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[訃報] 『ちびまる子ちゃん」作者さくらももこさん、乳がんで死去 享年53 はてなブックマーク - [訃報] 『ちびまる子ちゃん」作者さくらももこさん、乳がんで死去 享年53

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WS001
 『ちびまる子ちゃん』で知られる漫画家のさくらももこさんが、乳がんのため15日に死去したことが27日、わかった。享年53。メディア向けの書面や公式ブログで発表された。
 書面では「さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます」と報告。
 さくらさんは1984年に漫画家としてデビュー。ブログでは30周年を迎えた際の言葉として「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」と紹介した。
 さらに「作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです」と呼びかけている。
 アニメ版でまるこの声優を務めるTARAKOも書面でコメントを発表。「早すぎます。まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです」と追悼した。
 なお、フジテレビは放送中のアニメについて「今後も変わらず放送を続けてまいります」としている。
 『ちびまる子ちゃん』が掲載された『りぼん』(集英社)の相田聡一編集長は「1986年8月号より連載開始した『ちびまる子ちゃん』は、たぐいまれなギャグセンスと、親近感あふれる登場人物、そして彼らへ注がれるまなざしの温かさが魅力で、瞬く間に一雑誌の枠を超える大人気作品となりました。その誕生の舞台となったことは編集部の大きな喜びです」とさくらさんに感謝。「早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子どもから大人まで、読者の皆さまの心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」と追悼した。
 さくらさんは1965年5月8日生まれ。静岡県清水市出身。大学在学中に漫画家デビュー。代表作は漫画『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『神のちからっ子新聞』、エッセイ『もものかんづめ』『さるのこしかけ』など。アニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌「おどるポンポコリン」の作詞も手がけた。
via https://www.oricon.co.jp/news/2118361/full/

◆さくらプロダクションからお知らせです。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。

「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)

作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。
これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。

さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日
via https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67300025.html

0hAaOpJedYHk5yCTOqsXFhGThUGCELagRGGHEJdAdfFGAHZQlOGnMTeA1NAy4DZwVGFDFNTyBCRCxdfR58EgsJUjZdKXwFRyBzTRpZYCtPExUPeFAETmtTLFUORXlbPVkQHDhRK1QLBX9Wag5PSm8G
国民的人気漫画「ちびまる子ちゃん」などで知られる漫画家のさくらももこさんが今月15日、乳がんのため亡くなりました。53歳でした。
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューしました。
昭和61年には自身の子どものころをモデルとした人気漫画「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートし、平成2年には民放でテレビアニメ化され、30年近くたった今も続く国民的な人気番組となりました。
アニメのエンディングテーマ曲の「おどるポンポコリン」はさくらさんも作詞を担当し、耳に残る印象的な歌詞などが話題となって大ヒット曲となりました。
その後、自身の体験をつづった「もものかんづめ」や「さるのこしかけ」などのエッセーもベストセラーとなったほか、独特のキャラクターが登場するギャグ漫画「コジコジ」もテレビアニメ化されました。
さくらさんの事務所によりますと、さくらさんは今月15日、乳がんのため亡くなったということです。
さくらさんの事務所は、平成26年にデビュー30周年を迎えた際のさくらさんのコメントを改めて発表し、「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」とファンや関係者に対して感謝の気持ちを伝えています。

■事務所のブログが伝える
さくらももこさんのオフィシャルブログには、「さくらプロダクションからのお知らせです。」というタイトルで、次のような書き込みがありました。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。

■昭和59年に漫画家デビュー
さくらももこさんは静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューし、昭和61年に代表作「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートしました。
「ちびまる子ちゃん」は、さくらさん自身の子どものころがモデルとなっていて、平成2年には民放でテレビアニメ化され、国民的な人気番組となりました。
出版社によりますと、さくらさんは漫画のほかにもエッセーの「もものかんづめ」がミリオンセラーとなったほか、作詞家などとしても幅広く活動していました。
さくらさんの事務所によりますと、平成26年にデビュー30周年を迎えた際、さくらさんは「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」というコメントを出していました。

■「ちびまる子ちゃん」は今も、不定期で連載
出版社の集英社によりますと、さくらももこさんの代表作である「ちびまる子ちゃん」は、昭和61年に漫画雑誌「りぼん」で連載が始まりました。
30年余りたった今も、不定期で連載が続いていて、物語として完結はしていなかったということです。
また、さくらももこさんの漫画家としてのデビューは、「ちびまる子ちゃん」の連載が始まる2年前の昭和59年で、「教えてやるんだありがたく思え!」というタイトルの漫画だったといことです。

■テレビアニメは30年近く続く
フジテレビによりますと、テレビアニメの「ちびまる子ちゃん」は平成2年1月に放送が始まり、現在まで30年近く続いているということです。
フジテレビは、次回放送予定の来月2日も以降も、放送を続けていくとしています。

■「りぼん」編集長「ご冥福をお祈りいたします」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、人気漫画「ちびまる子ちゃん」を連載していた集英社の「りぼん」の相田聡一編集長は、「心よりお悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」というコメントを出しました。

■TARAKOさん「早すぎます」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、アニメの「ちびまる子ちゃん」の声優、TARAKOさんは「『ご冥福を』とか言えないです。頭の中がぐちゃぐちゃです。早すぎます。今はただ先生の分身でもある小学三年生の子に、嘘(うそ)のない命を吹き込み続けることしかできないです。ももこ先生は『ありがとう』しかない恩人です」というコメントを出しました。

■出身地 静岡市ではまる子ちゃんをPR
さくらももこさんの出身地、静岡市は「ちびまる子ちゃん」の舞台が静岡市だということをアピールしようと、まる子ちゃん一家の「特別住民票」や、さくらももこさんが作詞した踊り、「まるちゃんの静岡音頭」を作ったりして、「ちびまる子ちゃん」と静岡市をPRしてきました。
また、静岡市によりますと今月中には、さくらももこさんがデザインしたマンホールのふたが市内に設置される予定だということです。
静岡市の田辺信宏市長は「突然のことで大変驚いています。静岡市のプロモーションには多大なるご協力をいただき、先日もマンホールを寄贈いただき市民も設置を楽しみにしていたやさきでした。さくらさんは地元のお祭りや動物園が大好きで大変地元愛にあふれた方でした。ご冥福をお祈りいたします」というコメントを発表しました。

■JR静岡駅前では悲しみの声
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身です。JR静岡駅前では悲しみの声が聞かれました。
親戚がさくらももこさんと同級生だという男性は、「親しみをもって見ていました。清水を代表する人なので、突然の知らせに驚いています」と話していました。
また、さくらももこさんと同じ短期大学を卒業したという女性は、「亡くなったということはインターネットのニュースで知り、驚いています。出身の短期大学が一緒で、漫画もよく読んでいました。年齢もまだ若く、海外でも人気があったので、まだまだ活躍してほしかったです」と話していました。

