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世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子) はてなブックマーク - 世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子)




イギリスのロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』を、これまで3度観た。
一度目は学生時代からのコアなクイーンファンの友人が応募して当選した公開直前のプレミア試写会で、二度目はやはり学生時代からさんざん一緒にコンサートに行った別のロックファンの友人がチケットを取っていた「爆音」上映会。そして三度目は中学2年生の双子の息子たちを連れてIMAXの大画面で……という具合だ。
50年以上生きているけれど、映画館で立て続けに3度も同じ映画を観たのは人生で初めてのことだ。しかも毎回泣いてしまった。驚いたのはフレディが亡くなってからずっと後に生まれた中2の息子たちも感動のあまり泣いていたことだ。
ブライアンとロジャーは8年もの歳月をかけて、よくぞここまでしっかりとクイーンの歩みとフレディの人生を映画という美しい芸術に仕立ててくれたと思う。70年代にテープがすり切れるほど重ね録りをしてアルバムを作ったのと同じ熱意をもって映画作りにのぞんだのではないか。
思えば中学1年のときに初めてクイーンの曲に出会い、高校時代から本格的にクイーンを聴き始め、1985年には念願の武道館ライブに行き、今も毎日のようにクイーンの曲を聴きながら生きている。そして、いつの間にか自分がフレディの年を追い越してしまったことに気づき、愕然とするのだ。

「子どもたちが『この人のライブに行きたい』というので、この人はもう死んでしまったんだよと言ったら、子どもが泣いてしまった」――Twitterでそんな内容のつぶやきが流れるほどに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を通して「新しいクイーンファン」が増えている。ボーカルのフレディ・マーキュリーは今から27年前の11月24日に天国へ旅立った。自他ともに認めるコアファンのジャーナリスト、猪熊弘子さんがフレディの魅力を改めて伝える。

■1991年11月24日の悲報
1991年11月24日、あれから27年もの月日が経ったとは思えないほど、今もあの日のことは鮮烈に覚えている。フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが飛び込んで来たのだ。まさにその前日にフレディ自身がAIDS(後天性免疫不全症候群)であることを告白したことが報じられたばかりだった。
当時、AIDSはまだ不治の病だった。その年の2月に発売された「イニュエンドゥ」のPVで、痩せて形相が変わってしまったフレディの様子を見て、これはただ事ではないとは思っていたけれど……
当時は今のようにインターネットなどはなく、ニュースが世界中にネットで瞬間的に広まるような時代ではなかった。私は自宅で定時のテレビニュースでその知らせを聞いた。そのあとも、、私がクイーンファンであることを知っている記者の友人たちも通信社の配信でフレディ死去の報を得て「フレディが…」と電話をくれた。
「フレディが死んでしまった」
涙がボロボロ流れ落ちた。





たまたま小学生の頃からかわいがっていた愛猫が死んだのが翌日25日で、2つの悲しい別れが続いたことも忘れられない記憶だ。
それから2週間ほど後、私は海外での取材でオーストリアに行った。帰りはロンドン経由だったので、私はオックスフォードストリートのレコード店HMVまで駆けつけて、フレディの追悼本を買いまくった。店内にはフレディの追悼コーナーができていた。
その後、長い長い子育ての時間を経て(実は現在大学生の長女には密かにクイーンの曲に関わりのある名前を付けている)、私が再びロンドンの地に立つことができたのは、2016年9月のことだった。そのとき私は迷わずケンジントンにあるフレディの家を見に行った。フレディが最後を迎えた家だ。
「Love of my life」を捧げたという元恋人のメアリー・オースティンが今でも管理しているというスタジオ付きの家は、地下鉄の駅から10分ほど歩いた住宅街の中にあり、もちろん「豪邸」ではあるが想像していたよりもずっとシックなたたずまいだった。グリーンがかった高く長い壁には、世界中から訪れたのだろうと思われるファンのさまざまな言語での書き込みがたくさんあった。





