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[MLB] イチロー引退、日米通算4367安打=現役28年に終止符 はてなブックマーク - [MLB] イチロー引退、日米通算4367安打=現役28年に終止符




 日米通算4367安打を放ったマリナーズのイチロー外野手(45)=本名鈴木一朗=が21日、東京ドームで行われたアスレチックス戦終了後に記者会見を開き、「きょうのゲームを最後に現役生活に終止符を打つ」と語り、引退することを表明した。
 イチローは20日の開幕戦に9番右翼で先発出場し、昨年5月以来の復帰を果たしたが、1打数無安打1四球で途中交代。この日の第2戦でも4打数無安打に終わった。八回には一度、右翼の守備位置に就いてから交代を告げられ、ファンにあいさつしながらベンチに戻り、チームメートの一人一人が抱き合って労をねぎらった。



 イチローは昨年5月に球団特別補佐に就任したが、チームに同行して練習を続け、今季の復帰を目指した。今年1月にマイナー契約を結んでキャンプに参加したが、オープン戦から打撃不振が続いていた。
 イチローは2000年オフにポスティングシステムでオリックスからマリナーズ入り。1年目にア・リーグMVP、新人王、首位打者、盗塁王に輝き、04年には大リーグ記録を更新する年間262安打を放った。12年途中にヤンキースへ移籍し、15~18年はマーリンズに所属。18年に6季ぶりで古巣に復帰した。
 大リーグでは通算2653試合で打率3割1分1厘、歴代22位の3089安打を放ち、117本塁打、780打点、509盗塁を記録。16年8月に史上30人目、日本選手として初の大リーグ通算3000安打を達成し、将来の米野球殿堂入りが確実視されている。
 日本ではオリックスで9年間プレーし、1278安打、打率3割5分3厘、118本塁打、529打点、199盗塁。[2019.03.22]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032100752&g=spo

・イチローが現役引退「大変幸せ」 28年で4367安打
 https://www.asahi.com/articles/ASM2X7KKXM2XUTQP02N.html

・イチローが引退表明、メジャー歴代22位の通算3089安打・シーズン最多安打262・10年連続200安打などを達成
https://gigazine.net/news/20190321-ichiro/

・Ichiro Suzuki Announces His Retirement from Major League Baseball
 https://marinersblog.mlblogs.com/ichiro-suzuki-announces-his-retirement-from-major-league-baseball-e19c6d2c7298

・Ichiro retires after emotional finale in Tokyo
 https://www.mlb.com/news/ichiro-in-lineup-for-opening-series-finale









・イチローの偉業を振り返る。振り子打法、メジャー年間最多安打、そしてWBCのあの一打。
現役引退を発表したイチロー。これまでにグラウンドに残してきた偉業と伝説の数々を振り返りたい。

■ドラフト4位でプロ入り 振り子打法が話題に
イチローは愛知県出身。地元の名門・愛工大名電高で投手として甲子園出場を果たすと、1991年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブ(当時)から4位指名を受け入団する。背番号は「51」。
イチローはルーキーイヤーから2軍で打率.366という驚異的な高打率を記録する。快調なデビューを支えたのがプロ入りから河村健一郎コーチと二人三脚で体得した「振り子打法」だ。
右足を振り子のようにゆらりと動かしながらタイミングをとる独特の打ち方で、プロ2年目にはのちに「トルネード投法」でメジャーを席巻する野茂英雄投手からプロ初ホームランを放つ。しかし、1軍に上がるたびに首脳陣からフォームを矯正するよう言われてしまい、この時はすば抜けた活躍はできなかった。
転機が訪れたのは3年目の1994年。この年、監督に就任した仰木彬氏にその才能を見初められ、抜擢される。
仰木監督は「振り子打法」を容認しただけでなく、本名の「鈴木」だった登録名を「イチロー」に変えるよう本人に提案。半ば無理やりに変更させた。
ここからイチローの快進撃が始まる。日本のプロ史上初となるシーズン200安打を達成(210安打)し、打率も.385を記録。MVPや首位打者など複数のタイトルに輝く。



翌年の1995年には阪神・淡路大震災が発生する。イチローの所属するオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝を成し遂げる。イチローも打率.342、ホームラン25本と打線を牽引した。

■メジャー挑戦、1年目から...
2001年にはメジャーリーグ挑戦。シアトル・マリナーズに移籍した。
移籍1年目から242本ものヒットを放ち、58盗塁を決めるなどメジャーを代表するリードオフマンの座を手中にした。この年、MVPと新人王をダブル受賞するという史上2人目の快挙を達成した。
さらに定位置のライトからの返球で度々チームのピンチを救い、その強肩ぶりから「レーザービーム」と称された。

■シーズン最多安打、そしてWBC決勝の...
2004年には前人未到の領域に突入する。1920年に記録されたジョージ・シスラーのシーズン最多安打記録の257本を更新したのだ。この年、積み重ねたヒットは262本。これは、MLBの公式サイトでも「破られることのない記録」と紹介されている。
その後も2007年のオールスターでランニングホームランを放ちMVPに選出される。2010年シーズンにはメジャー入りから10年連続となるシーズン200本安打も記録するなど、伝説を作り上げていく。
国際大会でも活躍を見せてきたイチロー。2006年、2009年と野球世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の連覇に貢献。
特に2009年大会では、序盤は思うようにヒットが出ずに苦しんだ。しかし、決勝の韓国戦で最大の見せ場が回ってくる。
3対3で迎えた延長10回表、2アウト2、3塁。マウンドには韓国を代表する速球派で、ヤクルトで守護神も務めた林昌勇。粘りに粘った8球目をはじき返すと打球はセンター前へ。この一打で日本は2度目の世界一に輝いたのだ。






■メジャー通算3089安打
イチローはその後2012年シーズンにメジャーの名門、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2015年にはマイアミ・マーリンズでプレーし、2016年にはメジャー通算3000安打を達成。2018年にはマリナーズに戻っている。
2019年シーズンは開幕2戦目のアスレチックス戦を最後に現役引退を表明。
最後の打席は同点の8回表、2アウト2塁と勝ち越しのチャンスで回ってきたが、ショートゴロに倒れた。メジャー通算で3089安打、日米通算では4367安打。
数えきれない伝説を残した、不世出の天才外野手。
ラストゲームは8回裏守備から退くと、チームメートもグラウンドからベンチに戻り、一人一人がハグで出迎えた。
その間、東京ドームを包んだ万雷の拍手が鳴り止むことはなかった。
via https://www.huffingtonpost.jp/entry/ichiro51forever_jp_5c9362c1e4b0d952b223bbec


【特集】イチローの歩み
【写真特集】イチローの歩み オリックスから世界へ



■メジャーリーグで放った3089本のヒット落下点分析図


■2001~2009のゾーン別打率





□"イチロー節"全開、85分間の引退会見 一問一答ノーカット「孤独感は全くない」
 マリナーズのイチロー外野手が21日、現役引退を表明した。東京ドームで行われた「2019 MGM MLB日本開幕戦」第2戦の試合後に記者会見を行い、「現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」と話した。
 85分にも及んだ長時間の会見では“イチロー節”も全開。野球への「愛」、弓子夫人と愛犬・一弓への思い、大谷翔平投手(エンゼルス)への期待、そして、米国で向き合ってきた「孤独感」との戦いなど、あらゆることを語り尽くした。
 ノーカットの一問一答完全版は以下の通り。

(冒頭挨拶)
「こんなにいるの? びっくりするわぁ。そうですか。いやぁ、この遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。
 今日のゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので、ここで1つ1つ振り返るのことは難しいということもあって、ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」

――現役生活に終止符を打つことを決めたタイミング、その理由は?

「タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかねぇ。何日前とはっきりとお伝えできないんですけど、終盤に入ったときです。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったこということもあったんですけども、キャンプ終盤でも結果が出せずにそれを覆すことができなかった、ということですね」

――決断に後悔や思い残したようなことは?

「今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと……人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います」

――子供たちに是非メッセージを。

「シンプルだなぁ。メッセージかぁ。苦手なのだな、僕が。まぁ、野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。向かうことができると思うんですね。それが見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。色んなことにトライして、自分に向くか向かないかというより自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」

――今思い返して最も印象に残っているシーンは?