■ネット上では突然の死を悼む声
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、ネット上では、突然の死を悼む声が相次いでいます。
このうちツイッターでは、「今年いろんな方が亡くなられたけど、一番衝撃的。ご冥福をお祈りいたします」といった声や、「早すぎます。ビックリです。大好きでした」といった声など、突然の死に衝撃を受けたという投稿が相次いでいます。
また、「自分はコジコジも好きなのよ。もちろんちびまる子ちゃんはうちの娘も大好きだし本当に悲しい。さくらももこさん天国でもずっと書き続けて下さいね」などと「ちびまる子ちゃん」以外の作品やエッセーに触れ、惜しむ声も相次いでいます。

■「ケンタくん」も冥福祈る
さくらももこさんの代表作「ちびまる子ちゃん」では、サッカーJ1、FC東京の長谷川健太監督の幼少時代をモデルとした「ケンタくん」が登場します。
長谷川監督はさくらももこさんと同じ静岡県の旧清水市出身で、FC東京を通して「突然の訃報に驚いています。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを出しました。

■中国でも死を悼む声相次ぐ
漫画「ちびまる子ちゃん」は中国でも人気が高く、さくらももこさんが亡くなったことについて中国メディアは速報で伝えました。
インターネット上ではさくらさんの死を悼む書き込みが相次いでいて、このうち中国版ツイッターのウェイボーでは「私の最愛のちびまる子ちゃん。本当に大好きだった」とか「みんなに喜びや愛をもたらしてくれてありがとう」などといったコメントが寄せられています。
また「子どものときの思い出で、とても悲しい」や「泣きたい」といったコメントに加えて、ロウソクなどの絵文字を添えた書き込みも数多く見られます。

■香港でも速報
「ちびまる子ちゃん」は香港でも人気が高く、作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなったことについて、メディアは速報で伝えました。
香港各紙はさくらももこさんの略歴や物語の紹介とともに「『ちびまる子ちゃん』はアジアのファンに広く受け入れられた」などと伝えました。
ネット上ではファンから「ちびまる子ちゃんは私たちをたくさん楽しませてくれた。ありがとう」といった書き込みが次々に寄せられています。
香港では1990年代に香港の声優たちによるアニメの吹き替え版の放送が始まって以来、人気が高まり、イベントが開催されたり、文房具などの関連グッズが販売されたりしています。

■台湾では実写ドラマも
「ちびまる子ちゃん」は台湾で代表的な日本アニメの1つとして広く愛され、台湾版の実写ドラマが制作されたことがあるほど人気を集めてきました。
作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなったことについて、台湾メディアは速報で伝え「台湾の読者の愛は日本に負けない」などと見出しを打ったり「大ファンだった西城秀樹さんを天国でも追いかけているのだろう」と伝えたりして、突然の死を悼んでいました。
「ちびまる子ちゃん」では、主人公などがショックを受けた際に顔に縦線を描いて落胆ぶりを示す表現がありますが、台湾でも若者を中心に日常生活でショックを受けた時に「顔に3本線」ということばが使われるほど、「ちびまる子ちゃん」が広く浸透しています。

■「おどるポンポコリン」はミリオンセラー
音楽ソフトの売り上げを調べているオリコンによりますと、平成2年に民放でテレビアニメ化された「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ曲の「おどるポンポコリン」は、この年だけでおよそ130万8000枚を売り上げるミリオンセラーとなり、シングル曲の売り上げランキングの1位を記録しました。
さくらさんも作詞を担当したこの曲を演奏した「B.B.クィーンズ」は、この「おどるポンポコリン」で紅白歌合戦に出場しました。
オリコンによりますと、27日時点の累計売り上げ枚数はおよそ164万4000枚にのぼっています。

■「あなたの作詞作品を歌えてとても光栄です」
さくらももこさんが亡くなったことを受けて、アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディング曲「おどるポンポコリン」を歌った「B.B.クィーンズ」のメンバーがコメントを発表しました。
このうち、ボーカルを担当した坪倉唯子さんは「あまりに突然の訃報に言葉を失ってしまいました。楽屋に遊びに来てくれたさくらももこさんは、『ちびまる子ちゃん』から飛び出した『まさにまるちゃん!』な第一印象で、『おどるポンポコリン』の歌詞のお話しなどを聞かせて頂いて、とてもシャイな方なんだなあ、、、と思ったのを強くおぼえています。ももこさん、『ピーヒャラピーヒャラパッパパラパー』これからもみんなに楽しんでもらえるように大切に歌っていきます。あなたの作詞作品を歌えてとても光栄です。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
また、ボーカルとギターを担当した近藤房之助さんは「まさにB.B.クィーンズを生み出していただいたと言っても過言ではないさくらももこ先生には本当に感謝してもしきれるものではありません。いまだに音楽活動をさせていただいているのも『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマだった「おどるポンポコリン」にB.B.クィーンズの一員として参加させていただいたからで、それまでアンダーグラウンドの場で活動していた僕を、ほんのひとときでもメインストリームの場に押し上げていただいたことで、僕の事を知ってくれた数多くの方がいてくれたからだと思っております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180827/k10011596071000.html

・さくらももこ:Wikipedia

・さくらももこさん死去 まる子声優TARAKO沈痛「早すぎます」
WS002
 『ちびまる子ちゃん』の作者として知られる漫画家・さくらももこさんが、乳がんのため、15日に死去した。53歳だった。訃報を受け、主人公まる子の声優・TARAKOが故人を偲び、コメントを寄せた。報道各社に送られたFAXには「TARAKOさんは、この訃報に大変気を落とされているため、上記のコメントを持ちまして、直接の取材はご遠慮いただきますようご協力をお願い申し上げます」とつづられている。以下、コメント全文。
■声優・TARAKOコメント
『ご冥福を』とか言えないです。
ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです、はい。
病気だったこととか、本当になにも知らなくて
ごめんなさいしかないですごめんなさい。
早すぎます。
まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。
ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです。
今はただ先生の分身でもある小学三年生の子に、嘘のない命を吹き込み続けることしかできないです。
ももこ先生へ
私がそっちにいったら似たような声でいっぱいいっぱいお喋りしてくださいね。
そちらで楽しいこといっぱいいっぱいして下さいね。
優子ちゃんに会ったらよろしくです。
ももこ先生は「ありがとう」しかない恩人です。

