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羽生善治、井山裕太氏に国民栄誉賞 はてなブックマーク - 羽生善治、井山裕太氏に国民栄誉賞

WS001
 政府は5日、将棋で史上初の永世7冠を達成した羽生善治氏(47)と、囲碁で初めて2度の7冠独占を果たした井山裕太氏(28)に国民栄誉賞を授与することを正式に決めた。菅義偉官房長官が閣議に報告した。棋士の受賞は初めて。授与式は2月13日に首相官邸で行われる。
 決定を受け、羽生氏は東京都内で記者会見し、「大変名誉ある賞をいただき、棋士として一層精進していかなくてはいけないという思いだ」と表明。大阪市内で会見した井山氏は「少しでも成長し、いい戦いをしていけるよう向上心は失わずにいきたい」と強調した。
 羽生氏は昨年12月5日、新タイトル「叡王」を除く7大タイトル全ての永世称号を獲得し、史上初の永世7冠を達成。井山氏は同10月、名人位を奪還し、2度目の7冠独占を成し遂げた。
 安倍晋三首相は閣議後の政府・与党連絡会議で「両氏は歴史に刻まれる偉業を達成し、国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」と功績をたたえ、「今後ますます活躍されることを期待したい」と語った。
 国民栄誉賞は1977年創設。過去にスポーツや芸能の分野で23人と1団体が受賞している。[2018.01.05]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500563&g=soc

 安倍晋三首相は5日、将棋で永世七冠を達成した羽生善治氏(47)と、囲碁で七冠独占を2回なし遂げた井山裕太氏(28)に、国民栄誉賞を授与することを正式に決めた。それぞれ将棋、囲碁界で初めての快挙で、実績を高く評価した。菅義偉官房長官が5日の閣議に報告した。2月13日に表彰式を実施する。
 首相は5日昼の政府与党連絡会議で、両氏に国民栄誉賞を授与する理由を「歴史に刻まれる偉業を達成した。今後ますますの活躍を期待したい」と説明した。菅氏は記者会見で両氏に関して「多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」と述べた。
 羽生氏は埼玉県所沢市出身。15歳だった1985年、史上3人目の中学生棋士としてプロ入り。19歳で初タイトルの竜王を獲得し、96年には史上初の七冠同時制覇を達成した。2017年12月には通算7期目となる竜王のタイトルを獲得し「永世竜王」の資格を得て、永世規定のある7タイトルすべてで永世称号を獲得し、史上初の「永世七冠」を達成した。
 井山氏は大阪府東大阪市出身。02年に12歳でプロ入りし、09年に史上最年少の20歳4カ月で名人を獲得した。16年には囲碁で史上初となる七冠独占を達成した。その後、いったん名人位を失ったものの、17年10月に再び奪還し、七冠に返り咲いた。
 これまで国民栄誉賞は個人としては23人が受賞している。
via https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25352510V00C18A1CR0000/

9

・羽生善治:Wikipedia
・井山裕太:Wikipedia

・国民栄誉賞について -:内閣府
 http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/
・国民栄誉賞:Wikipedia

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[将棋] 29歳で夭逝した村山聖 羽生善治に6勝7敗の成績を残した天才棋士 はてなブックマーク - [将棋] 29歳で夭逝した村山聖 羽生善治に6勝7敗の成績を残した天才棋士

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 「永世7冠」羽生善治名人に6勝7敗、怪童丸と呼ばれた天才がいた。病魔に悠然と対峙し、名人位への難局に満身創痍さながらに果敢に挑んだ不世出の大器村山聖(むらやま・さとし)だ。  
 1998(平成10)年8月8日、村山は、入院先の広島大学病院で進行性膀胱がんのため永眠。享年29。わずか4gばかり。吹けば飛ぶような王将の駒。吹こうが突こうが揺さぶろうが、一向動じない名人位という急峻な高嶺に薄命を賭けた稀有稀代の棋士、村山聖の奇跡を辿ろう。

■谷川浩司も羽生善治も凌ぐ異例のスピードデビュー!
 村山聖は1969(昭和44)年6月15日、広島県安芸郡府中町に生誕。兄姉の3兄姉の次男坊。森信雄七段門下。生涯成績 356勝201敗(うち不戦敗12)、勝率0.639。九段(追贈)。
 5歳。腎臓の難病、ネフローゼ症候群が発覚。小学校に入学するも病状が悪化し、広島市民病院の院内学級へ。広島県立原養護学校で6年生の1月まで入院。入院中、父に教わった将棋に没頭。病床で朝から晩まで指し続ける。母が枕辺に買い置いた雑誌『将棋世界』を舐めるように耽読する毎日だった。
 10歳。アマチュア四段。11歳。中国こども名人戦で4大会連続優勝。当時のタイトルホルダーの森安秀光(棋聖)を飛車落ちながら破る大金星も。
 12歳。小学生将棋名人戦の3回戦で佐藤康光(のち永世棋聖)に惜敗。13歳。中学生将棋名人戦でベスト8。プロ棋士をめざし、名人位が目標に。当時の名人位は谷川浩司。両親は「好きなことをやらせたい」と決意。両親の師匠探しの労が実り、日本将棋連盟広島将棋同好会の紹介で大阪の森信雄四段(のち七段)の愛弟子に。森は「一目で気に入った。好きなタイプ。普通の子ではない」と絶賛したという。
 14歳。奨励会に5級で入会。入会後、森は大阪で単身で暮らす病身の村山を親さながらに支える。発熱を繰り返す村山は「40度になったら死にます」と弁解。森は「40度になってない。大丈夫や」と必死に擁護、激励の手を休めない。真冬でも裸足でズック履き。ワイシャツを腕まくりして関西将棋会館を日参する。
 17歳。11月5日にプロデビュー。奨励会入会からプロ入りまで2年11か月。闘病のために止むを得ない不戦敗が重なったものの、谷川浩司も羽生善治も凌ぐ異例のスピードデビューとなる。
 20歳。若獅子戦決勝、C級1組順位戦で羽生に連敗。羽生は「がんばって昇級してください」と声をかける。21歳。若獅子戦決勝で佐藤康光を破り、棋戦初優勝を果たす。
 23歳。最初で最後のタイトル戦となる第42期王将戦で谷川浩司王将と七番勝負に挑むも、0勝4敗で完敗。辛酸を舐めるが、順位戦ではB級1組へ昇級。関西から関東へ移籍。遊びも覚え、先崎学、郷田真隆ら棋士仲間と麻雀、酒を楽しみ、人生を語り合い、結婚願望も口にする。「聖」の字から「ひじりちゃん」のニックネームも。
 25歳。4月、A級八段。名人位が射程に入る。27歳。第30回早指し将棋選手権で優勝。新人棋戦以外での唯一の勝利となる。2月の竜王戦1組の1回戦で羽生に辛勝、通算対戦成績を6勝6敗の互角に。

