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天皇陛下退位へ=平成最後の日-「象徴」に全身全霊の30年余 :「令和の平和祈る」=在位中最後のお言葉-皇居で退位礼正殿の儀 はてなブックマーク - 天皇陛下退位へ=平成最後の日-「象徴」に全身全霊の30年余 :「令和の平和祈る」=在位中最後のお言葉-皇居で退位礼正殿の儀






 天皇陛下の退位に伴う「退位礼正殿の儀」が30日夕、皇居・宮殿「松の間」で行われた。30年3カ月余り象徴として歩んだ陛下は「新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と、在位中最後のお言葉を述べられた。
 江戸時代後期の光格天皇以来、202年ぶりの退位に伴う憲政史上初の儀式で、国民に広く退位を知らせるため憲法が定める天皇の国事行為として実施。皇后さまや皇太子ご夫妻ら成年皇族15人全員に加え、閣僚や衆参正副議長、最高裁長官、国会議員、都道府県知事や市町村長の代表ら294人が参列した。
 午後5時、モーニング姿の天皇陛下が皇后さまと共に松の間に入室した後、侍従が皇位の証しとされる剣と璽(じ)=勾玉(まがたま)=、天皇の印の御璽、国の印の国璽を「案」と呼ばれる台の上に置いた。
 安倍晋三首相が退位特例法に基づき、30日限りでの陛下の退位を宣言。即位以来、国民と苦楽を共にした陛下への謝意を表した。陛下は「天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした」と述べ、国民への感謝を示した。
 両陛下は剣と璽をささげ持った侍従と共に退出し、儀式は10分余りで終わった。
 両陛下は引き続き、皇族や側近、宮内庁や皇宮警察の職員らからあいさつを受けた後、お住まいの御所で平成最後の一日を終えた。
 これに先立ち、陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で、「退位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」などの儀式に装束姿で臨んだ。
 剣と璽は退位礼正殿の儀の後、皇居・御所「剣璽の間」に再び戻され、1日午前0時の即位とともに新天皇が継承した。
 1日午前、新天皇が剣と璽などを受け継いだことを明らかにする「剣璽等承継の儀」と、即位後初めて国民代表に会う「即位後朝見の儀」が、いずれも国事行為として行われる。[2019.04.30]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019043000392&g=pol

◆天皇陛下 最後のおことば 全文
今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。



・これが平成の終わりか…世界で中継された『退位礼正殿の儀』
  https://matome.naver.jp/odai/2155663081255461101

◆天皇陛下、その人間らしさ
■「最高慰問者」
1989年1月、昭和天皇の死去にともない、天皇陛下が即位した。



楽観的な時代だった。日本は金回りがよく、戦後の経済発展のピークを迎えていた。ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収する直前で、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンターの買収を目前にしていた。世界中で、新たな「超大国」としての日本が話題になっていた。
しかし、天皇陛下が即位した翌年、災難が起こった。バブル経済がはじけ、東京の株式市場で株価が35%も暴落した。バブル崩壊から30年近くたつが、日本の株価と地価は1990年代の水準を下回ったままだ。
ほとんどの日本人にとって、平成(「平和の達成」を意味する)時代は経済停滞を意味してきた。加えて、悲劇に見舞われた時代でもあった。
1995年1月、マグニチュード6.9の大地震が神戸の街を襲った。ビルや道路の陸橋が倒壊し、火災が何日も続いて空が暗くなった。死者は6000人を超えた。
2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。マグニチュード9は、記録が残る中で、日本における4番目に大きな地震だった。この地震は巨大津波を引き起こし、東北沿岸の町々に壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。
この2番目の災害の後、天皇陛下は過去の天皇がしなかったことをした。テレビカメラの前に座り、国民に向けて直接語りかけたのだ。
その2週間後、天皇・皇后両陛下は、東京から離れたスタジアムに設置された避難所を訪れた。
被災者たちは、床の上にわずかな所持品を積み重ねて生活していた。多くの人々は、福島第1原発の損壊によって出た放射線から避難していた。ほとんど全てを家の中に残したまま、いつ、果たして戻れるのかどうかさえわからずに、避難生活を送っていた。
天皇・皇后両陛下は床に膝をつけて家族を一組ずつ訪ね、静かに話しかけ、質問をし、いたわった。



保守層にとってはショッキングな、天皇陛下の姿だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあるべき振る舞いではなかった。しかし、それを上回る数の日本人が、天皇陛下の人間味あふれる感情表現に深く感動した。
「陛下には道徳的な権威がある」とテンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は話す。「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。
「陛下の避難所訪問は、政治家が写真撮影のために訪問して手を振って立ち去るのとは違う。人々の隣に座り、一緒にお茶を飲み、戦前には考えられなかった風に会話をする」

■父親の罪
天皇陛下は革命家には見えない。背は低く、控えめで語り口は柔和だ。発言と行動は戦後の憲法によって厳しく制限されている。イギリスのエリザベス女王と違い、陛下は日本の国家元首ではない。
その代わり、陛下の役割は「国民統合の象徴」とあいまいに定義されている。政治的な発言は認められていない。
こうした儀礼的で窮屈な役割の中でも、陛下は見事な成果を上げてきた。
まず思い出すべきは、陛下は日本がアジアで暴挙を繰り広げた1930-40年代の約15年間に日本を治めた、神格化された昭和天皇の息子だということだ。広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えた時、陛下は12歳だった。



教育を受けていた時期のどこかで、陛下は強固な平和主義者となり、それは現在も続いている。このことについては、アメリカ人家庭教師のエリザベス・グレイ・ヴァイニング氏の影響を指摘する人もいる。天皇陛下は昨年12月には「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べた。平成の間に1人の自衛隊員も、戦争や武力紛争で犠牲にならなかったことに、何より満足しているという。
陛下は日本のかつての敵や被害者とも心を通わせる努力をしてきた。北京、ジャカルタ、マニラからスペインまで、昭和天皇の下で生じた傷を癒すために尽力した。
「陛下は、日本の和解のための最高の特使という、天皇の新たな役割をつくり出し、地域内を何度も訪問し、償いと悔恨の意を示してきた。基本的に、過去の戦争の傷を癒そうとしてきた」とキングストン教授は指摘する。
1990年代には、それはあまり議論にはならなかった。国内の政治家は陛下を支え、1992年には歴史的な中国訪問を実現させた。だが、陛下が年齢を重ねるにつれ、日本の政治は急激に右傾化した。



