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安室奈美恵、ラストステージは笑顔で締めくくった はてなブックマーク - 安室奈美恵、ラストステージは笑顔で締めくくった

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安室奈美恵(40)が今日16日をもって、芸能界を引退する。引退前日の15日には、沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで行われた「WE■NAMIE HANABI SHOW前夜祭~I■OKINAWA/I■MUSIC~」(■はハートマーク)に出演し、平井堅(46)らゆかりのあるゲストらと共演した。倍率が数百倍ともいわれるプラチナチケットをゲットした3500人の前で8曲を披露し、ラストステージを飾った。会場周辺をはじめ、故郷が最後の“安室フィーバー”に沸いた。
イベント開始から1時間50分後の午後7時50分。暗転したステージ上に姿を現した。「安室ちゃんだ!」。この日一番の大歓声が上がる。ポニーテール姿で、右腕部分にレースをあしらうなどアレンジした黒のイベントTシャツに、パンツルック姿。トレードマークの赤のニーハイブーツの安室スタイルで、歌い踊った。「さわげ沖縄~!」とあおりながら、この日出演した平井堅らとのコラボも交えながら8曲を披露した。
ラストステージは、故郷で音楽を楽しめるフェス形式を選んだ。タイトルにも「I■MUSIC」と入れた。6月3日のラストドームツアー最終日には「皆さんの素晴らしい毎日の中に、音楽が常にあふれているよう、心から願っています。これからもすてきな音楽に、たくさんぜひ出合ってください」と呼び掛けた。複数歌手が出演する音楽イベントも、08年8月の「a-nation」以来10年ぶり。「今日はどうもありがとうございます。参加してくださったアーティストの皆さんに大きな拍手をお願いします」と笑顔で握手した。
最後のあいさつは「この会場に来てくださった皆さん、本当に本当にありがとうございましたー!」。登場から約40分。笑顔で手を振りながらステージを後にした。会場のファンは涙ながらに、大きな「ナミエコール」で送り出した。安室と同じ那覇市の首里地区出身という山城花織さん(33)金城絵里奈さん(35)は「最後まで安室ちゃんらしく、予想外のこともあって印象に残った。いろいろな人や音楽に愛されていたんだと思いました」と話した。
沖縄には多くのファンが集まり、県内は安室フィーバー状態だ。那覇市内の安室に関する展示会では行列ができた。沖縄市のプラザハウスショッピングセンターで開催中の展覧会「Final Space」は、午前6時ごろから当日券を求める列ができ、オープンの午前11時と同時に完売。各地の観光名所や飲食店は、安室のツアーTシャツを着たファンであふれた。
今日16日には、安室の楽曲と花火がコラボした「WE■NAMIE HANABI SHOW」(ぎのわんトロピカルビーチ)が行われる。安室の出演予定はないが、チケットは即完売。引退当日までフィーバーは続きそうだ。[2018.09.15]

◆安室奈美恵(あむろ・なみえ)1977年(昭52)9月20日、沖縄県生まれ。スーパーモンキーズを経て、95年4月に「太陽のSEASON」でソロデビュー。10代歌手の記録を次々と塗り替え、96年7月発売のアルバム「SWEET 19 BLUES」の初回出荷305万枚は当時の最高記録。97年に結婚し、翌98年に長男を出産も02年に離婚。NHK紅白歌合戦には10回出場。今年5月に沖縄県民栄誉賞。
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201809160000109.html

・「騒げ、沖縄!」安室奈美恵、ラストライブで歌手人生最後の8曲
  https://www.sanspo.com/geino/news/20180916/geo18091605050013-n1.html

・沖縄で安室奈美恵さんラストライブ!アムロちゃんへの愛が街を包む。
 https://matome.naver.jp/odai/2153696212978111901

・安室奈美恵「沖縄ラストライブ」 サプライズゲストは不仲説の「山下智久」
 https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09152255/?all=1

・“奈美恵コール”止まず‥安室さんラストライブが大きな感動に包まれた
 https://matome.naver.jp/odai/2153697862184169301

・山Pサプライズ登場!安室奈美恵ラストライブが異例づくしだった!
 https://matome.naver.jp/odai/2153705179608497601