■ネフローゼ症候群と20年以上も闘病!進行性腎臓がんに奪われた棋士人生!
 村山の余命を奪った進行性膀胱がん。膀胱がん(Bladder cancer)は、膀胱に発症する上皮性悪性腫瘍だ。尿路上皮が、がん化して発症する。その90%以上は、尿路上皮がんだが、まれに扁平上皮がんや腺がんもある。画像診断やTURBT(経尿道的膀胱腫瘍切除術) による確定診断によって「筋層非浸潤性がん」「筋層浸潤性がん」「転移性がん」に分かれる。
 筋層非浸潤性がんは、膀胱筋層に浸潤していないがんで、「表在性がん」と「上皮内がん」がある。表在性がんは、カリフラワーやイソギンチャクのように表面がぶつぶつと隆起し、膀胱の内腔に向かって突出していることから「乳頭状がん」と呼ばれる。
 表在性がんは、浸潤しないが、放置すれば、進行して浸潤がんや転移がんに進行する場合がある。上皮内がんは、膀胱の内腔に突出せず、粘膜(上皮)だけががん化した状態のがんだ。
 一方、筋層浸潤性がんは、膀胱の筋層に浸潤したがんで、膀胱壁を貫き、壁外の組織へ浸潤したり、リンパ節や肺や骨に転移を招くリスクがある。また、転移性がんは、原発巣の膀胱がんが、リンパ節、肺、骨、肝臓などに転移したがんだ。
 膀胱がんを発症すると、目視できる赤色や茶色の血尿が出る。血尿は、最も頻度の高い膀胱がんの症状だが、痛みを伴わない。頻尿、尿意の切迫感、排尿時痛、下腹部の痛みなどが現われやすい。
 村山の死因は、進行性腎臓がんだが、幼少時にネフローゼ症候群を発症し、20年以上の闘病と治療が続いている。ネフローゼ症候群は、尿中に大量のタンパク質(主としてアルブミン)が放出し、血液中のタンパク質が減少する低タンパク血症に陥る。その結果、 浮腫(むくみ)をはじめ、胸部や腹部に水がたまる胸水や腹水、排尿障害尿、腎機能障害、血圧低下、血栓症、血液中のコレステロール値の上昇などが現れる。
 治療は、入院安静、浮腫に対する水分・塩分、タンパク質の摂取量制限がが鉄則だ。だが、村山は、重体を押してでも対局に臨むなどの無謀な行動も見られたことから、ネフローゼ症候群の慢性化は避けられず、難治性の進行性腎臓がんに至ったと推察できる(参考:国立がん研究センターがん情報センター)。
 
■僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい
 ネフローゼ症候群による浮腫のある顔貌から「怪童丸」と揶揄される。一旦、対局者に向かうや鬼気迫る勝負師の風貌に豹変する。ライバル棋士たちに盤外でも闘争心を剥き出しにする。だが、並み居る後輩らには、兄貴のような親愛の眼差しも忘れない。
 「さーっと去って行って、つむじ風のように、彼はあの世へ行ってしまったんじゃないか」父・村山伸一さん。
 「自分の命というものに対して、自分がいつ、どうなるか分からないというのを、そういう思いを持ちながら生きていた」母・村山トミコさん
 「じっと耐えてるというのは、人に見せないし、知られたくないし、分かってほしくもないという村山流の頑固さとか一途さとか、一徹さがあった。静かに耐えている時間が長いから、動いたときにすごく色が鮮明なくらい、はっきりした目的を持っていた」師匠・森信雄(七段)
 「中盤戦とか終盤戦とか、終わりに近い場面のときに、常識では考えられないような発想の一手を思いつくことができる人だった」羽生善治(棋聖)
 12月、羽生棋聖は、7つの永世称号を制覇する「永世7冠」を史上初めて達成。「永世七冠」とは、プロ棋士の8つのタイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のうち、永世称号のない叡王戦を除く7つのタイトル戦で規定回数以上の勝ち数を残した棋士に授与される称号だ。

■「西の村山、東の羽生」「奇襲の村山、知略の羽生」
 没後19年。「西の村山、東の羽生」「奇襲の村山、知略の羽生」と恐れらた。天与の鬼才・村山なら羽生永世とタイトルを奪い合い、分け合っているかもしれない。稀有稀代の熱戦対局が将棋史を色鮮やかな錦絵のように塗り替えたに違いない。
 「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい」村山聖
 「神様のする事は、僕には予測出来ない事だらけだ。願う事は、これから僕の思い描いた絵の通りに現実が進んでいく事だ」村山聖
 利に勝って理に負ける。棋士の数だけ人生がある。無位無冠の村山がひと駒に賭けた棋士人生も、また永世に値する。
via http://healthpress.jp/2017/12/post-3418.html

・村山聖 : Wikipedia
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[将棋] 羽生善治が竜王位を奪回し、史上初・前人未到の「永世七冠」を獲得 はてなブックマーク - [将棋] 羽生善治が竜王位を奪回し、史上初・前人未到の「永世七冠」を獲得

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将棋の羽生善治棋聖が竜王戦の七番勝負を制して通算7期目となる竜王のタイトルを獲得し、永世竜王の資格を得ました。これで現在7つある将棋の永世称号の資格をすべて獲得し、前人未到の「永世七冠」達成を果たしました。
将棋の永世称号は、同じタイトルを一定の回数、獲得した棋士に与えられ、羽生善治棋聖は現在7つある永世称号のうちすでに6つのタイトルで資格を得ていて、残る永世竜王も獲得条件となる通算7期まであと1期に迫っていました。
その永世竜王をかけて渡辺明二冠に挑む竜王戦の七番勝負は、ここまで羽生さんが3勝1敗とリードし、4日から鹿児島県指宿市で第5局が行われました。
渡辺さんは将棋界最高峰の竜王のタイトルを11期獲得してただ1人、永世竜王の資格を得ていて、羽生さんはこれまでにも2度、永世七冠をかけて渡辺さんとの竜王戦に挑みましたが、いずれも敗れていました。
対局は5日午前9時に再開され、羽生さんは優勢に駒を進めて渡辺さんの守りを崩し、午後4時23分、87手までで渡辺さんが投了しました。
羽生さんは竜王のタイトルを奪還するとともに永世竜王の資格を獲得し、7つの永世称号をすべて獲得するという前人未到の永世七冠達成を果たしました。
さらに、通算獲得タイトル数を99期として、同じく前人未到の大記録となる100期の大台に王手をかけました。

■永世七冠達成「まだ実感がない」
羽生さんは対局のあと「シリーズが終わってほっとしています。攻めていかないと逆に主導権を握られてしまうと思って、思いきっていきました」と対局を振り返りました。
そして、前人未到の永世七冠達成については、「まだ終わったばかりで、実感がないです」と話していました。

