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[大相撲] 稀勢の里、初V~横綱昇進へ国内出身19年ぶり はてなブックマーク - [大相撲] 稀勢の里、初V~横綱昇進へ国内出身19年ぶり

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 大相撲初場所千秋楽は22日、東京・両国国技館で行われ、既に初優勝を決めていた大関稀勢の里(30)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が、場所後の横綱昇進を確実にした。結びの一番で横綱白鵬を破って14勝1敗の好成績とし、昨年は11月の九州場所で優勝次点の12勝を挙げ、初めて年間最多勝に輝いている。
 日本相撲協会審判部は稀勢の里の横綱昇進を諮る臨時理事会の開催を八角理事長(元横綱北勝海)に要請。理事長は23日に開かれる横綱審議委員会(横審=守屋秀繁委員長)に諮問し、推薦を受けた上で、25日の春場所番付編成会議と理事会で正式に決定する。横審の内規では横綱推薦の基準を「大関で2場所連続優勝か、それに準ずる成績」と定めている。
 日本出身力士としては、1998年夏場所後の横綱3代目若乃花以来19年ぶりの昇進で、2003年初場所中に引退した貴乃花以来の横綱が土俵に戻る。
 稀勢の里は新入幕から73場所をかけており、昭和以降で最も遅い出世。大関通過31場所は、昭和以降3番目のスロー昇進となる。
 新横綱の誕生は、14年春場所後の鶴竜に続き72人目。茨城県出身では1936年春場所後の男女ノ川以来81年ぶり。モンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜と並んで最高位に就き、春場所からは00年春場所(曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸)以来の4横綱時代を迎える。[2017.01.22]



◇稀勢の里の略歴
 稀勢の里 東大関。本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋。30歳。02年春場所に萩原のしこ名で初土俵。04年夏場所に17歳9カ月で新十両、同年九州場所に18歳3カ月で新入幕と昇進し、ともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ年少記録。新入幕時に稀勢の里に改名。11年九州場所後に大関昇進。金星3個。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。187センチ、175キロ。得意は左四つ、寄り、突き。
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012200050&g=spo

・稀勢の里、大願成就=「不器用」に綱とり-大相撲初場所
 稀勢の里は自身の性格を「不器用」「神経質」と評する。18歳3カ月での新入幕は貴花田(のち横綱貴乃花)に次ぐスピード出世。そんな逸材が、不器用なりに粘り強く歩んで大願成就。長い足踏みを経て初賜杯を抱き、横綱昇進も確実にした。
 30歳で綱をたぐり寄せたのは、元隆の里の先代師匠と同じ。15歳で入門して以来、その恩師に言葉遣いや食事の取り方など、力士の素養をたたき込まれた。「忘れることはない。本当にたくさん。一つ一つ実行することが一番」
 2011年11月に急逝した先代は生前、まな弟子を叱咤(しった)し続けた。「もっと泥臭く雑草魂で。目先の一勝でなく人生一生の勝利を」。土俵の外では「謙虚さが美徳。分析力と自分を鼓舞する力が必要」と心の成長を求めた。
 苦い経験を一つずつ力に変えながら、教えに応えた。12年夏場所では11日目を終えて2差リードの単独首位に立ちながら失速。初の綱とりに失敗した13年名古屋場所後には「見たことがないくらい記者がいて、自然と(余分な)力が入った。力み過ぎ」と漏らした。
 右足を痛めた14年初場所は初めて休場。綱とりのはずが、かど番へ転落の屈辱を味わった。「(横綱昇進の)夢は若手に託す。自分は幕内在位100場所を目指す」と弱気になる日もあった。それでも勇気を取り戻し、「常に上を目指している。挑戦する気持ちは変わらない」と再起した。
 初賜杯獲得で他の3大関に先を越されたのも転機の一つ。その悔しさから、闘志の火が燃え上がった。「まだまだ自分も間違っていないという気持ちで、一生懸命にやるしかない」。ウオーキングを取り入れ、四股の形を改善して下半身を鍛錬。内臓への負担を考慮して節制にも努めた。
 重圧に弱いとの指摘も受けた。大一番を前にすると、まばたきが突然、増えたが、昨年あたりからはほほ笑むように口角を上げたり、穏やかな表情を浮かべたりして試行錯誤。「結果を残してこそ、あのときがあったからと言える。そうでなければ、ただの過去。夢は見るものじゃない。一番上での景色を見てみたい」。試練を乗り越え、破顔一笑する日が訪れた。[2017.11.22]
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012200102&g=spo