かつての「謝罪外交」は、平和主義とともに支持されなくなった。安倍晋三首相は、日本の平和憲法を改めると宣言している。安倍氏や右派の人々は愛国的な教育を復活させ、彼らの言う戦後の「自虐史観」を消し去りたいと考えている。
目立たないように、しかし強い意志をもって、陛下は繰り返し歴史修正主義者たちに対する軽蔑心を表してきた。2015年、戦後70年の節目で、安倍氏は談話を発表した。
「安倍氏は基本的に、日本がいま享受している平和と繁栄は、300万人の戦死者のおかげだと述べた」とキングストン教授は言う。
「翌日、陛下はそれを否定した。陛下は日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものだと、お言葉で述べた」
テレビ中継を見ていた何百万人もの日本人にとって、それは疑いようのない批判だった。
東京で開かれた園遊会では、右派の東京都の教育委員会委員が、国歌を斉唱するときには全教員を起立させると陛下に誇らしげに伝えた。
陛下は静かに、だがきっぱりとこう言って、その委員を諭した。
「強制になるということではないことが望ましい」

■長い別れ
在位期間を通し、陛下は最も大切な伴侶で助言者の美智子皇后と一心同体だった。一般家庭の出身の皇后陛下にとって、時に宮中での暮らしは極めて大変だった。1993年には、皇后陛下は精神的疲労から倒れ、2カ月間、言葉が出なくなった。
皇后陛下は最近、天皇陛下の決意に対する畏敬の念を文章で表している。
「振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました」
しかし、ここしばらく、天皇陛下の健康状態は衰えつつある。がんを患い、心臓のバイパス手術も受けた。陛下に近い人は、陛下が健康悪化によって動けなくなり、公務を果たせなくなることを一段と心配していたと述べる。
2009年ごろから、陛下は皇太子さまへの皇位継承が認められるよう静かに世論に訴え始めた。これは決して簡単なことではない。
戦後制定された憲法では、天皇は「終身」その地位にあると明確にしている。そのため、政治家たちは陛下の願いを無視してきたと、原武史放送大学教授は説明する。
「9年間にわたって、政府は陛下のお気持ちにまったく同調しなかった。退位したいという陛下の希望を受け入れたら、天皇が重要な決定権限をもつことになってしまい、それは憲法違反だと考えたからだ」
これは、まさに日本独特の難問だ。原教授によると、焦燥感を募らせた陛下と宮内庁は、ある計画を編み出した。
「陛下と宮内庁はどんどん我慢できなくなっていった。そこで、宮内庁の職員がNHKに情報を流し、NHKが陛下の希望を報じた」
NHKにとってそれは大スクープとなり、こう着していた局面が打開された。1カ月後、陛下は再びテレビ放送されたビデオメッセージを通して国民に直接語りかけ、退位して皇位を皇太子さまに引き継ぎたい意向を示唆した。
世論調査の結果は、大多数の日本国民が陛下の意向を支持していることを示した。安倍首相と保守層は従うしかなかった。それから2年の年月を要したが、陛下はついに退位の日を迎えた。
5月1日、皇太子さまが新天皇に即位し、時代は「令和」に変わる。
via https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48101955


・美智子さまに憧れて――陛下を支え続けた60年を秘蔵写真とともに振り返る

 いよいよ今上天皇の退位の日が近づいてきた。新元号発表に続き、多数のタレントや文化人が出席した「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」が開催され大きく報道されるなど、国全体の関心事となっているが、一つの時代が終わることの感慨をしみじみ味わっているかたもいることだろう。
 現在、書籍の世界でも皇室関連本は人気だが、よく見かけるのはいわゆる天皇制や皇室の謎に迫る本。そんな中に、静かに今上天皇の時代を振り返ることができる本があるのはうれしいもの。『皇室の歴史とともに、60年――あの日の美智子さま』(渡邉みどり:監修/主婦の友社)は、長らく陛下を支え続けた皇后・美智子さまを主人公に、90年の歴史を誇った婦人誌「主婦の友」が取材活動を通じて集めた秘蔵写真の数々を紹介しながら美しく振り返る贅沢な一冊だ。当時の記事もそのまま紹介され、人々が美智子さまに向けた「憧れ」を、平成の終わりにあらためて実感する
 昭和32年夏、軽井沢のテニスコートで時の皇太子さまに見初められた正田美智子さんという一人の女性は、昭和34年「世紀のご成婚」を経て皇太子妃・美智子さまに。ご成婚報道で白黒テレビが爆発的に普及したり、パレードには沿道に53万人がつめかけたり、民間から誕生したプリンセスは「ミッチーブーム」を巻き起こす。なにより人々が夢中になったのは、美智子さまの清楚な美しさと、聡明さだった。



 振り返ってみればお二人がご成婚された昭和34年は、終戦からまだ14年弱とはいえ将来を希望的に考えられるようになってきた高度経済成長の時代だ。その頃の女性たちにとって美智子さまは、豊かな新時代の象徴であり、まぶしいほどの「憧れ」だったのだろう。当時の「主婦の友」では、美智子さまが皇室に新しく導入したライフスタイルをしばしば記事にしている。これまでの慣例(しかも皇室という日本の最古の旧家の)を上手に自分らしいスタイルに変えられていく美智子さまの姿は、多くの女性たちに未来への夢を与えたに違いない。