■ずっと1人で時代を作ってきた証し
将棋の「永世称号」は、同じタイトルを一定の回数、獲得した棋士に与えられます。これはタイトル戦における「殿堂入り」のようなもので、例えば最も歴史の長い名人戦では、通算5期、獲得した棋士に「永世名人」の称号が与えられ、引退後などに木村義雄十四世名人や大山康晴十五世名人などと呼ばれることになります。
かつて永世名人が世襲制となっていた時代がありましたが、今はすべて実力制となっていて、永世称号が与えられる条件は、「通算5期」のほか、「連続5期」や「通算10期」などとタイトルによって異なります。
これまでに実力制で永世称号を1つでも獲得した棋士はわずか10人で、タイトルを一定の回数、獲得してやっと得ることができる永世称号は、いわば「歴史に名を残す名棋士」の証しと言えます。
羽生さんと同世代で自身も永世棋聖の資格を持つ日本将棋連盟会長の佐藤康光九段は羽生さんの偉業について、「永世称号は、1つでも得られれば、一時代を作ったという証しとなりますが、羽生さんの『永世七冠』の場合は、初タイトルを取ってから30年近くにわたって、ずっと1人で時代を作ってきたという証しだと感じます。今後現れるかどうかもわからないくらいの大変な記録です」と話しています。
また、羽生さんの強さについては、「羽生さんくらいの年齢になると豊富な経験をもとに勝負しようとする棋士も多いのですが、羽生さんからは、常に新しい手法を取り入れて若手とも張り合おうという気持ちを強く感じます。もともと基本的な技術がほかの棋士より一つ抜けていた印象はありますが、何よりも、その力を持続させるための努力を怠らなかったことが今の羽生さんを作っていると思います」と理由を分析していました。[2017.12.05]
via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171205/k10011247171000.html
https://www.shogi.or.jp/news/2017/12/post_1622.html

・羽生善治が竜王戦で勝利、史上初「永世七冠」に。“天才”が歩んだ足跡をたどる
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/05/yoshiharu-habu-legend_a_23297098/

・遂に偉業達成!羽生善治の史上初「永世七冠」に祝福の声
 https://matome.naver.jp/odai/2151243350647710601

・苦闘の果ての永世7冠=屈辱の1冠後退直後-羽生棋聖
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 羽生善治棋聖の永世7冠はどのような軌跡を経て達成されたのか。「不世出の天才棋士」の苦闘の歩みを追う。
 初の永世称号は1995年の永世棋王で、条件は連続5期。同年にもう一つ獲得した永世棋聖の条件は通算5期で、連覇の必要はないが、勢いに乗る羽生はこれも5連覇で達成した。
 前人未到の7冠独占を成し遂げた翌96年には名誉王座(連続5期もしくは通算10期)、翌97年には永世王位(同)を共に5連覇で獲得した。しかしその絶頂の裏側でライバルらが猛追を開始。7冠独占は計167日で終了し、2004年には王座の1冠にまで追い詰められた。
 ところが、翌年に4冠に復帰するなど再び強さを取り戻し、07年に永世王将(通算10期)、翌08年には永世名人(通算5期)も獲得し、史上初の永世6冠となった。
 最後に残ったのは、皮肉にも89年に初めて手に入れたタイトルである竜王の永世称号(連続5期もしくは通算7期)だったが、永世6冠後の2度にわたる挑戦はいずれも渡辺明竜王に退けられた。
 昨年から今年にかけては20代の若手棋士らに次々とタイトルを奪われ、10月に13年ぶりの1冠後退の屈辱を喫した。その直後に成し遂げられた竜王通算7期目の偉業で、羽生の粘り腰の強さが改めて証明された。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2017120500867&g=soc

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・竜王(7期) 永世竜王
・名人(9期) 十九世名人
・王位(18期) 永世王位
・王座(24期) 名誉王座
・棋王(13期) 永世棋王
・王将(12期) 永世王将
・棋聖(16期) 永世棋聖
・七大タイトル(合計99期) 永世七冠

◆永世7冠「大きな地点」羽生竜王会見、偉業振り返る
WS001
 将棋界史上初の永世7冠を達成し、国民栄誉賞の授与が検討されている羽生善治竜王(47)が13日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、「30年以上にわたって棋士の生活を続けていく中で、一つの大きな地点にたどり着くことができたのは感慨深い」と偉業達成を振り返った。故大山康晴十五世名人の持つ最多勝記録1433勝まであと42勝に迫り、「大変な記録だが、追い抜いていけるように頑張りたい」と笑顔を見せた。
 ともに国民栄誉賞授与が検討されている囲碁の井山裕太7冠(28)について、「井山さんは全冠制覇をして、新しい記録を塗り替え続けている。隣の世界だが非常に素晴らしい棋士だと思っている」と井山7冠をたたえた。
 対局の際の緊張感は「何十年たっても感じることはある」というが、「プレッシャーが掛かるような環境で対局できることは棋士にとって充実して幸せなこと」とプラス思考に転じている。「最近は、今日は負けてしまったが次は明日から、という気持ちにはなれる」と負けを引きずらないことも強さを維持する秘訣(ひけつ)だ。
 勝ち筋が見えると手が震えると言われることを問われると、「勝ち筋がはっきり見えて我に返った時と、時間に追われていて何を指せばいいか分からない時に迷う時と、二つのケースがある」と明らかにした。
 将棋界は今年、20代棋士にタイトルを二つ奪われ、若手の台頭が著しい。「20代の棋士は非常に研究熱心。自分が知らなかった作戦、戦術を編み出して苦慮している面もある。新しい感性を持った棋士の一手を自分なりに勉強して吸収していかないといけない」と気を引き締めた。
 羽生は、今月5日の第30期竜王戦七番勝負で渡辺明棋王(33)を破り、永世称号の制度がある7タイトル戦で唯一獲得していなかった永世竜王資格(連続5期または通算7期)を得た。47歳2カ月でのタイトル獲得は、将棋界4位の年長記録。保有タイトルは棋聖と合わせて2冠。1996年に7冠制覇を成し遂げた後も順調にタイトルを積み重ね、通算タイトル獲得数は、名人9期、王将12期など計99期と、大台まであと1期と迫っている。
via https://mainichi.jp/articles/20171213/k00/00e/040/282000c

・羽生善治竜王「棋士の存在価値が問われている」 永世七冠が考える、人類とコンピュータの理想の関係(全文)
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/12/yoshiharu-habu_a_23305638/

◆羽生善治氏「永世7冠」どうスゴい? 次はタイトル100期と最年長記録に期待
 将棋の羽生善治棋聖(47)が12月5日の「竜王戦」でタイトルを奪取し、史上初の「永世7冠」を達成。大きな話題となりました。今回の竜王奪取で通算獲得タイトル期数は99期となり、前人未到の「100期」も目前に迫っています。この偉業に、政府は囲碁の井山裕太7冠(28)とともに国民栄誉賞を授与することを検討していると伝えられています。
 元「週刊将棋」編集長の古作登氏(大阪商業大学アミューズメント産業研究所主任研究員)は「永世七冠は表現できないぐらいの大記録」と指摘。さらに「来春行われる名人戦も挑戦権争いを演じており、100期目は名人奪取というものを狙っているだろう。また今後は最年長タイトル獲得記録(56歳)の更新も期待される」と話しています。