■ベルばらや原辰徳が人気だったころ
初めてクイーンの曲を聴いたのは、今からちょうど40年前の1978年、中学1年生の時だった。
ちょうどその当時、私の周囲の女子の間では洋楽といえばベイ・シティ・ローラーズが超絶人気で、みんなタータンチェックのグッズや缶バッジを付けていた時代。ほかに『ベルばら』と、現・巨人軍監督の原辰徳氏が巨人入団前から大人気で、私の記憶の中では、ローラーズとオスカルと原選手がごちゃ混ぜになっているくらいだが、その中で鮮やかかつ不思議な印象を残していったのがクイーンだった。
放送委員として給食の時間に当番で校内放送の担当をしていたので、好きな曲をかけることができた。学校にあったLPレコードはクラシックがメインで、洋楽はビートルズのレット・イット・ビーやイエスタデイ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」といった教科書に載っているような曲がほとんどだったが、時には先輩たちが勝手に自分の好きなレコードを持ってきて曲をかけることもあった。そこで聴いたのがクイーンの「キラー・クイーン」だった。
指を鳴らす音からはじまり、メロディアスなピアノと印象的なボーカル、美しいコーラス、そこに重厚なギターの音が絡んでいく楽曲は、それまで一度も聴いたことがないとにかく不思議な印象で、いきなり心を引き付けられた。田舎の小さな中学校の木造平屋建ての古い校舎の真ん中あたりにあったちっぽけな放送室で、私は初めてクイーンに出会ったのだ。

■多様性をフレディから教わった
本格的に聴くようになったのは高校時代だ。田舎の女子高だったが、出会った友人たちがみんなローラーズ以来の強烈な洋楽ファンで、クイーンも彼女たちに教えてもらって聴くようになった。
当時は高校生のお小遣いではそう頻繁にレコードを買えなかったので、誰かがLPを買えばカセットテープにダビングしてもらったり、FM番組を「エアチェック」(録音)したりして聴いていた。『Music Life』を愛読するようになり、東郷かおる子さんのクイーンへのインタビュー記事を読みまくった。
今のようにすぐに動画が見られる時代ではなかったので、東郷さんの書かれる文章を熟読することからクイーン一人ひとりのキャラクターを理解することしかできなかった。たとえばインタビューの主語を「俺」と訳すか「僕」や「私」と訳すかで、読者の受け取り方は随分違って来るはずで、メンバーの個性にあわせて主語からかえていたのだ。
そういう意味では、東郷さんらがクイーンの音楽はもちろん、メンバーの人となりを的確に伝えてくださったことが、私を含む日本中のファンのクイーン愛を育くんでくれたのだろう。
LGBTへの理解についてもそうだ。ゲイの人は音楽界や芸術の世界で珍しいことではないし、むしろその方がカッコイイ、当たり前だよね、みたいな感覚があった。女子高生にも全く抵抗がなかった。フレディの派手なパーティや「愛人」の話はいつもMusic Lifeで読んでいたが、いやだと感じたことが一度もない。
後に84年に発売されたアルバム「The works」に入っている「Break Free」は女装のPVで波紋を呼び、アメリカに御出入り禁止になったのは有名な話だが、私は当時からあのPVが大好きで、友人たちとも何度繰り返し観たかわからない。フレディがザンジバルからの移民であることも同じくMusic Lifeで読んだ。
どこで生まれようと、どんな人であろうと関係ない。素晴らしい音楽を私たちに与えてくれる人が好き、ただそれだけのことだ。多様性を認めることの大切さ。そのスタンスをクイーンから学んだ。
そういえば、フレディはよくMusic Lifeのワースト・ドレッサー賞に輝いていたけれど、あのパッツンパッツンの市松模様タイツや、短パン1丁+首にタオルでステージに出られるのはこの世で(今はあの世でも出ているかもしれないが)フレディしかいない、ということをギャグにしつつも褒め称えていたのだろう。
個人的には70年代の白いヒラヒラのジュディ・オング風の袖が付いた服をフレディとブライアンが着ている姿がいちばん好きだ。70年代の長髪&ヒラヒラの王子様風のクイーンが今もいちばん美しいと思っている。





