱っているという話を聞いていて、ついにこの時が来たかという気持ちだが、心よりご冥福をお祈り申し上げたい」と話しています。

■鬼太郎役 ウエンツさん「ユーモアのある方」
実写版の映画「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公、鬼太郎役を務めた、歌手で俳優のウエンツ瑛士さんはコメントを発表しました。この中でウエンツさんは、試写会で「ゲゲゲの鬼太郎」を見た水木さんから声をかけられた時のことを紹介し「先生が『君は77点だよ!』とおっしゃるので、ちょっと低いのかなと心配になったのですが、そのあと先生は『80点満点でね』と付け加えました。すごいユーモアのある方と驚きました」としています。そして、「先生はきっと今ごろ、あの世で自分自身がつくった妖怪とたわむれているじゃないでしょうか。先生はお亡くなりになりましたが、キャラは生き続けるので、演じさせていただいた僕は、これからも先生の思いをつなげていこうと思います」と水木さんの死を悼みました。

■南伸坊さん「描きたい作品を描き続け 幸せな生涯」
1970年ごろ、漫画雑誌で水木しげるさんの編集者を務め、その後も親交が深かったイラストレーターの南伸坊さんは「水木さんの作業場の窓の外を猫が横切ると、いつもその様子をじっと眺めていたのが印象的でした。戦争中も兵隊に向かない性格で苦労をされたと聞きましたが、自由にのんびりと生きることを大切にする人で、子どもの読者にも『少年よ、がんばるなかれ』と書いた色紙をプレゼントしていました」と振り返りました。
そして「漫画の中でも世間的に正しいとされることとは違うことを多く描いていて、そこに、戦争を体験した水木さんが伝えたい真理があると思います。本当に描きたい作品を描き続け93歳まで寿命を全うした、幸せな生涯だったと思います」と、水木さんの死を悼んでいました。

■京極夏彦さん「遺志を継ぎ”妖怪”推進に励む」
水木しげるさんと一緒に「世界妖怪協会」を設立した作家の京極夏彦さんは、「唯一無二の偉大な指標を失い、ことばもありません。水木しげる大先生の遺志を継ぎ、弟子筋一同「妖怪」推進に励むことを誓うとしか、今は申し上げられません。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。

■四方田犬彦さん「日本人の心描き続けた功績に感謝」
漫画の研究で知られ著書の中で水木しげるさんについて取り上げてきた評論家の四方田犬彦さんは「悲しいという以上に、水木さんが日本人の心を描き続けてきたその功績に感謝したい。戦争体験を漫画という形で表現したことで、どんな知識人が戦争反対と訴えるよりもずっと強く子どもたちに戦争の悲惨さが伝わった」と水木さんの功績をたたえました。
また、四方田さんは水木さんが数多くの妖怪を描いてきたことについて「水木さんは人間社会の端っこでからかわれたりいじめられたりしていた妖怪を、彼ら独自の社会を持った存在として位置づけ、鬼太郎やねずみ男を通じてお互いに仲よく平和に暮らすことができることを描いた。水木さんの妖怪まんがは現代社会の中で、自分たちと違いのある相手にどう向き合うのかという問いかけに答えを与えてくれているのだと思う。これからの日本人こそ水木さんのまんがが必要だ」と話していました。

■京都精華大 吉村副学長「影響は計り知れない」
水木しげるさんが亡くなったことについて、思想史と漫画研究が専門の京都精華大学の吉村和真副学長は「妖怪漫画の立役者という顔だけではなく、戦争体験で身に付いた思想を作品に表している点は非常に重要で、妖怪漫画にしても戦争体験の漫画にしても、不条理を突き抜けて前に進む方法や、その先にある明るい未来を説教くさくなく、ユーモアに示してくれたことが多くの人をはげまし、ファンの心を掴んだのではないか。戦後の日本人が手塚治虫と水木しげるという2人の漫画に触れた影響は計り知れない」と話しています。

■水木しげる記念館 庄司館長「これからも業績伝える」
水木しげるさんの出身地鳥取県境港市で漫画の原画など数多くの作品を展示している「水木しげる記念館」の庄司行男館長は「あまりの突然のことで信じられません。子どもがそのまま成長したような、天真らんまんで飾らない人柄がとても魅力的な方でした。水木さんは常々、子どもたちに妖怪と仲よくなってもらいたいと話していたので、記念館としてはこれからも先生の業績を伝えていきたいと思います。長い間、本当にお疲れさまでしたと伝えたいです」と話していました。

■鳥取県知事「巨星逝く 本当に残念」
鳥取県の平井知事は「巨星逝く、ということで本当に残念な気持ちでいっぱいですが、鳥取県や境港市に熱い思いを寄せていただき、育てていただいたことに心から感謝しています。漫画を世の中に普及させたほか、戦争体験を元にそうした歴史を繰り返してはいけないと伝えたことなど功績はどれも消えるものではないので、私たちもその意志を受け継いで子どもたちや孫たちの世代まで伝えていきたいです」と話していました。