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■「野球の三冠王を5年連続取る」ぐらいの偉業?
 羽生棋聖は第30期竜王戦で渡辺明竜王に挑戦、4勝1敗でタイトルを奪取しました。今回の獲得で竜王通算7期目となり、永世竜王の資格を得ました。永世称号とは(別表参照)規定の回数以上のタイトルを獲得した棋士に与えられる称号のこと。羽生さんはこれまで永世称号が定められている7タイトル戦のうち、竜王を除く6タイトルで永世称号を得ており、今回の竜王奪取で七冠すべての永世資格を保持したことになります。

 羽生竜王・棋聖以外の永世称号資格者は、現役では渡辺前竜王の2つ(永世竜王、永世棋王)が最高。過去では大山康晴十五世名人(故人)と、中原誠十六世名人が5つ保持していますが、7冠達成は初めての快挙です。「たとえば野球の三冠王を5年連続取るといった、ありえないことが起きたというぐらいの記録。今後現れるとも思えないぐらいだ。囲碁界では井山裕太七冠(28)がそのペースにあるかもしれないが、羽生さんは30年近くタイトルを持ち続けており、尋常ではない」(古作氏)。将棋界では通算タイトル獲得が10期を超えている棋士は過去に8人しかおらず、通算99期も大山十五世名人の通算80期を大きく上回る記録です。それでも竜王戦後の記者会見で羽生さんは「将棋はまだまだ分からないことが多い」と語り、さらに高みを目指す姿勢を見せました。
 羽生棋聖は今回の竜王戦の直前に王位戦、王座戦で若手の挑戦を受け、いずれもタイトルを奪われてしまい、竜王戦も獲得は容易ではないという見方も出ていました。しかし、竜王戦では最近流行している戦法の採用や意欲的な作戦を披露するなど積極的な差し回しが光り、渡辺竜王を圧倒しました。古作氏は「羽生さん自身がおっしゃっていたように、今回が永世竜王獲得の最後のチャンスという意識は本音だったと思う。ほかの棋戦で気を抜いたわけではないだろうが、竜王挑戦のチャンスが高まった時点から、今年最大の目標は竜王獲得だったのではないか。王手をかけた第5局でも新構想を見せたが、もつれる前に一気に決めるという意欲を感じた」とみています。
 将棋界では最近、コンピューター将棋などの影響もあり、「雁木(がんぎ)」戦法という相当オールドスタイルな戦型が見直されており、羽生棋聖がこれを採用しました。新構想とは「角換わり腰掛銀」という戦型で、従来「無理では?」と思われた局面で攻めに出たことが見事に成功し、勝負を決したのです。

■羽生さんは47歳だが「将棋は柔軟でまだ若い」
 羽生竜王・棋聖に死角はないのでしょうか?
 実は2016年には名人を失ったほか、自身初の公式戦6連敗を喫するなどここ数年、過去の絶対的王者の姿が揺らぐ面も見られます。
 古作氏は「中原十六世名人が40代半ばを過ぎて頭の中の将棋盤が暗くなった、とおっしゃったように、45歳ぐらいがプロ棋士にとって大きな分岐点の年齢だろう」とみます。羽生さんは現在47歳。「将棋の内容としてはいまだに最新戦型を指しこなし、先入観にとらわれず、柔軟に戦っており、まだまだ若い。だがやはり体力を維持することが大きな課題でしょう。タイトル戦を続けてこなすことは激務。また将棋界の顔として対局以外の公務も多く、コンディションを整えることも大変ではないか」といい、羽生さんが年齢の壁とどう戦うか注目しています。
 将棋界では大山康晴十五世名人が56歳で王将を獲得したのが最年長記録。「羽生さんは記録をかなり意識している。100冠は当然視野に入るとして、最年長タイトルも狙っているでしょう。また今年鮮烈にデビューした藤井聡太四段など強い若手の存在も刺激になっているはず。将来藤井さんとタイトル戦であいまみえるということもモチベーションになるのではないか」と話しています。
via https://thepage.jp/detail/20171217-00000004-wordleaf
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[将棋] 藤井聡太四段 30連勝ならず、公式戦で初黒星 はてなブックマーク - [将棋] 藤井聡太四段 30連勝ならず、公式戦で初黒星

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将棋の最多連勝記録を30年ぶりに更新した中学3年生の藤井聡太四段が、2日、東京で行われた対局で敗れました。藤井四段が公式戦で敗れたのは初めてで、連勝は「29」で止まりました。
藤井聡太四段は、去年10月に史上最年少の14歳2か月でプロ棋士となったあと公式戦で一度もまけることなく勝ち続け、先月26日の対局で連勝記録を「29」に伸ばして、昭和62年に神谷広志八段が達成した28連勝の最多連勝記録を30年ぶりに更新しました。
藤井四段は2日、東京の将棋会館で竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントの2回戦に臨み、午前10時から佐々木勇気五段(22)と対局しました。対局は佐々木五段の先手でそれぞれ5時間の持ち時間で行われ、序盤から佐々木五段が主導権を握り、藤井四段にとって苦しい展開となりました。
夕食休憩のあと、藤井四段は巻き返しを図って攻勢に出ましたが、佐々木五段の的確な受けによってつながらず、午後9時31分、101手までで藤井四段が投了しました。
今回の対局で藤井四段は指し手に時間を使う場面が多く、持ち時間が3時間以上の対局では初めて、残り時間20分を切るまでに追い込まれました。
藤井四段が公式戦で敗れたのは初めてで、デビュー戦から続いてきた連勝記録は「29」で止まりました。
藤井四段「弱点なくせるよう頑張りたい」
藤井聡太四段は対局のあと記者団に対し、「今までどおり自然体で自分の力を出し切ろうと思って臨みました。機敏に動かれてしまって、勝負どころがなく負かされてしまったという感じです」と2日の対局を振り返りました。
そのうえで、デビュー戦からの連勝が止まったことについて「デビュー直後からこれだけ注目していただいて、こうして将棋に注目が集まっているというのは、自分としてはうれしいことだと思っていました。連勝記録はいつか途切れてしまうものなので、その点に関してはしかたないと思っています」と話していました。
そして、「途中苦しかった将棋もかなりあり、ここまで連勝できたのは自分の実力では出来すぎだと思いますので、これから気持ちを入れ替えて指していきたいと思います。自分の読みの甘さを痛感させられたので、弱点をなくせるように頑張りたいと考えています」と今後の抱負を語っていました。

■佐々木五段「なんとか勝てた感じ」
藤井四段の連勝を止めた佐々木勇気五段は対局のあと記者団に対し、「できるかぎり努力して臨もうと思っていました」と十分な対策を立てたと説明したうえで、「今回は結果が求められている勝負だと思ったので積極的に勝ちにいく姿勢で臨みました。先手を取れたことが大きかったですが、今回はなんとか勝てたという感じです」と対局を振り返りました。
そして、藤井四段については「これだけ連勝できたのは、連勝記録を塗り替えたいという意気込みより、もっと上の目標や志があるからではないかと思いました。これだけ勝っていてもあまり表情に出さず、『次の対局に向けて』という姿勢は中学生にはできないすごい姿勢だと思いました」と高く評価していました。