「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただそれを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきた……ですけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあると思うんですけども、そのことにそれほど大きな意味はないというか。今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。
 その点で、例えば分かりやすい、10年200本続けてきたこととか、MVPをオールスターで獲ったとかは本当に小さなことに過ぎないというふうに思います。今日のこの、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが……去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」

――ずっと応援してくれたファンの存在は?

「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像してなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけども、なかなか日本のファンの方の熱量というのは普段感じることが難しいんですね。でも久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本の方というのは表現することが苦手というか、そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるというのと、それを表現したときの迫力というものはとても今まで想像できなかったことです。ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど。ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思います」
「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」(会場笑い)

――イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは?

「……。野球のことを愛したことだと思います。これが変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます、僕。大丈夫?」

――グリフィーが、肩のものを下ろしたときに違う野球が見えて、また楽しくなってくると話していた。そういう瞬間は?

「プロ野球生活の中ですか? ないですね。これはないです。ただ、子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり……。行ったり来たりっておかしい? 行ったり行かなかったり? え? 行ったり来たりっていつもいるみたいな感じだね。あれ、どうやって言ったらいいんだ? 1軍に行ったり、2軍に行ったり? そうか、それが正しいか。そういう状態でやっている野球は結構楽しかったんですよ。で、94年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども、この年まででしたね、楽しかったのは。あとは、その頃から急に番付を上げられちゃって、一気に。それはしんどかったです。
 やっぱり力以上の評価をされるのというのは、とても苦しいですよね。だから、そこから純粋に楽しいなんていうのは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。ただ、楽しいかっていうと、それはまた違うんですよね。ただ、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと、これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がある時から存在したんですね。でも、これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。たとえば草野球ですよね。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思っているので、これからはそんな野球をやってみたいなという思いですね。おかしなことを言っています、僕? 大丈夫?」

――開幕シリーズを「大きなギフト」と言っていたが、私たちが大きなギフトをもらったような気でいる……。

「そんなアナウンサーっぽいことは言わないでくださいよ」

――これからどんなギフトを私たちにくれるのか?

「ないですよ、そんなの、無茶言わないでくださいよ。でもこれ本当に大きなギフトで。去年、3月頭にマリナーズからオファーをいただいてからの、今日までの流れがあるんですけども、あそこで終わってても全然おかしくないですから。去年の春で終わっていても。まったくおかしくない状況でしたから。今この状況は信じられないですよ。あのとき考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所が、まぁ神戸では球場なんですけども、そこで寒い時期に練習するのでへこむんですよね。心が折れるんですよ。でも、そんなときも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなとあの当時は想像していたので。夢みたいですよ、こんなの。これも大きなギフトですよ、僕にとっては。質問に答えていなですけど、僕からのギフトなんかないです」

――涙がなく、むしろ笑顔が多いように見えるのは、この開幕シリーズが楽しかったということか?

「これも純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いことなので、そうやって1打席1打席立つことは簡単ではないんですね。だから、すごく疲れました。やはり1本ヒットを打ちたかったし。応えたいって当然ですよね、それは。僕に感情がないって思っている人はいるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。だから、結果残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、それは叶わずで。それでもあんな風に(ファンが)球場に残ってくれて。まぁ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をするときってこういうときだろうなって思います」

――常々、最低50歳まで現役ということをいってきたが、日本に戻ってもう1度プロ野球でプレーするという選択肢はなかったのか?

「なかったですね」

――どうしてか?

「それはここで言えないなぁ。ただねぇ50まで、いや最低50までって本当に思ってたし。でもそれは叶わずで。有言不実行の男になってしまったわけですけど、でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもあります。だから、言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思っています」

――これまで膨大な時間を野球に費やしてきたが、これからその時間とどう付き合っていくか?

「ちょっと今はわからないですねぇ。でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらないですよ、僕じっとしていられないから。それは動き回ってるでしょうね。だから、ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。全然ないです。だから動き回ってます」

――イチロー選手の生きざまで、ファンの方に伝えられたことや、伝わっていたらうれしいなと思うことはあるか?

「生きざまというのは僕にはよくわからないですけど、生き方というふうに考えるならば……先ほどもお話しましたけども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね、それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとしたらすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは」

――シンプルな質問ですけど。現役選手を終えたら、監督になったり指導者になったり、あるいは全く違うタレントになったりすることはあるけど……、

「あまりシンプルではないですね」

――イチロー選手は何になるのか?

「何になるんだろうねぇ。そもそも、カタカナのイチローってどうなんですかね? いや、元カタカナの一朗みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろう? どうなんだろうね、あれ。元イチローって変だね。イチローだし僕って思うもんねぇ。音はイチローだから。書くときにどうなるんだろうねぇ。どうしよっか。何になるか……。監督は絶対に無理ですよ。これは絶対が付きますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。うん」

――そうでもないと思うが。

「いやぁ、無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうねぇ。プロの選手とかプロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合は特殊な形で存在しているので、今日をもって、どうなんですかね、そういうルールって。どうなんだろうか。今まではややこしいじゃないですか。例えば、極端に言えば、自分に子どもがいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。確か。違います? そうだよね。だから、そういうのって変な感じじゃないですか。だから、今日をもって元イチローになるので、それが小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」

――以前にも引退の2文字が浮かんで悩んだ時期はあったのか?

「引退というよりは、クビになるんじゃないか、はいつもありましたね。ニューヨークに行ってからはもう毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークというのはみなさんご存知かどうか知らないですけど、特殊な場所です、マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。だから毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになるときはまさにその時(引退)だろうと思っていたので、そんなのしょっちゅうありました」

――その中で今回、引退を決意した理由は?

「マリナーズ以外に行く気持ちはなかったというのは大きいですよね。去年シアトルに戻していただいて、本当にうれしかったし……先ほど、キャンプ前のオファーがある前の話をしましたけど、そのあと5月にゲームに出られなくなる。あの時もその(引退の)タイミングでもおかしくないですよね。でも、この春に向けて、まだ可能性があると伝えられていたので、そこに自分なりに頑張ってこられたということだと思うんですけど……質問なんでしたっけ?」

――今回引退を決めた理由は?

「そうか。もう答えちゃったね」

――8回にベンチに戻る際に菊池選手が号泣していた。

「いや、号泣中の号泣でしょ、あいつ。びっくりしましたよ。それ見て、こっちはちょっと笑けましたけどね」

――抱擁の時にどんな会話を交わしたのか?

「それはプライベートなんで。雄星がそれをお伝えするのは構わないですけど、それは僕がお伝えすることではないですね」

――秘密ということで。

「それはそうでしょう。だって2人の会話だから。しかも、僕から声をかけているので、それをここで僕が『こんなこと僕が言いました』って、バカですよね。絶対に信頼されないもんね、そんな人間は。それはダメです」

――アメリカのファンにメッセージを。

「アメリカのファンの方々は最初はまぁ厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは『日本に帰れ』としょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残した後のその敬意というのは……これを評価するのかどうかわからないですよ。手のひらを返すという言い方もできてしまうので。ただその、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方というのはその迫力があるなという印象ですよね。ですから、なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後はすごく近くなるという印象で、ガッチリ関係ができあがる。まぁ、シアトルのファンとはそれができたような、僕の勝手な印象ですけど。
 ニューヨークというのは厳しいところでしたね。でも、やればそれこそどこよりも、どのエリアの人よりも熱い思いがある。マイアミはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけれど、でも結果を残さなかったら絶対に人が来てくれないという、そんな場所でした。それぞれに特色があって、まぁ面白かったし、それぞれの場所で関係が築けたような。特徴がそれぞれありましたけど、アメリカは広いなぁと。ファンの人たちの特徴を見るだけで、アメリカはすごく広いなという印象ですけど。でもやっぱり、最後にシアトルのユニホームを着て、もうセーフコ・フィールドではなくってしまいましたけど……姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります」

――キャンプなどでユニークなTシャツを着ていたが、何か心情を表していたのか? 全く関係なくただ好きで着ているのか?

「そこは……もう言うと急に野暮ったくなるから、言わない方がいいんだよね。それはだから見る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできるし、全然関係ない可能性もあるし。それでいいんじゃないですか?」

――好きに楽しんでいただきたいと?

「だってそういうものでしょ。いちいちそれ説明すると本当に野暮ったいもんね」

――言わないほうが粋だと?

「まぁ粋って自分で言えないけどね。言うと無粋であることは間違いないでしょうね」

――イチローさんを支えてきた弓子夫人への思いは?