 実は過去3回、「ベストドレッサー賞」を受賞されている美智子さまは、女性たちの羨望の的・ファッションアイコンでもあった。当時の庶民には縁遠かったオートクチュールも見事に着こなしてしまう美貌とセンスは、いま見ても惚れ惚れしてしまう。皇太子ご夫妻時代からあらゆる国をご訪問されてきたが、訪問先への配慮を忘れない堂々たる日本のプリンセスは、世界の要人を魅了した。
 皇室に入った民間人として、ご苦労は並大抵のものではなかったことだろう。だが常に笑顔で、国民と皇室を繋ぐという重責を担われてきた美智子さま。日本の国民がなぜ皇室を大事に思い、さらに次世代にもその思いをつないでいけるのか。その理由の一つに「美智子さまの存在」があったことは間違いない。本の中の凛とした美智子さまのお姿にときめきつつ、その存在の大きさを実感し、あらためて感謝の気持ちを覚えるのだ。
via https://ddnavi.com/review/534825/a/


・【解説】 「三種の神器」、皇室が持つ謎の宝物
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48089944

・【図解】天皇陛下の日常
 https://www.afpbb.com/articles/-/3219341

・平成最後の記念!「元号」にまつわる場所に人が殺到している件
  https://matome.naver.jp/odai/2155654528230022801

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天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い-北野武,たけし流祝辞 はてなブックマーク - 天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い-北野武,たけし流祝辞

北野武監督(72=ビートたけし)が10日、東京・国立劇場で行われた式典「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」で、ユーモアを交えた祝辞を述べて、会場を沸かせた。
紋付きはかま姿で登壇し、出番になると、安倍晋三首相ら出席者に一礼して舞台中央に立った。
まずはおじぎをして、演壇にあったマイクにおでこをぶつけるおなじみのボケで笑いを誘った。さらに「祝辞」と言った後、上包みに書かれた言葉を読み出して「あっ、こっちじゃない」とボケを続けた。
ようやく、祝辞を読み始めるかと思ったら、終わりの部分から逆さまに読み始め「あっ、こっちだ」と言って再び笑いを誘い、その後、祝辞を読み始めた。
以下、祝辞全文
「お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします」

「私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて日の丸の旗を持ち、大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。母は私の頭を押さえ、『頭を下げろ! 決して上げるんじゃない』と、ポコポコ殴りながら『ばちが当たるぞ』と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、ばちが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました」

「私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。なぜか呼ばれた私に、両陛下は『交通事故の体の具合はどうですか』『あなたの監督した映画を見ています』『どうかお体を気をつけてください』『頑張ってください』と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました」

「ただ、今、考えてみれば、天皇陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです。また、おみやげでいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、わが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、1粒800円で売っております」

「5月からは、元号が『令和』に変わります。私がかつて居た『オフィス北野』も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて『令和』に対して『オフィス冷遇』にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました」

「私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。皇后陛下におかれましては『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました。お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです」

「平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。そのたびに、ニュースでは、天皇、皇后の両陛下が被災地を訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成28年8月、陛下は次のように述べておられます。『私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました』。国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちはひかれ、勇気と感動をいただきました。あらためて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。ありがとうございました」
[2019.04.10]
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201904100000587.html



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[図書] 平成の年間ベストセラーを振り返る はてなブックマーク - [図書] 平成の年間ベストセラーを振り返る

■1989(平成元)年
フィクション
・第1位『TUGUMI』(吉本ばなな/中央公論新社)
・第2位『キッチン』(吉本ばなな/ベネッセコーポレーション)
・第3位『栗良平作品集(2)一杯のかけそば・ケン坊とサンタクロース』(栗良平/日本ビジネスネット)

ノンフィクション
・第1位『すぐわかる図解版 消費税 こうやればいい』(山本雄二郎/青春出版社)
・第2位『消費税 実務と対策はこうする』(山本守之/日本実業出版社)
・第3位『人麻呂の暗号』(藤村由加/新潮社)

■1990(平成2)年
フィクション
・第1位『真夜中は別の顔(上・下)』(シドニィ・シェルダン/アカデミー出版)
・第2位『うたかた(上・下)』(渡辺淳一/講談社)
・第3位『TVピープル』(村上春樹/文藝春秋)

ノンフィクション
・第1位『愛される理由』(二谷友里恵/朝日新聞出版)
・第2位『「NO」と言える日本』(盛田昭夫、石原慎太郎/光文社)
・第3位『「1998年日本崩壊」エドガー・ケーシーの大予告』(五島勉/青春出版社)

■1991(平成3)年
フィクション
・第1位『血族(上・下)』(シドニィ・シェルダン/アカデミー出版)
・第2位『時間の砂(上・下)』(シドニィ・シェルダン/アカデミー出版)
・第3位『大地の子(上・中・下)』(山崎豊子/文藝春秋)

ノンフィクション
・第1位『Santa Fe 宮沢りえ』(篠山紀信/朝日出版社)
・第2位『もものかんづめ』(さくらももこ/集英社)
・第3位『ノストラダムス戦慄の啓示』(大川隆法/幸福の科学出版)

■1992(平成4)年
フィクション
・第1位『明け方の夢(上・下)』(シドニィ・シェルダン/アカデミー出版)
・第2位『国境の南、太陽の西』(村上春樹/講談社)
・第3位『真夜中は別の顔(上・下)』(シドニィ・シェルダン/アカデミー出版)

ノンフィクション
・第1位『それいけ×ココロジー(レベル1・2・3)』(それいけ!!ココロジー編/青春出版社)
・第2位『さるのこしかけ』(さくらももこ/集英社)
・第3位『わが友 本田宗一郎』(井深大/ごま書房新社)

■1993(平成5)年(※1992年まで「フィクション」「ノンフィクション」の2部門で発表。1993年に「総合」が新設)
・第1位『人間革命(12)』(池田大作/聖教新聞社)
・第2位『磯野家の謎』(東京サザエさん学会/飛鳥新社)
・第3位『マディソン郡の橋』(ロバート・ジェームズ・ウォラー/文藝春秋)

■1994(平成6)年
・第1位『日本をダメにした九人の政治家』(浜田幸一/講談社)
・第2位『大往生』(永六輔/岩波書店)
・第3位『マディソン郡の橋』(ロバート・ジェームズ・ウォラー/文藝春秋)