via https://www.oricon.co.jp/news/2118362/full/

・昭和の日常描く「ちびまる子ちゃん」 平成を駆け抜けた
 国民的な人気アニメ「ちびまる子ちゃん」を生んだ漫画家のさくらももこさんが乳がんで亡くなった。日曜夜の放送開始から28年。原作のシリーズ累計発行部数は約3200万部に達する。昭和の時代の個人的な経験が色濃くにじんだ作品は、多くの人に愛されて平成という時代を駆け抜けた。
 「ちびまる子ちゃん」は、1970年代の静岡県清水市(現静岡市清水区)に暮らす山口百恵好きのおっちょこちょいな小学3年生・まる子が主人公。いつも味方になってくれる祖父の友蔵(ともぞう)や酒好きの父ヒロシ、叱り役のお母さん、ドライな性格のお姉ちゃんらの3世代6人家族に、親友のたまちゃん、お金持ちでキザな花輪クン、学級委員になることに全てをかける丸尾君ら個性的なクラスメートが加わって繰り広げる昭和のほのぼのとした日常を描く。連載は86年に始まり、90年のアニメ化で爆発的な人気に。同年10月に最高視聴率39・9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、平成のお茶の間で絶大な支持を集めた。
 漫画などのサブカルチャーに詳しい評論家、中森明夫さんは「平成の初期はバブル崩壊や阪神大震災、オウム事件と暗い話題が多かったが、人々は昭和のように上昇しなくても、身の回りの楽しみ、小さな喜びを見つけていったのではないか。ちびまる子ちゃんはそんな時代を象徴する番組だった。SMAP解散、安室奈美恵引退と続き、平成の終わりを感じる」。
 アニメが放送25周年を迎えた2015年、さくらさんは朝日新聞の書面インタビューに答え「こんなに長いこと、(作品を)可愛がっていただけて感謝しかありません」と記していた。「(主人公の)まる子をコツコツと描いてゆきたいし、漫画やエッセーのほか今、歌の作詞の仕事も力を入れてやっています。作詞での音楽活動が広がりつつあり、忙しいけれど楽しい毎日です」ともつづり、「ますます楽しい作品をお届けできるように、私もアニメチームもがんばって創作致します」とさらなる活動にも意欲を見せていた。今年5月には「ちびまる子ちゃん」に度々登場する歌手、西城秀樹さんの死去翌日にブログを更新。「私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした」などとつづっていた。病気については公表していなかった。
 53歳の早すぎる死に、悲しみの声が広がる。アニメでまる子の声を演じる声優のTARAKOさんは「ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです。病気だったこととか、本当になにも知らなくてごめんなさいしかないです。早すぎます。まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです」などの追悼コメントを出した。

■さくらさんの出身地でも悼む声
 さくらさんの出身地、静岡市清水区にある「ちびまる子ちゃんランド」は、27日も多くのファンらが訪れた。名古屋市から来たちびまる子ちゃんの大ファンという主婦、菊川恵子さん(41)は亡くなったと聞いて「ショックです。本当ですか?」と肩を落とした。
 小学生の頃から毎月「りぼん」で読み、アニメも録画して欠かさず見てきたという。「現実味のある世界がモチーフで、親近感があった。寝ながらお菓子を食べたり宿題をさぼってお母さんに怒られたり、自分と照らし合わせられるところが多かった」と語った。
 さくらさんの実家は同区で八百屋を営んでいたという。その近くで商店を経営する60代の女性はテレビの速報で訃報(ふほう)を知り、「ももこちゃん、まだ若いのに」と驚いた。
 アニメ放映当初、「まる子」が立ち寄る神社や菓子店を見て、「これはあそこだ」と喜んだ。アニメの人気が定着すると「まるちゃんの家はどこですか」と訪ねてくる観光客が増え、さくらさんの実家近くに大型バスが乗り付けることもあったという。「両親やおじいちゃん、おばあちゃんも、よく似ていた。一番身近で、日常の物語だった」と惜しんだ。
via https://www.asahi.com/articles/ASL8W77QDL8WUCLV00W.html

・「コジコジは、コジコジだよ」。名言の数々に、さくらももこさんの哲学が詰まっていた。
 https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/27/kojikojiwa-kojikojidayo_a_23510107/

・さくらももこさん死去・りぼん編集長が追悼 一雑誌の枠を越えた
 漫画家・さくらももこさんの訃報を受け、代表作「ちびまる子ちゃん」などを連載した少女漫画雑誌「りぼん」(集英社)編集長の相田聡一氏が、故人をしのぶコメントを書面で発表した。
 「ちびまる子ちゃん」は「りぼん」1986年8月号より連載開始。相田氏は「たぐいまれなギャグセンスと、親近感あふれる登場人物、そして彼らへ注がれる眼差しの温かさが魅力的で、瞬く間に一雑誌の枠を越える大人気作品となりました。その誕生の舞台となったことは、編集部の大きな喜びです」と功績を振り返る。
 享年53歳という早すぎるさくらさんの死に、相田氏は「このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありません」とコメント。「まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」と感謝をつづった。
 また、フジテレビ系で放送されているテレビアニメ版のスタッフも追悼のコメントを発表。「大好きな、大好きな、さくらももこ先生が天国に旅立ってしまいました。もっとさくらももこ先生と一緒に新しい物語や面白い展開を考えていきたいと思っておりましたが、あまりにも早い旅立ちでスタッフ一同、心から悲しく思っております」とつづった。
 番組開始から29年が経過。キャストだけでなくスタッフにも、番組当初からかかわる者がいるといい、「日々の制作の中で笑ったり、泣いたり、とても楽しく取り組んで来られたのは、さくら先生が見守って下さっていたからだと思います。これからも私達スタッフ・キャスト一同で、さくら先生が天国で見守って下さることを感じながら、面白い『ちびまる子ちゃん』を制作していきたいと思います。さくらももこ先生、本当にありがとうございました」と感謝を述べている。
 株式会社さくらプロダクションによると、さくらさんは、8月15日の午後8時29分に乳がんのため死去。享年53歳だった。
 via https://www.cinematoday.jp/news/N0103178

・さくらももこさん死去…記憶に残る偉大な作品の数々
  https://matome.naver.jp/odai/2153539256022983301

・【訃報】さくらももこさんへの追悼メッセージまとめ / 各界から悲しみの声が続々
 https://rocketnews24.com/2018/08/28/1108359/

・テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』だけじゃない!「さくらももこ」の映像作品
 https://matome.naver.jp/odai/2153541289026660601