■鬼太郎役の野沢雅子さん「純粋な方でした」
漫画家の水木しげるさんが亡くなったことについて、テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で鬼太郎役を演じた声優の野沢雅子さんは、コメントを発表し、「私が初めてテレビアニメーションのシリーズとして主役を務めさせていただいたのが『ゲゲゲの鬼太郎』でした。先生にお会いした機会は数回でしたが、気取らず生まれっぱなしのような純粋な方でした。私も同じように生まれっぱなしの人間なのでとても親近感がありました」と振り返りました。
そして、「先生が亡くなるとは思ってもいませんでした。いろんなところにいらっしゃるのがお好きでしたから、今もきっと旅に出られたんだろうなと思っています。そちらでも旅をしながら作品を描いてくださいね」と、水木さんの死を悼みました。
 via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151130/k10010324231000.html

 「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時18分、多臓器不全で東京都内の病院で死去した。93歳だった。鳥取県出身。
 水木さんは11日に東京都調布市の自宅で転倒。頭部を強く打ち、入院していた。葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻の武良布枝(むら・ぬのえ)さん。
 高等小学校卒業後、漫画家をめざし、大阪で働きながら漫画を学び、戦争中は陸軍の兵隊としてニューギニア方面に出征。戦後は一時紙芝居を商売にしていた時代があった。
 1958年に貸本漫画家としてデビュー。「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載され、妖怪を扱う人気漫画家となり、テレビアニメ化されてからは妖怪ブームが巻き起こった。
 幼少時に妖怪の話を教えてくれた老婦人との交流を描いた自伝的なエッセー「のんのんばあとオレ」(後に漫画化)や「水木しげる 妖怪大画報」のほか、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など、戦傷で左腕を失った自らの戦争体験に根差した作品も多い。
 幼少期を過ごした鳥取県境港市には愛着があり、93年には「水木しげるロード」が設けられ、03年には「水木しげる記念館」が建てられた。10年には妻の布枝さんが書いた「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として放映され、その生きざまが共感を呼んだ。91年に紫綬褒章、03年には旭日小綬章を受章。10年文化功労者。
via http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/30/kiji/K20151130011602450.html

jiji.com
gigazine.net
・多くの人に愛された「ゲゲゲの鬼太郎水木しげる」さん死去
 http://matome.naver.jp/odai/2144885798326503201

WS003

◆水木しげるさん死去:妖怪通じ現代に警鐘
 目玉おやじにねずみ男、子泣きじじいや一反もめんを生んだ漫画家、水木しげるさんが30日、死去した。
 自らのことを「水木サン」と呼ぶ。「人三化七(にんさんばけしち)(人間でいる時間が3割という水木さん独特の使い方)」と言って笑わせた。たっぷり寝ていっぱい食べ、束縛を嫌い自由気ままが身上。売れっ子になって徹夜とインスタントラーメンの食事ばかりに嫌気がさし、仕事を減らすなど独特の哲学を持っていた。
 アカナメ、海坊主、家鳴り−−。発展の一方で減っていく夜の闇や自然を惜しみ、見えない世界を畏れ敬う感性の鈍化と合理性ばかり追う現代に警鐘を鳴らし続けた。水木作品からは、自然の奥深さや幸福の意味するものが浮かび上がってくる。
 妖怪への関心を育んだのは、幼い頃家に手伝いに来ていたおばあさん「のんのんばあ」に聞かされた話。いろいろな出来事が「妖怪の仕業だよ」と語られる話を聞いて、山や森、川にただよう不思議な雰囲気に強い興味を抱いた。成長と共に忘れた妖怪をよみがえらせたのは戦争体験だ。
 戦時中は陸軍2等兵としてニューギニアのラバウルに。上官には「態度が悪い」と殴られるなどつらい軍隊体験だったが、現地の人々とつき合い、禁止されても村に通い続けて自然と一体化した彼らの習俗に魅了されていった。爆撃で左腕を失い、死と隣り合わせにひそんだジャングルで幼い頃の記憶が次々浮かぶ。後に「妖怪が見えた」と述懐した。
 妖怪研究と冒険を兼ねてエネルギッシュに世界各地を回って資料収集。「日本妖怪大全」を刊行するなど妖怪文化研究に取り組む。各地の妖怪、精霊は共通性があり、地域により姿形は変わっても1000ほどの妖怪がいるという「妖怪千体説」を提唱。1995年には「世界妖怪協会」を作家の荒俣宏さん、京極夏彦さんらと共に設立するなど、妖怪の“市民権”を日本に定着させるシンボル的役割を果たした。
via http://mainichi.jp/select/news/20151130k0000e040200000c.html