■いつ解散してもおかしくない時
高校2年の1981年11月には、「グレイテストヒッツ」が発売された。その当時のクイーンには常に解散説がつきまとい、4人もバラバラに活動していて、いつクイーンが解散してもおかしくない状態だった。
来日公演があれば絶対に行きたいと思っていたが、1982年の来日公演はちょうど高校3年で大学受験を控えていたし、東京公演もなく、大学生になったら行こうと諦めた。しかし、無事に大学生になったというのにしばらくクイーンは活動を停止していて、なかなか来日公演はなかった。
ついに手に入れることができたのが、1985年5月の武道館公演のチケットだ。武道館2階のやや東側のスタンドの一列目という最高の席で、高校時代の友人4人で駆けつけた。フレディの声は高音があまりよく出ず、やや辛いものがあったように記憶しているが、それでも生のクイーンの演奏は絶叫ものの感動で、フレディの「レーロ!」に呼応して「レーロ!」と歌ったことは今も忘れられない。
「次も来日したら必ず行こうね!」とみんなで約束したが、その約束は実現しなかった。結局、その時のライブが最後の来日公演になってしまったからだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のラストに出てくるLIVE AIDはあの武道館のライブからわずか2ヵ月後だから、私が熱狂したあの武道館での4人の姿そのものなのだと改めて思うと、また思い出し泣きしてしまいそうだ。
ちなみにLIVE AIDは1985年7月13日に開催された、アフリカ難民救済を目的とした20世紀最大のチャリティーコンサートだ。日本でも中継されたはずだが、なぜか私には当時の思い出がない。午後9時から翌日正午までの放送という長丁場で、いつ誰が出てくるかわからなかったから、見ることができなかったのかもしれない。
先日、ついに完全版のDVDを手に入れて観てみたが、クイーン以外に大好きでよく聴いていたバンドがたくさん出ていて、最後まで楽しめた。しかし、やはりいちばん素晴らしいのはクイーンの20分間だ。超シンプルすぎるステージをあれほど完璧に盛り上げ、スタジアムを興奮の渦に巻き込んだ20分間は、クイーンの最後の大きくていちばん美しい打ち上げ花火だったのだと思う。





■クイーンのメンバーが幸せでいることが幸せ
フレディの死後、ベースのジョン・ディーコンはほぼ音楽活動から引退し、今はロジャーとブライアンだけが「クイーン」の看板を掲げて活動している。2006年には元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースをボーカルに迎えて再出発したが、私自身は、ポール・ロジャースのボーカルは受け入れられず、ライブには行かなかった。その後、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「Queen with Adam Lambert」としてライブを開始した。私も2016年10月の武道館ライブには足を運んだ。
個人的には特に大好きだったジョン・ディーコンがいないことが本当に寂しいが、もともとクイーンというバンドはブライアンとロジャーが始めたバンドだったことを思えば、今の2人の活動は、ただ70年代始めに彼らがバンドを始めた時に戻っただけなのかもしれないと思えるようになった。