「いやぁ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、およそ……僕はゲームの前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるのですけど、その数がですねぇ、2800個くらいだったんですよ。だから3000いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、まぁとにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思ってます。
 それと一弓(いっきゅう)ですね。一弓というのはご存じない方もいるかもしれないですけど、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7か月。今年で18歳になろうかという芝犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですが、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それはオレ頑張らなきゃなって。これはジョークとかではなくて、本当に思いました。あの懸命に生きる姿。(一弓は)2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深いですね。一弓の姿というのは。本当に妻と一弓には感謝の思いしかないですね」

――打席内での感覚の変化は今年はあったのか?

「いる? それここで。いる? 裏で話そう、後で。裏で」

――これまで数多くの決断と戦ってきたが、今までで一番考えぬいて決断したものは?

「これ順番つけられないですね。それぞれが一番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけでは当然それは叶わないので、当然球団からの了承がないと行けないんですね。その時に、誰をこちら側……こちら側っていう敵味方みたいでおかしいんですけど、球団にいる誰かを口説かないといけないというか、説得しないといけないというか。そのときに一番に浮かんだのが仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いを伝えていたこともあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯でお酒を飲ませたら……飲ませたらってこれはあえて言っていますけど、これはうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって。これがなかったら、何も始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなと思いますね。また、『ダメだ。ダメだ』とおっしゃっていたものがお酒でこんなに変わってくれるんだと思って、お酒の力をまざまざと見ましたし。でもやっぱり、しゃれた人だったなと思いますね。だから仰木監督から学んだもの、計り知れないと思います」

――昨日の試合は第1回WBCで日本が優勝した日と同じだったが、それは運命的なものがあったりするのか?

「まぁ聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね。僕はそのことは知らなかったですけど」

――最も我慢したものは何だった?

「難しい質問だなあ……。僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で楽なこと、楽なことを重ねているっていう感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚はないんですけど、とにかく体を動かしたくてしょうがないので、体をこんなに動かしちゃだめだっていって、体を動かすことを我慢することはたくさんありました。それ以外はなるべくストレスがないような、自分にとってですね、ストレスがないように考えて行動してきたつもりなので。家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれますけど、これロードに出るとなんでもいいわけですよね。無茶苦茶ですよ、ロードの食生活なんて。だから我慢できないから、結局そういうことになってしまうんですけど、そんな感じなんですね。今、聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらないですね。おかしなこと言ってます、僕?」

――台湾ではイチローさんのファンがいっぱいいまして、何か台湾の人に伝えたいことは何かないか?

「(元中日の)チェンが元気か知りたいですね。(マーリンズで)チームメートでしたから。チェンは元気にやってますかね? それが聞けて何よりです。今のところ(台湾に行く)予定はないけど、でも以前に行ったことがあるんですよ、一度。すごく優しい印象でしたね。心が優しくて、いいなあと思いました」

――菊池(雄星)投手が同じマリナーズに入って、去年は大谷(翔平)選手がエンゼルスに入った。後輩たちに託すことは?

「雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたのは、何かいいなあと思っていて……もう『ちゃんとやれよ』という思いですね。短い時間でしたけど、すごくいい子で。いろんな選手を見てきたんですけど、左ピッチャーの先発って変わっている子が多いんですよ。本当に。天才肌が多いという言い方もできるんですかね。アメリカでもまぁ多いです。だから、こんなにいい子いるのかなっていう感じですよ、ここまで。今日まで。
 でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど、チームはドレスコードですね、服装のルールが黒のセットアップ、ジャージのセットアップでOK。長旅なので、できるだけ楽にという配慮ですけど、『雄星、俺たちどうする?』って。『アリゾナ発つときはいいんだけれども、日本着いたときにさすがにジャージはダメだろ』って2人で話していたんですね。
『そうですよね、イチローさん、どうするんですか?』って。僕は『中はTシャツだけどセットアップでジャケット着ているようにしようかな』って。『じゃあ僕もそうします』と雄星が言うんです。で、キャンプ地を発つときのバスの中で、みんな、僕もそうでしたけど、黒のジャージのセットアップでみんなバスに乗り込んできて。雄星と席が近かったので『雄星やっぱ、だめだよな、これっ』て。『やっぱり日本に着いたときに、メジャーリーガーがこれはダメだろ』ってバスの中で言っていたんですよね。『いや、そうですよね』って。そうしたらまさか羽田に着いたときに黒のジャージでしたからね。いや、コイツ大物だな、と思って。ぶったまげました。それは本人にまだ真相は聞いてないんですけど、何があったのかわからないですけど、左ピッチャーはやっぱ変わったヤツ多いなと思ったんですね。でも、スケール感は出てました。頑張ってほしいです。

 翔平はもうちゃんとケガを治してスケールの、物理的にも大きいわけですし。アメリカの選手に全くサイズ的にも劣らない。あのサイズであの機敏な動きができるというのはいないですからね、それだけで。いやもう世界一の選手にならなきゃいけないですよ、うん」

――イチローさんが愛を貫いてきた野球。その魅力とは?

「団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。野球が面白いところだと思います。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことないですよね。個人としても結果を残さないと生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティが高いはずなので、それでいいんじゃないかという考えもできるかもしれないですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、魅力であることは間違いないですね。あと、同じ瞬間がないということ。必ず、必ずどの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね」

――イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか?

「2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような……。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。本来は野球というのは……ダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな。頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから。その野球がそうなってきているということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」

――(長々と説明後に)1年目のゲームから今日を思い出しましたか?

「長い質問に対して大変失礼なんですが、ないですね」

――プロ野球選手になるという夢を叶えて成功してきて、今何を得たと思うか?

「成功かどうかってよく分からないですよね。じゃあどこからが成功で、そうじゃないのかというのは、全く僕には判断できない。成功という言葉がだから僕は嫌いなんですけど……メジャーリーグに挑戦する、どの世界でもそうですね、新しい世界に挑戦するということは大変な勇気だと思うんですけど、でもここはあえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんです。じゃあ自分なりの成功を勝ち取ったときに、達成感があるのかといったらそれも僕には疑問なので。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。

 で、何を得たか……まぁ、こんなものかなあという感覚ですかねぇ。それは200本もっと打ちたかったし、できると思ったし、1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、勝つのってそんなに難しいことじゃないなってその3年は思っていたんですけど、大変なことです。勝利するのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね」

――毎年神戸に自主トレに行っている。ユニホームを脱ぐことで神戸に何か恩返ししたい思いは?

「神戸は特別な街です、僕にとって。恩返しかー……、恩返しって何することなんですかね。僕は選手として続けることでしかそれができないと考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともあるんですね。神戸に……恩返し……、じゃあ、あの税金を少しでも払えるように頑張ります」

――日米で活躍する選手は甲子園で活躍、プロで活躍、そしてメジャーに挑戦という流れがある。もっとこんな制度ならメジャーに挑戦しやすかったとか、こういうことあればいいなという提言は?

「制度に関しては僕は詳しくないんですけども、でも日本で基礎を作る、自分が将来、MLBでプレーする……。MLBで活躍する礎を作るという考え方であれば、できるだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられることってたくさんあるんですよね。だから制度だけに目を向けるのはフェアではないと思いますけどね」

――日本の野球で鍛えられたことは?

「基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より日本だったら中学生レベルの方がうまい可能性だってありますよ。それはチームとしての連係もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね、日本の野球では。でも、こちらではなかなかそこは……。個人としてのポテンシャル、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみましたよ。苦しんで、諦めましたよ」

――エンゼルスの大谷選手との対戦を楽しみにしていたけど、叶わなかった。イチローさんは対戦したかったか?

「先ほどもお伝えしましたが、世界一の選手にならないといけない選手ですよ。そう考えてます。翔平との対戦、残念ですけど、できれば僕がピッチャーで翔平バッターがやりたかったんですよ。そこは誤解なきようにお願いします」

――大谷選手は今後どのような選手になっていくと思いますか?