◆「日本人は、ねずみ男だ」と語った水木しげるさん
 日本人は、ねずみ男だ。アニメでも有名なロングセラー漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である漫画家・水木しげるは、そう言い切った。ねずみ男は、お金が大好きで、ずるいが、どこか憎めない名脇役。戦前、戦中、戦後を生きてきた“妖怪の巨匠”が、キャラクターを分析、独自のニッポン人論を語った。(08年1月8日付スポーツ報知から)
 妖怪と“共生”して85年。そんな水木に「妖怪の目から見た日本人」について語ってもらおうと問いかけると、「日本人そのものが妖怪だ」と言われた。しかも、日本人のほとんどが「ねずみ男」だという。
 「ねずみ男というのは、何もない、金もないのに、生きていかないといけないという、庶民の代表ですよ。どんな時代にも対応できる。強いと言えば強いんですよ。これに似た日本人が8割近くいるんじゃないですか。パチンコ店をキョロキョロのぞくとみんなねずみ男風だ。興奮状態が伝わってくる」
 漫画では鬼太郎が主役で、ねずみ男はあくまで脇役だ。「水木サン(水木は自身をこう呼ぶ)は、ねずみ男風なやり方で大衆の心を奪ったと思うな。というのは鬼太郎式な強い英雄は昔からいたから。ねずみ男を描いたことで、みんな共鳴したんですよ。私はこれが面白くて、これをいじくりまわしてきた。愛される、おもしろがらせる、というのはマンガにとっては一番。ねずみ男を発明して、水木サンは豊かになったんと違いますか」
 水木が生まれたのは大正時代。そのころから日本人はねずみ男だったのだろうか。「江戸時代からねずみ男風なのはおったと思う。バカにされていた感じですよ」。「ゲゲゲの鬼太郎」では、ねずみ男は“360年以上生きている”という設定だが、江戸時代からの日本人像だ、というのだ。
 年下の手塚治虫、石ノ森章太郎らと、日本漫画の礎を作った。「鉄腕アトム」、「仮面ライダー」を生んだ2人の天才に対して、水木は奇才と呼ばれた。「2人とも、徹夜を自慢していたけど、徹夜に殺されたようなもの。私は徹夜すると1週間動けなくなる。ベビーのころから眠りに弱かったから、長生きしてるんじゃないかな。眠りこそ健康のもと。だから水木家は病気をしない。だいぶ殴られたけど、軍隊でも人より1秒でも長く寝ていたから。顔が航空母艦みたいになるほど長く寝てるから元気ですよ。空母ですから、力強いですよ」
 21歳のときに召集令状を受け、南太平洋の激戦地、ニューブリテン島(ラバウル)に出征。空爆で左腕を失った。戦前、戦中、戦後を生きてきた男は「日本人というのは、理性的というより、感情的な民族と違いますか。興奮して騒ぐ。善良だけど、あくせくし、あわてる。でも無駄なエネルギーだった、と戦争に負けてから知った。そして平和になった」と分析する。
 ねずみ男のように、どこにでも順応できた。戦地ラバウルで、現地のトライ族と仲よくなった。「畑をやるし、家も建ててやる、女房も世話するから残れって。向こうにいれば王様みたいな生活が約束されていたけど、残っていれば、鬼太郎もねずみ男も生まれなかったでしょう」ラバウルとは今でも交流があり、「海外に行くと、地元の妖怪が私に飛びついてくる」と笑う。
 これまで約60か国を訪れ、「ねずみ男は世界中のどこにでもいる」と確信するようになった。水木本人が知らない間に、手塚治虫の名作「火の鳥(鳳凰編)」では、ねずみ男がひとコマだけ、勝手に登場していた。「そうなの? ずうずうしいというか。生命力があるというか」。「ミッキーマウス」で知られるウォルト・ディズニーは、人気が出る前には、ねずみばかり描く漫画家として、米国では「ねずみ男」と呼ばれていたという“都市伝説”も。「なるほど。そうですか。やっぱり多少、似たところがあるんですね。考えてみればミッキーマウスも描き方が違うだけだからな」
 最後に、水木こそ“究極のねずみ男”なのでは、と聞いてみた。「ねずみ男はあくまでも部下。水木サンは妖怪でも親分の方だからね。子泣き爺(じじい)みたいな存在だな。あんまり何もしないのに、何かしたような顔をしている。10年来、過去の作品をいじくってるだけで、何にもしてないんだから」あくせくと動き回り、“ねずみ男道”を進んでいけば、理想の境地、子泣き爺になれるかもしれない。
 via http://www.hochi.co.jp/topics/20151130-OHT1T50083.html

◆水木さんの「幸福の七ヶ条」
519DwpY62nL._SX353_BO1,204,203,200_[1]
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

via http://grapee.jp/26544

・水木しげる:Wikipedia
・水木プロダクション公式サイトげげげ通信:http://www.mizukipro.com/
・水木しげる記念館:http://mizuki.sakaiminato.net/
・水木しげるロード:http://www.sakaiminato.net/site2/page/guide/point/miru/mizuki/mizuki/

・「鬼太郎」と「戦争」をつなぐもの
 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5737
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