c918dbbe68bd6ec39b22711ac976f903109902fa1535431869

・亡くなったさくらももこさん 地元・静岡へ「最後の贈り物」
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 「ちびまる子ちゃん」の作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなった。自身が生まれ育ち、「ちびまる子ちゃん」の舞台になっている静岡をこよなく愛したさくらさん。近年は静岡市のプロモーション活動にも積極的に取り組み、8月には、ちびまる子ちゃんを描いた2つのマンホールの蓋を静岡市に寄贈したばかりだった。
 富士山をバックにちびまる子ちゃんを描いたマンホールの蓋。赤い帽子バージョンと黄色い帽子バージョンの蓋がそれぞれ一つずつ計2つが静岡市に寄贈された。市によると、寄贈はさくらさん側から申し入れがあったという。デザイン化が流行りにもなっているマンホールの蓋。人気作品をデザインしたマンホールの蓋はほかでも見られるが、作家側が発案し、デザイン化して自治体に寄贈するケースはあまり聞かない。市によるとさくらさんは寄贈にあたりこんなコメントを寄せたという。
 「マンホールの蓋に色んなデザインがある事を知り、静岡にまる子のマンホールがあれば可愛いなと思い、静岡市さんにご相談させて頂きました。今回、『お茶、富士山、駿河湾』をコンセプトに、2つのマンホールが出来ました。静岡市で長く使用して頂けると嬉しいです。そして、静岡市民の皆さんには、いつもあたたかいご声援をいただき、本当にありがとうございます! まる子デザインのマンホールの蓋も、みなさんに喜んで頂けると嬉しいです」
 静岡市によると、市とさくらさんとは、2007年に静岡市が都市問題をテーマにした会議を開催した際、静岡市をPRするイラストをさくらさんに相談したことから交流が始まったという。以降、静岡市のシティプロモーションにさくらさんのイラストが使われるようになり、さくらさんも熱心に静岡市のシティプロモーションに取り組んだ。
 イラストは、来客者などへの贈答品として市がつくったメモ帳やボールペン、クリアファイルから職員用の名刺まで様々なシーンで使われ、種類も増えて現在は20種類もある。シティプロモーション用のイラストに描かれている少女は、ちびまる子ちゃんに似ているが実はさくらさん本人の自画像とのこと。アジアをはじめ海外でも人気のちびまる子ちゃんだけに、ちびまる子ちゃんを思わせるイラストは多くの人たちの興味をひき、静岡のイメージアップに大いに貢献してきた。
 さくらももこさん逝去の報道を受けて、静岡市庁舎や清水港のエスパルスドリームプラザ内にある、ファンの聖地とされる「ちびまる子ちゃんランド」には献花台や記帳台が設けられ、訪れた多くの人たちがさくらさんの冥福を祈った。
 25歳の女性は「母親がもっていたマンガの中にちびまる子ちゃんがあって、それがきっかけでファンになりました。さくらさんを尊敬していたので、亡くなったのはとてもショックです」と話していた。
 静岡市では、さくらさんから寄贈されたちびまる子ちゃんを描いたマンホールの蓋を、近くJR静岡駅近くの繁華街とJR清水駅西口のマンホールに設置して、さくらさんの思いを市民やファンに届ける予定だ。
via https://thepage.jp/detail/20180829-00000001-wordleaf


・爆笑問題、さくらももことの出会いと感謝を語る 「爆チューはさくらさんのおかげで知られた」
  https://sirabee.com/2018/08/29/20161769885/
 http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-22063.html
 http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-22064.html

・Twitterで話題!「ちびまる子ちゃんの神回」5選
 https://matome.naver.jp/odai/2153570491033543901

・予定を変更『ちびまる子ちゃん』さくらももこさん追悼回に感動の声
 https://matome.naver.jp/odai/2153588344499679801

◆さくらももこが遺してくれた数々の名言をもう一度!「オレ達 ただモーレツに生きてるだけさ」あの独特の人生観を振り返る
『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』などの人気作品を生んだ漫画家のさくらももこさんが8月15日に乳がんで亡くなった。享年53。
 さくらさんの作品は、可愛らしくてほのぼのしているだけでなく、時にはシニカル、時にはシュール、時にはブラックであり、さらにはバカバカしいものを愛でる楽しさ、好きなことをやり続ける大切さ、独特の人生観などについて伝え続けていた。ここではさくらさんの作品の数々の印象的なセリフを振り返ってみたい。

■ぎょっとする子どもの本音 「ちびまる子ちゃん」の名言・珍言
なんの収穫もない行為のむなしさにも気づかずに
生きていけるって すばらしい
~『ちびまる子ちゃん』1巻

大みそかに大掃除をするさくら家の人々。案の定、まる子、父・ヒロシ、祖父・友蔵は片付けの途中で大いに遊んでしまう。母・すみれに思いっきり叱られた3人は、自分たちが散らかしたゴミを片付けて「オレたちもやればできる」と大喜び。そのコマに添えられたナレーションがこれ。さりげなさすぎてスルーしてしまいそうになるが、なんとも味わい深い。1巻からこの調子である

よし ブスは無視して美人の方にたよろう
~『ちびまる子ちゃん』3巻

静岡のおばあちゃんの家を一人で訪ねようとして迷子になってしまうまる子。涙を流して不安がっていたはずなのに、いきなりむき出しの子どもの本音を読者にぶつけてくるので、思わずこっちがうろたえてしまう。こんなセリフ、少女漫画で誰も見たことがなかったはず。

宿題なんていつでもできるよ
それより今を大切にしなきゃ
~『ちびまる子ちゃん』4巻

楽天的で怠け者のまる子の生き方が凝縮された言葉。こんなことを言って、いつもお母さんに叱られているが、まる子の生き方は本当に楽しそうだ。

■名言・珍言に光る脇役たちの魅力
おれはぜんぜんこわくないね
死ぬときゃ死ぬんだ
先のことを悲嘆するより
今 この酒がうまけりゃいいんだ
~『ちびまる子ちゃん』8巻

まる子の言動は、おっちょこちょいで軽口ばかりたたいている父・ヒロシそっくり。この言葉には「これがヒロシの人格の全てである」というナレーションが添えられている。全てって……。頼りがいはまったくないけど、立派なことばかり言っている父親よりいいかもね。

未来や過去に束縛される生き方は自然じゃないさ
肝心なのは今なのさ
~『ちびまる子ちゃん』8巻

1999年に世界が滅亡するというノストラダムスの大予言にうろたえるまる子たちに、お金持ちの花輪くんがさらりと一言。「明日は自分でつくるものなのさ」というセリフもカッコいい。さくらさんは花輪くんが大のお気に入りだった。

■ひとりの漫画家としての苦悩も名言に
やりたい事がやれない時期は
本当の夢が見つけられる絶好のチャンスです
~『ちびまる子ちゃん』4巻「夏の色もみえない」

『ちびまる子ちゃん』の巻末に収録されていた自伝的要素の強い「ももこのほのぼの劇場」のファンという読者も多い。「夏の色もみえない」は高校受験を控えた中3の夏休みの様子を描いた作品。
勉強をしなければと焦りながらも、結局は怠けてしまうわけなのだが、そんなもどかして辛い時期をさくらさんは「夢の育成期間」と呼ぶ。やりたいことがやれる時期は手頃な娯楽でごまかされがちだが、やりたいことがやれない時期はどうしても自分と向き合うことになる。これは子どもも大人も一緒なのかもしれない。

私は漫画家になりたい。
他の職業じゃなくて、漫画家になりたい。
……うん、きっとなれる。
これは気のせいなんかじゃない……‼
~『ひとりずもう』下

自伝エッセイをコミック化した『ひとりずもう』は、思春期のさくらさんが恋に悩んだり、親友のたまちゃんと将来について語り合ったり、夢だった漫画家に向けてひたむきに走りはじめる様子をリリカルに描いた作品。心配するお母さんに向かって言った「水の泡になってもいいっていう覚悟でやってるんだよっ」というセリフも印象深い。