■「私たちは家族だ」



ブライアンは、2012年10月から毎日のように、インスタグラムやツィッターで投稿を行っている。最近ではそれに刺激を受けたのか、ロジャーもインスタを始めた。つい先日は、ロジャーが自宅の庭に引き取ったフレディの像を見上げて「庭を歩き、旧友に挨拶する(A walk in the garden...saying hello to n old friend)」という投稿をしていて、ジンとしてしまった。大スターのリアルなつぶやきをじかに受け取れる時代が来るとは、フレディが亡くなった27年前には全く想像もしなかった。
ブライアンのつぶやきはロックスターとしてのこともあれば、天文学者としての時、一人の良き夫や父親としての時もある。時には英国政府を批判する政治的な発言や、動物愛護主義者としての呼びかけもある。世界的なロックスターが、大好きな星の話しを夢中でしている様子などを垣間見ることができると、「あぁ、ブライアンが嬉しそうで嬉しい」と優しい気持ちになる。なんとなく、クイーンのファンはみんな、フレディやロジャーをまるで親戚のちょっとイケてるおじさんのように感じているのではないかとこのごろよく思う。
私は今、大学院の博士課程後期に席を置いて博士号を取るために学んでいるが、研究が辛くてくじけそうになったときにはいつもブライアンが2007年にインペリアルカレッジで天文学の博士号を取ったことを思い出すようにしている。ロックスターの道を歩みながらも天文学者の道もあきらめなかったブライアンの生き方に、リアルタイムで励まされている。
もうフレディはこの世にいないけれど、ジョンも表舞台には出てこないけれど、ブライアンとロジャーの生き生きとした姿を見るだけで、毎日、幸せな気持ちになってしまう。この時代に生きていて本当に良かったと心の底から思える。この数年、ますますクイーンが好きになっている。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中では何度も“We are family.”という言葉が出てくるが、実際、クイーンは一度もメンバーチェンジをせず、お互いを家族として大切にいたわりながらここまで続いてきた。ファンもそんな「家族」として扱って貰っているように感じる。
それぞれ世界の違う場所で違う人生を生きているが、みんなクイーンが好き。それだけで十分に「家族」なのだ。フレディには今もこんなにもたくさんのあなたを愛する「家族」が世界中にいるんだよ、と伝えてあげたいくらいだ。
この原稿を書きながら、ふとクイーンの曲がかかっていることに気づいた。息子たちがクイーンの曲を聴いていた。「胎教」はもちろん、子守唄のようにしょっちゅうクイーンを聴かせていた息子たちは、映画を観て、全ての曲を知っていたので驚いたと言っていた。「家族」には確かにしっかりと次の世代が育っている。
via https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58624


◇賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ ~映画は嘘をつくから素晴らしいのだ~ (by伊藤 弘了)

 映画は嘘をつく。なぜか。観客に嘘を真実だと思い込ませるためである。映画『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、2018年)はきわめて巧妙にこの逆説を生き抜いている。
 筆者は特別熱心なクイーンのファンというわけではない。正直に言えば、『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞している間、「聴いたことはあるけれど、これもクイーンの曲だったのか」という体験を何度もした。そして、気がついたときにはすっかりこの映画に夢中になっていた。
 それでは、この映画の何にそれほどの魅力を感じたのか。クイーンの音楽そのものに人を惹きつける魅力があることは言うまでもないだろう。この映画に批判的な見解を示す人の多くも、クイーンの音楽を否定しているわけではない。むしろ、コアなファンほど、史実の改変や脚色を施された映画の物語を問題にしているように思われる。
 一方で、映画は世界中で驚異的な大ヒットを記録している。筆者のほかにもこの映画自体に魅力を感じた観客が膨大にいるのである。
 その魅力の源泉とは何なのか。筆者は映画研究者=批評家である。音楽的な知識には自信がないが、映画のことなら分析できる。というわけで、分析のためにこの映画を劇場で5回見てきた。その結果、ラストに置かれたライヴ・エイドのシーンが実に巧みな「嘘」に基づいて作り上げられていることがわかった。この記事では、クライマックスをなすライヴ・エイドの再現シーンに注目し、観客を取り込むために映画がどのような嘘をついているか、大きく4つにわけて解き明かしていこうと思う。