■加藤一二三 九段「感動を与える棋譜を紡いで」
藤井聡太四段の公式戦初戦の対戦相手となった加藤一二三九段は、「30連勝という初の連勝記録大台達成は惜しくも実現なりませんでしたが、藤井四段の実力は中学生にしてすでに本物です。14歳にして常に沈着冷静、強じんな精神力を備える藤井四段ではありますが、他方でプレッシャーも無意識下には感じていたはずです。ここからまた新たな目標の達成に向けて今後はさらに伸びやかに、しなやかに、研鑽(けんさん)を重ねていただけたらと考えております。長い棋士人生は今ここに始まったばかりです。この先の勝ち星も敗戦もそのすべてをご自身の力にかえて、人々のこころに感動を与える棋譜を数多く紡いでほしいと願います。偉大な後輩の成長からは今後ますます目が離せません」とコメントしています。

■師匠 杉本七段「次の記録に向かって精進を」
藤井聡太四段の師匠、杉本昌隆七段は「竜王戦本戦という大舞台を経験し、ここまで将棋界を盛り上げてくれたことに関し、師匠として、一人の棋士として『ありがとう』と言いたい気持ちです。連勝は止まりましたが、14歳の藤井四段はここからが本番。今までどおりの将棋好きの少年の気持ちを忘れずに。一喜一憂せず、次の記録に向かって精進してください」とコメントしています。

■日本将棋連盟会長 佐藤九段「とてつもなく強くなってほしい」
日本将棋連盟会長の佐藤康光九段は「ここまで将棋界の枠を超えた注目が集まる中、14歳という若さで夢を与え続けてくれたことに感謝します。彼の棋士人生はまだ第一歩を踏み出したばかり。とてつもなく強くなってほしいと思います」とコメントしています。

■藤井四段の母「経験を糧に目標に向かって進んで」
藤井四段の母親の裕子さんは「勝負なので負けはしかたのないことだと思います。経験を糧にしてこれからも『強くなる』という目標に向かって進んでいってほしいです」と日本将棋連盟を通じてコメントしています。[2017.07.02]
via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170702/k10011038651000.html

・2017年7月2日 決勝トーナメント 佐々木勇気五段 対 藤井聡太四段|第30期竜王戦 棋譜
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/30/ryuou201707020101.html

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・佐々木勇気五段とは?藤井聡太四段を破ったジュネーブ生まれの若き実力派棋士
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/02/yuki-sasaki_n_17366222.html

・藤井聡太四段が公式戦で初黒星 ‥勝利した「佐々木勇気五段」とは?
 https://matome.naver.jp/odai/2149898896005845501

・佐々木勇気:Wikipedia

・将棋界は新時代へ!藤井&佐々木“ライバル”対決が開いた“世代交代”
 https://matome.naver.jp/odai/2149903786027598701
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[将棋] 藤井聡太四段、前人未到の29連勝=30年ぶりに記録更新、デビュー戦から負け知らず はてなブックマーク - [将棋] 藤井聡太四段、前人未到の29連勝=30年ぶりに記録更新、デビュー戦から負け知らず

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将棋の公式戦で一度も負けずに歴代最多の連勝記録に並んでいた中学3年生の藤井聡太四段が、26日、東京で行われた対局に勝ち、連勝を「29」に伸ばしました。藤井四段は連勝記録を30年ぶりに更新し、プロ1年目にして歴代単独1位となりました。
藤井聡太四段は、去年10月に史上最年少の14歳2か月でプロ棋士となったあと公式戦で一度も負けることなく勝ち続け、今月21日の対局で連勝記録を「28」に伸ばして、昭和62年に神谷広志八段が達成した最多連勝記録に並びました。

藤井四段は26日、東京の将棋会館で竜王戦の挑戦者を決める「決勝トーナメント」の初戦に臨み、午前10時から増田康宏四段(19)と対局しました。
対局は早い段階から攻めにかかったのに対し、増田四段が反撃に転じ、終盤、藤井四段が再び攻勢に出た結果、午後9時24分、91手までで増田四段が投了しました。これで、藤井四段は連勝を「29」に伸ばし、最多記録を30年ぶりに更新してプロ1年目にして歴代単独1位となりました。
対局のあと、藤井四段は「途中苦しくなったので、最後はなんとか食いついたという感じでした。最後の最後までわからなかったです」と振り返りました。そして、「自分でも本当に信じられないというか、きょうも含めて苦しい将棋だったので、非常に幸運でした。次も強敵なので、全力でぶつかっていきたいと思います」と話していました。
藤井四段は来月2日に次の対局に臨み、勝てばデビュー戦から負けなしの30連勝となります。

■敗れた増田四段「中盤から終盤かなり強く」
藤井聡太四段に敗れた増田康宏四段は「終盤、しのげるかと思いましたが、難しかったです」と対局を振り返ったうえで、藤井四段の印象について、「中盤から終盤がかなり強かった」と語りました。

■母親の裕子さん「本当にすばらしい」
藤井四段の母親の裕子さんは「このような記録を達成することができ、本当にすばらしいと思います。一局一局を大切に、これからも『強くなる』という目標に向かって進んでいってほしいです」と、日本将棋連盟を通じてコメントしています。

■記録抜かれた神谷八段「天才が実力で抜いた」
藤井四段が29連勝して最多連勝記録を更新したことについて、28連勝の記録を持つ神谷広志八段は「28という完全数はいちばん好きな数字ですので、それが一位でなくなることは個人的に少々さみしいのですが、凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います。藤井さんがこれからの数十年でどんな世界を見せてくれるのかファンの皆様とともに寿命の限り見続けていきたいです」とコメントしています。

■師匠の杉本七段「大舞台で29連勝は驚がく」
藤井聡太四段の師匠、杉本昌隆七段は「竜王戦本戦という大舞台で神谷八段の記録を抜く29連勝は驚がくです。師匠の私も至福の時間をもらいました。28連勝を達成した帰り道、いつもと同じようにずっと将棋の話をしていたのが印象的で、このとき29連勝を確信しました。歴代連勝記録のトップに立ちましたが、14歳の藤井四段にとってこれは序章。一喜一憂せず、これからもさらなる記録を目指して精進してください」とコメントしています。
・・・[2017.06.26]
via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170626/k10011031171000.html

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017062601071&g=soc&m=rss
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/26/souta-win_n_17296088.html

・藤井聡太:Wikipedia

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・2017年6月26日 決勝トーナメント 増田康宏四段 対 藤井聡太四段|第30期竜王戦 棋譜
  http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/30/ryuou201706260101.html

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・藤井聡太四段、前人未到の29連勝(会見全文)
――29連勝の大記録を達成した今の気持ちは?
そうですね。自分でも29連勝というのは、想像もできなかったことで、喜びとともに非常に驚いてもいます。