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◆安室奈美恵さん、懐かしの名曲を、CDジャケットで振り返ってみた
■Can you celebrate?
シングル売り上げ第1位。ウェディングソングやカラオケの定番として今でも多くの人に歌われ続けている。人生の転機を挟んだ1997年、98年にも紅白で歌った思い出の曲。
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■Don't wanna cry
シングル売り上げ第2位。史上最年少(当時19歳)でレコード大賞を受賞した曲。
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■Chase the Chance
シングル売り上げ第3位。1995年の紅白初出場で歌った思い出の曲。
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■You're my sunshine
シングル売り上げ第4位。「シー・ブリーズ」のCMソングに...!
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■a walk in the park
シングル売り上げ第4位。カセットテープの日立マクセル「UD」のタイアップ曲。この曲がリリースされた1996年は「アムラー」が流行語になった。
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■Body Feels EXIT
小室哲哉氏プロデュース第1弾シングル
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■NEVER END
九州・沖縄サミットのテーマ曲となった
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■say the word
小室氏プロデュースを離れた後のシングル
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via https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/15/namie-amuro-lastlive_a_23527813/

◆「みんなは“強い安室”を求めてた」 安室奈美恵は26年間、何を語ってきたのか? ~1992年のデビューから引退までのコトバ (by近藤 正高)
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■“歌ではなく、演技を選んだ”少女
 安室が芸能の道へ進むきっかけは、よく知られるとおり、小学生のときに沖縄アクターズスクールに入学したことだ。友達の付き添いで見学に訪れた彼女に、校長のマキノ正幸がずば抜けた才能を見抜き、特待生として入学させたという話は語り草である。
 もともと音楽にそれほど興味があったわけではない。入学当初は、歌とダンスではなく、演技のクラスを選んだほどだ。それが友達のやっている歌やダンスの授業のほうが楽しそうに思えてきて、クラスを変更してもらうと、しだいに興味が高まっていく。歌うことを仕事にできればいいなと初めて思ったのは、中学に入り、スクールのイベントに初めて出演したときだという。

■「私、絶対に成功してみせる」母に見せた涙
 1992年、アクターズスクールの生徒たちにより結成されたスーパー・モンキーズの一員としてシングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビュー。中学在学中は、沖縄と東京を往復しながら芸能活動をしていたが、卒業を機に上京する。このとき最後まで反対した母親は、出発当日の朝、安室からボストンバッグを力ずくで奪い取って止めようとした。だが、彼女は涙を流しながら「私、絶対に成功してみせる」と言ってバッグを取り返す。根負けした母は、ちょうど財布にあった2万円を渡すと、後ろ姿だけを見送ったという(『週刊文春』1998年5月28日号)。

 デビューしたあともけっして順風満帆ではなかった。ヒットに恵まれず、「沖縄に帰ろう」と何度も思ったという。ようやく1995年、安室奈美恵 with スーパー・モンキーズ名義による「TRY ME~私を信じて~」がヒット。同年4月には「太陽のSEASON」でソロデビュー、10月リリースの「Body Feels EXIT」より小室哲哉がプロデュースを手がけ、12月の「Chase the Chance」で初めてチャート1位を獲得する。以来、安室と小室のコンビは次々と大ヒット曲を生み出していった。

■「仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたい」
 しかし、華々しい活躍の裏で、どん底もたびたび味わった。結婚と出産にともなう1年間の休業から復帰した直後には最愛の母を失くす。悲しみを乗り越えたころには離婚。これと前後して、2001年には小室哲哉のプロデュースから離れ、音楽の方向性にも悩むことになる。後年、彼女は次のように当時を振り返っている。
《結婚も、出産で仕事を休むことも、何も怖くなかった。でも、母のことがあってからはずっと辛かった。なんでこんなに濃い人生なんだろう。もう仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていました。だけど、今がどん底だとすれば、これ以上悪くなることはないはず。そう思うと、少しずつ楽になれました》(『AERA』2008年5月12日号)


■「つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてた」
 2003年、安室はヒップホップやR&BのアーティストたちとコラボレーションしてSUITE CHIC名義でアルバム『WHEN POP HITS THE FAN』を制作。一緒に仕事をしたかった人たちと、やりたいことをやらせてもらった経験は、自己プロデュースに乗り出す大きな転機となった。ただ、そのなかでファンへの姿勢について考えさせられることもあった。
《当時、結婚と出産を経て、少し性格が丸くなっていた私は、やわらかいテイストの楽曲でいきたいと思っていたんですね。ところが、いざ楽曲を発表してみると、ファンの方が“あれ? なんか、ちょっと違う”って違和感を感じていて。つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてたんです。その反応を見た時、私は『私がやりたい音楽を貫くんじゃなくて、ファンの方が求めていることに応えたい』と思った。我を貫くこともできたのかもしれないけど、みんなの期待に応えることが、その時の私の中でベストだと思ったんです。あの選択があったからこそ、今の安室奈美恵がある。確実に、私のターニングポイントのひとつだと言えますね》(『MORE』2012年8月号)