■1995(平成7)年
・第1位『松本』(松本人志/朝日新聞出版)
・第2位『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル/NHK出版)
・第3位『フォレスト・ガンプ』(ウィンストン・グルーム/講談社)

■1996(平成8)年
・第1位『脳内革命(1・2)』(春山茂雄/サンマーク出版)
・第2位『神々の指紋(上・下)』(グラハム・ハンコック/翔泳社)
・第3位『「超」勉強法』(野口悠紀雄/講談社)

■1997(平成9)年
・第1位『失楽園(上・下)』(渡辺淳一/講談社)
・第2位『ビストロスマップ 完全レシピ』(扶桑社)
・第3位『母の詩(うた)』(池田大作/聖教新聞社)

■1998(平成10)年
・第1位『新・人間革命(1・2・3)』(池田大作/聖教新聞社)
・第2位『ビストロスマップ KANTANレシピ』(扶桑社)
・第3位『ダディ』(郷ひろみ/幻冬舎)

■「ばなな現象」で幕を開けた平成
日本で初めて消費税3%が導入された1989(平成元)年。出版業界の平成は、吉本ばななブームで幕を開けました。
今回の記事ではトップ3のみ紹介していますが、同年の年間ベストセラーではフィクション第1位の『TUGUMI』、第2位の『キッチン』を含め、フィクション・ノンフィクションあわせて吉本ばなな作品計6作がトップ10にランクイン。1人の著者の作品がこれほど上位に名を連ねることは、これ以降、現在発表されている平成29年の年間ベストセラーまでありません。当時マスコミの間では、「ばなな現象」という言葉が飛び交いました。
なお当時の吉本ばななファンは、多くが若い女性たち。やはり「ブームは女性から」のようです。

■続いて起きた「シドニィ・シェルダン現象」
「ばなな現象」が落ち着きを見せた頃、「シドニィ・シェルダン現象」という言葉が生まれます。
シドニィ・シェルダン氏は、『顔』でデビューしたアメリカの小説家。第2作『真夜中は別の顔』の邦訳版が1990年に刊行され、同氏はその年から3年連続でフィクション部門第1位を獲得しました。
1992(平成4)年に発売された『明け方の夢』も、村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』を抑え、同年の年間ベストセラーフィクション部門第1位に。海外文学がこれほど多くの日本人に愛されることは、めったにありません。
映画化・ドラマ化された作品も多く、日本では浅野ゆう子さん主演の「血族」、中谷美紀さん主演の「ゲームの達人」「女医」などがよく知られています。

■今もなお“衝撃の写真集”として語り継がれる『Santa Fe』
1991(平成3)年のノンフィクション部門第1位は『Santa Fe』。当時人気絶頂だった宮沢りえ氏のヌード写真集です。
累計発行部数は165万部。近年でもっとも売れた写真集は、乃木坂46 白石麻衣氏の写真集『パスポート』(32万部)であり、『Santa Fe』の165万部はまさに驚異的。歴代第1位の記録として、今なお君臨しています。
今年8月に亡くなったさくらももこ氏の初エッセイ、『もものかんづめ』が発売されたのもこの年。同作は、『Santa Fe』に次いでノンフィクション部門第2位となりました。
ちなみに前年の1990(平成2)年には、「ちびまる子ちゃん(現象)」が新語・流行語大賞の流行語部門金賞に選ばれています。

■ノンフィクション作品の首位獲得が続く
1993(平成5)年、Jリーグの開幕と同年に、年間ベストセラーでは発表ジャンルが追加され、それにともない「総合ランキング」が新設されました。以降の3年間は、ノンフィクション作品が総合第1位を続けて獲得しています。
そして1995(平成7)年に起こったのが、阪神・淡路大震災、そして地下鉄サリン事件。
この年の総合第1位は、当時人気絶頂のお笑い芸人・ダウンタウン松本人志氏の著書『松本』。200万部突破のベストセラー『遺書』の続編にあたる作品で、この2冊は1997(平成9)年に『「松本」の「遺書」』のタイトルで文庫本にまとめられています。
また同年には、Windows 95の発売が世間を賑わせました。
それ以降パソコンの大衆化が進み、総合ランキングには入っていないものの『パソコン「超」仕事法』や『手にとるようにインターネットがわかる本』といったパソコン関連本がよく売れました。

■『失楽園』が空前の大ヒット
総合ランキング開設後、ノンフィクション作品の首位獲得が続いていた年間ベストセラー。初めて第1位を獲得したフィクション作品は、1997(平成9)年に刊行された『失楽園』でした。
『失楽園』は、渡辺淳一氏による“大人の不倫”を描いた恋愛小説。同作は発行部数300万部を突破、役所広司氏・黒木瞳氏主演による映画も大ヒットし、不倫することを「失楽園する」と言うまでになりました。
1998(平成10)年には『新・人間革命』の刊行が始まり、同作が総合第1位を獲得します。
ちなみに著者・池田大作氏は、1993(平成5)年の『人間革命』第12巻以来の首位獲得。平成の年間ベストセラーにおいて、総合第1位を複数回獲った著者は、氏を含めて3名います。あと2名については次回以降で発表しますのでお楽しみに。

■国民的アイドル「SMAP」の勢い
1997(平成9)年、1998(平成10)年において見逃せないのが、SMAPの存在。首位獲得とはなりませんでしたが、『ビストロスマップ 完全レシピ』『ビストロスマップ KANTANレシピ』がそれぞれの年で総合第2位にランクインしています。
CD売上がピークを迎え、「CDバブル絶頂期」といわれたのが1998年。この年、SMAPは「夜空ノムコウ」でオリコン年間シングルCDランキング第2位を獲得しています(第1位はGLAYの「誘惑」)。
via http://hon-hikidashi.jp/more/66413/


■1999年
・第1位『五体不満足』(乙武洋匡/講談社)
・第2位『ファイナルファンタジーVIII アルティマニア』(スタジオベントスタッフ編/デジキュー)
・第3位『日本語練習帳』(大野晋/岩波書店)