■「なにがしあわせってそりゃあ」
冗談じゃないよ
わたしの人生はわたしのものだよ
この子の人生とは別モノだからね
でも仲よくしていきたいね
~『ちびまる子ちゃん』12巻

まる子がコジコジと一緒に未来の漫画家になった自分に会いに行くエピソード「まる子 じぶんの未来を見にゆく の巻」より。アトリエで生まれたばかりの子どもの世話をしている未来のまる子――漫画家になったさくらさん自身が、コジコジに「子供のために人生ささげるってかんじ?」と聞かれて、きっぱりとこう答える。さくらさんの親子観がよく表れた言葉だ。

りっぱな家もいいけど
なにがしあわせってそりゃあ
みんな元気で楽しく暮らせるってこと
ねーえ
~『ちびまる子ちゃん』1巻「うちはびんぼう」

実は祖父が意地悪だったことを明かしていたさくらさんだったが、数々のエッセイなどを読めば、家族の仲は非常に良かったことがうかがい知れる。デビュー直後に発表された「うちはびんぼう」でも、「びんぼう」で「まぬけ」な家族の姿を描きつつ、てらいなく家族への愛情を表している。

■メルヘンチックでブラックな「コジコジ」の名言
コジコジだよ
コジコジは生まれた時から
ずーっと
将来もコジコジはコジコジだよ
~『コジコジ』1巻

さくらさんの『ちびまる子ちゃん』に次ぐ代表作が『コジコジ』だった。メルヘンチックなのに、ブラックでシュールなナンセンスギャグが飛び交う独特の世界に、熱狂的なファンも多い。
第1話でテストの点が悪いコジコジが、メルヘン学校の担任教師に「将来一体何になりたいんだ」と問われたときの答えがこれ。コジコジの言葉のあまりの「真理」ぶりに教師は負けを認めてしまう。どんな生き方をしようが、お金があろうがなかろうが、どんな仕事をしようが、自分は自分。何も変わらない。人生を難しく考えすぎる人たちにとっては、すーっと気持ちが楽になる言葉だ(ただし、コジコジの友達の次郎は同じことを母親に言ってぶん殴られた)。

飛べない時はゆっくり休めばいいじゃん
仕方ないよ
飛べないんだからさ
~『コジコジ』2巻

コジコジが突然飛べなくなってしまったお正月の精・正月くん(お正月が楽しいのは彼のおかげらしい)におくったコジコジの言葉。絶対に休めない日だとわかっているんだけど、無理したってできないものはできない、という正しいアドバイスだ。「休もう」と決意した正月くんは、気持ちが楽になって飛ぶことができるようになった。

は? 役に立つかどうか?
どうでもいいじゃん そんな事
オレ達 ただモーレツに生きてるだけさ
~『コジコジ』3巻

カエルのトミーに誘われて田んぼに遊びに来たコジコジたち。しかし、人間のジョニーは田んぼの中で跳ね回るだけのカエルたちの遊びにどうしても意義が見出だせなかった。そんなジョニーにカエルたちが放ったのが上のセリフだ。
意味や意義なんてどうでもいい。他人からどう思われようとも、好きなこと、バカバカしいことを愛してやまなかったさくらさんの生き方がよく表れている。カエルたちの次の言葉もカッコいい。「役に立つかどうかなんてさ あとから誰かが言う事だろ オレたちゃ 誰かの言う事より 自分の事は自分で決めるさ」。

■さくらももこさんにとっての「クール」とは
ムダなことをせず
更に他人に迷惑をかけず
自由に自分の人生をのびのび生きるのが
クールといえるかもな
~『コジコジ』4巻

さくらさんの親友だった作家の吉本ばななさんは、さくらさんのことを「だれよりもクールで楽しいことが大好きだった人」と振り返っている(note 9月2日)。さくらさんは『コジコジ』で「クール」をこのように定義していた。きっと、自ら「クール」であることを意識していたのだろう。そして、天真爛漫でマイペースでムダなことばかりしているように見えるコジコジは、実は誰よりも「ムダがない」、つまり「クール」な存在なのだ。

わたしは一生バカだよ
バカは死ぬまで治らないんだから
そうと決まればバカとして
明るく元気に生きてゆくしかないよ
~『ちびまる子ちゃん』12巻

開き直りのようだが、とても清々しく聞こえる言葉だ。まる子は無理やり賢くなろうなんて思わず、バカを貫いて漫画家になり、日本全国を明るくほのぼのとした、時折ダークでひねくれた笑いで包んでくれた。さくらさん、本当にありがとうございました。

via http://bunshun.jp/articles/-/8933


◇「さくらももこさん ありがとうの会」 TARAKO、まる子の声でメッセージ
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 『ちびまる子ちゃん』の作者で、8月15日に乳がんのため53歳で亡くなったさくらももこさんを偲ぶ「さくらももこさん ありがとうの会」が16日、都内で開催。アニメでまる子の声を務めた声優のTARAKOらが出席し、桑田佳祐が同アニメのエンディングテーマだった「100万年の幸せ!!」を献歌として熱唱した。
 会はさくらさんの名前にちなんで桜色をテーマカラーとし、多くの人がネクタイやアクセサリーなどにピンク色を取り入れて列席した。TARAKOは「私の人生の半分はまる子でした」と涙声で挨拶。途中で“まる子”の声にスイッチし「3年4組、さくらももこ。通称“まる子”。大人になった私へ。よくぞ夢をかなえてくれました。あんた、ホントえらいよ!」と語り、さらに「天国へ行く私へ。そっちでもたまには『まる子』を描いてよね。ずっとずっと、どこにいても描き続けてください」とメッセージを送った。
 TARAKOのほかに、長年にわたり公私で付き合いのあった女優の賀来千香子、デビュー当初に対談して以来、親友として家族ぐるみの付き合いをしてきたという作家の吉本ばななが祭壇の前で、さくらさんとの思い出や感謝の思いを語った。
 桑田佳祐は、さくらさんが作詞し、2012年4月から2017年10月までアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマに起用されていた『100万年の幸せ!!』を生で歌唱。以前から桑田の大ファンだったというさくらさんが、直々に手紙でエンディングテーマを依頼して誕生した同曲だが、桑田は最初の手紙にすでに歌詞とタイトルが記されていたことを明かし「(歌詞)指定かよ! すげーなぁ…と思った(笑)」と笑いながら明かし「先生、ありがとうございました」と祭壇に向かって深々と頭を下げた。
 この日は、声優やアニメ、出版関係者などおよそ1000人が献花に来場。さくらさん作詞のヒット曲『おどるポンポコリン』を歌唱したB.B.クィーンズや爆笑問題の太田光、和田アキ子、ゴールデンボンバー、パパイヤ鈴木、市村正親、GLAYのTERU、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉らも姿を見せた。[2018.11.16]
via https://www.crank-in.net/news/60475

