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新天皇陛下即位、象徴責務へ決意=「国民に寄り添う」-戦後生まれ初、令和始動 はてなブックマーク - 新天皇陛下即位、象徴責務へ決意=「国民に寄り添う」-戦後生まれ初、令和始動




 新天皇陛下が1日、皇位に就かれ、平成に続く令和の時代が始まった。新陛下は同日午前、皇居で国民の代表と会う儀式「即位後朝見の儀」に臨み、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓います」と最初のお言葉を述べた。
 新陛下は、退位した上皇さまに触れて「上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます」と語った。新陛下は1960年2月23日生まれの59歳で、お名前は徳仁(なるひと)。戦後生まれの初めての天皇となった。
 今回の皇位継承は、2017年6月に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づく。宮内庁の記録によると126代目の天皇となり、現行憲法が規定する象徴天皇としては3代目、現憲法下での即位は2人目。退位した陛下は上皇、皇后さまが上皇后となり、皇太子妃の雅子さまが新皇后となった。
 政府は即位儀式として、1日午前10時半から皇居・宮殿「松の間」で皇位の証しとされる剣と勾玉(まがたま)、国の印である国璽、天皇の印である御璽を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」を実施した。剣や勾玉は鏡とともに、いわゆる「三種の神器」と呼ばれ、皇室経済法で「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置付けられる。
 儀式には安倍晋三首相ら三権の長や閣僚らが参列。同席する皇族は前例を踏襲し、成年男性に限定された。
 続いて午前11時10分から即位後朝見の儀が行われ、政府、国会、裁判所の要人や地方代表ら292人が参列。新陛下のお言葉に続き、首相が国民代表の辞を述べて祝意を表明し、「令和の御代(みよ)の平安と皇室の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げる」と語った。
 皇位継承順位は、皇嗣になった秋篠宮さま(53)が1位、秋篠宮さまの長男悠仁さま(12)が2位、上皇さまの弟の常陸宮さま(83)が3位。皇位継承資格者の減少により、安定的な皇位継承に向けた検討が急務となる。
 儀式に先立ち、政府は1日午前の臨時閣議で、二つの即位儀式を国事行為と位置付けることを決定した。[2019.05.01]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050100178&g=pol

https://jp.reuters.com/article/reiwa-idJPKCN1S62RO?feedType=RSS&feedName=worldNews

・新陛下、晴れやかに即位宣言=勲章姿、国民の前に-皇居・宮殿で二つの儀式



 1989年1月以来、30年ぶりに皇居・宮殿で執り行われた「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」。元号が改まった1日、新天皇陛下は晴れやかな表情で両儀式に臨み、即位を宣言された。
 新陛下は午前9時50分すぎ、赤坂御所の正門から車で皇居へ出発。にこやかな表情で沿道に集まった人々に後部座席から手を振り、歓声に応えた。
 前日に「退位礼正殿の儀」が行われたのと同じ宮殿・松の間に入ったのは同10時半。新陛下はえんび服に白のちょうネクタイ、「大勲位菊花章頸飾(けいしょく)」などの勲章を着け、中央の壇上に立った。皇位継承権を持つ成年皇族である秋篠宮さま、常陸宮さまも勲章姿で左右に並んだ。
 剣璽と国璽、御璽を恭しくささげ持った侍従らが別の扉から入室。目前にしつらえられた台の上に置かれると、新陛下は真剣な表情でわずかにうなずいた。同35分、新陛下は剣璽などを持った侍従らと共に退出した。
 続いて、同11時12分から即位後朝見の儀が行われた。新陛下は新皇后の雅子さまと共に松の間に入り、安倍晋三首相ら292人の国民代表の前へ。加地正人・新侍従次長が紫のふくさから差し出した原稿を開き、皇位を継承したことを宣言した。
 新陛下ははっきりと響く声で即位後初のお言葉をよどみなく読み上げた。傍らの雅子さまは、きらきらと輝くティアラを着けたローブデコルテ姿で、新陛下を見守った。
 安倍首相が国民代表の辞を述べ、新両陛下と皇族方が退出した後、同20分に扉が閉じられた。新陛下はその後、継承した剣璽と共に車で赤坂御所へ。二つの重要儀式が無事終わり、新天皇としての歩みが始まった。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050100374&g=soc

・天皇陛下 即位後初めてのおことば 全文
日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。
 via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190501/k10011902991000.html