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■「すべては“ライブ”を目がけてやっているんです」
 ファンの期待に応えることを何より大切にする彼女の姿勢は、ライブを重視することへとつながっていく。やがては活動のすべてがライブへと集約されていった。
《トレーニングはもちろん、曲を作ってレコーディングすること、CDをできるだけ多くの人に聴いてもらうこと……とにかく私がしていることすべては“ライブ”を目がけてやっているんです。ただ、それに気がついたのは20代後半、『PLAY tour 2007-2008』の時。すごく時間はかかりました》(『MORE』2010年5月号)

「PLAY tour 2007-2008」は、アルバム『PLAY』を引っ提げて2007年8月から半年間、日本を縦断したツアーだ。さらに翌08年7月、30歳にしてリリースしたベストアルバム『BEST FICTION』は売上が170万枚を超え、10代、20代、そして30代と“3年代連続”のアルバムのミリオン突破となる。国内のアーティストでは初の快挙だった。同アルバムにともなうツアーは、追加公演を重ね、女性ソロ歌手では最多の50万人を動員した。
 ことあるごとに「歌と踊りが一緒になったとき初めて自分が完成する」と語ってきた安室にとって、ライブこそ表現のすべてだった。今年2月から6月にかけて5大ドームをまわった最後のツアー「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」は約75万人を動員し、ソロアーティストにおける新記録を樹立。同ツアー終了後、彼女は《同じ楽曲を同じ空間で同じように楽しめるのは、コンサートでしか味わえないこと。私にとってはそれが一番楽しい時間でしたし、元気ももらえました》と語っている(『with』2018年10月号)。

■「30代が、もう本当に素晴らしく楽しい10年間だった」
 昨年の9月20日、40歳になった安室は、《私が長年心に思い、この25周年という節目の年に決意した事》として1年後の引退を発表するも、その理由については明言しなかった。ただ、かつて彼女は、ブレイクしてからも何度となく「沖縄に帰りたい」と思ったと明かしたうえで、こんなことを話していたことがある。
《ある時冷静に『私はいつやめるんだろう?』って考えたことがあるんです。そこで出した結論は、周囲と私の“やめよう”っていう気持ちが一緒になった時にやめようってこと。もし、お互いに『もう、いいよね』、『そうだね』って一致する時がきたら、そこがやめ時なのかなって思ったんです》(『MORE』2012年8月号)

 引退を決意したのは、ひょっとすると、「すべてをやりきったからやめてもいい」という思いを本人とスタッフなど周囲の人たちが共有したからなのかもしれない。それを証明するかのように、引退直前のインタビューでは、《30代が、もう本当に素晴らしい楽しい10年間だったんです。いろんなことが自由にできて。だから、ここから先はこの最高の10年をもとに歩いていけると感じているんです》と口にしている(『ViVi』2018年8月号)。

■「毎日ゲラゲラ笑っているおばあちゃんになりたい」
 同じインタビューではまた、将来についてこんなことも語った。
《毎日ゲラゲラ笑っているおばあちゃんになりたいですね。もう何がそんなに楽しいのかわからないってくらいちょっとしたことで笑っている、みたいな。
 ちょっとしたことが、本当は楽しいことなのに、それじゃあもう満足しない感じになってしまっていて、ちょっとしたことでは笑えない世の中は、もうみんな疲れすぎ!(笑)って思います》

 どん底と頂点、いずれも味わった者だからこその発言だろう。安室奈美恵は歌手時代のすばらしい日々を糧に、新たな一歩を踏み出そうとしている。
via http://bunshun.jp/articles/-/9024


・アイドルからアーティストへ=歌とダンス「悔いなく」
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 安室奈美恵さんがアイドルグループ「スーパー・モンキーズ」でデビューしたのは1992年。14歳の中学3年生だった。那覇市に生まれ、厳しいレッスンで知られた沖縄アクターズスクールで鍛えた本格的な歌とキレのあるダンスは当時のアイドルの枠を大きく超えており、またたく間にスターとなった。
 ソロとなった安室さんがさらに羽ばたく契機となったのは小室哲哉さんとの出会い。当時一世を風靡(ふうび)した「小室サウンド」との相性は抜群で、小室さんプロデュースの「Chase the Chance」「a walk in the park」などが次々にミリオンヒットした。
 ファッションリーダーとしても絶大な支持を集め、茶髪のロングヘアーに細い眉、ミニスカート、厚底ブーツという彼女のスタイルをまねる女性が続出し、「アムラー」と呼ばれる社会現象になった。
 代表曲「CAN YOU CELEBRATE?」を出した97年、歌の歌詞と重なるようにダンサーのSAMさんと結婚(2002年離婚)。98年は出産のため休業し、宣言通りきっちり1年で復帰。そんな生き方への共感も広がった。
 その後はR&B志向を強め、アーティストとしてステージパフォーマンスを磨き上げた。そこには子どもの頃憧れた米国R&B界のスーパースター、ジャネット・ジャクソンさんへの思いがあったのだろう。
 全国ツアー100公演をこなし、デビュー25周年を迎えた昨年9月、残り1年での引退を電撃発表。「長年心に思い、この25周年という節目の年に決意した」と、こだわり続けたステージを絶頂期に去る固い意志を表明した。
 今月10日、NHK番組で安室さんは「歌って、踊って、かっこいい歌手になりたいと思ってデビューした。それに向けて一生懸命毎日過ごしてきたので、やりきったというのはあります。ちゃんと悔いなく」と、駆け抜けた四半世紀をかみしめるように語った。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091500456&g=soc