「なっていくかどうか? そこは占い師に聞いてもらわないとわからないけどねぇ。まぁでも、投げることも、打つこともやるのであれば、僕は1シーズンごとに、1シーズンはピッチャー、次のシーズンは打者として、それでサイ・ヤング(賞)とホームラン王を取ったら……だってそんなこと考えることすらできないですよ。翔平はその想像をさせるじゃないですか、人に。この時点でもう明らかに人とは違う選手であると思うんですけど。その二刀流は面白いなと思うんですよね。(記者に向かって)納得いっていない感じの表情ですけど。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、その翌年には50本打ってMVP獲ったら、これ化け物ですよね。でも、それが想像できなくないですからね。そんな風に思っています」

――現役野球選手じゃない自分は嫌だとインタビューで言っていた。

「僕は嫌だって言わないと思うけどね。僕、野球選手じゃない僕を想像するの嫌だとたぶん言っていないと思いますよ」

――改めて野球選手ではない自分を想像してどうか?

「いやだから、違う野球選手に多分なってますよ。あれ? この話さっきしましたよね。お腹減ってきて集中力が切れてきちゃって、さっき何話したのかもちょっと記憶に……。草野球の話しましたよね? そっちでいずれ……それは楽しくやっていると思うんですけど。そうするときっと草野球を極めたいと思うんでしょうね。真剣に草野球をやるという野球選手になるんじゃないですか、結局。聞いてます?」

「お腹減ってきたもうー。結構やっていないですか、これ。今時間どれくらい? 1時間? 20分? あらー。今日はとことんお付き合いしようかなと思ったんですけどね。お腹減ってきちゃった」

――プロ野球人生振り返って、誇れることは?

「これ、先ほどお話しましたよね。小林君もちょっと集中力切れてるんじゃないの? 完全にその話したよね。ほらそれで1問減ってしまうんだから」

――イチロー選手の小学生時代の卒業文集に「僕の夢は一流の野球選手になることです」と書いていたが、その当時の自分にどんな言葉をかけたいですか?

「お前、契約金1億(円)ももらえないよって。ですね。いやー夢は大きくと言いますけどね、なかなか難しいですよ。ドラ1の1億って掲げていましたけど、全然、遠く及ばなかったですから。いやー、ある意味では挫折ですよね、それは」

「こんな終わり方でいいのかな? なんかきゅっとしたいよね、最後は」

――前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーしている」と話していた。ヤンキース、マーリンズとプレーする役割が変わってきて、去年ああいう状態があって今年引退。その孤独感はずっと感じてプレーしていたのか。それとも前の孤独感とは違うものがあったのか。

「現在それ(孤独感)全くないです。今日の段階で、それは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て……外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことなのではないかなと感じています」
「締まったね、最後。いやー長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか、ね」
 via https://full-count.jp/2019/03/22/post325131/

・貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】
  https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro
・イチローの引退会見を文字起こししてみた - 俺の遺言を聴いてほしい
  https://oreno-yuigon.hatenablog.com/entry/2019/03/22/013942
・イチロー引退会見に学ぶ超一流の確固たる心得
 https://toyokeizai.net/articles/-/272660

・"今日をもって元イチロー"‥引退会見の「イチロー節」が半端なかった!
 https://matome.naver.jp/odai/2155318361489389201
・「監督は絶対に無理」‥イチロー選手の引退会見にネット騒然!
 https://matome.naver.jp/odai/2155316823284059401

◇Ichiro Suzuki Stats, Fantasy & News | MLB.com
 https://www.mlb.com/player/ichiro-suzuki-400085

・最後のシーンに号泣..イチロー引退に各界から多くの労いの声
 https://matome.naver.jp/odai/2155320445692587501
・イチロー引退・談話
◇彼は偉大な選手だ
 米大リーグ機構のジョー・トーリ競技運営最高責任者 彼は偉大な選手だ。(ヤンキースの)監督として対戦したときは脅威だった。米大リーグに大きなインパクトを残した。
 ◇目標になる存在
 大谷翔平(エンゼルス) 目標になるような存在。それはこれからも変わらない。プレーする姿はもう見られないが、昔から見てきた選手像を目標にしてやると思う。まだ信じられない。本当に引退するのかな、という感じ。
 ◇一つの時代が終わった
 オリックス・田口壮野手総合兼打撃コーチ 一つの時代が終わったという感覚をこんなに強く感じたことはない。28年にわたるお祭りが終わり、虚無感でいっぱい。同期で入団し、いろいろな形で刺激をもらったことにも感謝している。もう見られないと思うと寂しい。ありがとう。お疲れさまでした。
 ◇野球に関し全てに特化した人
 ソフトバンク・内川聖一 (2009年の)ワールド・ベースボール・クラシックで(日本代表の)同じユニホームでやらせてもらったのは宝物。あそこまで野球をやり切った人は他にいない気がする。野球に関して全てに特化した人。美しいと思って見ていた。
 ◇正直驚いている
 稲葉篤紀氏(侍ジャパン監督) 正直驚いているが、イチ君のことなので、さまざまなことをさまざまな角度から考え、わたしたちには想像もつかないほどの思いと闘い、今回の決断に至ったと思う。この先もイチ君の人生を歩んでほしい。
 ◇神様に一番近づいた
 岩村明憲氏(第1、2回WBCでチームメート) 最後までプロの魂の入ったプレーを見せてくれた。僕は野球の神様はいると思っている。イチローさんはその神様に一番近づいた方。一緒に野球ができたことを誇りに思う。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032200032&g=spo

・古巣オリックスからもねぎらい=イチロー引退
 イチローの古巣のオリックス関係者もねぎらいの声を寄せた。同期入団だった田口壮野手総合兼打撃コーチは会見中にメールを送ったことを明かし、「いろんな人からすごい数のメールをもらっているだろうが、おそらく全員に返しているのだろう。想像するだけでも、彼の人柄が分かる」。草野球で一緒にプレーすることにも意欲を見せ、「肩をもう一度戻さないと」と笑った。
 長村裕之球団本部長は「『頑張ろう神戸』のとき、私はコーチで一緒に頑張った。心を一つにして優勝できた」と語り、阪神大震災翌年の1996年に日本一となったことを回顧。背番号51の永久欠番については、「今まで空いていたので。現状はそういう形で」と話した。
 via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032200707&g=spo

・「イチ・メーター」のエイミーさん、イチ最後の雄姿に涙 右翼最前列で観戦

 イチローの通算安打数を示す手製のボード「イチ・メーター」でおなじみのエイミー・フランツさん(47)も右翼最前列の席でイチローの場内一周を目に焼き付けた。
 この日の試合前にはオンラインチケット販売大手「StubHub」主催のファン交流会に参加。28日(日本時間29日)の本拠地開幕・レッドソックス戦も観戦予定で「イチローの全てが好き。頑張る姿をもっと見たい」と話していただけに、知人と抱き合って悲しみに暮れた。
via https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007111000c.html



・偉大なるイチロー、現役最後の日。「野球を愛したこと」を貫いた28年。
 深夜23時56分。東京ドームホテルの地下に設えられた会見場に「背番号51」がやってきた。
「こんなにいるの? びっくりするわ!」
 200人を超える報道陣が殺到した会見場を見回して、イチローはおどけた表情を見せた。そして次の瞬間、引き締まった表情でこう切り出した。
「こんなに遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。今日のゲームを最後に日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだった現役生活にピリオドを打ち、引退することになりました。最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたことを幸せに感じています」
 正式な「引退」の表明だった。
 恐らく最後のユニフォームになるのだろう――詰め掛けた4万6451人の観衆の誰もがそんな思いを胸に、「背番号51」を追いかけ始めた試合だった。
 ところが三邪飛に倒れた2回の第1打席直後に「引退」のニュースが駆け巡り、スマホ等でそれを知った東京ドームのファンの惜別の想いは一気に加速していった。
 そんな中で、イチローは最後まで「1本」を求めて打席に立ち続けたのだ。

■「なんとか1本打ちたかった」
 自然発生的に湧き上がるイチローコールの中で、第2打席は二塁へのゴロ、第3打席はホアキン・ソリア投手のスライダーを見逃して三振に倒れた。
 そして8回2死二塁の第4打席は1ボール2ストライクから2球連続ファウルで粘った末に、遊撃へのゴロを放った。
 捕球した遊撃手が一瞬ボールを握り直して間一髪のタイミングで一塁を駆け抜けたが、一塁塁審のコールは「アウト」。
「なんとか1本打ちたかった」というメジャー通算3090本目、日米通算4368本目の安打はならなかった。
 そして別れの時である。