・天皇陛下「即位後朝見の儀」おことばに感動の声広がる
  https://matome.naver.jp/odai/2155667922869478001

・新陛下、2番目の高齢即位=8世紀以降-皇位継承

 新天皇陛下は59歳。間違いが少ないとされる「続日本紀」(797年完成)に記載がある文武天皇以降では、60歳で即位した奈良時代の光仁天皇に次いで2番目の高齢即位となった。
 55歳で皇位に就いた天皇陛下は3番目となり、平安時代の光孝天皇の54歳が続く。飛鳥・奈良時代の元明天皇と、奈良時代の称徳天皇(重祚)が即位したのは、共に46歳の時だった。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050100038&g=soc


・86年ぶり皇太子不在に=秋篠宮さまは新天皇陛下の弟-皇位継承

 新天皇陛下即位に伴い、天皇の直系男子が就く「皇太子」の地位は86年ぶりに空位となった。皇室典範は「皇嗣たる皇子(天皇の男の子)を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫(天皇の男の孫)を皇太孫という」(第8条)と規定。秋篠宮さまは皇位継承順位1位の皇嗣だが、新天皇陛下の弟であるため皇太子にはならない。
 昭和天皇が即位してから、退位された天皇陛下が1933(昭和8)年12月に生まれるまでの約7年間が皇太子不在の時代だった。秋篠宮さまは皇太子待遇となり、対外的には「クラウンプリンス」として活動する。
 via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050100039&g=soc


・令和元年の初日、新天皇陛下の即位...主要5紙はどう報じた? 比較すると、各紙の個性が際立っていた   
 https://www.huffingtonpost.jp/entry/reiwa-newspaper5_jp_5cc8ea14e4b0913d078a518b

・天皇陛下の即位と退位、海外メディアはどう伝えたか?
 https://www.huffingtonpost.jp/entry/japan-emperor_jp_5cc8f476e4b0d123954c0add

◆アングル:新天皇と皇后で変わる日本、「令和」時代の皇室とは
 https://jp.reuters.com/article/japan-emperor-new-idJPKCN1S20FU?feedType=RSS&feedName=worldNews

・新しい天皇陛下が即位 「令和」始まる
  https://www.bbc.com/japanese/48101947


・令和時代の天皇陛下はどんな方?趣味は山登りで、“皇居ラン”をこなす健脚 
■1960年2月23日に誕生。小学生時代は野球の大ファン。“ごひいき”は末次利光選手
新たに即位された天皇陛下(徳仁さま)は1960年2月23日、皇居・宮内庁病院で当時の皇太子明仁親王と皇太子妃美智子さまの間に誕生した。



幼少時の名前として与えられた「称号」は浩宮さまだった。称号は、古典から学者が選出し、天皇陛下が字を選出される。
1960年2月29日の朝日新聞夕刊によると、称号「浩宮」とお名前である「徳仁」は四書五経の「中庸」の第三十二章から、祖父・昭和天皇が命名された。
大空のように広くて偏りのない様子を示す「浩々たる天」から浩の字を、「聡明聖知にして天徳に達する者」から徳の字を取ったという。
浩宮さまは、天皇家では初めて父親の皇太子明仁親王(現在の上皇陛下)、母親の美智子さま(上皇后)が子育てにあたられた。
明仁親王は天皇家の伝統的風習に従って、3歳で両親のもとを離れ、東宮仮御所で、「傅育官」らに育てられた経緯があった。
そのことについて明仁親王は「私は世情にうとく、人に対する思いやりの足りない心配がある。どうかよく人情に通じた、思いやりの深い人に助けてもらいたい」と語っていたという。
明仁親王と美智子さまはそうした背景もあり、世間や周囲の反感を買うこともあったが、3人の子どもたちの子育ては乳母を付けずに家族で同居を通した。
学習院初等科時代には、野球に熱中された浩宮さま。
1971年10月17日朝日新聞東京本社版の朝刊によると、10月16日の日本シリーズ第4戦の読売ジャイアンツー阪急ブレーブス戦を学友と共に観戦。
読売ジャイアンツの外野手として活躍した末次利光(当時は民夫)選手の満塁ホームランに飛び上がって拍手を送ったという。
浩宮さまは末次選手の大ファンで、学校の野球チームでも末次選手の背番号38を付ける熱狂ぶりだった。