■2000年
・第1位『だから、あなたも生きぬいて』(大平光代/講談社)
・第2位『ハリー・ポッターと賢者の石』『〃 秘密の部屋』(J.K.ローリング/静山社)
・第3位『太陽の法 エル・カンターレへの道』(大川隆法/幸福の科学出版)

■2001年
・第1位『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン/扶桑社)
・第2位『ハリー・ポッターと賢者の石』『〃 秘密の部屋』『〃 アズカバンの囚人』(J.K.ローリング/静山社)
・第3位『奇跡の法』(大川隆法/幸福の科学出版)

■2002年
・第1位『ハリー・ポッターと賢者の石』『〃 秘密の部屋』『〃 アズカバンの囚人』『〃 炎のゴブレット』(J.K.ローリング/静山社)
・第2位『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』(向山淳子、向山貴彦/幻冬舎)
・第3位『生きかた上手』(日野原重明/ユーリーグ)

■2003年
・第1位『バカの壁』(養老孟司/新潮社)
・第2位『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一/小学館)
・第3位『トリビアの泉』(フジテレビ トリビア普及委員会/講談社)

■2004年
・第1位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(J.K.ローリング/静山社)
・第2位『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一/小学館)
・第3位『バカの壁』(養老孟司/新潮社)

■2005年
・第1位『頭がいい人、悪い人の話し方』(樋口裕一/PHP研究所)
・第2位『香峯子抄』(主婦の友社/主婦の友社)
・第3位『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉/光文社)

■2006年
・第1位『国家の品格』(藤原正彦/新潮社)
・第2位『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(J.K.ローリング/静山社)
・第3位『東京タワー』(リリー・フランキー/扶桑社)

■2007年
・第1位『女性の品格』(坂東眞理子/PHP研究所)
・第2位『ホームレス中学生』(田村裕/ワニブックス)
・第3位『鈍感力』(渡辺淳一/集英社)

■2008年
・第1位『ハリー・ポッターと死の秘宝』(J.K.ローリング/静山社)
・第2位『夢をかなえるゾウ』(水野敬也/飛鳥新社)
・第3位『B型自分の説明書』(Jamais Jamais/文芸社)

■最年少で総合1位を獲得した『五体不満足』 当時は大学生
世界に先駆け、携帯電話のインターネット接続サービスが開始された1999(平成11)年。この年の総合第1位は、乙武洋匡さんの『五体不満足』が獲得しました。
『五体不満足』は、「先天性四肢切断」という障害をもって生まれた自身の半生を綴った一冊。「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」という言葉にもあらわれていますが、乙武さんの前向きな姿勢は、多くの読者の心を打ちました。
刊行当時、乙武さんは早稲田大学在学中。平成の年間ベストセラー史上、最年少での総合第1位獲得です。

■激動のドキュメンタリーが大ヒット、そしてハリポタブーム到来
2000(平成12)年に大ヒットを記録したのが、『だから、あなたも生きぬいて』。暴力団組長の妻から一念発起し弁護士となった大平光代さんの自叙伝で、その壮絶な半生が世間を驚かすとともに、力強いメッセージで多くの人に勇気をもたらしました。
「ハリー・ポッター」シリーズがランクインし始めたのもこの頃。2001年には映画が公開され、国内に“ハリポタブーム”が到来します。
当時「ハリー・ポッター」に出合ったことで、読書が好きになったという人も少なくないはず。「物語を読む楽しさ」を知る入り口になった、偉大な作品です。
なお同シリーズは、日本がベッカムフィーバーに沸いた2002(平成14)年、ついに第1位に輝きます。平成の年間ベストセラー史上、児童書シリーズが総合第1位を獲得するのはこれのみです。

■21世紀に突入 『チーズはどこへ消えた?』がブームに
21世紀に入って最初の第1位は、『チーズはどこへ消えた?』。
普遍的で、子どもから大人まで読めるやさしい内容ではありますが、IBMやアップル・コンピュータ(現アップル)といった名だたる大企業が社員教育のテキストに採用したことで、“ビジネスマン必携の書”としても注目を集めました。
ちなみに、それから15年後の2016年、『チーズはどこへ消えた?』に再ブームが訪れます。
きっかけは、プロ野球の大谷翔平選手がインタビューで『チーズはどこへ消えた?』を愛読書に挙げたこと。大谷選手の人気もさることながら、これはやはり、時代が変わっても色あせない作品自体の力があればこそ。名著とは、“求められる時代”が繰り返し訪れるものなのかもしれません。

■『バカの壁』から始まった第四次新書ブーム
2003(平成15)年には、東京大学名誉教授をつとめる解剖学者・養老孟司さんの『バカの壁』が首位を獲得し、“第四次新書ブーム”が幕を開けます。
2005年からは3年連続で新書が総合第1位を獲得。特に2005(平成17)年は、第1位に『頭がいい人、悪い人の話し方』、第3位に『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』と、トップ3に新書が2作ランクインしました。
そのなかでも、前述した『バカの壁』の売れ行きは群を抜いており、刊行された2003年4月から53週連続で週間ベストセラー(新書ノンフィクション部門)第1位を獲得。それにストップをかけたのは、2004年4月に発売された同じく養老孟司さんの新書『死の壁』でした。
このときのブームを受け、2008年に「新書大賞」が創設されています(主催:中央公論新社)。

■「ハリー・ポッター」シリーズ堂々完結
2008(平成20)年7月には、「ハリー・ポッター」シリーズの第7作にして完結巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売されました。
シリーズ第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』の発売から9年。ハリポタブーム当時小学校高学年だった子どもがちょうど成人を迎える頃でしたが、この年の年間ベストセラーで堂々の第1位を獲得し、いかに多くのファンに愛されてきたかを見せつけました。
「ハリー・ポッター」シリーズの首位獲得は、2002(平成14)年、2004(平成16)年に続き3度目。前回の記事で「総合第1位を複数獲得した著者が3名いる」と紹介しましたが、J.K.ローリングさんがそのうちの1人です。
 via http://hon-hikidashi.jp/more/66844/