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・ベスト盤は230万枚=最後まで記録ずくめ
 16日に引退する安室奈美恵さんは多くの記録を残した。18歳の初ソロアルバムに始まり、昨年11月のベスト盤「Finally」まで10~40歳代の全年代で売り上げ100万枚以上のアルバムを出したソロアーティストは彼女だけ(音楽調査会社オリコン調べ)で、息の長い人気ぶりを裏付けた。
 10代は3枚のアルバムがミリオンセラーになり、「SWEET 19 BLUES」は300万枚を突破。10代最後の1997年に出したシングル「CAN YOU CELEBRATE?」が作った邦楽女性ソロアーティスト歴代売り上げ1位記録の229万枚は今も破られていない。
 98年をピークに国内のCD販売は下降線をたどる。20代に入った安室さんもその影響を受けるが、それでもシングル曲は95年のソロデビューから昨年まで23年連続でオリコンチャートの10位以内に入り続けた。この記録もソロアーティストの歴代1位だ。
 引退表明からの1年間はブームが再燃。ベスト盤「Finally」の売り上げは今月までに230万枚を超え、今年2~6月のファイナルツアーを収めた映像作品も、音楽ジャンルでは過去最高の150万枚突破を達成した。社会現象を引き起こした「平成の歌姫」は、強烈な記憶とともに「記録」を残してステージを去る。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091500460&g=soc

・「思い出に残る作品に」=ライブDVDがミリオン突破-安室奈美恵さん
16日で引退する歌手の安室奈美恵さんのラストツアーを収録した「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」がDVDとブルーレイ合わせて発売初週で129万2000枚を売り上げ、音楽映像作品として初めてミリオンを突破したと5日、音楽調査会社オリコンが発表した。
 安室さんは「私にとって生涯忘れられない作品となりました。たくさんの思い出が詰まったこの作品、ファンの皆さんにとっても思い出に残る作品になっていたらうれしく思います」などとコメントを出した。[2018.09.06]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090600158&g=soc


・安室奈美恵さん 写真特集
 https://www.jiji.com/jc/d4?p=amr920&d=d4_ccc

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・「安室奈美恵さま これからも、あなたは私たちのHeroです」異例の広告にあふれる”愛”

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https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/15/amuronamie_a_23528470/

・[CM] #ALLFOR916「はじまり」篇、「ファンの歌声」篇


・[CM] #ALLFOR916「私たちのヒーロー」篇


・安室さん、笑顔でパフォーマンス=ラストライブ写真公表
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 15日に沖縄県宜野湾市で開催された安室奈美恵さん(40)のラストライブの写真が引退日となった16日、公表された。また、同日夜、同市のビーチで行われた花火ショーを安室さん本人が会場で鑑賞。浴衣姿で楽しんでいる写真も公表された。
 「I ※(※はハートマーク) music!」と書かれた黒いTシャツなどシックな衣装で登場した安室さん。共演者とダンスしながら笑顔を見せるなど、地元での最後のステージを楽しんでいる様子だった。ラスト曲「How do you feel now?」をこれまでをたどる映像をバックに歌うと、涙をぬぐう観客の姿があちこちで見られたという。

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 共演した平井堅さんは「最後までかっこよく潔い安室さんだったので、この先も楽しい人生を謳歌(おうか)してほしい」とコメント。同じ沖縄出身のバンドBEGINは「沖縄中が安室さんに包まれていて、改めてそのすごさを感じました。最後のステージに一緒に立てたのがうれしいです」とコメントを出した。[2018.09.17]

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via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091700116&g=soc