・稀勢の里、貴乃花に憧れて=進路を変えた野球少年-大相撲
 稀勢の里は横綱貴乃花(現親方)に憧れて相撲界に入った。「今でも昔の映像を見たりしている」と言う。曙、武蔵丸のハワイ勢らと熱戦を繰り広げ、空前の相撲ブームの立役者。野球に打ち込んでいた萩原少年はそんな雄姿に触発され、「強い男になりたい」と進路を変更した。
 学生出身力士、モンゴルをはじめとする外国勢が席巻する中、貴乃花と稀勢の里はともに中学を卒業し、15歳の春に初土俵を踏んだ。稀勢の里は17歳9カ月で新十両、18歳3カ月で新入幕を果たしたが、どちらも貴乃花に次ぐ年少記録。志を継ぐ力士に、という思いもあってか、貴乃花親方は稀勢の里を温かい目で見守ってきた。
 盤石の形に持ち込んで白星を重ねた貴乃花に対し、稀勢の里は持ち前の馬力と裏腹のもろさを抱えていた。同親方は「謙虚でなければ、自分の隙、弱みが分からない。そうでなければ、相手の強みに気づかない」と説く。
 巡業中には四股などの基本を直接指導。「体力、体もあって、これで横綱に上がれなかったら、もったいなさ過ぎる。開き直りは日本人の美徳でもあるし、それをぶつけたら」。こんな激励にようやく応えた。
 相撲界に不祥事が相次ぎ、客足が遠のいた頃、「国産横綱」稀勢の里が誕生すれば、人気回復の起爆剤になると言われた。それを待たずに盛況を取り戻した今、求められる役割がある。
 少子化が進み、子どもたちが取り組むスポーツも多様化する中、自分自身がそうだったように、「横綱稀勢の里」に憧れる少年ファンを増やすことだ。貴乃花が2003年初場所で引退して以来、途絶えていた日本生まれの横綱が土俵に戻ってくる。[2017.01.22]
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012200105&g=spo&m=rss

◆稀勢の里の横綱昇進が決定 横審で満場一致
 第72代横綱の誕生が確定した。日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(横審)は23日、東京・両国国技館で定期委員会を開き、同協会から諮問された大関稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱昇進問題について審議。満場一致で推薦することを決めた。
 この答申を受け、同協会は25日午前9時から開かれる大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)番付編成会議後の臨時理事会で、稀勢の里の横綱昇進を正式決定する。
 日本出身の横綱誕生は1、998年夏場所後の3代目若乃花以来19年ぶり。03年初場所の貴乃花(現貴乃花親方)を最後に途絶えていた、日本出身横綱が14年ぶりに復活する。3月の春場所は鶴竜(31=井筒)、日馬富士(32=伊勢ケ浜)、白鵬(31=宮城野)のモンゴル勢に加えて、17年ぶりに4横綱となる。
 委員会は10分あまりで終了した。一部で、昨年、初優勝した琴奨菊(32=佐渡ケ嶽)、豪栄道(30=境川)の両大関がその後、成績がふるわない状況を危ぶむ声も出た。それも、賛意を阻むものにはならず、守屋秀繁委員長(千葉大名誉教授)によると、出席した委員8人全員の賛意をもって満場一致で推薦の答申をした。残る委員3人からも、事前に賛意を伝えてられていたという。
 この会議を最後に、任期満了で退任する守屋委員長は「日本国民全員に敬愛されるような横綱になるよう願っている」と期待。30歳6カ月の昇進となるが「日本人の平均寿命は延びている。力士の土俵寿命が延びてもおかしくない。まだまだ活躍してくれると期待します」と語った。[2017.01.23]
via http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1769241.html





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[タグ] 相撲 稀勢の里 横綱
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[訃報] 九重親方が死去、61歳=元横綱・千代の富士「ウルフ」31回の優勝 はてなブックマーク - [訃報] 九重親方が死去、61歳=元横綱・千代の富士「ウルフ」31回の優勝

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 大相撲で31度の優勝を遂げ、「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が死去したことが31日、分かった。61歳だった。昨年9月に、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けたことを明らかにしていた。
 北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所で初土俵を踏んだ。74年九州場所で新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
 新入幕時で100キロそこそこの軽量ながら、中学時代は陸上競技でも活躍した身体能力を生かして出世。しかし、強引な投げに頼る取り口が災いし、肩を脱臼するなど低迷した時期もあった。筋力強化を図りながら、相撲を前まわしを引いて出るスタイルに改めてけがを克服。81年初場所、優勝決定戦で北の湖を破って初優勝を果たし、大関昇進を決めた。
 引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
 北の湖の引退後、30代に入って絶頂期を迎え、86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で2番目の長さとなる53連勝(当時、2010年に白鵬が63連勝)をマークした。九州場所は特に強く、81年から8連覇。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所、初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に金星を与えると、3日目の取組後に現役引退を表明した。
 優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。
 親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。[2016.07.31] 
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2016073100143&g=obt&m=rss
http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1687442.html
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/31/chiyonofuji_n_11284478.html

・土俵入りも「革新的」=九重親方死去
 故九重親方の現役時代は、横綱土俵入りも「革新的」だった。色白のあんこ型力士が真っすぐにゆったりとせり上がるのが、伝統的な土俵入りのイメージ。前傾姿勢が激しい千代の富士のせり上がりは当初、好角家に不評だったが、やがて相撲っぷりにマッチした、独特のスタイルになっていった。
 四股で足があれほどきれいに上がる横綱土俵入りも、これから先、見られないだろう。
 2015年5月の還暦土俵入りには、ジムで鍛えた体で登場。綱に垂らす紙垂(しで)も綱と同じ赤にして、個性とこだわりを見せた。
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2016073100150&g=spo&m=rss