■宣伝文句「魂に響くラスト21分」がすでにウソ
 ライヴ・エイドのシーンがいかに忠実に再現されているかは、すでに各種宣伝やレヴューでさかんに取り沙汰されている。使われている楽器や衣装はもちろん、会場となったウェンブリー・スタジアムのセットは、ピアノの上に置いてある灰皿や飲み物のカップ類に至るまで緻密に再現されているという。また、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックは、優秀なムーヴメント・コーチの助けを借りて、ライヴ当日のフレディの動きを忠実に再演してみせている。SNS上には、じっさいのライヴ・エイドを撮影した映像と映画の該当シーンを比較する動画もアップロードされており、人々はその再現率の高さに文字通り目を奪われている(この動画は現在までに860万回以上再生されている)。
 確かに一見したところ、2つの映像でフレディが見せる動きはよく似ているし、映画がスタジアムやステージまわりの各種小物にまで気を配っていることも窺える。だが、この2つの映像は、いくつかの点で決定的に異なっている。この違いに着目することで、映画の周到な戦略が浮かび上がってくる。
 ライヴ・エイドの「完璧な再現」を売りにするこの映画は、クイーンがステージ上でパフォーマンスを披露した時間がおおよそ21分であったことにちなんで、「魂に響くラスト21分」という惹句を宣伝に用いている。しかし、ここにはすでに大きな「嘘」がある。

■「ラスト21分」実際の時間は...
 映画で描かれるライヴ・エイドのシーンは、じっさいには13分30秒しかない。確かに、ライヴ・エイドの演奏開始からエンディングで流れる2曲までを含めれば20分弱にはなるが、現実にクイーンの行ったステージ上のパフォーマンスが20分弱である以上、それを「完璧に再現」したと言うからには、劇中の対応するシーンの長さを揃えるのが筋だろう。



 ただし、筆者はこの嘘を批判したいわけではない。むしろ肯定的に評価したいのだ。7分以上も鯖を読んでいながら、そのことを指摘するレヴューがほとんど見当たらないのは、映画が成功している何よりの証である(もっとも、劇場にストップウォッチを持ち込んで時間を計りだすのはへそ曲がりな批評家くらいのものだろうが)。ほとんどの観客は、13分30秒の映像を21分のライヴ・パフォーマンスの再現として違和感なく受け入れている。つまり、21分というのは、物理的時間としては嘘でも、観客の生理的時間としては正しいのである。
 それでは、なぜこのような錯覚を与えることが可能になるのだろうか。その鍵を握るのが、再現シーンがついている2つ目の「嘘」である。

■再現シーンに費やされているショットは実際の3倍
『ボヘミアン・ラプソディ』の再現シーンと、じっさいに行われたライヴ・エイドの記録映像の二つ目の違いは、そこで費やされているショットの数である。記録映像(YouTubeでも視聴できる)が21分を175のショットで構成しているのに対して、再現シーンは13分30秒を約360のショットに割っている。使われているショット数に倍以上の違いがあるのだ。しかも、時間としては映画のライヴ・シーンの方が短い。そこで、両者を同じ条件で比較するために、ショットの平均持続時間(ASL=Average Shot Length)を求めてみることにしよう。
 すると、記録映像のASLが7.2秒であるのに対して、再現シーンのASLは2.3秒であることがわかる。ひとつひとつのショットにかけられている時間には平均して3倍以上の開きがあることになる。映画の再現シーンは、“スーパーソニック”な編集をクイーンの音楽と結びつけることで映画のグルーヴを増幅させ、観客に時間的な短さを感じさせないようにしていたのである。
 もちろん、単に短いショットを畳み掛ければ即座に観客に高揚感をもたらすことができるわけではない。それほど単純な話なら、あらゆる映画のASLはもっと短くなっているはずだ。ライヴ・エイドの再現シーンがすぐれているのは、そこに組み入れるショットの選択が絶妙だからである。このシーンには、じっさいのライヴでは撮影できないようなショットが大量に紛れ込んでいる。

■記録映像にはなかったスタジアムの「外」の様子
 それはどのような種類のショットだろうか。もっとも象徴的なのは、会場となったウェンブリー・スタジアムの「外」にいる人々を写したショットである。ショット数で言うと、これが25ほどにのぼる。ライヴの「完璧な再現」を謳うからには、スタジアムの内部(ステージおよび観客席)の映像のみで完結させるのが本来だろう(じっさい、記録映像はすべてスタジアム内のショットで構成されている)。だが、映画はライヴと直接には関係しないはずの映像を取り入れることによって、ライヴの「完璧な再現」を目指しているのだ。