■2009(平成21)年
・第1位『1Q84(1・2)』(村上春樹/新潮社)
・第2位『読めそうで読めない間違いやすい漢字』(出口宗和/二見書房)
・第3位『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人 大冒険プレイヤーズガイド』(Vジャンプ編集部/集英社)

■2010(平成22)年
・第1位『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海/ダイヤモンド社)
・第2位『巻くだけダイエット』(山本千尋/幻冬舎)
・第3位『1Q84(3)』(村上春樹/新潮社)

■2011(平成23)年
・第1位『謎解きはディナーのあとで(1・2)』(東川篤哉/小学館)
・第2位『体脂肪計タニタの社員食堂』(タニタ/大和書房)
・第3位『心を整える。』(長谷部誠/幻冬舎)

■2012(平成24)年
・第1位『聞く力』(阿川佐和子/文藝春秋)
・第2位『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子/幻冬舎)
・第3位『新・人間革命(24)』(池田大作/聖教新聞社)

■2013(平成25)年
・第1位『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹/文藝春秋)
・第2位『医者に殺されない47の心得』(近藤誠/アスコム)
・第3位『聞く力』(阿川佐和子/文藝春秋)

■2014(平成26)年
・第1位『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』(槙孝子/アスコム)
・第2位『人生はニャンとかなる!』(水野敬也/文響社)
・第3位『銀翼のイカロス』(池井戸潤/ダイヤモンド社)

■2015(平成27)年
・第1位『火花』(又吉直樹/文藝春秋)
・第2位『フランス人は10着しか服を持たない』(ジェニファー・L・スコット、神崎朗子訳/大和書房)
・第3位『家族という病』(下重暁子/)

■2016(平成28)年
・第1位『天才』(石原慎太郎/幻冬舎)
・第2位『おやすみ、ロジャー』(カール=ヨハン・エリーン/飛鳥新社)
・第3位『ハリー・ポッターと呪いの子 第一部・第二部 特別リハーサル版』(J.K.ローリング、ジョン・ティファニーほか/静山社)

■2017(平成29)年
・第1位『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子/小学館)
・第2位『ざんねんないきもの事典』(下間文恵ほか/高橋書店)
・第3位『蜜蜂と遠雷』(恩田陸/幻冬舎)

■12年ぶりに国内小説が第1位
民主党が圧勝し、「政権交代」が新語・流行語大賞を獲得した2009(平成21)年、この年の第1位を獲ったのは、村上春樹さんの『1Q84』でした(※第1巻・第2巻)。

■国内小説の首位獲得は、1997(平成9)年の『失楽園』以来12年ぶり。
発売まで内容が明かされておらず、タイトルも内容を想像しがたい一風変わったもの。それによって読者の期待がいっそう膨らみ、発売日当日に爆発、発売直後から品薄状態が続いたことで、さらに話題は大きくなりました。
約1年後の第3巻発売時には、営業時間を変更して深夜・早朝から販売する書店が現れるなどし、この傾向は近年まで続くこととなります。

■「もしドラ」ブーム
「もしドラ」という言葉に聞き覚えのある方は多いはず。
これは2010(平成22)年に第1位を獲得した『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の略で、経営学者の名著をわかりやすい設定で、小説として描いた一冊です。
その内容は、「急きょ野球部のマネージャーをつとめることになった女子高生が、ドラッカーの『マネジメント』をもとに部員を甲子園へ導く」というもの。同作のヒットをきっかけに、日本では“ドラッカーブーム”が巻き起こりました。
出版元のダイヤモンド社では、同書が創業以来初のミリオンセラー。漫画・TVアニメ・映画とさまざまに展開された「もしドラ」は現在も発行部数歴代第1位の座に君臨しており、また、同作に主人公の愛読書として登場する『マネジメント【エッセンシャル版】』も非常によく売れました。

■本格ミステリーが初めて首位に
2011(平成23)年の第1位は、『謎解きはディナーのあとで』。2010(平成22)年に1作目が刊行、書店員の熱烈なプッシュを受け、店頭で大々的に展開されたことで発売から3日で重版が決定し、その後2011年4月に本屋大賞を受賞、10月に嵐の櫻井翔さん主演で連続ドラマ化、そして11月には2作目が刊行……と、大ヒットシリーズへの階段を駆けのぼりました。
『謎解きはディナーのあとで』は、本格ミステリー小説でありながら、魅力的なキャラクターたちの軽妙なやりとりで読ませる内容であること、人気イラストレーターの中村佑介さんが表紙を手がけていることなど、読者の裾野を広げる要素を多数もっている作品でした。
なお、本屋大賞受賞作で、かつ年間ベストセラー総合第1位を獲得した作品は、『謎解きはディナーのあとで』が史上唯一となっています。

■発売7日でミリオン達成
「村上春樹、『1Q84』以来の長編小説」ということでまたも話題になった、2013(平成25)年4月発売の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。発売からわずか7日でミリオンセラーを達成した同作は、やはりというべきか、この年の年間ベストセラー第1位を勝ち取りました。
ということで、この連載で紹介してきた「年間ベストセラー総合1位複数回獲得者」の最後の一人は村上春樹さんでした! 皆さん、正解しましたか?
ちなみにこの頃のベストセラーとしてもう一つ押さえておきたいのが、2012(平成24)年に第1位を獲得、13年にも第3位に輝いた、阿川佐和子さんの『聞く力』。新書の総合第1位獲得は、2007(平成19)年以来です。

■平成史上初、実用書が第1位に
国民的長寿番組「笑っていいとも!」が最終回を迎えた2014(平成26)年、平成の年間ベストセラー史上初めて、実用書が第1位を獲得します。
それは『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』。
「中居正広の金曜日のスマたちへ」(現在は「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に改題)をはじめ、多数の情報番組に取り上げられてブームに火がついた本書。「ふくらはぎをもむだけ」という手軽さとわかりやすさがお茶の間に受け、2013年7月の刊行から約1年で累計発行部数100万部を突破しました。