◆TARAKOさんの弔事の詳細


TARAKOさんは「今日は泣かないって決めてきたのに」と話し出すと声を詰まらせた。
「私の人生の半分はまるちゃん。ももこ先生がいなかったら私の人生変わっていた。
まる子が売れるまでずっとバイトをしていて貧乏は得意だったけど
本当にももこちゃんの声と似ていて幸せでした」と話した。
さくらさんと歌手のイルカと、声の似た3人で
オールナイトニッポンにラジオ出演した当時を振り返り
「しゃべったら誰の声だか分からない」と笑い
「似てるってこんなに幸せでありがたくてグッとくるものなんだなと
ももこちゃんが教えてくれました」と語った。
途中で「私はプライベートのももこさんを知らないので
この人が一番知っているんじゃないか」と切り出すと
まる子になりきって語りかけた。
「3年4組、まる子。大人になった私へ。よくぞ夢をかなえてくれました。
あんた本当にエライよ、おめでとう。
プライベートはなんかいろいろあったみたいだね。でもあんたの作品も
あんたもたくさんの人に愛されたんだから、人生バランスなのかもしれないね」。
「大人になって天使になった私へ。
そっちはどうだい?今日は絶対こっちをウロウロしているよね。
桑田(佳祐)さんがいるけど、しがみついちゃダメだよ」。
「大人になって天使になって天国へ行く私へ。
そっちでもたまにまる子書いてよね。どこにいてもずっと書き続けて
生まれ変わってもずっとちっちゃくてまあるくておっちょこちょいで
プリンが好きで百恵ちゃんが好きでマンガが大好きな、さくらももこです」。
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水木しげるさん 死去 (漫画家 93歳)=「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画 はてなブックマーク - 水木しげるさん  死去 (漫画家 93歳)=「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画

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「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」など妖怪をテーマにした作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、30日朝、東京都内の病院で多臓器不全のため亡くなりました。93歳でした。
水木さんは大正11年に大阪で生まれ、鳥取県の境港市で育ちました。高等小学校を卒業後、新聞配達などをしながらデッサンの勉強を続けていましたが、昭和18年に徴兵されて南方戦線に従軍し、爆撃のため左腕を失いました。復員後、紙芝居の画家やアパート経営などをへて昭和32年に漫画家としてデビューしました。
幼いころお年寄りから聞いたお化けや妖怪の話からイメージをふくらませた「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などの漫画が大ヒットし、テレビや映画にもなって、妖怪ブームが起こるなど人気を集めました。また、自分の戦争体験を元にした「総員玉砕せよ!」や歴史上の人物を題材にした「劇画ヒットラー」では、戦争の愚かさや人の幸せとは何かを問いかけ、漫画界の第一人者として活躍しました。
ふるさとの鳥取県境港市に設けられた妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ「水木しげるロード」には、毎年多くの観光客が訪れ、地域振興にも貢献してきました。また、妻の武良布枝さんが書いた自伝「ゲゲゲの女房」が平成22年にNHKの連続テレビ小説でドラマ化され、「ゲゲゲの~」がその年の流行語大賞に選ばれるなど、水木さん夫婦の生き方に多くの共感の声が寄せられ話題となりました。
水木さんは、平成3年に紫綬褒章を受章し、平成22年には文化功労者に選ばれています。
水木さんは平成26年12月に心筋梗塞で入院しましたが、平成27年2月に退院してから仕事場にも頻繁に訪れ、仕事の指示などをしてきたということです。
水木さんは今月11日、自宅で転倒し、頭を打って東京都内の病院に入院していたということですが、30日午前7時ごろ、多臓器不全のため93歳で亡くなりました。[2015.11.30]

■長女の原口尚子さん「最後は家族でみとる」
水木しげるさんの長女の原口尚子さんは、水木さんの自宅の前で報道陣の取材に応じ「入院したあと意識がうっすら戻って、これから元気になるなというところだったのでとても残念でした。最後は家族でみとりました。お別れの会を開こうと考えています」と話しました。

■弟の幸夫さん「優しい兄だった」
水木しげるさんの弟の武良幸夫さん(91)は、30日午後2時半ごろ、東京・調布市の水木しげるさんの事務所前でインタビューに答え「最後に会ったのは兄が今月上旬に入院したときで、亡くなるとは思わず驚いています。優しい兄でしたが、戦争の思い出になると話に力が入ったのを覚えています。天国で妖怪たちが友達になっているかもしれませんね」と話していました。

■松本零士さん「最近まで精力的に創作活動」
水木しげるさんが亡くなったことについて、同じ漫画家で水木さんと親交があった松本零士さんは「水木さんは自分自身の戦争体験に基づいて、多くの作品を生み出されました。戦後も、『ゲゲゲの鬼太郎』という一つの大きなジャンルを築き上げられたのをはじめ、最近まで、年齢を感じさせないほど精力的に創作活動に取り組まれました。亡くなられたのがとても残念です」と話しています。

■ちばてつやさん「戦友失ったよう」
水木しげるさんとおよそ50年にわたって親交のあった漫画家のちばてつやさんは「水木さんは大先輩ですが、デビューした時期が近かったため、漫画が悪書だと言われた時期からともに苦しい時代を生きてきました。戦友を失ったような気持ちでとてもつらいです」と話しました。また、水木さんの人柄について「パーティーなどで会ったときには、互いに『老けたなぁ』と言って頭をなであったことを覚えています。いたずらをしていつも誰かを笑わせようとする温かい人でした」と振り返りました。
さらに、みずからも自身の戦争体験に基づく作品のあるちばさんは、水木さんの戦争を描いた作品について「柔らかく温かくくすっと笑ってしまうようなユーモアの中に戦争のつらさがにじみ出る作品がたくさんあります。先輩として尊敬していましたし、戦争がどういうものかもっと描き続けてほしかったです」と話し、水木さんの死を惜しみました。

■つげ義春さん「丁寧に細かく描くプロの職人」
水木しげるさんのアシスタントを務めるなど、およそ50年にわたって親交がある漫画家のつげ義春さんは「水木さんは絵を丁寧に細かく描くプロの職人で、彼の手伝いに行って以降、雑で汚かった私の作風も細かく丁寧になった。人柄は繊細だが表向きは太っ腹で、おうような人物だった。最近は体が弱っているという話を聞いていて、ついにこの時が来たかという気持ちだが、心よりご冥福をお祈り申し上げたい」と話しています。

■鬼太郎役 ウエンツさん「ユーモアのある方」
実写版の映画「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公、鬼太郎役を務めた、歌手で俳優のウエンツ瑛士さんはコメントを発表しました。この中でウエンツさんは、試写会で「ゲゲゲの鬼太郎」を見た水木さんから声をかけられた時のことを紹介し「先生が『君は77点だよ!』とおっしゃるので、ちょっと低いのかなと心配になったのですが、そのあと先生は『80点満点でね』と付け加えました。すごいユーモアのある方と驚きました」としています。そして、「先生はきっと今ごろ、あの世で自分自身がつくった妖怪とたわむれているじゃないでしょうか。先生はお亡くなりになりましたが、キャラは生き続けるので、演じさせていただいた僕は、これからも先生の思いをつなげていこうと思います」と水木さんの死を悼みました。