 スタジアムの外の映像としてどのようなものが映し出されているか、その内容を具体的に見ていこう。まず、バーのテレビでライヴを見ている人々を写した一群のショットがある。バーの人々のショットは、スタジアムの観客のショットに織り交ぜられて編集されている。たとえば、「レディオ・ガガ」の演奏場面では、フレディのパフォーマンスに対してスタジアムの観客たちが両手を挙げて応えるが、同様の反応を示すバーの人々のショットがここに挿入されているのである。

■劇中のバーの人々は我々観客を"教育"している
 スタジアムの観客とバーの人々の反応が同じなのであれば、ことさらバーの人々を写す必要はなかったのではないか、と思うかもしれない。しかし、筆者の考えでは、バーの人々を写したショットはこのシーンに絶対に必要なものである。なぜなら、テレビの画面越しにクイーンのパフォーマンスを見ている劇中のバーの人々は、映画のスクリーン越しに同じパフォーマンスに見入っている我々観客の立場そのものだからである。スタジアムで生の演奏を見ている観客と、その様子を見ている映画観客との間にはスクリーンという絶対的な境界線が引かれている。劇中でライヴをテレビ視聴する人々には、スタジアムと映画館を媒介し、映画観客にこの境界を乗り越えさせるための蝶番としての役割が託されているのである。
 あるいは、こう言ってよければ、映画の観客は、スクリーンに映し出される自らの似姿を通して、ライヴのパフォーマンスにどのような反応を示せばいいのかを教育されているのだ。我々は、劇中の観客と同様に、熱狂をもって応えればいいのである。各地で好評を博している本作の「応援上映」は、映画による教育が見事に奏功している証左である。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」削除 3つ目の「ウソ」の意味
「観客」の問題をもう少し見ていこう。クイーンが「観客との交流」を重視していたことは映画内でも繰り返し強調されている。ライヴ・エイドの再現シーンでは、その「観客」の範囲を映画の観客にまで拡張しようと試みているのである。じっさいのライヴ・エイドで演奏された「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を再現シーンから削除するという劇中の「嘘」は、実はこの読みを裏付けてくれる。
 2度の足踏みと手拍子によって観客のライヴへの参加を可能にした「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のパフォーマンスは、劇中でも作曲過程からライヴの成功までを詳しく描き出している。だからこそ、ライヴ・エイドのシーンからはこの曲が削除されたのである(もう一度繰り返すのは蛇足になってしまう)。もちろん、映画の尺の問題はあるだろうが、そこで真っ先に切られたのが「ウィ・ウィル・ロック・ユー」であったことは必然と言っていい。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を埋めたオリジナルシーン
 なぜなら、映画は「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を消去する代わりに、フレディの発声による「エーオー」のコール&レスポンスによって「観客との交流」というテーマを十分に展開しているからである。もちろん、このパフォーマンス自体はじっさいのライヴ・エイドでも行われているが、映画はこのパフォーマンスを劇中のほかのシーンと連関させているのである。劇中で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をライヴ演奏した際、フレディは最後にこのコール&レスポンスのパフォーマンスを短く2度だけ行なっている。
 この「エーオー」は、フレディがエイズの診断を下された際、廊下ですれ違った別の患者(おそらくはフレディのファン)の呼びかけに応えるという形で変奏されてあらわれる(これは映画オリジナルのシーンである)。最後のライヴ・エイドのシーンでフレディが見せる圧巻の「エーオー」は、直前に置かれたこのささやかなコール&レスポンスを大掛かりに反復したものなのである。エイズの告知シーンでファンからの呼びかけに小さく応えたフレディが、今度はファンに向けて全身全霊のパフォーマンスで呼びかける側にまわっているのだ。