■たった1人の“凱旋”。
 8回裏のマリナーズの守り。
 ベンチに戻ったイチローは帽子をかぶってグラブを手にすると、淡々とライトのポジションへと走った。ただ、イチロー以外のプレーヤーがなかなか守備位置につこうとしない中で、スコット・サービス監督がベンチを出てアンパイアに交代を告げた。
 クルッとライトスタンドに向かって両手を掲げ、そして今度はグラブを持った左手を振って別れを告げる。
 そうして球場全体のスタンディングオベーションに包まれながら、たった1人のグラウンドをベンチに“凱旋”した。
 一塁ベンチ前では、かつてはマリナーズ監督として共に戦ったオークランド・アスレチックスのボブ・メルビン監督とナインにグラブを掲げて胸を叩いて感謝と敬意を表明。そして三塁ベンチ前では、出迎えたチームメイトと抱擁を交わした。
 サービス監督やチームメイトと抱き合い、今回の遠征に同行していたチームのレジェンド、ケン・グリフィー・ジュニア氏やスタッフと握手を交わした。

■公式戦としては異例中の異例の風景。
「あれは号泣中の号泣だったね」
 イチローがこう振り返ったのは、この日がメジャーデビュー戦だった菊池雄星投手だ。
 すでにイチローと抱き合う前から泣きじゃくってはいたが、抱きついた時には、イチローが菊池に何かを語りかけるシーンも見られた。
 そしてマイアミ・マーリンズ時代からイチローを師と仰いできたディー・ゴードン内野手。笑顔で抱き合ったのち、すぐさま二塁の守備位置に走ると、そこでしゃがみこんでしまい、涙を流していた。
 公式戦の最中とは思えない異例のイベントだったが、それもイチローという選手の偉大な功績と、生まれ故郷の日本という舞台が整ったからこそ可能だったのかもしれない。

■来日前、GMに伝えていた現役引退。
「日本でプレーするところまでが契約上の予定だった。キャンプ終盤でも結果が出せず、それを覆すことができなかった」
 昨年5月に選手登録を外れて会長付き特別補佐に就任したときから、今回の日本遠征までは選手としての身分を保証するという契約だった。
 ただイチローの中では……恐らくキャンプに参加することで、同じスタートラインからの競争を勝ち抜いて何とかプレーヤーとしてチームに残る可能性にかけてみる、という目標はあったのだろう。
 ただ、イチローは競争に敗れた。
 オープン戦で無安打が続いた中で、来日直前の3月10日にキャンプ地のアリゾナでジェリー・ディポトGMに決断を伝えていたというのだ。

■結果は出なくても、カッコ悪くても……。
「これはギフトだと思っている」
「日本人でいることが勝者なんだなと思った」
 開幕シリーズの直前会見でこう語った裏には、「引退」の2文字を心の中にしまい込んで臨むゲームへの強い思いがあったのだ。2試合で6度、打席に立ったが、そこでも願った結果は残せなかったが……。
「最低50歳までと本当に思っていたし、有言不実行になってしまったけど、言わなかったら、ここまで来られなかったと思っている」
 かつてのイチローの栄光を思えば、想像もつかない姿かもしれない。それでも結果は出なくても、カッコ悪くても、いまの自分にできるパフォーマンスを最後の最後までやり遂げた。
 そこが、イチローであったのだ。

■「野球を愛したこと。これは変わることはなかった」
 試合後の東京ドーム。
 両チームのナインがロッカーに引き上げた後も、スタンドのファンからは自然発生的にイチローコールが湧き起こった。
 その声に応えた「背番号51」が、無人のグラウンドに戻ってきた。
 涙はない。
 三塁ベンチ前からゆっくりとフェンス沿いに左翼へ移動。
 そこから両手を掲げ、時にはファンを指差して、約6分間かけてグラウンドを一周した。
 そして最後は三塁ベンチ前から再びダイヤモンドの中に入って、帽子をとって感謝の気持ちを伝えた。
「今日のあの球場での出来事。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。自分なりに頑張ってきたということははっきりと言える。野球を愛したこと。これは変わることはなかった」
 野球という旅を終えることに悔いはない。
 via https://number.bunshun.jp/articles/-/838720


・イチロー、父・宣之さんとつくり上げた打撃の原型 “全力投球”トス打撃が生んだ広角打法
 イチローは少年期に、父・宣之さん(76)と二人三脚で打撃の原型を形成した。それは一風変わったトス打撃。通常は下手からの緩い球を同じ間隔で打つが、全力投球を打ち返した。
 さらに惰性でバットを振らないよう、全力投球の中にスローボールが交ぜられた。速球を打ち返すには敏しょう性に加え、動きの無駄を省く必要がある。突然来る緩い球で反射神経が発達した。
 このメニューでは両手が左肩近くで保たれる、イチローの打撃で最も特徴的な動きも形つくられた。前方に体重移動する際、グリップはぎりぎりまで頭の後方にある。前に踏み込みながら力をため、最後の瞬間に両手が投球に最短距離で出る。グリップが残っていることで、変化球や緩急への対応が可能になった。本人は「最終的に腕が(頭の後ろに)残るから前に動けばいい。動いてこっちに来るもの(投球)をじっと待っていても反応は良くない。テニスでも、じっとしているところから速いサーブを打ち返すのは難しい」と極意を説明している。
 「相手は左右、高低以外にもチェンジアップとかで前後の奥行きを使ってくる。そしてスプリットやカッターもあるのが現代の野球。これに対応するには受けてしまっては駄目」。広角打法の核心は、向かってくる球に自ら近づくことで、父子による傑作でもあった。
via https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007117000c.html


・イチロー父「最後に出てきて良かった」/一問一答
現役引退を表明したマリナーズ・イチロー外野手の父で「チチロー」こと鈴木宣之さん(76)が23日、愛知県豊山町の自宅前で会見した。一問一答は以下の通り。

-引退した率直な思い
現場で見てました。第一に感じたのは、脳裏に浮かんできたのは少年時代。子供時代のこと。あの小さい子が45歳のプロ野球選手として、メジャーリーガーとしてよくここまでやってきたことが、涙がわき上がるというか…。涙っていろいろあると思う。うれし涙とか悲し涙とか、これは周囲をはばからず抑えることができなかった。

-引退はどのタイミングで聞いたか
私も大体予想していた。これは引退の花道になるんではないかと。東京ドームのこの2連戦が。初めて耳にしたのは、試合前に弓子さんが私のところまできてくれた。お父さん「実は…」ということで確かな答えとして聞きました。

-どのような言葉で
付け足すような言葉はなく。「今日の試合が終わったら引退します」と聞きました。

-その言葉を聞いたときは
昨日、別便で2人が夕方帰った。(弓子夫人)から帰るときにメールが入ってきたんですよ。「お父さん、お母さんも元気でやってください」と。メールありますけど。
(メールを披露して)「お父さん、これからイチロー君とシアトルにいきます。昨夜は最高の忘れられない日になったと言っていました。お父さん、お母さんもお体に気をつけてください」とショートメールですね。私の答えですね。返事を出さないといけない。老師の言葉。外には言えないこと。イチローと弓子さんにしか言えないこと。「功なり名遂げて、身退くは天の道 とあります。これからも自然体の気持ちを崩さないように。将来ある子たちのために尽力するように」と。

-イチロー本人とは会ったか
イチローと会う時間はなかった。イチローも探してたみたいだけど。私もしっかり目に焼き付けていました。冥土の土産に。

-ゲーム中の前後では
イチローが日本に来る前にメールを入れた。これが引退の花道かも分からないので。1年間ブランクあったので、頑張ってほしいと。「亀の甲より年の功」。現役年長者、最年長者といってもいいくらい。現役年長者としての思いを今までの豊富な経験と知識。開幕2試合で生かすチャンスだぞ、頑張れよ、と。メールが返ってきました。やはり子供ですね。簡単ですね。「ありがとうございます」。(笑いながら)そんなもんです。そんなんで十分わかるでしょ。

-幼少時代から思い出が印象的と話していたが
真っ先にお話ししなきゃいけなかったのは、プロに入ってからの28年間皆さんファンの方、いろんな方に支えられた、指導された。まずはその方にお礼申し上げないといけない。それと、28年間だけじゃない。その前があるんですよ、イチローには。その前に皆さん助けてくれた人がものすごく多いんですよ。親として子供のためにやって当たり前なんです。やって当然。親以外にイチローが熱中できるような時間を与えてくれるのは誰だったか。その方たち、少年野球時代とか中学も高校もいろんな方々が指導を。その方々にお礼申し上げたい。私自身を夢中にさせてくれた、お付き合いさせてくれた人たちがいるんですね。心から感謝いたします。この場を借りて、お礼申し上げます。