■お笑い芸人「又吉直樹」の快挙
その翌年、2015(平成27)年に第1位となったのが、お笑い芸人・又吉直樹さんの小説家デビュー作『火花』。「現役のお笑い芸人が純文学デビューした」ということで大変な話題になり、同作が発表された「文學界」2015年2月号は、1933(昭和8)年の創刊以来初めて増刷が行なわれました。
『火花』は単行本発売後、芥川賞受賞でさらに売上を伸ばし、芥川賞作品では歴代トップとなる累計250万部突破の大ヒットを記録。また“現役お笑い芸人の年間ベストセラー首位獲得”という点では、1995(平成7)年の『松本』(松本人志著)からちょうど20年ぶりのこととなりました。

■田中角栄ブーム、そして史上最高齢での首位
元内閣総理大臣・田中角栄の死去から23年が経った2016(平成28)年、角栄ブームが起きました。
書店店頭に『田中角栄100の言葉』をはじめ多くの“角栄本”が並ぶなか、第1位に輝いたのは、石原慎太郎さんによる『天才』でした。
かつて痛烈に批判していた“政敵 田中角栄”の生涯を描き、しかもタイトルが『天才』だということで注目を集めた本作。“ダーティーな政治家”というイメージを持っていた人も多いなか、庶民派な人柄やリーダーシップにスポットを当てたテレビ番組も多く放送されました。
そして翌年の2017(平成29)年に第1位を獲得したのが、『九十歳。何がめでたい』。著者の佐藤愛子さんは当時94歳で、史上最高齢での首位獲得となりました。
またこの年に目立ったのが、『弘兼流 60歳からの手ぶら人生』『100歳の精神科医が見つけたこころの匙加減』といった、高齢の著者による書籍。史上最年長で文藝賞を受賞しデビューした若竹千佐子さんの芥川賞受賞作、『おらおらでひとりいぐも』も話題になりましたね。
via http://hon-hikidashi.jp/more/67373/


■2018(平成30)年
・第1位:『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 羽賀翔一/マガジンハウス)
・第2位:『大家さんと僕』(矢部太郎/新潮社)
・第3位:『ざんねんないきもの事典』(下間文恵 徳永明子 かわむらふゆみ 今泉忠明/高橋書店)
・第4位:『モデルが秘密にしたがる体幹リセットダイエット』 (佐久間健一/サンマーク出版)
・第5位:『医者が教える食事術 最強の教科書』(牧田善二/ダイヤモンド社)
・第6位:『続 ざんねんないきもの事典』(下間文恵 徳永明子 かわむらふゆみ 今泉忠明/高橋書店)
・第7位:『頭に来てもアホとは戦うな!』 (田村耕太郎/朝日新聞出版)
・第8位:『ゼロトレ』 (石村友見/サンマーク出版)
・第9位:『君たちはどう生きるか(新装版)』 (吉野源三郎/マガジンハウス)
・第10位:『信仰の法』(大川隆法/幸福の科学出版)
・第11位:『新・人間革命(30・上)』(池田大作/聖教新聞社)
・第12位:『続々 ざんねんないきもの事典』(下間文恵 徳永明子 かわむらふゆみ 今泉忠明/高橋書店)
・第13位:『かがみの孤城』(辻村深月/ポプラ社)
・第14位:『極上の孤独』(下重暁子/幻冬舎)
・第15位:『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子/河出書房新社)
・第16位:『おしりたんてい みはらしそうのかいじけん』(トロル/ポプラ社)
・第17位:『日本史の内幕』 (磯田道史/中央公論新社)
・第18位:『九十歳。何がめでたい』 (佐藤愛子/小学館)
・第19位:『おしりたんてい あやうしたんていじむしょ』(トロル/ポプラ社)
・第20位:『大人の語彙力ノート』(齋藤孝/SBクリエイティブ)

via http://hon-hikidashi.jp/more/68808/
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天皇陛下のお言葉。平成最後の戦没者追悼式(全文) はてなブックマーク - 天皇陛下のお言葉。平成最後の戦没者追悼式(全文)

20180815
終戦から73年を迎えた8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、遺族約5500人が参列し、310万人の戦没者の冥福を祈った。
天皇陛下は2019年4月30日に退位することが決まっており、平成最後の追悼式となる。
式典では、正午に合わせて1分間の黙祷がささげられた。その後天皇陛下はお言葉で戦没者を追悼。2015年の戦後70年から加えた「深い反省」という表現は継続した。
お言葉の全文は以下の通り。
--------------
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にあたり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人びととその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来、既に73年。国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を偲ぶ時、感慨は今なお、尽きることがありません。
戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

via https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/14/the-end-of-war_a_23502437/

◇新たな皇室の時代築いた天皇陛下 戦争と向き合った在位30年
JAPAN-EMPEROR-
第2次世界大戦の終結から60年後、サイパン島の断崖の上で天皇皇后両陛下が静かに頭を下げた時、両陛下の祈りは、言葉よりも雄弁な、共感を呼ぶメッセージを人々に伝えた。
天皇陛下(今上天皇)は、30年にわたる在位中に、過去の戦争にゆかりのある多くの地を訪問した。2005年6月の訪問もその中の1つだった。他の訪問と同様に、両陛下は日本人だけでなく、米国人や韓国人の戦没者も慰霊した。
元宮内庁長官の羽毛田信吾氏はロイターのインタビューで、天皇陛下のこうした訪問について「私なりに解釈すれば、2つの意味合いがあると思う」と語る。「1つは犠牲になった人たちを心から悼む追悼の気持ち。もう1つは、先の戦争の悲惨な歴史を忘れてはいけないこと。後の世代、とくに戦争を知らない世代に伝えること。両陛下の後ろ姿は、悲惨な戦争の歴史を忘れてはいけないことを訴えている」。
羽毛田氏を含む、ロイターが取材した天皇陛下を直接知る6人は、昭和天皇が1989年1月7日に崩御されてから、天皇陛下がいかに平和・民主主義、和解のシンボルとして積極的な役割を果たされてきたかを語った。
政治には関与できないが、天皇陛下は、日本の戦争について理解の幅を広げた、と専門家は評価する。これは、日本人がその名の下に戦い「現人神」(あらひとがみ)とされた昭和天皇のレガシーからの決別でもあった。
現在84歳の天皇陛下は、来年、生前退位する。
退位は、中国、韓国との関係が緊張化している中で行われる。また、安倍晋三首相の保守的な政策スタンスから日本が右傾化していると見られることで、天皇陛下のレガシーも危機にさらされる可能性がある。
日本の政府首脳は、戦時中の日本の行動について反省と謝罪を繰り返してきたが、天皇陛下のお言葉は重みが違う、と専門家は指摘する。
城西国際大学のアンドリュー・ホバット客員教授は「天皇はローマ教皇のようなもの。天皇の言動は、象徴的なメッセージとなる」との見方を示す。
日本政府の謝罪は、これまで立場の異なる政治家によって否定されたり後退させられたりしてきたが、天皇陛下の言葉は一貫している、という。