■趣味は山登り。健脚ぶりを“皇居ラン”でも発揮
趣味人としても知られる天皇陛下(徳仁さま)の一押しのレジャーは山登りだ。
日本山岳会員であり、日本山岳写真協会の特別会員でもある。父親である上皇陛下と、ともに登山に向かうこともあった。
初めての登山は、5歳で訪れた長野・軽井沢の離山だった。登山雑誌「山と渓谷」(1995年1月号)には、父親である上皇陛下に連れられて登頂した思い出をエッセーでつづられている。
国内の様々な山を踏破した天皇陛下は、山の楽しみ方をこのエッセーで次のように語っている。

「自分をゆっくりと大自然のなかにおき、動植物や地質を観察し、自然の恩恵に浴すこと、そして、個々の山の歴史に思いを致し、登山の行程全体を楽しむことである」

また、文章の中では当時の天皇陛下と美智子さまを「両親」、そして皇太子妃(当時)である雅子さまを「妻」として、自身との関わりを記したことも、大きな話題を呼んだ。
登山を支える健脚ぶりは、40代後半に差し掛かった2007年の“皇居ラン”でも発揮された。
2007年2月26日に配信された新聞各紙のニュースによると、皇居外周の2周約10㎞を51分ほどで走った。また、55歳の誕生日の2日後である2015年2月にも皇居外周1周を約27分で走り終えている。
登山のほかに、ヴィオラ奏者としての顔も国民には広く知られている。
上皇陛下がチェロを弾かれ、美智子さまがピアノを演奏。天皇陛下はもともと学んでいたヴァイオリンのほかに、大学時代からはヴィオラの演奏も始められた。
大学時代は音楽部管弦楽団に所属。チャリティーコンサートでビオラの独奏を披露されることもある。
天皇陛下は海外での経験も豊富だった。
初めての海外滞在は1974年、14歳のとき。オーストラリア・メルボルン郊外にあるポイントロンズデールで15日間を過ごした。
学習院大学を卒業後に大学院に進み、その後オックスフォード大学マートンカレッジに2年間留学。
学習院大学の卒論は「中世瀬戸内海水運の一考察」。大学時代から一貫して史学に興味を持たれ、幼いころから「道」に一層の関心があった影響でとくに交通史を選んで学ばれていた。
オックスフォード大学でも18世紀のテムズ川の交通について研究された。
徳仁さまは、大学卒業後に海外で研究を続けられた初めての天皇陛下となった。
留学を終え、日本に戻ってからは海外の賓客の対応にも留学で培った英語力を発揮。
英国のチャールズ皇太子、故ダイアナ妃(当時)と歓談することもあった。

■「皇太子」となり、結婚そして父親へ
徳仁さまは1989年、昭和天皇の崩御に伴い今上天皇が即位されたことにより、皇位継承順位1位の皇太子となった。



1991年2月23日、31歳となった日に立太子宣明の儀が執り行われた。
立太子宣明の儀は、皇位継承者としての徳仁親王の地位を天皇陛下(当時)が内外の代表の前で披露される立太子の礼のなかでも中心となる儀式。
1993年には、外務省キャリア官僚だった小和田雅子さん(当時)と結婚。



二人の最初の出会いは1986年10月、東京・元赤坂の東宮御所(当時)で開かれたスペインのエレナ王女歓迎レセプションの茶会の席という。
天皇陛下の「初恋」だったといい、その後の1年間で、東宮御所や高円宮邸などで計4回顔を合わせた。
1992年8月16日に再会。陛下はその後、雅子さまにひんぱんに電話を入れ、思いを伝えたという。
2001年12月1日には、長女・愛子さまが誕生。
祖父である天皇陛下(当時)が決められた愛子さまの称号は「敬宮(としのみや)」となった。
名前と称号の出典は「孟子」の「離婁章句下(りろうしょうくのげ)」。広く人間社会で修養すべき基本的道徳を述べ、敬と愛の重要さを説いた部分からとったという。
愛子さまの誕生後、初の会見となった2月23日の徳仁さまの誕生日会見では「子どもとは、こんなにかわいいものだったかと、改めて知ることになりました」と笑顔を見せた。
子育てや教育方針については「父親として、できるだけ子育てに積極的にかかわっていきたい」と話されていた。
そして2019年4月30日、徳仁さまは皇太子としての役目を終え、5月1日に天皇陛下に即位された。
 via https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cc7a94ce4b07c9a4ce80b7e


◇【特設】皇室特集~新陛下、「令和」と共に~:https://www.jiji.com/jc/tokushu?g=ryl



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天皇陛下 お気持ち表明、退位の意向 強くにじむ はてなブックマーク - 天皇陛下 お気持ち表明、退位の意向 強くにじむ