■南伸坊さん「描きたい作品を描き続け 幸せな生涯」
1970年ごろ、漫画雑誌で水木しげるさんの編集者を務め、その後も親交が深かったイラストレーターの南伸坊さんは「水木さんの作業場の窓の外を猫が横切ると、いつもその様子をじっと眺めていたのが印象的でした。戦争中も兵隊に向かない性格で苦労をされたと聞きましたが、自由にのんびりと生きることを大切にする人で、子どもの読者にも『少年よ、がんばるなかれ』と書いた色紙をプレゼントしていました」と振り返りました。
そして「漫画の中でも世間的に正しいとされることとは違うことを多く描いていて、そこに、戦争を体験した水木さんが伝えたい真理があると思います。本当に描きたい作品を描き続け93歳まで寿命を全うした、幸せな生涯だったと思います」と、水木さんの死を悼んでいました。

■京極夏彦さん「遺志を継ぎ”妖怪”推進に励む」
水木しげるさんと一緒に「世界妖怪協会」を設立した作家の京極夏彦さんは、「唯一無二の偉大な指標を失い、ことばもありません。水木しげる大先生の遺志を継ぎ、弟子筋一同「妖怪」推進に励むことを誓うとしか、今は申し上げられません。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。

■四方田犬彦さん「日本人の心描き続けた功績に感謝」
漫画の研究で知られ著書の中で水木しげるさんについて取り上げてきた評論家の四方田犬彦さんは「悲しいという以上に、水木さんが日本人の心を描き続けてきたその功績に感謝したい。戦争体験を漫画という形で表現したことで、どんな知識人が戦争反対と訴えるよりもずっと強く子どもたちに戦争の悲惨さが伝わった」と水木さんの功績をたたえました。
また、四方田さんは水木さんが数多くの妖怪を描いてきたことについて「水木さんは人間社会の端っこでからかわれたりいじめられたりしていた妖怪を、彼ら独自の社会を持った存在として位置づけ、鬼太郎やねずみ男を通じてお互いに仲よく平和に暮らすことができることを描いた。水木さんの妖怪まんがは現代社会の中で、自分たちと違いのある相手にどう向き合うのかという問いかけに答えを与えてくれているのだと思う。これからの日本人こそ水木さんのまんがが必要だ」と話していました。

■京都精華大 吉村副学長「影響は計り知れない」
水木しげるさんが亡くなったことについて、思想史と漫画研究が専門の京都精華大学の吉村和真副学長は「妖怪漫画の立役者という顔だけではなく、戦争体験で身に付いた思想を作品に表している点は非常に重要で、妖怪漫画にしても戦争体験の漫画にしても、不条理を突き抜けて前に進む方法や、その先にある明るい未来を説教くさくなく、ユーモアに示してくれたことが多くの人をはげまし、ファンの心を掴んだのではないか。戦後の日本人が手塚治虫と水木しげるという2人の漫画に触れた影響は計り知れない」と話しています。

■水木しげる記念館 庄司館長「これからも業績伝える」
水木しげるさんの出身地鳥取県境港市で漫画の原画など数多くの作品を展示している「水木しげる記念館」の庄司行男館長は「あまりの突然のことで信じられません。子どもがそのまま成長したような、天真らんまんで飾らない人柄がとても魅力的な方でした。水木さんは常々、子どもたちに妖怪と仲よくなってもらいたいと話していたので、記念館としてはこれからも先生の業績を伝えていきたいと思います。長い間、本当にお疲れさまでしたと伝えたいです」と話していました。

■鳥取県知事「巨星逝く 本当に残念」
鳥取県の平井知事は「巨星逝く、ということで本当に残念な気持ちでいっぱいですが、鳥取県や境港市に熱い思いを寄せていただき、育てていただいたことに心から感謝しています。漫画を世の中に普及させたほか、戦争体験を元にそうした歴史を繰り返してはいけないと伝えたことなど功績はどれも消えるものではないので、私たちもその意志を受け継いで子どもたちや孫たちの世代まで伝えていきたいです」と話していました。

■鬼太郎役の野沢雅子さん「純粋な方でした」
漫画家の水木しげるさんが亡くなったことについて、テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で鬼太郎役を演じた声優の野沢雅子さんは、コメントを発表し、「私が初めてテレビアニメーションのシリーズとして主役を務めさせていただいたのが『ゲゲゲの鬼太郎』でした。先生にお会いした機会は数回でしたが、気取らず生まれっぱなしのような純粋な方でした。私も同じように生まれっぱなしの人間なのでとても親近感がありました」と振り返りました。
そして、「先生が亡くなるとは思ってもいませんでした。いろんなところにいらっしゃるのがお好きでしたから、今もきっと旅に出られたんだろうなと思っています。そちらでも旅をしながら作品を描いてくださいね」と、水木さんの死を悼みました。
 via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151130/k10010324231000.html

 「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時18分、多臓器不全で東京都内の病院で死去した。93歳だった。鳥取県出身。
 水木さんは11日に東京都調布市の自宅で転倒。頭部を強く打ち、入院していた。葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻の武良布枝(むら・ぬのえ)さん。
 高等小学校卒業後、漫画家をめざし、大阪で働きながら漫画を学び、戦争中は陸軍の兵隊としてニューギニア方面に出征。戦後は一時紙芝居を商売にしていた時代があった。
 1958年に貸本漫画家としてデビュー。「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載され、妖怪を扱う人気漫画家となり、テレビアニメ化されてからは妖怪ブームが巻き起こった。
 幼少時に妖怪の話を教えてくれた老婦人との交流を描いた自伝的なエッセー「のんのんばあとオレ」(後に漫画化)や「水木しげる 妖怪大画報」のほか、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など、戦傷で左腕を失った自らの戦争体験に根差した作品も多い。
 幼少期を過ごした鳥取県境港市には愛着があり、93年には「水木しげるロード」が設けられ、03年には「水木しげる記念館」が建てられた。10年には妻の布枝さんが書いた「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として放映され、その生きざまが共感を呼んだ。91年に紫綬褒章、03年には旭日小綬章を受章。10年文化功労者。
via http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/30/kiji/K20151130011602450.html

jiji.com
gigazine.net
・多くの人に愛された「ゲゲゲの鬼太郎水木しげる」さん死去
 http://matome.naver.jp/odai/2144885798326503201