-メールでのやりとりはあったが、次回イチロー本人と会ったときはどんな言葉をかけるか
今まで培ってきたことを生かす人生を続けてほしい。自分の子どもながら、上に立つような人間じゃないという意味で育ててきた。上に立つ人間じゃなくても指導はできる。将来のある子ども、夢のある子どもたちのために、力になってほしい。自分がこれまで身につけてきたものを、子どもさんに発揮してほしい。夢のある世界に、小さいお子さんがそういう世界に入り込んでいってほしい。イチローを育てるにあたってモノマネから入っている。人のマネから、いろんな道に入っていく。最後には自分自身の形を作り出しなさい、というのが私の考え方。その通りのイチローだった。例えば篠塚選手のマネしたり、小松投手のマネしたり、田尾選手のマネしたりと。そういうモノマネから入って、イチロー独自の形を作った。イチローが今度指導者になったときに、子どもたちのために、夢のある教え方をしてもらいたい。
-イチローは会見で監督にはなれないと話した。ご指導がつながっている
少年野球の監督をしていて、イチローのチームの監督だった。いつもお風呂に一緒に入ってた。お風呂に入っているときにイチローに聞いた。キャプテンやるか、って聞いたら、イヤだ、イヤだと言われた。副キャプテンならと。一番上に立つと責任がありすぎて、自由に行動ができないと言う。控えめです。監督になるとクビになるし。

-父としてイチローにどのようなことをやってほしいか
自分の構想がでかすぎるんですが。イチローがプロ野球に入って、まあまあできる選手になったら、少年野球の全国大会を豊山町で開けたらと思っていた。そういう夢を持っていた。喜寿で77歳。まだ元気ですが、目の黒いうちに実現してもらえたら。そういう夢があります。

-イチロー杯があるが、全国的に
ぜひやってもらいたい。子どもというのは親孝行をしたくてもできない。親孝行したいときには親がいない。親孝行には、きりがない。ハタから見ると、イチロー君は親孝行してますね、と見られる。しかし、私は私なりに苦労がある。そんなぜいたくなこと言うなと言われるかもしれませんが。親孝行は親が生きているうちに。物とかお金じゃない。気持ちです。温かい気持ちが伝わればいい。それを何とか、気持ちが伝わるように、イチローから私に、そういう気持ちが伝わるようにしてもらいたい。少年野球の全国大会を二の次でもいいので、まず気持ちが伝わるようにしてほしいなと思います。

-まだまだ、これからも成長してほしい
そうです。親孝行と火の用心は、灰にならぬ前にやってほしいです。

-一緒に生活してほしいか
近くでなくてもいい。気持ちで故郷を大事にしてほしい。生まれ育ったところ、故郷があるから今がある。この気持ちをずっと忘れないでいてほしい。これが念願です。そばにいなくてもいい。どこにいてもいい。それが念願です。

-イチローに声をかけて
気持ち。自然体の気持ち。飾らなくてもいい。一隅を照らす人間になってほしい。私は照らし加減が足らない。

-最後のプレーを見て
1本ヒットを打ってほしかった。

-涙は
8回の守備から帰ってくるときです。メジャーの監督が、温情という形を見せてくれた。イチロー個人のために、全選手がベンチに並んでイチローを迎えてくれた。相手からも文句も出ない。人間味のある温情主義を垣間みせてくれた。見直した。日本人だけじゃない。やっぱり人間は一緒なんだ。あそこからワッと来た。

-どこから見ていた
バックネット裏の中間です。

-2試合とも
はい。

-試合が終わったあと、日本のファンの皆さんが声をかけた
最後に、試合終了後に、ずっと観衆の方が5分の4くらい残っていた。私も当然、何かある、絶対。あの空白の時間は30分以上あった。あの気持ちを私は忘れない。あの気持ちが最高に大事なところ。イチローの将来のために。イチローは出てきてくれて良かった。もしあのまま出てこなくて、アメリカに帰ってたら、今までの実績、積み上げていたものが、全部パーになる。私は感じていた。よく出てきてくれた。あれだけでうれしかった(涙声)。あれで出てこなかったら、イチローは終わりでしたよ。皆さんのおかげだと思っている。うれしかった。人間の人生なんて一瞬にして、信用が落ちる。積み上げるには時間がかかる。もし出てこなかったら、と心配していた。みなさんの気持ちが通じた。

-そのシーンをみてどうか
みなさんに、ファンに支えていただいて、頭が下がります。イチローも最後に90度の礼をしていた。あれがイチローの気持ちでした。
via https://www.nikkansports.com/baseball/news/201903230000306.html


◆【イチロー 記憶に残る名言集】
「最初は冗談だと思ったんです。でも監督まで言ってこられて」(94年3月28日、登録名を“イチロー”とする方針が明かされ)

「やはりホッとしました。でも、6打席立ってヒット1本というのは悔しいですね」(94年9月14日、日本ハム戦で192安打でシーズン最多安打記録を塗り替え)  

「210本が目標です。打率はどうでもいい。毎日これだけ言われるとやっぱり意識はする。でも、安打数を求めていくなら精神的に苦しまないでしょう」(94年9月20日、ロッテ戦で前人未踏のシーズン200安打を達成し、次の目標を問われて)  

「大変よくできたと思います。本当に終わってみたら、こうなっていたという感じです」(94年10月9日、210安打、打率・385でブレークイヤーを終えて)  

「セーターでも買います。僕に似合うセーターです」(94年12月16日、年俸800万から8000万円で更改し使い道を聞かれ)

「なんて言うのかなぁ。ぐーっと締め付けられるような。夏場のきつい時に打つビタミン注射。そのビタミンをギュッとためて、一気に出したような…。こういう状況でプレーさせてくれた皆さんに大変感謝致しています」(95年9月19日、初のリーグ優勝に)

「そりゃあ気持ちがいいのと、悪いのと、いろいろありましたし。ただ高津さんと聞いて全力では投げられないと思いました」(96年7月21日、オールスターの9回2死で打者・松井に対し登板も、代打・高津を送られ)  

「なかなか喜びは体で表せないものですけど、さすがにガッツポーズも出ました。まだ僕は22年間しか生きてませんが、あんなこと初めてです。最高というものを通り越したものですね」(96年9月23日、本拠での日本ハム戦でサヨナラ打でリーグ2連覇を決めて)  

「気分は非常にいい。特Aです。想像もできなかったけど、最後に笑うのは(12球団で)一つだけ。だから大変誇りに思うし、自信につながります」(96年10月24日、日本シリーズで巨人を破り初の日本一に)

「相性が合う。話すリズムや価値観が一緒で同じ空間にいることが心地よく感じられる」(99年12月5日、弓子夫人と結婚会見に臨み)

「自信がなければここにはいない。プレッシャーがかかる選手であることを誇りに思う」(00年11月19日、マリナーズ入団会見で)

「きょうのことは一生忘れないでしょう。最も特別な日でした。ゲームの興奮が凄かった。お客さんの歓声、盛り上がり方。想像していた以上でした。どんなものかという表現はできないですが、間違いなく一生忘れることのできない日になりましたね」(01年4月2日、開幕アスレチックス戦でメジャー初安打)

「ストライクが甘いところに来たら打とうと思っていました。狙っていないということにしておきましょう。大事な場面で試合を決めることができてうれしい。打った瞬間?次は佐々木さんが投げるからこれで試合が終わると思いました」(01年4月6日、レンジャーズ戦でメジャー初本塁打で決勝点を挙げ)

「オールスターなんて想像もできなかった。どうしてもオールスターを見に行きたいと思って(球団から)チケットを買っていました。未知の世界を経験できることはとても楽しみです。個人としてはイチローであることを変えることはできない。イチローのプレーを見せたい」(01年7月2日、地元開催のオールスター戦に両リーグ最多得票で選出され)

「ヒットを打てたことより、僕は彼から51番を受け継いだ。こちらで頑張っていられる要因はこの番号を汚してはいけないという思いがあるから」01年7月10日、オールスター戦でランディ・ジョンソンから一塁内野安打を放ち)