・[CM] 7 ELEVEN x namie amuro セブン・イレブンx安室奈美恵 「沖縄に来る」


・[CM] Hulu-We♡Namie|安室奈美恵一夜限定CM


◆1993年~2018年 安室奈美恵CM集




◆25th Anniversary History Movie (Japanese ver.) / NAMIE AMURO ~glorious days~


◆安室奈美惠 Music Video Collection Special 2018 ~Finally~


◆安室奈美恵 メドレー&ファッションの変遷 1995~2012


・花火観賞に最後のメッセージ‥安室奈美恵引退に芸能界からも労いの声
 https://matome.naver.jp/odai/2153711280135556701

・安室奈美恵、ファンとの25年を振り返る「一瞬でも心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しい」
歌手の安室奈美恵さんが9月16日、引退した。自身の公式サイトを通じて、「ファンの皆さまへ」と題したメッセージを公開した。
2017年9月16日、デビュー25周年を迎えたその日に、1年後に引退すると宣言し日本中を驚かせた。「私らしく2018年9月16日を迎えたいと思います」と発表した通り、ファンを大事にして駆け抜けた1年だった。
安室さんは今回公開したコメントの中で、「昨年引退を発表させていただいてからこの1年、1日1日を大切に過ごさせていただきました」と振り返る。ファンへの感謝の気持ちを繰り返しつづった安室さんは、「25年間ほんの一瞬でも ファンの皆さんの心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しく思います」と記した。
ラストイヤーを宣言し、ファンに「寄り添う」ための努力を惜しまなかったこの1年。
近年ではほとんどテレビ出演をすることのなかった安室さんだが、別れを惜しむファンの期待に応えるように、NHKの特番「安室奈美恵 告白」、「紅白歌合戦」などに出演。安室さんの大ファンを公言するタレントのイモトアヤコにサプライズする形で「世界の果てまでイッテQ!」(日テレ系)にも出演し、イモトとの対談を果たした。

■故郷の沖縄と、安室さん
沖縄にまつわるニュースもたくさんあった。
5月には、沖縄県から県民栄誉賞を授与され、当時知事だった故・翁長雄志氏に「日本のみならず世界の多くの人々を魅了し続け、若者のファッションリーダーとしても、一時代を築かれました。沖縄出身の歌手やタレントの草分け的存在となっています」とたたえられた。
8月半ばから引退までの1ヵ月間にわたり、故郷・沖縄の観光ブランド「Be.Okinawa」のPRに無償協力した。

■ミリオン連発、記録ずくめの1年に
もっとも大切にしてきた音楽活動も、記録ずくめだった。
最後のドームツアーを収録したライブDVD「namie amuro Final Tour 2018〜Finally〜」は予約販売段階でミリオンを突破。音楽映像作品のミリオンセラーは、史上初の記録だ。
11月に発売したベストアルバム「Finally」も同じくミリオンを記録。10代に発売した「DANCE TRACKS VOL.1」「SWEET 19 BLUES」「Concentration20」、20代に発売した「181920」、30代に発売した「BEST FICTION」に続いて、40代でもミリオンセールスを記録した安室さんは、日本国内アーティスト史上初の、4つの年代で続けてのミリオン突破を記録した。 
引退前日の9月15日には、故郷沖縄でラストライブに臨んだ。
安室さんは平井堅さん、山下智久さん、ジョリン・ツァイさん、DOUBLEとそれぞれコラボした楽曲を披露。全8曲を歌い、最後は、「How do you feel now?」で締めくくった。
文字通り、「1日1日を大切に」最後の日を迎えた安室奈美恵さん。ファンへの思いを「25年間ありがとうございました」の言葉に託した。
ファンに宛てたメッセージを以下に紹介する。
【コメント全文】
ファンの皆様へ
ファンの皆様、
いつも応援してくださりありがとうございます。
わたくし安室奈美恵は、
本日16日をもって引退致します。
昨年引退を発表させていただいてからこの1年、
1日1日を大切に過ごさせていただきました。
引退という選択をした私に対し、
ファンの皆さんにも色々な感情があったかと思います...
それでも、
最後は笑顔で送り出そうと思ってくださる
ファンの皆さんの優しさに心から感謝しています。
実りある25年間をファンの皆さんと過ごせた事、
応援してくださり、支えてくださった事、
改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
「ありがとうございました。」
25年間ほんの一瞬でも
ファンの皆さんの心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しく思います。
応援してくださったファンの皆様、
「25年間ありがとうございました。」

 安室奈美恵

■マスコミへの「お願い」は続く...。
有終の美を飾り芸能界を引退した安室さんだが、引退翌日の9月17日、公式サイトには「お願い...」と題されたメッセージが掲載された。
沖縄の家族や関係スタッフへの過度な取材を慎んで欲しいとお願いする内容だ。
安室さんは9月11日、公式Facebookページに全く同じ内容の「お願い」をつづっていた。
全身全霊で25年を駆け抜けた安室さんに、一刻も早く休息が訪れて欲しい。
 via https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/16/namie-comment_a_23529275/