――今日はどんな気持ちで迎えましたか?
竜王戦の決勝トーナメントという大きな舞台というもあって、連勝記録自体は意識しないようにしていたんで、気を引き締めて臨みました。

――昨年12月の加藤一二三・九段との初対局からカウントして29局目ですが、記憶に残る対局は?
初戦の加藤先生に教えて頂いた一局が印象深いですね。加藤先生の迫力ある闘志を目の前で感じることができてよかったと思います。

――今、タイトル戦では龍王戦と棋王戦で決勝トーナメントに進出していて、初タイトルの最年少記録は18歳6カ月ですが、それについては?
まだまだ実力をつけることが重要かと考えているので、タイトルを狙える位置まで実力をつけたいと考えています。

――ご両親にとってもうれしい結果になりましたが、どなたにうれしい気持ちを伝えたいですか?
両親には伝えていきたいなと。

――プロになられたばかりですが、今後の目標は?
実力を高めて、タイトルを狙えるようになりたいと思っています。

----28連勝のときとは、どこが違いますか?
単独1位になれたのは、自分では特別な感じがします。今までとは違った喜びがあると思います。

――29連勝が「想像ができない」とおっしゃっていましたが、どこまで勝つか、いつ負けてしまうかと注目されています。ご自身は、どういうプレッシャーがありますか。連勝への意識は?
連勝記録はいつかは必ず途切れてしまうものではあるので、自分としては連勝は意識せずに、一局、一局、全力で打っていきたいと思います。

――プレッシャーはどうですか?
これだけ注目していただいて、プレッシャーはあるんですけど、重圧に押しつぶされてしまってはよくないので、なるべく自然体で指すように心がけていきたいです。
via http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/26/fujii-kaiken_n_17297598.html

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・神谷八段、藤井四段へ“親目線”エール「大人に気をつけて」
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 将棋の最年少棋士、藤井聡太四段(14)が26日、東京都渋谷区の将棋会館で指された竜王戦決勝トーナメントで増田康宏四段(19)を破り、公式戦の新記録となる29連勝を達成した。神谷広志八段(56)が1987年に記録し、不滅とされてきた28連勝を、30年ぶりに驚異の中学生棋士がデビューから無敗のまま超えてみせた。
 87年に公式戦28連勝を記録した神谷が将棋会館で記録更新の瞬間に立ち会った。「凡人がほぼ運だけでつくった記録を天才が実力で抜いたのは将棋界にとってもいい。寿命の限り見続けたい」とコメント。終局後、ファンからサインを求められると「元記録保持者 さみしいよ」と色紙に記した。
 スポニチ本紙の取材に「(増田の)4九角成が焦っちゃったかな」と勝負の分かれ目を指摘。本紙を通じ藤井に色紙で「甘い言葉で寄ってくる大人に気をつけて」のメッセージ。「大丈夫だと思うけど、スポーツ選手とかでひどい目に遭った人の話を聞くので」と独特の助言を送った。
via http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/06/27/kiji/20170627s00041000062000c.html

・ひふみん、藤井四段の29連勝は「空前絶後の大記録。これからも連勝記録は伸びると思う」
 将棋の最年少棋士、藤井聡太四段(14)は26日、東京都渋谷区の将棋会館で指された竜王戦決勝トーナメントで増田康宏四段(19)を破り、公式戦の新記録となる29連勝を達成した。1987年に神谷広志八段(56)が樹立した28連勝を30年ぶりに塗り替えた。
 将棋の現役最高齢記録を持ち、20日付で現役を引退した加藤一二三・九段(77)がNHK「ニュースウオッチ9」(月~金曜後9・0)に生出演。「完璧で会心の勝利。教科書に出てくるような、誠に見事な勝ちっぷり。心からおめでとうといいたい」と祝福した。
 勝負の行方については「出だしは五分だったけど、増田四段が焦って勝負に出たのがよくなかった。藤井四段の得意中の得意の攻めの将棋になった後は、藤井四段のいいところばかりを見る展開になった」と分析。「藤井四段は『苦しかった』といっていたけど、あれは控えめな表現。本当は別に苦しいところはなくて完璧な勝利だった」と評価した。
 今後については「四段になった棋士が29連勝というのは空前絶後の大記録。これからも連勝記録は伸びると思う。勢いがついて気分がいい」と予測した。
 加藤九段は1954年、当時の最年少記録となる14歳7カ月でプロ入り。「神武以来の天才」と呼ばれ、タイトルを名人1期など通算8期獲得した。昨年12月の藤井四段のデビュー戦で相手を務め、62歳差対決で注目を集め敗れた。今月20日の対局に敗れ、引退が決まった。
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via http://www.sanspo.com/geino/news/20170626/sot17062621570009-n1.html

・加藤一二三九段が引退 「将棋界のレジェンド」は62年10カ月間、こう戦った
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 http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/20/hifumi-kato-legend_n_17218268.html

・加藤一二三:Wikipedia

・藤井四段よりも「ひふみん」のほうがスゴイ? 本人降臨のほっこり話に大感激




via https://sirabee.com/2017/06/27/20161183857/

・加藤一二三九段が引退会見「名局の数々を指してきました」63年の棋士人生に悔いなし(全文)
「将棋界のレジェンド」として知られる加藤九段は1940年、福岡県稲築村(現・嘉麻市)生まれ。1954年、当時の史上最年少記録(14歳7カ月)でプロ棋士(史上初の中学生棋士)となった。
タイトル保持期間は名人・王位・棋王など通算8期。戦績は歴代3位の1324勝。対局数(2505局)と敗戦数(1180敗)は、ともに歴代最多。6月20日の「第30期竜王戦」6組の対局で高野智史四段(23)に敗れ、規定に基づき現役を引退した。
加藤九段は「共に歩んできてくれた妻に対して、深い感謝を」と家族への思いを語りつつ、「精魂込めて魂を燃やして、本当に精進した結果、50年、100年色褪せない名局を指せた」と、これまでの棋士人生を振り返った。会見の詳細は以下の通り。

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みなさまこんにちは。これから引退の記者会見を行います。

――63年の現役生活を終えて、いまの気持ちは。
そうですね。大変すっきりした気持ちです。というのは、これからも今まで通りやる気を失わないで、元気よくこれからの人生を歩んでいく気持ちですから、非常にすっきりしています。

――1968年に「十段戦」で初タイトルを取った時の気持ちは。
私の棋士人生の中で、初期の代表的なことは「十段」の獲得です。読売新聞さんの「第7期十段戦」ですね。
第1期から6期までは大山康晴名人が十段だったのですが、第7期の十段戦で私が挑戦者となり4勝3敗でめでたく十段を獲得したんですが、その中で1手に7時間考えて素晴らしい手を見つけて勝ったことと、第6局で自ら戦って感動を覚えたこと。この二つで、将棋というものは深い(と知り)、将棋というものに感動した。
これを続けていけば、私が感動したことと近い感動を(ファンにも)覚えて頂けるのではないかと。私は職業棋士としての存在は、立派な将棋を指して、それをファンの方々に大きな喜びを与えることに尽きると思った。
自ら感動した経験と、1手に7時間も長考して賢者の妙手を見つけて勝ったこと。この2つの点。たしか30歳前だったと思うんですが、これで生涯現役としてやっていく自信が生まれました。