「日本にいる時から200本のヒットというのは大きな目標だった。こちらでもそれが達成できたことは大きな自信になるし、うれしい気持ちも大きいですね。シーズン前は想像はできなかった。シーズンをある程度過ごしていって、ぼんやりと見えてきた数字ではないでしょうか」(01年8月28日、デビルレイズ戦でシーズン200安打に達し)

「きのうまでは果たしてグラウンドに立っていいのか、そういう気持ちはあったけども、きょう1日でそんな気持ちを持っていたのが恥ずかしくなってしまった。複雑な気持ちであることにはかわりはないけど、すべてを振り払うのは無理だとしても、一瞬だけでもそういう気持ちを与えることができればうれしい」(01年9月19日、米中枢同時テロの悲しみが消えない中、地区優勝を決め)

「期待していないということはなかったですけど、そのメンバーに名前が入っていること自体が素晴らしいことだと思ったので、獲れるとは思ってはいませんでした。僕は細いし、小さいし、パワーもない。子供たちが自分にもできるぞとメジャーを目指してくれるとうれしい」(01年11月20日、新人王に続きア・リーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞し)

「簡単ではないと思われていたけど、ここに破った人がいるわけですからねえ。10年間はやめてというのはある。願わくば自分が破りたい」(04年10月1日、ジョージ・シスラーのシーズン257安打の大リーグ記録を、84年ぶりに破り)

「僕の野球人生で最も屈辱的な日ですね」(06年3月15日、WBC2次リーグで韓国に1―2で敗れ)

「僕の野球人生で最も大きな日になった。多くの人が日本から来てくれて力をもらいました。きょうはケガを恐れるとか関係なかった。何があってもやってやるという気持ちだった。みんなで喜べることなんて遠ざかっていたので、思い出させてくれた。次回?声が掛かるようにしていかないと」(06年3月20日、キューバを下しWBC優勝に)

「出た、じゃない。出しました、です。楽しかった。これは楽しかった。もちろん試合に出ることも(意味が)あるけど、やはり選手は結果を出さないと駄目だな、と。レストランを予約していて、帰ろうと思ったら残れ、と言われまして。不思議なもので、最後まで残っているとだんだん(MVPが)欲しくなる。結果的にいただけて、生涯忘れないでしょう」(07年7月10日、オールスター戦史上初のランニング本塁打含む3安打で日本人初のMVPに輝き)

「1人の選手に対してこれだけの評価を与えてくれることってそれを示していると思う。この評価って平均年俸が500万円だとしたら、弥生時代からプレーしないと達成できない数字なのでその評価って凄いと思う。1000万円でも多分平安時代ぐらいからですから。このこと(契約)はその気持ちを表してくれているんだと個人的には思います」(07年7月13日、5年総額9000万ドル(当時約110億円)で契約延長し)

「今年中に日本選手が立ったことのない場所にいきたいと思っている」(08年1月、残り215本に迫っていた張本勲の通算3085安打へ向けて)

「あざ~っす。僕は持ってますね、やっぱり。いやぁ神が降りてきましたねえ。球場を1周した気持ち?気持ちよかった!ほぼイキかけました」(09年3月23日、WBC決勝・韓国戦で勝ち越しの決勝打を放ち2連覇し)

「まあ8試合ミス(欠場)するだけなんで。ただWBCの時から思っているんだけど(お見舞いの)メールの数が少ない。もうちょっと心配してくれよ」(09年4月、胃潰瘍で開幕故障者リスト入りが決まり)

「頂に登った時の景色を感じてみたかった。凄く晴れやかな、いい景色でしたね。今後も数字?そりゃそうでしょう。(でなければ)つまんないでしょ」(09年日本人新記録となる3086安打を放ち)

「本当にイチローVS松井ってなるように、ちゃんとブルペンで仕上げていきたいと思います」(10年1月7日、同じア・リーグ西地区のエンゼルスに松井秀喜の移籍が決まり)

「対ピッチャーとして見てみたいということ?それはありますよ。夢に出てきたことがありますし。対戦したの、対戦したんですよ!勝敗は難しいですけど、真っ二つになったバットで僕は打たなきゃいけなかった。凄く不思議なんだけど、(斎藤は)160キロぐらい投げていた」

「人間として興味がある。僕が何を言っても嫌みに聞こえるけど、(斎藤は)そう聞こえない。(自分と)真逆、対極のイメージ。でも、一番対極にある関係とはどこかで通じるものがある」(11年1月5日、日本ハムの新人・斎藤佑樹について聞かれ)

「どんなオファーを提示したかということより、このオファーを受けたことへの覚悟と自信に敬意が払われるべき」(13年1月23日、田中の7年総額1億5500万ドルでのヤンキースとの契約合意に)

「今年の僕がみんなに何を伝えられるかというと、我慢ということではないかと思いました。大人になると我慢の連続。自分の気持ちを抑えて未来へ向かっていく。これしか方法がないと言ってもいい」(14年12月23日、ヤンキースからFAとなり、イチロー杯閉会式にて)

「これからも応援よろしくお願いします…、とは絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、やらなくてはいけないことを続けていくことを約束して、メッセージとさせていただいてもよろしいでしょうか」(15年1月29日、マーリンズ入団会見でファンへの一言を求められて)

「野球選手として嫌な年齢に来た。ただ、25歳でも45歳に見える人はたくさんいる。その反対であることができるように、ちょっとずつ前に進みたい」(15年1月29日、41歳で現役最年長野手となることについて問われ)

「ペットショップで並んでいるかわいい子たちがどんどん売れていって、大きく成長した犬が残っていくという状態ですかね。それでも飼ってくれる人がいたら、忠誠を尽くす、そんな感じでしょうか」(15年1月29日、マーリンズ入団会見でなかなか移籍先が決まらなかった間の心境を問われ)

「3000という数字よりも、僕が何かをすることで、僕以外の人たちが喜んでくれた。今の僕にとって何よりも大事なことだと再認した瞬間でした」

「この先は感情を無にしてきたところを、うれしかったり、悔しかったり。それなりの感情を少しだけ見せられたらいいなと思います」(16年8月7日、ロッキーズ戦で史上30人目のメジャー通算3000安打を達成し)

「“誰が見ても世界一の才能と言っていい”とよく聞く。そんな選手と対戦することは野球の醍醐味(だいごみ)の一つだと思うし、必ず実現させたい。できれば(自分が)投手で対戦したいなと思います」(18年3月7日、マリナーズ復帰会見で大谷について問われて)

「皆さん、よく50歳までという話をされることが多いですけど、僕は最低50歳といつも言っているので、そこは誤解しないでほしいですね」(18年3月7日、マリナーズ復帰会見で50歳まで現役希望について問われて)

「こんなギフトがあるなんて思いもよらなかった。こんなに人の気持ちに応えたいと思ったのは久しぶり。20歳のとき、仰木監督がそういう思いにさせてくれた。それに近い感覚がある」(18年3月28日、5年ぶりの開幕スタメンをスコット・サービス監督が明言し)

「どうします?これって誰が決めるものなの?イチローでいいんじゃないの?裏じゃみんな呼び捨てしているんだからいいよ。そこは皆さんのセンスに任せるということで」(18年5月3日、会長付特別補佐に就任し、表記を問われ)

「対戦したいですよ、それは。それはそうでしょう。したいよ、そりゃ。テレビで見ているから、ブラジルで見ているのと同じ。直接やれば“こんなボールだった”とか言えるんだろうけどね」(18年5月6日、対戦が直前で流れた大谷がマリナーズ戦で好投し)

「僕が日本でやることはないと思う。アメリカに来てやろうか。大リーグで。どうですか?最短で18(歳)だから、6年たつと51。51までできたらいいけどね。頑張るわ」(18年12月23日、イチロー杯閉会式で12歳の子からプロでの対戦を要求され)

「いつも期待を裏切りたいという気持ちはある。安易な責任のない意見、そういうものを裏切りたいと思っています」(19年2月16日、米19年目のキャンプインを迎え)

「いつ分かるんですかね。そんなこと。それは僕にも分からないですね。まあ、こういう質問には本当に慣れていないんだと、今また思いました」(19年3月16日、米国人記者から引退の時期をいつ、どのように決めるのかと問われ)
via https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007146000c.html
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007147000c.html
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007148000c.html