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九州・沖縄の大橋4選 はてなブックマーク - 九州・沖縄の大橋4選

◇角島大橋
・山口県下関市~豊北町角島間の海士ヶ瀬戸
・2000.11.03開通、1,780m
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Wikipedia:角島大橋
じゃらんnet:角島大橋
・角島大橋|観光情報|山口県の旅行・観光情報 おいでませ山口へ
  http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/11030


◇古宇利大橋
・沖縄県国頭郡今帰仁村の古宇利島~名護市屋我地島の済井出
・2005.02.08開通、1,960m
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沖縄県道247号古宇利屋我地線:Wikipedia
じゃらん.net:古宇利島
・古宇利大橋|情報一覧|沖縄の観光スポット・サービス|沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語
  http://www.okinawastory.jp/spot/1321


◇伊良部大橋
・沖縄県宮古島市の宮古島~伊良部島
・2015.01.31、3540m
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Wikipedia:伊良部大橋
じゃらんnet:伊良部大橋
伊良部大橋 | 大日本コンサルタント株式会社


◇池間大橋
・沖縄県宮古島~池間島
・1992.02開通、1425m
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Wikipedia:池間大橋
じゃらんnet:池間大橋
・池間島ねっと - 観光情報[池間大橋]
  http://www.ikemajima.net/hasi.php


・きれいな海に長い橋。インスタ映え間違いなしのオススメの大橋を紹介
  https://matome.naver.jp/odai/2151730962844731101

 
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住民の生の声から見えてきた沖縄県民は真実を知らされていない! (by 兼次映利加) はてなブックマーク - 住民の生の声から見えてきた沖縄県民は真実を知らされていない! (by 兼次映利加)

■一億四千万円の七割が県外
今年の四月九日に設立された「辺野古基金」には、一週間で約四千六百万円、二週間では八千九百万円が寄せられた。この勢いはとどまることなく、五月七日までに一億四千万円余りの寄付が集まった。
基金の目的は米軍普天間基地の移設計画に反対することであり、集められたお金は県内外のみならず、国外のメディアにも意見広告を出すのに使われる。
共同代表に、人気アニメーション映画の監督である宮崎駿氏が就任するなど大きな話題となる一方で、寄付金の七割は県外からのものという報道もある。五月二日付の琉球新報ではこれを「新基地建設問題に対する関心が全国的な広がりを見せていることをうかがわせた。」と報じ、続けて準備委員会の新里米吉代表の「沖縄以外の人も何らかの形で辺野古の問題に関わりたいという意思表示でもある。心強い連帯の証しだ。」というコメントを紹介した。
たしかに、沖縄の問題を全国の人が我が事として捉えて支援をするのは良いことだが、集まった基金の七割が県外からのものだと聞いて私の頭にある事がよぎった。それは度々訪れる辺野古の浜辺にある違法テントの様子だった。

■反対運動に真の地元民なしの現状
昨年の春にテントを訪ねた時、中にいたのは女性二人、男性二人で、純粋な沖縄の人は男性一人だけだった。唯一受け答えをしてくれた女性は、最初に私が「地元の方ですか?」と訊ねた時は「そうです。近くに住んでいます」と話したが、十分ほど話して改めて「もともと沖縄の方ですか?」ときくと「もともと埼玉だけど、十年ぐらい前に初めて旅行で沖縄に来て、沖縄に興味を持った。仕事を定年退職して、今はこっちに住んでいるの。だっておかしいじゃない、沖縄に基地を押し付けるのは」とのことだった。
今、辺野古の地元に住んでいるのは間違いないのかもしれないが、やはりよく言われるように県外から遠・征・に来ている中の一人ということらしい。その女性の話が表すように、テントの中はカクレクマノミの絵や千羽鶴など、全国から支援に届けられた品々で飾り付けられていた。
一昨年にオスプレイ配備反対・基地移設反対を唱える者たちが宜野湾市役所前を占拠していた時も、テント内は同じように飾り付けられていた。そしてテーブルの上に置かれた芳名帳らしきノートには、訪問者の名前と住所、寄付金の額が記載されており、住所の九割は県外のもの......。移設に反対する人の中にはもちろん地元沖縄の人もいるが、多くは先の女性のように県外からの移住者であることがわかっている。
また県外どころか、基地を囲むフェンスにはハングル文字が書かれていたりすることからもわかるように、普天間基地移設を支持しているのは生粋の沖縄県民ではなく外部から来た人が中心となっている。
冒頭の「辺野古基金」の共同代表には、地元大手企業である金秀グループ会長の呉屋守将氏や、かりゆしグループ最高経営責任者の平良朝敬氏など数人が名を連ねるとは言え、外部からの寄付額が占める割合は、経過とともに更に大きくなるだろうと考えられる。資金も人員も、もはや世界中から小さな沖縄に集結され、覇権を勝ち取る代理戦争はますます激化する。今、沖縄の本当の地元民は蚊帳の外状態であるし、またそうなるようにコントロールされてきた。