――これまでの中で「この一局」というものがあれば
私は20歳の時、昭和35年(1960年)ですけれど、時の名人大山康晴名人と名人戦の七番勝負を戦って、そのあと昭和48年(1973年)に中原誠名人と戦って、それから3度目の名人戦というのが1982年(昭和57年)の名人戦だった。
3度目の挑戦で、中原誠名人に勝って念願の名人になったというのが最大の思い出なんですよね。1982年7月31日の夜9時2分に名人になったんですけども、95%負けている将棋だったのを私が逆転勝ちして勝って、念願の名人になったものですから。
私は少し前にキリスト教の洗礼を受けていたこともありまして、私が95%負けてた名人戦で勝ったのですから、神様のお恵みだと考えています。

――この時は伝説の十番勝負と言われていますが、この時は一局目からどんな思いでしたか。
昭和57年の名人戦ですけれど、その前の昭和52〜3年(1977〜78年)あたりは、共同通信社主催の「棋王戦」というタイトルで中原さんにも勝ち、大内(延介)さんにも勝った。
名人戦の前に中原さんには棋王戦、王将戦、十段戦と全部タイトル戦で勝っていましたから、名人戦においても自信はありました。
とは言いながら、中原名人は名人10期の絶対王者で、彼は10期目の防衛戦だった。私は中原さんに対してそれなりの自信はあったのだけれども、中原名人は名人戦となると、絶対に今までのどのタイトル戦よりも力を2割方アップしてくると知っていましたから。
名人戦だけは中原さんにとっては最後の砦。そう簡単に勝たしてくれないとは思っていましたが、負ける気はしなかった。
1982年7月31日の夜9時2分、(名人になることが)実現しました。その時、勝つ手を見つけた時に、その瞬間「あぁ、そうか!」と叫びました。20歳の頃から名人戦に魂を燃やして戦ってきたけど、22年後についに名人を獲得できたやった。「あぁ、そうか!」と叫んだんですね。

――長い現役生活を終えられて寂しさはありますか。
私が常日頃から思っていたことですが、棋戦を長年にわたって主催してくださった新聞社の方たち、その他の棋戦を主催してくださっているスポンサーの方々に、深い深い感謝の念をもっていましたけれど、改めてここに心からの深い謝意を表する次第です。
といいますのは、我々がいくら頑張っても、棋戦を主催してくださる新聞社、あるいは報道機関、そういったスポンサーの方たちの支援・理解がなければ、はっきり言って成り立たないわけですよね。
それから私に限らず、日本の将棋文化をなんとか発展させようという意図のもとに、各新聞社の幹部の方々、あるいは棋戦をお伝えしてくださっているスポンサー、そういったトップの方々の強い強い意欲、使命感に基づいて将棋の棋戦をやってもらっていることに対して非常に感謝しています。
私はその付託に応えて、今までタイトルもたくさん取り、勝った数は1324回。いままで、例えば国からは紫綬褒章をいただき、バチカンの聖ヨハネ・パウロ二世からは勲章を賜っていまして、なんといいますか、それなりに私の将棋人生はかなりの成果を上げたと思っています。
とはいいながら、それはひとえに支援してくださった方々、あるいは長年にわたって私のことを応援してくださったファンの方々の好意の賜物だと考えております。
同時に、長年にわたって私と共に魂を燃やし、共に歩んできてくれた妻に対して深い感謝の気持ちを改めてここに表明する次第です。本当に棋士としては名局の数々を指してきまして。
これはよく言うのですが、たとえばバッハとかモーツァルトというような名曲の数々は、今でも世界中の人々に感動を与えているのと同じように…というのは、ちょっとおこがましいのですけれども。
将棋のファンにとっては、私および私たちトップの棋士たちが差してきた名局というのは、文化遺産として残していけば100年経っても200年経っても300年経っても人々の感動を必ず呼ぶという自信があります。
それだけの誇り、自信がありますから、そういうことを達成できたのは、ひとえに将棋の棋戦というのを、早い段階から志高く、なんとか将棋の棋士たちを応援してあげようという好意ある方々の賜物だと本当に深く感謝する次第です。
そういえばちょっと突然ですけども、6月20日に引退が決まったんですけれど、23日に白百合女子大学から客員教授の任命を与えられまして。白百合女子大の学長から任命証を受け取りまして、大変感激しています。
教育というのは大変大切ですからね。私が今までの人生の中で蓄積した知識や人生観を、これから女子学生に折々に大学を訪れて語っていきたいと意欲を燃やしています。

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――昨年12月に対局した藤井聡太四段にどのような印象をお持ちでしょうか。
昨年の12月24日、これは彼のデビュー戦だったのですけども、まず2つ感心しました。
一つは「戦い上手でうまい作戦できたな」と感心しました。
もう一つは、おやつの時間に私がチーズを食べ始めましたところ、藤井四段がちょっと間をおいて、チョコレートを食べ始めてんですよ。そこで私は非常に感心しました。
というのは、藤井四段が先にチョコレートを食べて、私がチーズを後に食べても全くマナー違反でもないし失礼でもないんですけども、藤井四段は私がチーズを食べ始めるのを待って、彼がおやつを食べ始めたことに大変好感を持ちまして、「お!この藤井聡太四段はなかなか先輩に対する気遣いが出来てるな」と非常に感心しまして
もう一つは、対局中に一回だけ終盤戦で藤井四段が私のことを一瞬ちらっと見た瞬間があったんですけれど、「え?藤井四段、視線で私に対して何を送ってるのかな?」と思って5分ぐらい盤面を見たところ、「加藤先生、あなたはあなたの方が面白いと思っているんでしょ。でもこの将棋は私、藤井聡太が勝っているんですよ」と、目で送ってくれたんですよ。
それで、「この少年、なかなかすごい」と非常に感心しました。この二つです。
彼は破竹の連戦連勝ですね。優れた秀才型の素晴らしい棋士とは思ったけれど、あのように10連勝、20連勝、29連勝とするとは全く想像もしませんでした。
彼が勝っていくなかで、私は藤井聡太四段の勝負を全部研究しまして、彼が秀才型の天才ということを悟りました。作戦が非常にうまく、スピーディーな戦い方で早く有利に立つという戦い方を身につけていまして、今のところ彼に欠点が一つもないんですよね。
一つ非常に嬉しいことは、藤井四段は私にありがたいコメントを出してくれていまして。この前も藤井四段は「加藤九段が引退されることは寂しい」と語ってくれました。
さすがに私も引退は覚悟していることですから割り切っているんですけれども、さすがに藤井少年から寂しいという言葉を聞きますとホロっとしまして。哀感という空気が漂ってきますよね。
あの少年棋士が引退する私に対して寂しいと言ってくれたことは「素晴らしい後継者を得た」と感動しました。