天皇陛下は8日、ビデオメッセージで国民にお気持ちを表し「次第に進む身体の衰えを考慮する時、象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語られました。そのうえで、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」と述べられました。天皇陛下のお気持ちの表明は、生前退位の意向が強くにじむものとなりました。
天皇陛下は8日午後3時から、ビデオメッセージで10分余りにわたって国民に語りかけられました。
この中で、天皇陛下は、はじめに、天皇の立場上、今の皇室制度に具体的に触れることは控えるとしたうえで、「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、個人として、これまでに考えて来たことを話したい」と述べられました。
そして、まず、前立腺がんと心臓の手術を受けたことや、高齢による体力の低下について触れたうえで、「これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私(わたくし)のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」と述べられました。
続けて、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と胸の内を語られました。一方で、これまでの天皇としての務めについて、「国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と振り返られました。
天皇陛下は、ここまで語ったあと天皇の高齢化に伴う対応について言及し、公務を限りなく減らしていくことには無理があるという考えを示されました。
また、天皇の行為を代行する摂政を置いても、天皇が十分に務めを果たせぬまま、生涯、天皇であり続けることに変わりはないとしたうえで、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」と述べられました。
さらに、天皇の終焉(しゅうえん)という言葉を使いながら、喪儀に関連する行事と新しい時代に関わる行事が同時に進行すると、関係者や残される家族が非常に厳しい状況下に置かれると指摘し、「こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」と話されました。
そして最後に、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」と語り、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結ばれました。
天皇陛下は、お言葉の中で、年をとるに従い象徴の務めを果たすことが難しくなるとする一方で、大きく公務を減らしたり代役を立てたりすることには否定的な考えを示されました。そのうえで、象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことを願われ、10分余りに及んだビデオメッセージは、天皇陛下の生前退位の意向が強くにじむものとなりました。[2016.08.08]
via http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626871000.html

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば:宮内庁

・天皇陛下がビデオメッセージで「お気持ち」表明
 http://news.yahoo.co.jp/story/280

・天皇陛下「お気持ち表明」「生前退位」強く示唆
 http://matome.naver.jp/odai/2147063162280952201

・天皇陛下、「お気持ち」で憲法と現行政治制度を否定…具体的な制度変更をご要求
 http://biz-journal.jp/2016/08/post_16237.html





・天皇陛下 お言葉全文
 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

 私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。
via http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08HAI_Y6A800C1000000/

・2016年の天皇陛下 公務日程
cc843ed8-s

・テレ東まで緊急放送。明日、天皇陛下が「お気持ち」表明へ
 http://matome.naver.jp/odai/2147055210426199701

・天皇陛下による生前退位のご意向表明がここまで遅れた理由
 http://news.kyokasho.biz/archives/35805

・生前退位の論点は(Q&A)
 明治期以降の日本では皇位継承は天皇の逝去に伴って行われており、生前の退位となれば近現代で初となる。現行の皇室制度を定める皇室典範にも生前退位の規定はなく、実現までには様々な制度改正が必要になりそうだ。論点をまとめた。

 Q 生前退位とは。
 A 天皇が生前に天皇としての位を後継に譲ることだ。江戸時代以前の皇室では、天皇が生前に退いて譲位することは一般的だったが、明治期以降は認められていない。

 Q 最後の譲位はいつだったのか。
 A 約200年前、江戸時代後期の光格天皇の退位による仁孝天皇の即位だ。現在の皇室典範に生前退位の規定がないことについて、宮内庁次長が国会で「退位を認めると上皇や法皇の存在ができて、弊害を生ずる恐れがあるのではないか」と指摘し、自らの意思に基づかない退位もあり得るとして改正に否定的な考えを示したこともある。

 Q 摂政という仕組みも聞いたことがある。
 A 天皇が重い病気にかかるなどして、国事行為を自らできなくなったときは、摂政を置けることになっている。大正天皇は晩年病気のため、皇太子だった昭和天皇が摂政に就いた。
 ただ摂政は天皇の位は維持したまま、皇位継承順位が最も高い後継者が一時的に仕事を代行する仕組みだ。体調が回復すれば摂政を廃止して元に戻すこともできる。生前退位は天皇の位そのものを生前に引き継ぐもので、摂政とは大きく意味が異なる。

 Q 天皇陛下の後継者は。
 A 現在、皇位継承順位の第1位は天皇陛下の長男である皇太子さまで、皇太子さまが天皇の位を継がれることになる。皇太子さまが天皇に即位した場合、継承順位のトップは弟の秋篠宮さまになる。「皇太子」は天皇の跡継ぎの息子を指すため、皇太子はいなくなる格好だ。