■既成の枠にとらわれない
政府の謝罪についての著書があるダートマス大学のジェニファー・リンド教授は「人々は、両陛下が、戦争被害者に対し、真心をこめ、敬意を持って、象徴的、調和的なやり方で手を差し伸べようとしている、とみている」と述べた。
天皇陛下の友人や学識者によると、天皇陛下に戦後教育の基礎を授けるうえで影響があったのは、クエーカー教徒の家庭教師、エリザベス・ヴィニング氏と元慶應義塾大学塾長の小泉信三氏。小泉氏は多くの教え子を戦争でなくした。
天皇陛下の級友だった明石元紹(もとつぐ)氏は「今、日本の国民のほとんどが、陛下は優しく人に対して親切で、人のことを大変に想う天皇だと思っている。それは戦後のこと。戦争をやっている間は、象徴天皇ではなく日本全体を引っ張り戦争する、というのに近い立場だった」と話す。
理論的には、天皇陛下は憲法に違反しない限り、自分が言いたいことを言える立場にある。憲法は天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とし、国政に関する権能を有しない、と規定している。
実際に、外交に影響を与えるような発言は、慎重に吟味される。
1990年代に、ブリティッシュ・カウンシルの代表を務めていた際に天皇陛下と交流のあったマイケル・バレット氏は「天皇陛下と皇后陛下は、籠に閉じ込められた鳥だと言われていたが、天皇陛下は、鳥籠の扉を開けた」と話す。

■保守派の反撃
1990年5月、韓国政府は1910─1945年の日韓併合について、新天皇による謝罪を求めた。
与党は皇室が謝罪をすることに反対し、当時の海部俊樹首相が代わりに韓国の盧泰愚大統領に謝罪することを申し出た。
しかし、天皇陛下は、こうした際に沈黙を守った昭和天皇とは違う道を選んだ。渡辺允元侍従長は、ロイターに対し「天皇陛下は、日本が韓国の人々に苦しみを与えたということをはっきりさせたかった」と話す。
盧大統領を迎えた晩餐会で、天皇陛下はこう言った。「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」。
天皇陛下の即位から、しばらくの間は、日本の戦争責任をめぐる議論が盛んで、1995年の村山富市首相(当時)による謝罪(村山談話)を含め、日本政府の謝罪がたびたび行われた。
こうした謝罪や、学校で子どもたちに日本が戦時中に行ったことについて教えようとする試みは、「自虐的」な歴史を教えることで日本人のプライドやアイデンティティーを損なわせるとして、保守派からの大々的な反撃を引き起こした。
1992年、天皇陛下は近代の皇室として初めて中国を訪問した。国内の右派勢力は訪中に反発、中国の活動家は天皇陛下に謝罪を要求した。
天皇陛下は、中国で「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し、多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と述べた。
その翌年から、天皇陛下は戦争の舞台となった地への訪問を始める。最初の訪問地は戦争で多大な犠牲を払った沖縄だった。1995年からは長崎、広島などへの「慰霊の旅」を続けた。

■海外の戦地
戦後60年、天皇陛下は海外の戦地として、最初にサイパン島を訪問した。羽毛田元宮内庁長官は「(天皇陛下は)国内だけでなく、国外でも先の大戦で犠牲になった、日本人だけでなく、世界の人に対して慰霊したいということを、前から強くご希望だった」と振り返る。
同氏は「外国訪問は基本的に受身のことが多いが、この件に関しては、陛下の非常に強いご希望があり、その意味で異例な外国訪問だったと思う」と述べた。
天皇陛下は、高齢に加え、心臓手術や前立腺がんを患ったにもかかわらず、その後もこの戦地訪問を続けてきた。
1944年に激しい戦闘があったパラオのペリリュー島へは2015年に訪問、2016年にはフィリピン、今年は沖縄を再訪問した。
2015年8月15日の終戦70周年の戦没者追悼式では、戦争について「深い反省」との言葉を使い、これまでの「深い悲しみ」という表現から一歩踏み込んだ。
安倍晋三首相はこの前日に、「痛惜の念」を表すと述べつつも「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べており、天皇陛下の言葉は、安倍首相に対し婉曲に異を唱えたものだと受け止める向きが多かった。
82歳の誕生日に行った2015年の記者会見で、天皇陛下は「この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べた。
天皇陛下の後を継ぐ徳仁(なるひと)皇太子(58)は、天皇陛下と考えをともにする。しかし、皇太子が天皇に即位したあと、日本人の若い世代がどれほど天皇陛下の発言に影響を受けるかは不明だ。
終戦時に11歳だった父親とは異なり、皇太子は戦争を知らない。慶應義塾大の笠原英彦教授は言う。皇太子が天皇になった時に「『反省』と言われたら、多くの人は『何の反省?』と聞くだろう」。
via https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/08/30-19.php


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平成もはや26年…「平成」の様々な事件 はてなブックマーク - 平成もはや26年…「平成」の様々な事件

【閲覧注意】平成もはや26年…色んなことあったなぁ
via http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4653874.html

◇激動の時代「昭和」の様々な事件
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