――ファンの皆様にメッセージがあれば。
本当にファンの皆様方には、長年にわたって私のことを好ましく思い応援してくださった方々には、心からの深甚なる感謝の意を表したいと思います。
今までは新聞社さんたちの長年の貢献に対して深い深い謝意を表しましたけれども、直近では毎日のようなテレビ報道によって、いままで将棋なんかまったく知らなかった方々、縁のなかった方々が大変棋士に対して好意を持っていただくことになったことにも、改めて感謝を表したいと思います。
昨今でも街を歩いていますと、多くの方々から「本当にお疲れ様でした」「良い後輩が出て先生よかったですね」と。全く将棋を分からなかった方々がテレビ報道によって…。
やはりテレビ報道は多くの方々が見ていらっしゃるし、例えば家庭の主婦も見ていらっしゃるわけで。「本当にお疲れ様でした」と言われますし、やっぱり非常に嬉しいことに「素晴らしい後輩ができてよかったですね」と言われます。
「どうやら将棋界というのは、なかなか明るい良い世界ですね」と見知らぬ方から微笑みながら話しかけられますので、そのことに関しても深くありがたいことだと感謝を表する次第です。

――63年間棋士として将棋の勝負を戦ってこられまして、「将棋とは何か」「棋士とは何か」と問われたら、どのように答えますか。
そうですね。白百合女子大学の客員教授に任命されたのですけども、その理由は私が平安時代から伝わってきている日本の伝統文化の正当な後継者として任命されたんですけれど。
私はですね、長年にわたってこの熱戦の対局の場を与えられたことによりまして、名局の数々を指してきまして、1324回勝っていますけども、その中の90%は名局なんですね。
私は名局の数々をたくさん指してきたということが、その一点に尽きます。もし仮にですよ、1324回勝っていますけども、これが例え「勝つには勝った」としても、内容的に普通だというのであれば、私もあえて誇りには思いません。精魂込めて魂を燃やして、本当に精進した結果が50年、100年色褪せない名局を指せたということが大きな誇り、喜びであると思います。
私は勝った将棋で、あと1000局は本に書いていませんから。これから私の義務としては、講演とか将棋を教えるとか、イベントとかたくさんたくさん仕事が待っているんですが、誰からの注文もなくてはしなくていけないことは、常々「私の将棋は名局だ」と言っている以上、「なんで名局か」ということを本に書いて伝えていく義務があると思っています。これはまあ5年がかりぐらいで書いていくつもりです。
そうだ!一言忘れていました。将棋界は今、佐藤会長、羽生善治三冠、谷川浩司永世名人、渡辺明竜王、森内(俊之)永世名人と、大変人格的にも優れ、将棋はすでに完成した域に達している将棋界の名人・達人が揃っておりますから、立派な後継者が粒ぞろい揃っておりますから、私は引退することになりましても、心安んじて引退していくことができて、大変ありがたいことだと思っております。以上です。
via http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/29/hifumin-kaiken_n_17339686.html


・藤井聡太14歳に負けた41歳棋士が語る「彼の進化はモンスター級」敗れたからこそ分かる、将棋界に現れた「天才」の秘密
 http://bunshun.jp/articles/-/3088
 http://blogos.com/article/231080/

・藤井四段「29連勝」! 「AI」で磨いた「序盤・中盤力」
 前人未到の29連勝を達成した藤井聡太四段(14)。新記録樹立の相手に不足はなかった。昨年の新人王戦を制した増田康宏四段(19)だ。過去に新人王に輝いたのは羽生善治三冠(1988年)、渡辺明竜王(2005年)、佐藤天彦名人(2008年、2011年)、一昨年度のNHK杯を制した村山慈明七段(2007年)など錚々たる顔触れが並ぶ。ちなみに増田の師匠でありながら、藤井と増田の対局にレベルが高すぎて理解が追いつかないと謙遜してみせた森下卓九段も、新人王経験者だ(1990年)。
 対局後に師匠森下が語ったように、増田側に形勢を一気に損ねるような悪手がなかったどころか、ミスらしいミスさえなかった。にもかかわらず、最終的には圧勝した藤井。中盤までは増田有利との声も聞かれた中で藤井が勝負を呼び込むことができたのは、プロにも盲点の一手だった。そしてそれを後押ししたのがAI(人工知能)だった。

■「AI」で弱点を克服
 そもそも当初、藤井将棋の代名詞といえば、詰将棋で鍛え上げられた終盤力だった。プロも多数参加する詰将棋解答選手権で、史上初めて小学生で優勝。今年3月には3連覇を達成している。いうまでもなく、将棋は王将を先に詰めば勝ちというゲームだ。その詰みの手筋を誰よりも早く発見する能力に長けているということは、勝負の上で大きく有利である。
 ところが、藤井が連勝街道を驀進するうちに、詰将棋が強い中学生という藤井像はみるみる修正されていった。対局を重ねるごとに、老獪な指し回しを含めた完成度の高さを見せつけていったのだ。そして対局を重ねれば重ねるほど、14歳とは思えない完成度にますます磨きが掛かってきた。
 藤井の師匠である杉本昌隆七段が話すように、藤井も元々序盤、中盤に弱点を抱えていた。将棋は大きくいえば序盤、中盤、終盤に分けられる。序盤、中盤で相手に大きくリードを奪われてしまえば、藤井がいくら終盤に強いとはいえ逆転は難しい。
 そんな藤井の弱点克服に役立ったのがAIだった。その成果は昨日の増田戦にも表れた。今迄の棋界の常識では発想しにくい角打ち。この手が、増田有利かとみられていた難解な中盤の攻防から藤井を救い出した。AI研究による長所は、これまでの棋士間の検討ではごみ箱に捨てられていた手筋に光が当てられ、将棋の可能性を広げたことだろう。

■古典と最新技術の融合
 将棋AIの登場は将棋界にとっての黒船襲来であり、棋士たちの反応は極端に分かれた。たとえば、筆者が5月31日にテレビ番組BS11『報道ライブINsideOUT』で対談した加藤一二三九段は、否定派の筆頭格だろう。
 一方でAIの指し手と、自分の指し手との同化をひたすら追求する向きもある。そんな中でデジタルネイティブ世代である藤井は、AIを過度に敵視したり崇拝したりせず、自然と自分の研究に取り込んでいった。
 江戸時代から続く将棋の最も古典的な勉強法である詰将棋によって手にした無敵の終盤力。そしてAIによって手にした序盤、中盤力。中学生棋士の先輩である羽生でさえ、プロ入り当初は序盤、中盤に粗さが残り、終盤力頼みだったといえよう。
 デビュー時の羽生をも超えるような高い完成度を誇る藤井。これからどこまで勝ち続けるのか。古典(詰将棋)と最新技術(AI)の融合により誕生した21世紀生まれの新星にますます注目が集まる。
via http://www.fsight.jp/articles/-/42489


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