・イチロー搭乗ゲートは「51番」‥全日空の粋な計らいが素敵すぎる!
 https://matome.naver.jp/odai/2155327310418440101

・まさにイチローの時代だった「平成」。彼はいつ国民的大スターになったか。
  https://number.bunshun.jp/articles/-/838750

・打率4割よりも安打数に夢を見せた、イチローの神髄と「野球の原点」。

 多くの野球ファンと同様、私がイチローに刮目したのは1994年のシーズンからだ。
 帰りの電車を気にしながらグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)の右翼席から見た、定規で線を引いたような三塁への送球(レーザービームという言葉はまだなかった)は、今も目の底に焼き付いている。こんな選手は見たことがなかった。
 そして幸いにも、東京ドームのイチロー引退試合も見ることができた。イチローには感謝の言葉しかない。
 そんな彼はどんな選手だったのか。今回はMLB打者としてのイチローを、記録の面から振り返りたい。

■21世紀のMLBにおいて最多安打。
 現時点で、イチローは「21世紀のMLBで最も多くの安打を打った男」だ。

<2001年以降の通算安打数10傑 ※は現役>
1.イチロー 3089安打
2.アルバート・プホルズ 3082安打※
3.エイドリアン・ベルトレ 2828安打
4.ミゲル・カブレラ 2676安打※
5.ロビンソン・カノ 2470安打※
6.デレク・ジーター 2457安打
7.ジミー・ロリンズ 2438安打
8.カルロス・ベルトラン 2423安打
9.マイケル・ヤング 2375安打
10.デビッド・オルティーズ 2262安打

 イチローは21世紀の最初の年である2001年にメジャーデビューした。だからキャリアの数字はすべて21世紀のものだ。2位のプホルズも同じ2001年のデビュー。2人はこの年、ア・ナ両リーグでそろって新人王を獲得した。
 プホルズは大谷翔平のチームメイト。エンゼルスで現役だ。イチローとの差は7本。故障していなければ4月中にはイチローの記録を抜くはずだ。「今世紀最多安打」の称号は、まもなくイチローの手を離れる。そのこともあって、最初に紹介したかった次第である。
通算打率を見てみると……。
 では、打率ではどうなのか?

<2001年以降の4000打席以上の打率10傑>
1.ミゲル・カブレラ .3164※
2.ホセ・アルトゥーベ .3163※
3.ウラジミール・ゲレーロ .3158
4.マグリオ・オルドニェス .3118
5.マニー・ラミレス .3116
6.トッド・ヘルトン .3114
7.イチロー .3109
8.ジョーイ・ボット .3108※
9.ジョー・マウアー .3063
10.バスター・ポージー .3059※

 21世紀唯一の三冠王、ミゲル・カブレラが1位。彼は35歳だが、ここ2年、打率は3割を切っている。ここから打率を伸ばすのは厳しい。若いアルトゥーべがまもなく21世紀の首位打者になるだろう。
 イチローは現時点で7位。2007年に激しい首位打者争いをしたオルドニェスよりも低い。イチローは2001年から2010年まで、10年連続で3割を打ち続けた。2010年オフの時点でMLBの通算打率は.331(6779打数2244安打)だった。
 しかし2011年以降は3割をマークしていない。後半9シーズンの通算打率は.268(3155打数845安打)。これによって、通算打率は.311まで下がったのだ。
 厳密に言うなら、イチローは「アベレージヒッター」ではなく「安打製造機」だったと思う。彼は打率4割よりも「1本の安打」を求めていたのだ。

■柳田と秋山の数字を比べると。
「アベレージヒッター」と「安打製造機」の違いとは何なのか。日本プロ野球の同じ1988年生まれの2人、柳田悠岐と秋山翔吾の過去5年の成績から説明しよう。IsoDは、四死球による出塁率だ。計算式は(出塁率-打率)である。H/Gは、1試合当たりの安打数である。

・柳田悠岐(ソ) 打率.330 IsoD.107 H/G1.19
・秋山翔吾(西) 打率.314 IsoD.079 H/G1.27

 柳田は首位打者2回、打率.350以上を2回記録している。秋山は首位打者1回、NPB記録のシーズン216安打など最多安打を3回獲得した。
 柳田は長距離打者でもあり、選球眼も非常に優秀で、3回も最多四球を記録している。IsoDは.107と極めて高い。秋山のIsoD.079も悪い数字ではないが、柳田よりは劣る。
 秋山は四球を選ぶより、安打を打つことを優先するのだ。その結果として、打率では柳田が秋山を大きく上回っているが、H/Gでは秋山が柳田を上回る。つまり柳田が「アベレージヒッター」、秋山は「安打製造機」タイプなのだ。

■四球を選ばず、安打を狙う。
 先ほどの打率10傑のIsoDとH/Gも出してみる。
ミゲル・カブレラ 打率.3164 IsoD.078 H/G1.18
ホセ・アルトゥーベ 打率.3163 IsoD.048 H/G1.27
ウラジミール・ゲレーロ 打率.3158 IsoD.063 H/G1.20
マグリオ・オルドニェス 打率.3118 IsoD.063  H/G1.17
マニー・ラミレス 打率.3116 IsoD.102 H/G1.11
トッド・ヘルトン 打率.3114 IsoD.103 H/G1.11
イチロー 打率.3109  IsoD.044 H/G1.16
ジョーイ・ボット 打率.3108 IsoD.116 H/G1.10
ジョー・マウアー 打率.306 IsoD.081 H/G1.14
バスター・ポージー 打率.3059 IsoD.069 H/G1.11

 イチローのIsoDは、10傑の中では極端に低い.044。四球を選ぶよりも、安打を狙ったのだ。まさに「安打製造機」である。

■アルトゥーベも同じタイプ。
 同じタイプの打者にはアルトゥーベがいる。イチローもアルトゥーべも長距離打者ではないため投手の警戒度は低い。それもあって、積極的に安打を稼ぐ打法に徹したのだ。
 アベレージヒッターは、「ストライクゾーンの球だけを安打にし、ボール球に手を出さない」ことで打率、出塁率を上げていく。
 これに対し、安打製造機は「バットが届く範囲、安打にできる範囲は、すべて打っていく」ことで安打数を稼ぐ。
 荒っぽい打者がそれをすれば低打率にあえぐことになるが、イチローは「Wizard(魔法使い)」と呼ばれる驚異的なバットさばきで安打を量産し、かつその副産物として打率3割もマークしたのだ。
 このあたりが打者イチローの神髄だと思う。

■イチローらしい、ある記録。
 イチローの「アンタッチャブル」といえば2004年のシーズン262安打ということになるだろうが、いかにもイチローらしいもう1つの「アンタッチャブル」を紹介しておこう。

<21世紀以降の単打数10傑>
1.イチロー 2514
2.デレク・ジーター 1853
3.アルバート・プホルズ 1794※
4.エイドリアン・ベルトレ 1792
5.ホアン・ピエール 1790
6.マイケル・ヤング 1689
7.ミゲル・カブレラ 1638※
8.ロビンソン・カノ 1592※
9.ジミー・ロリンズ 1583
10.ニック・マーケイキス 1564※

 単打、シングルヒットではイチローは2位のジーターに661本もの大差をつけての1位だ。今世紀中にこの記録に迫る打者が出るだろうか。
 イチローの単打のうち706本は内野安打。これは単打数2位のジーター(499本)よりも207本も多い。驚くべきことにイチローは内野二塁打も7本打っている。

■「野球の原点」に一番近かった。
 イチローが華々しいデビューをした当時、彼は「野球の原点、スモールボーラー」としてもてはやされた。
 しかしセイバーメトリクスの進展とともに、この素朴な価値観は覆される。今や優秀な打者とは「四球と本塁打が多い」打者のことだ。打率も安打数も等閑視される。
 今、MLBで最も価値が高い打者の1人、マイク・トラウトは、2016年に主要タイトルを1つもとることなくMVPに選ばれた。このときのトラウトのIsoDは、.126に達している。
 率直に言って、イチローの打撃スタイルは、今のMLBのトレンドから外れている。
 しかしそれでも、彼が日米のファンをかくも沸かせたのは、以下に示すタイ・カッブが唱える「野球の原点」に一番近かったからだろう。
「50cm先に転がしたヒットと、50m先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット1本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」
 via https://number.bunshun.jp/articles/-/838773
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