 Q 元号はどうなるの。
 A 元号法は「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と定めており、生前退位で皇位継承となれば元号も変わることになる。同法は元号を政令で定めるとしているだけで、具体的な決定方法は決まっていない。平成の場合は首相が歴史学者らに候補の提出を依頼。「元号に関する懇談会」を開いて候補を絞り、衆参両院の正副議長、閣僚との会議などを経て決めた。
via http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13HGP_T10C16A7EA2000/

・生前退位に課題山積=新元号、呼称、住居…-皇太子も不在に
 生前退位の意向を示している天皇陛下が、「お気持ち」を表明されたのを受け、今後、国会などで陛下の生前退位をめぐる議論が進むとみられるが、天皇の生前退位は、現在の憲法や皇室典範では想定されていない。実現には退位制度の新設に加え、新元号や退位した天皇の呼称、住居など、新たに決めなくてはならない問題が山積している。
 1979年制定の元号法は、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元制を規定しており、生前退位が実現すれば新元号を決めることになる。89年の前回の改元の際は、昭和天皇の逝去当日、有識者による「元号に関する懇談会」の意見を踏まえ、三つの候補の中から「平成」が選ばれた。閣議決定を経て、当時官房長官だった故小渕恵三氏が逝去の約8時間後に発表した。
 皇室典範には退位についての規定がないため、退位後の天皇の呼称や役割についても新たに法整備をする必要がある。歴史上、太上天皇や上皇、法皇などの呼称があったが、「天皇より上の立場があるとの印象を与え、現代にふさわしくない」とする識者の意見もあり、慎重な議論が必要だ。
 典範は皇太子を「皇嗣(皇位継承順位1位の者)たる皇子(天皇の男子)」と規定しており、生前退位が実現すれば皇太子が不在になる。皇室典範には「皇太弟」の規定はなく、皇太子さまに代わって皇位継承順位1位となる弟の秋篠宮さまの呼称や役割についても検討されることになる。
 退位後の住居をどうするかも課題となる。現在、天皇、皇后両陛下は皇居・御所に、皇太子ご一家は赤坂御用地の東宮御所に住んでいる。陛下は即位後から93年12月まで、赤坂御所(現在の東宮御所)から公務のため皇居に通っていた。
 皇太子さまの誕生日の2月23日が新たな天皇誕生日として祝日になることも想定される。その場合、現在の天皇誕生日(12月23日)をどうするかなども課題として浮上しそうだ。
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080800614&g=soc

・皇位継承あれば元号変更 平成は3案から選定
 元号は、皇位継承があった場合に一定の手続きを経てすぐに改められる。1979年に成立した元号法が規定しており、仮に生前退位が実現すれば、元号も変わることになる。「平成」は89年の昭和天皇の崩御により、改元された。その際は、最終的に三つの案から平成に絞り込まれた。
 政府の「元号選定手続」によると、首相は「高い識見を有する」学者らを数人選び、それぞれに2~5個の新元号案を考えるよう要請。学者らは意味や出典を添えて案を提出する。
 漢字2字で読みやすく、過去に元号として使われていないといった条件を基に、首相の指示で数個に絞られる。その後、官房長官が有識者の懇談会を開き、結果を首相に報告。首相は衆参両院の議長、副議長の意見を聴いた上で、全閣僚会議で協議。閣議で新元号を決定する。
 平成への改元の際、政府は昭和天皇の崩御前に、学者らに新元号案提出を水面下で依頼し、いくつかの案を受け取るといった事前準備を進めていた。崩御後に学者らに連絡し、正式に委嘱した。有識者懇談会の段階では、平成のほかに「修文」「正化」の案があった。当時の竹下内閣の小渕恵三官房長官が「平成」の書の入った額を記者会見で掲げ、発表。崩御の翌日から平成が始まった。
via http://www.sankei.com/life/news/160808/lif1608080031-n1.html


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・天皇陛下について10のこと
 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37019179

・【写真で見る】天皇陛下、在位28年 様々な表情
 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37008495

・天皇陛下のお人柄を感じるエピソード
 http://matome.naver.jp/odai/2147097180454832901

・天皇陛下の基本的人権――日本国憲法から読み解く
 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/post-5671.php

・世界43カ国に君主が存在、その権限は?
 http://www.cnn.co.jp/world/35087218.html?ref=rss


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