■"民主主義的な"ショット配分 4つ目の「ウソ」の意味
 映画が「観客との交流」と並んで重要視しているのが「家族の物語」である。全篇の集大成とも言うべきライヴ・エイドのシーンでこのテーマを打ち出すために、映画は4つ目の「嘘」をついている。それはまず「バンドは家族」であることを映像的に示すところから始められる。このシーンは、ウェンブリー・スタジアム全体を見下ろすカメラが、超満員の観客の上を舐めるように滑っていき、ステージ上でピアノを奏でるフレディの顔のクロースアップを捉えるまでをひと続きに収めた華麗なショットによって幕を開ける。
 フレディのクロースアップに続いて映し出されるのは、クイーンのメンバーであるジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)、ロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ブライアン・メイ(グウィリム・リー)をそれぞれ単独で捉えたショットである。このあと、再びフレディのショットに戻って、今度はブライアン、ロジャー、(間にもう1度フレディを挟んで)ジョンの順に再びメンバーのショットが続く。このきわめて「民主主義的」なショット配分は映画独自のものであり(記録映像のカメラはもっぱらフレディを追い続けている)、バンド=家族の対等な関係性を示唆している。
 映画のカメラはバンドのメンバー以外にも向けられる。ライヴ・エイドのシーンには、ステージ脇からパフォーマンスを見守るフレディの元恋人メアリー・オースティン(ルーシー・ボイントン)と“友人”のジム・ハットン(アーロン・マカスカー)、マネージャーの“マイアミ”・ビーチ(トム・ホランダー)を捉えたショットが複数回にわたって挿入されている。彼らも広い意味でフレディの家族と言うべき存在であり、このシーンは彼/彼女たちをきちんと物語化して提示している。

■なぜクイーン演奏中に寄付が集まったように見せたのか?
 もちろん、映画はフレディと実の家族とのつながりを強調することも忘れない。このシーンには、自宅のテレビでライヴの様子を見ているフレディの家族のショットも挿入されている。とりわけ母親の存在は重要である。ライヴの直前にジム・ハットンとともに実家を訪れたフレディは、その帰り際に「ステージからママに投げキスを送る」と約束しており、映画ではじっさいにそれが果たされている。ライヴの最後の曲である「伝説のチャンピオン」を歌い終えたフレディは、観客席=カメラに向かって投げキスを飛ばす。すると、画面はそれを受けとめる母親のショットに切り返されるのである。母親はその場にはいないので、これは映像のうえでだけ成り立つ偽の切り返しである。このショット編集の妙によって、映画の観客にはフレディと母親の「交流」が成就したことが理解されることになる。
 また、ライヴ・エイドが目標としていた100万ポンドの寄付が集まったのがクイーンの「ハマー・トゥ・フォール」演奏中であったかのように描かれている点も、ひそかに家族のテーマと通じている。このチャリティ・コンサートが掲げる「アフリカ救済」という大義は、やはり直前のシーンでフレディと父親の会話を通して強調されていた。フレディは、父親が息子に望んでいた「善き思い、善き言葉、善き行い」を見事に実践することで、その期待に応えてみせたのである。(※)

■『ボヘミアン・ラプソディ』は再現ではなく、映画的勝利
 ここまで見てきたように、ライヴ・エイドのシーンは、「完璧な再現」などではまったくない。このシーンには映画的な潤色がふんだんに施されており、劇中で展開されたテーマや伏線を回収する場として効果的に機能している。これによって、観客は物語世界への没入を強力に促され、満足感を得ることができる(同時にクイーンのコアなファンや批評家たちはこの物語に乗り切れなかったと考えられる)。だからこそ、このラスト・シーンは多くの観客に「完璧な再現」という虚構を信じ込ませることができたのである。これを見事な映画的“勝利”と言わずして何と言おうか。
「交流」や「家族」というテーマに即してシーンの細部を検討してきたが、これら以外にも、映画にしか見られないショットがいくつか存在する。たとえば、「ボヘミアン・ラプソディ」のシングル・カットに強硬に反対した音楽会社の社長(マイク・マイヤーズ)のショットが差し挟まれている。社長の読みとは裏腹に、「ボヘミアン・ラプソディ」は大成功を収め、クイーンは世界的なロックバンドへと成長していった。しかし、鳴り響く電話のベルを無視して憮然とした表情を浮かべているかに見える社長は、実はひそかにそのような事態を喜んでいるのかもしれない(周知の通り、社長役のマイヤーズ自身はクイーンの大ファンである)。
via http://bunshun.jp/articles/-/9782


