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ミラン在籍16年、遠藤友則。ビッグクラブを支え、スター選手に愛された知られざる日本人メディカルトレーナーの軌跡 はてなブックマーク - ミラン在籍16年、遠藤友則。ビッグクラブを支え、スター選手に愛された知られざる日本人メディカルトレーナーの軌跡

□ミランの選手であれば誰でも知っている治療法
『マルセイユルーレット』や『クライフターン』など、思わず天晴! と叫んでしまうような華麗なフェイントは、そのプレーを披露したジネジーヌ・ジダン(元フランス代表主将)の出身地(マルセイユ)や、ヨハン・クライフ(元オランダ代表主将、元バルセロナ監督)の名にちなんで命名された愛称だ。
 ピッチ上で見事な足技を披露する選手のフィジカルは、トレーナーと呼ばれるスタッフたちの卓越した手技によって支えられている。
 ACミランに過去10年間、在籍した選手なら誰もが知っている治療法がある。その名を『エンドーチェック』という。
 開発したのは、ミランが誇る日本人メディカルトレーナー遠藤友則(えんどうとものり)で、その名の通り、遠藤の名前から命名された。名付け親は、アレッサンドロ・コスタクルタ(元イタリア代表)。
 その昔、治療のことを『手当て』と呼んだように、自らの手技に磨きをかけながら東洋医学をベースに開発したというエンドーチェックには、診療時間がたった3分とはいえ、試合前ともなると、ムンタリなど直接担当する選手のほか、デ・ヨングらも並ぶため、行列ができるほどの人気振りだ。
 本田圭佑のミラン入りの噂が真実味を帯び始めた2013年頃から、「ミランに凄腕の日本人トレーナーがいるらしいぞ」と遠藤の周辺がにわかに騒がしくなったが、遠藤はミランに入団した1999年から物音ひとつ立てずに黙々と努力を重ねていたのである。

□かつては風間八宏ともチームメートだった遠藤
 そうしたことからも、ミランに在籍中だったマリオ・バロテッリ(現リバプール)は「困ったことがあったら、いつでも言ってくれよ」と遠藤の肩に優しく手をかけ、元ミランの選手からは、お忍びで治療の依頼がくることもある。
 遠くブラジルからは引退したカフーから、マッシモ・アンブロジーニから譲り受けたというi-padにメールが入り、現役選手のなかには、彼らが母国に一時帰国する際、自宅でも遠藤の治療が受けたいと、自らが用意したプライベートジェットやファーストクラスに遠藤を乗せることも少なくない。
 遠藤の特徴のひとつは、よくしゃべるが語らない。
 というのも、いつもは饒舌の遠藤も、こうした武勇伝になると途端に口が重くなるからで、過去の実績や功績を語ることは、まずない。そのため時には宴席を持ちながら、唇を湿らせてもらったことも数多い。
 加えて、今から数年前、筆者が目の当たりにしたのは、16平方キロメートルにも及ぶ広大なミラネッロ(ミランの練習場)の敷地内で遠藤の横を歩いていたときのことだ。
 前方からこちらへ向かって歩いて来たロビーニョ(現サントス)が遠藤の姿を視界に捉えると、次の瞬間、顔中を親愛に満ち溢れた微笑みにしながら、すかさず左足を引きずる仕草をしたのである。
 1961年生まれの遠藤は、清水東高校に通っていた3年時、静岡県代表として風間八宏(現川崎フロンターレ監督)らとともに出場した宮崎国体で、試合中に致命的なタックルを受けてしまい(後に前十字靭帯断裂と判明)、そのまま退場を余儀なくされた。
 今でこそ前十字靭帯損傷や断裂という大怪我を負っても、その後、ピッチに復帰できる選手がほとんどだが、当時は十分な知識も医療もなかったため、遠藤は受傷直後に適切な治療が受けられなかったのである。

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遠藤友則とフィリッポ・インザーギ監督

□転機となったマッサーロからの誘い
 そしてその怪我が直接の引き金となり、「将来は日の丸を背負って立つ選手」と誰もが口を揃えて言うほど抜きん出たサッカーセンスを持ちながら、思うようにならない左膝を抱えたままでは「サッカーなんてできっこない」と、20歳になったばかりの時に選手になる夢を諦めた。
 それだけじゃない。その後遺症として今でも左足をやや引きずるように歩くことを強いられてしまったのである。そしてその場面では、遠藤の歩く姿をロビーニョが真似してからかったというわけだ。
 大学2年生の時に人生の岐路に立たされた遠藤は、「腐っていても何も始まらない」と一念発起し、当時、まだ聞いたこともなかったトレーナーという仕事を探りつつ、医療の勉強に没頭していった。
 そしてJリーグ元年を翌年に控えた1992年、恩師である『清水サッカーの父』故堀田哲爾の命を受け、清水エスパルスの医療部門の創設責任者に就任。すると現役時代同様、獅子奮迅の活躍を見せ、Jリーグ屈指の医療体制を作り上げ、その後は自らもチーフトレーナーとして腕を振るう日々を送った。
 ところが1999年、充実感や達成感に包まれながらもエスパルスを去る決意をする。そんな矢先、エスパルスを退団後、古巣ミランに戻り営業担当として新たな人生を歩み始めていたイタリアの英雄ダニエレ・マッサーロから「遊びに来いよ」との手紙が届いたのだ。
 その誘いをきっかけに視察目的で渡伊するものの、再会したマッサーロから「ミランでトレーナーをやってみないか」という意外なひと言を告げられたのである。

□過去の栄光も現在の苦境も知る唯一の日本人
「イタリア語だって、まったくしゃべれませんでしたし」と、入団当初のことを振り返りながら、「でも、ここで最高のシーズンを最高の選手たちと過ごせたことは、本当に幸せでした」と目を細めるように、遠藤がトップチームのトレーナーになった2002/03シーズンからの5シーズンで、ミランは、スクデット(セリエA優勝)をはじめ、ビッグイヤー(欧州チャンピオンズリーグ優勝)やトヨタカップ(現FCWC)制覇など、取れるタイトルを総なめにした。
 だが、現在のミランは周知の如く、ベルルスコーニの娘バルバラ女史とアドリアーノ・ガッリアーニの確執が取り沙汰されるなど、フロントが一枚岩にならないだけでなく、欧州サッカー連盟によるファイナンシャルフェアプレーが選手の獲得をはじめ、それまでのクラブ経営のあり方に大きな影響を及ぼすなど、内憂外患の状態が続いている。
 ミランが誕生してから116年。長い目で見れば、現在の勝てない状況も歴史のなかのひとつの通過点にすぎないのかもしれない。
 そうしたなか、16シーズンという長きにわたってミランに籍を置いて来た遠藤は、ミランはもとより、欧州サッカーの『祇園精舎の鐘の声』を聞き続けてきた唯一の日本人ではなかろうか。
 via http://www.footballchannel.jp/2015/03/16/post77216
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