■県知事選挙、県民の本音
「県知事選挙はもちろん行ったよ。移設以外に何がある?ジュゴンを選ぶか、自分の子の雇用を選ぶかとなったら、それは雇用をとるでしょう。母親は『なぜ沖縄だけに?』と言って反対しているけど、兄も僕と同じ考えだよ。同級生の間でも基地に反対の人はいないけど、ただ本当に自分の意思で投票しているのかと言えばそうではないね。沖縄の未来を考えて投じるんじゃなくて、付き合いの面は大きいね。僕が勤める業界では会社や取引先の繋がりが強くて、投票所の前に名簿を持って立っている人がいるんだよ。それで、誰が投票に来たかチェックをする。来てない人には『待ってるのに』と電話がかかってくる。そういう付き合いだね。」
そう話してくれたのは那覇市に住む三十代の男性だ。前回の県知事選挙と基地問題について訊ねた際の反応だ。また首里に住む二十代の女性は次のように話す。
「投票は行ったし、基地に反対なんて全然考えません!中国がこわいのを知っているから。私ははっきり言って、埋め立ても山の切り崩しも本当は嫌だけど、反対派の人たちは環境問題を訴えている割に糸満の埋め立てや他のゴルフ場建設には沈黙しています。そこにむしろ不信感を持ってしまう。それに環境問題を極めると、今の便利な生活はできなくなっちゃうしね。七十才近い母親は、『このままでは戦争になる』と言って基地には大反対です」
一方、社会や政治にまったく興味がないという県民ももちろん多い。
東風平町に住む二十代の男性は、「後から聞いて、投票あったんだー、みたいな感じ。全然興味ないし、基地に賛成も反対も無い。親は僕が小さい時から選挙があれば必ず行っていたけどね。トゥジ(妻)とそんな話をすることもないな。でも辺野古の現場で仕事をする時があって、反対運動をしている人たちを見たけど、暇だなあいつら、とは思った。変な歌とか歌っているし、平日の昼間から毎日あんなこと普通できないだろ。上司と話していて、金が絡んでいるんだろうなとは感じたよ」

■反基地は本当に民意?
また二十代の県職員は同じ質問に次のように答えた。
「労組からは翁長さんにいれるように頼まれていましたよ。知事が代わったからと言って方針が変わると、一貫性が無くなりますよね。国との関係も悪くなって、県庁内も雰囲気悪いですよ。今以上に反対の気運が高まったとしても、国と対立して勝つのは無理だし、翁長知事もそれは承知の上なんじゃないかな」
質問を続け、「基地の存在や移設問題の先に、日米同盟が左右される可能性があることを意識している人は近くにいますか?」と訊くと、「同盟を揺るがす可能性があることは、県職員もばかじゃないからわかっていると思います。むしろアメリカとの同盟を解消して、自立しながらアジアの国々と協力したいと考えている人は結構多いと感じます。周りには反対の人が多いですよ。移設反対の署名とかもあって、回覧でまわってきたりするとほとんどみんな名前を書いているんじゃないかな。上司もそれを見ますしね」
とのことだった。
この他にも、「アメリカが戦闘機のルートや飛行時間の夜間制限をきちんと守れば、もっと変わると思う」という意見や「裁縫教室の七十代の先生は『基地を造りながらアメリカはそのうち中国に寝返る』と話していた」という県民の思いを伝えてくれた声もあった。
このように地元の人に話を聞いていくと、沖縄の人が基地に対し、それほど強烈なアレルギーを持っているとは思えなかった。
在任中から一貫して「普天間基地の危険性の除去(移設推進)」と鉄軌道などの「地域振興」政策を訴えてきた、元名護市長の島袋吉和氏も、現在辺野古にあるキャンプ・シュワブはもともと地元の人が誘致をして建設されたと話していたし、辺野古近辺の人からは「昔この辺りは農村で、何も無かった。基地があれば地元は潤うし、雇用も増えたんだから今更反対と言うことはない」との話も多い。