・千代の富士逝く 写真で振り返る昭和の大横綱
 https://www.buzzfeed.com/daichi/rip-chiyonofuji?utm_term=.ae2exMMZD#.dm0nPjjBL

・元千代の富士・九重親方死去‥突然の訃報に悲しみの声が広がっている
 http://matome.naver.jp/odai/2146996171303427701

・【千代の富士】記録を止めた、引退を決意させた、そして受け継いだ男たちが語る
 http://grapee.jp/208009
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[大相撲] 北の湖理事長が死去=「怪童」「輪湖時代」、62歳 はてなブックマーク - [大相撲] 北の湖理事長が死去=「怪童」「輪湖時代」、62歳

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 大相撲の横綱として一時代を築いた日本相撲協会の北の湖理事長(本名小畑敏満=おばた・としみつ)が20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。62歳だった。
 北海道壮瞥町出身。元大関増位山(初代)が師匠の三保ケ関部屋に入門し、13歳だった1967年初場所で初土俵を踏んだ。「怪童」と呼ばれ、抜群の身体能力を生かした左四つからの寄り、つり、上手投げを武器に当時の最年少昇進記録を次々と更新。71年夏場所に17歳11カ月で新十両、72年初場所は18歳7カ月で新入幕、73年初場所には19歳7カ月で新三役となった。
 関脇で臨んだ74年初場所で初優勝を遂げ、同年名古屋場所後、55人目の横綱に。21歳2カ月での昇進は、今も最年少記録として残る。その後の数年は、ライバル横綱の輪島と競い合い、「輪湖時代」と呼ばれた。貴ノ花、若三杉(のち横綱2代目若乃花)らとも熱戦を繰り広げた。
 現在の東京・両国国技館が落成した85年初場所限りで引退し、一代年寄「北の湖」を襲名した。通算成績は951勝350敗107休で、横綱在位63場所は歴代1位。幕内での連続勝ち越し50場所も、白鵬が更新するまで昭和以降1位の記録だった。優勝24回は白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に続く歴代5位。
 指導普及部長、事業部長などを歴任して、2002年2月、理事長に就任。08年9月に弟子の大麻問題で引責辞任したが、12年初場所後、トップに復帰。相撲協会の公益財団法人移行に力を尽くし、相次いだ不祥事で低迷していた相撲人気の回復に努めた。
 北の湖理事長は13年に大腸ポリープを切除する手術を受け、今年7月の名古屋場所は腎臓に尿がたまる両側水腎症で途中休場するなどたびたび体調を崩していた。今場所は初日から出勤していたが、20日朝に救急車で福岡市内の病院に運ばれた。[2015.11.20]
via http://www.jiji.com/jc/zc?k=201511/2015112000914

・楽日相星決戦4番、水入り3番=技と馬力の「輪湖」激突
大横綱北の湖の現役時代最大のライバルは、何と言っても輪島だった。初顔合わせは、1972年名古屋場所。関脇輪島が前頭7枚目の北の湖を下した。両雄は44回対戦し、輪島23勝、北の湖21勝。ほかに優勝決定戦が1勝1敗。「輪湖時代」は、昭和の相撲史に輝く一時代だった。
 最も語り継がれているのが74年名古屋場所。横綱7場所目の輪島が2敗、横綱昇進が懸かった大関北の湖が1敗で千秋楽に対戦し、輪島が本割、決定戦と得意の左下手投げで連勝した2番だろう。
 本割直前、輪島がトイレに入って何気なく外を見ると、北の湖優勝パレードの準備が行われていた。「こっちは横綱だ。負けられるかと思った」という。北の湖はのちに「何度思い出しても悔しい」と話したが、連敗にもかかわらず、昇進を決めた日本相撲協会幹部の眼力も見事だった。
 2人は千秋楽結びの対戦が22番もあり、うち4番は優勝を懸けた相星決戦だった。馬力の北の湖、技の輪島。輪島が左前まわしを引けば、北の湖も右の上手が届く。両者が得意のまわしを引く形になりやすいため、好勝負が多かった。
 水入りが3番もあるのは、北の湖が作戦を変えたからだ。「慌てて出ると下手投げを食う。こっちの体重を全部相手に掛けて、疲れるのを待つようにした」。相手に応じて取り口を変えることが少なかった北の湖が、得意の速攻を封印した。 
 輪島は「相撲の申し子」「天才」と呼ばれたが、「本当の天才は北の湖」と言い、北の湖も「戦友」に敬意を払い、きずなを大切にした。輪島さんが相撲協会を退職した後も交流は続き、今年1月には週刊誌で対談もしていた。
 via http://www.jiji.com/jc/zc?k=201511/2015112000957

・北の湖敏満:Wikipedia
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