WS003

◆水木しげるさん死去:妖怪通じ現代に警鐘
 目玉おやじにねずみ男、子泣きじじいや一反もめんを生んだ漫画家、水木しげるさんが30日、死去した。
 自らのことを「水木サン」と呼ぶ。「人三化七(にんさんばけしち)(人間でいる時間が3割という水木さん独特の使い方)」と言って笑わせた。たっぷり寝ていっぱい食べ、束縛を嫌い自由気ままが身上。売れっ子になって徹夜とインスタントラーメンの食事ばかりに嫌気がさし、仕事を減らすなど独特の哲学を持っていた。
 アカナメ、海坊主、家鳴り−−。発展の一方で減っていく夜の闇や自然を惜しみ、見えない世界を畏れ敬う感性の鈍化と合理性ばかり追う現代に警鐘を鳴らし続けた。水木作品からは、自然の奥深さや幸福の意味するものが浮かび上がってくる。
 妖怪への関心を育んだのは、幼い頃家に手伝いに来ていたおばあさん「のんのんばあ」に聞かされた話。いろいろな出来事が「妖怪の仕業だよ」と語られる話を聞いて、山や森、川にただよう不思議な雰囲気に強い興味を抱いた。成長と共に忘れた妖怪をよみがえらせたのは戦争体験だ。
 戦時中は陸軍2等兵としてニューギニアのラバウルに。上官には「態度が悪い」と殴られるなどつらい軍隊体験だったが、現地の人々とつき合い、禁止されても村に通い続けて自然と一体化した彼らの習俗に魅了されていった。爆撃で左腕を失い、死と隣り合わせにひそんだジャングルで幼い頃の記憶が次々浮かぶ。後に「妖怪が見えた」と述懐した。
 妖怪研究と冒険を兼ねてエネルギッシュに世界各地を回って資料収集。「日本妖怪大全」を刊行するなど妖怪文化研究に取り組む。各地の妖怪、精霊は共通性があり、地域により姿形は変わっても1000ほどの妖怪がいるという「妖怪千体説」を提唱。1995年には「世界妖怪協会」を作家の荒俣宏さん、京極夏彦さんらと共に設立するなど、妖怪の“市民権”を日本に定着させるシンボル的役割を果たした。
via http://mainichi.jp/select/news/20151130k0000e040200000c.html

◆「日本人は、ねずみ男だ」と語った水木しげるさん
 日本人は、ねずみ男だ。アニメでも有名なロングセラー漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である漫画家・水木しげるは、そう言い切った。ねずみ男は、お金が大好きで、ずるいが、どこか憎めない名脇役。戦前、戦中、戦後を生きてきた“妖怪の巨匠”が、キャラクターを分析、独自のニッポン人論を語った。(08年1月8日付スポーツ報知から)
 妖怪と“共生”して85年。そんな水木に「妖怪の目から見た日本人」について語ってもらおうと問いかけると、「日本人そのものが妖怪だ」と言われた。しかも、日本人のほとんどが「ねずみ男」だという。
 「ねずみ男というのは、何もない、金もないのに、生きていかないといけないという、庶民の代表ですよ。どんな時代にも対応できる。強いと言えば強いんですよ。これに似た日本人が8割近くいるんじゃないですか。パチンコ店をキョロキョロのぞくとみんなねずみ男風だ。興奮状態が伝わってくる」
 漫画では鬼太郎が主役で、ねずみ男はあくまで脇役だ。「水木サン(水木は自身をこう呼ぶ)は、ねずみ男風なやり方で大衆の心を奪ったと思うな。というのは鬼太郎式な強い英雄は昔からいたから。ねずみ男を描いたことで、みんな共鳴したんですよ。私はこれが面白くて、これをいじくりまわしてきた。愛される、おもしろがらせる、というのはマンガにとっては一番。ねずみ男を発明して、水木サンは豊かになったんと違いますか」
 水木が生まれたのは大正時代。そのころから日本人はねずみ男だったのだろうか。「江戸時代からねずみ男風なのはおったと思う。バカにされていた感じですよ」。「ゲゲゲの鬼太郎」では、ねずみ男は“360年以上生きている”という設定だが、江戸時代からの日本人像だ、というのだ。
 年下の手塚治虫、石ノ森章太郎らと、日本漫画の礎を作った。「鉄腕アトム」、「仮面ライダー」を生んだ2人の天才に対して、水木は奇才と呼ばれた。「2人とも、徹夜を自慢していたけど、徹夜に殺されたようなもの。私は徹夜すると1週間動けなくなる。ベビーのころから眠りに弱かったから、長生きしてるんじゃないかな。眠りこそ健康のもと。だから水木家は病気をしない。だいぶ殴られたけど、軍隊でも人より1秒でも長く寝ていたから。顔が航空母艦みたいになるほど長く寝てるから元気ですよ。空母ですから、力強いですよ」
 21歳のときに召集令状を受け、南太平洋の激戦地、ニューブリテン島(ラバウル)に出征。空爆で左腕を失った。戦前、戦中、戦後を生きてきた男は「日本人というのは、理性的というより、感情的な民族と違いますか。興奮して騒ぐ。善良だけど、あくせくし、あわてる。でも無駄なエネルギーだった、と戦争に負けてから知った。そして平和になった」と分析する。
 ねずみ男のように、どこにでも順応できた。戦地ラバウルで、現地のトライ族と仲よくなった。「畑をやるし、家も建ててやる、女房も世話するから残れって。向こうにいれば王様みたいな生活が約束されていたけど、残っていれば、鬼太郎もねずみ男も生まれなかったでしょう」ラバウルとは今でも交流があり、「海外に行くと、地元の妖怪が私に飛びついてくる」と笑う。
 これまで約60か国を訪れ、「ねずみ男は世界中のどこにでもいる」と確信するようになった。水木本人が知らない間に、手塚治虫の名作「火の鳥(鳳凰編)」では、ねずみ男がひとコマだけ、勝手に登場していた。「そうなの? ずうずうしいというか。生命力があるというか」。「ミッキーマウス」で知られるウォルト・ディズニーは、人気が出る前には、ねずみばかり描く漫画家として、米国では「ねずみ男」と呼ばれていたという“都市伝説”も。「なるほど。そうですか。やっぱり多少、似たところがあるんですね。考えてみればミッキーマウスも描き方が違うだけだからな」
 最後に、水木こそ“究極のねずみ男”なのでは、と聞いてみた。「ねずみ男はあくまでも部下。水木サンは妖怪でも親分の方だからね。子泣き爺(じじい)みたいな存在だな。あんまり何もしないのに、何かしたような顔をしている。10年来、過去の作品をいじくってるだけで、何にもしてないんだから」あくせくと動き回り、“ねずみ男道”を進んでいけば、理想の境地、子泣き爺になれるかもしれない。
 via http://www.hochi.co.jp/topics/20151130-OHT1T50083.html

◆水木さんの「幸福の七ヶ条」
519DwpY62nL._SX353_BO1,204,203,200_[1]
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

via http://grapee.jp/26544

・水木しげる:Wikipedia
・水木プロダクション公式サイトげげげ通信:http://www.mizukipro.com/
・水木しげる記念館:http://mizuki.sakaiminato.net/
・水木しげるロード:http://www.sakaiminato.net/site2/page/guide/point/miru/mizuki/mizuki/

・「鬼太郎」と「戦争」をつなぐもの
 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5737
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