■県民にも正しい情報が届いていない
ではなぜ、冷静な県民の声がかき消され、「沖縄=基地反対」または「沖縄」対「日本」のような構図が当然になっているのか。
一つの大きな問題として、沖縄におけるメディアの偏向の度合いがある。沖縄に詳しい人には目新しい情報ではないと思うが、沖縄の新聞・テレビ・ラジオは長年にわたり県民の目を隠し、耳を塞ぎ続けてきた。本土のようにいろいろな切り口を持つ新聞社が複数あれば読者のバランスも保たれるが、沖縄で大手の新聞を購読しようとすると輸送に時間がかかるため、その日の新聞が届くのは午後になってから、尚且つ購読料は本土の倍近くかかるという状況だ。これでは地元のメディアに頼るしかない。
そこへきて地元二紙は毎日同じように「基地が危険」、「オスプレイ反対」、「悲惨な沖縄戦」などのキャンペーンをしながら、裏では「読者の交換」もしている。それは何かと言うと、あるお宅で沖縄タイムスの販売員が三ヶ月の購読をとりつけたとする。すると沖縄タイムスの販売員は琉球新報の販売員に「ここは三ヶ月の購読をとったから、次はそのタイミングで営業に行くといい」というようにして、次回はその逆......と、それを繰り返して販売員同士でも共闘をしているのだ。
東京で朝日新聞と産経新聞を交互に購読するというパターンは聞いたことがないが、もともと沖縄の地元二紙の記事には大差がないため、読者も違和感なく受け入れることができるのだろう。連日、戦争の悲惨さと日本軍に対する憎悪を煽る記事を読み、反基地を訴える政治家を賞賛する報道のシャワーを浴びせられたら、沖縄の人でなくとも簡単に洗脳できるような気がしてくる。
同じことを毎日報じ続けているうちに、受け手はいつの間にか普天間基地が市街地にあることや、それによって危険と隣り合わせの生活を強いられている宜野湾市民の存在を忘れてしまう。
本来ならば沖縄のメディアは、「米軍基地や自衛隊が沖縄に戦争を招く」という論調だけでなく、各国の軍事費の増減や、近隣諸国での基地負担による問題と解決策や、環境に与える影響と打開策など、あらゆる角度から読者に情報を与えるべきだと思う。できればそれだけでなく、お隣の国、中国が周辺の地域を着実に侵略し、領土を広げ続けていることも我々沖縄県民に正しく伝えてほしい。
先に紹介した地元の方の中には、「翁長知事が市長時代、移設を容認していたことや集団的自衛権に前向きな考えだったのに、今はそれらに反対していることについてどう思いますか?」との問いかけに、「そのこと自体知らなかった」と驚く人もいた。また、「中国や北朝鮮では選挙も投票もなく、政治家を選ぶ自由もありません。選挙で政治家を選べるのは、実はありがたいことですね」と話しかけると、「そうなんだぁ」と目を丸くしていた。

■必要なのは「正しい情報」
もしもあの県知事選挙で、メディアが仲井眞前知事を「公約違反」とバッシングするばかりでなく、翁長知事の方針の転換についても公平に報じていたらどうだっただろうか。
あの名護市長選挙で、もしもキャンプ・シュワブ誘致の経緯や戦後沖縄で行われたジュゴンの乱獲が報じられていたらどうだったろうか。過ぎたことに「もしも」と考えを巡らせることには意味がないとわかりながらも、報道のあり方によって世論は多少なりとも変化すると思えてならない。
沖縄の人々はメディアやその背後にある思惑によって、真実を奪われている。そして野望を持った一部の人間によってあてがわれる情報を真実だと思い込まされて、思考を支配されている。強力な洗脳作戦のまっただなかにある沖縄の人の心を探るよりも、今本当に必要なのは正しい情報を一人でも多くの人に届けることなのだと思う。
沖縄だけではないが、中国がチベットや東トルキスタンに行っている非道の数々が新聞で報じられることはないし、日本が世界の国々にいかに愛されて尊敬されているかが伝えられることもない。戦前を含めて、日本がアジアで行った併合統治は、それまで約五百年続いた白人の植民地支配とも、現在の中国の近隣国侵略ともまったく異質なものだった。琉球賛美や大陸賛美も良いが、それだけでは沖縄は昔返りをすることはあっても栄えることはないだろう。
私たちは少しずつでも真実を伝え続けなくてはならない。メディアだけでなく教育現場にも洗脳の枝葉が伸び続ける中で、限られた媒体で発信していくのは地道な作業だが、決して怒らず、決して見放さず、私たちの想いと普段の活動がきっと沖縄の未来を照らすと信じて。
 via http://blogos.com/article/118053/
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