◆映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告




◆Queen Perform Live at LIVE AID on 13 July 1985 [ORIGINAL]


・クイーン (バンド) -:Wikipedia

・クイーン、フレディ・マーキュリーの知られざる10の真実
 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29438

・映画『ボヘミアン・ラプソディ』、そして1991年のブライアン・メイのインタビュー記事を題材にたどる史実との相違 
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20181125/bohemianrhapsody
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安室奈美恵、ラストステージは笑顔で締めくくった はてなブックマーク - 安室奈美恵、ラストステージは笑顔で締めくくった

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安室奈美恵(40)が今日16日をもって、芸能界を引退する。引退前日の15日には、沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで行われた「WE■NAMIE HANABI SHOW前夜祭~I■OKINAWA/I■MUSIC~」(■はハートマーク)に出演し、平井堅(46)らゆかりのあるゲストらと共演した。倍率が数百倍ともいわれるプラチナチケットをゲットした3500人の前で8曲を披露し、ラストステージを飾った。会場周辺をはじめ、故郷が最後の“安室フィーバー”に沸いた。
イベント開始から1時間50分後の午後7時50分。暗転したステージ上に姿を現した。「安室ちゃんだ!」。この日一番の大歓声が上がる。ポニーテール姿で、右腕部分にレースをあしらうなどアレンジした黒のイベントTシャツに、パンツルック姿。トレードマークの赤のニーハイブーツの安室スタイルで、歌い踊った。「さわげ沖縄~!」とあおりながら、この日出演した平井堅らとのコラボも交えながら8曲を披露した。
ラストステージは、故郷で音楽を楽しめるフェス形式を選んだ。タイトルにも「I■MUSIC」と入れた。6月3日のラストドームツアー最終日には「皆さんの素晴らしい毎日の中に、音楽が常にあふれているよう、心から願っています。これからもすてきな音楽に、たくさんぜひ出合ってください」と呼び掛けた。複数歌手が出演する音楽イベントも、08年8月の「a-nation」以来10年ぶり。「今日はどうもありがとうございます。参加してくださったアーティストの皆さんに大きな拍手をお願いします」と笑顔で握手した。
最後のあいさつは「この会場に来てくださった皆さん、本当に本当にありがとうございましたー!」。登場から約40分。笑顔で手を振りながらステージを後にした。会場のファンは涙ながらに、大きな「ナミエコール」で送り出した。安室と同じ那覇市の首里地区出身という山城花織さん(33)金城絵里奈さん(35)は「最後まで安室ちゃんらしく、予想外のこともあって印象に残った。いろいろな人や音楽に愛されていたんだと思いました」と話した。
沖縄には多くのファンが集まり、県内は安室フィーバー状態だ。那覇市内の安室に関する展示会では行列ができた。沖縄市のプラザハウスショッピングセンターで開催中の展覧会「Final Space」は、午前6時ごろから当日券を求める列ができ、オープンの午前11時と同時に完売。各地の観光名所や飲食店は、安室のツアーTシャツを着たファンであふれた。
今日16日には、安室の楽曲と花火がコラボした「WE■NAMIE HANABI SHOW」(ぎのわんトロピカルビーチ)が行われる。安室の出演予定はないが、チケットは即完売。引退当日までフィーバーは続きそうだ。[2018.09.15]

◆安室奈美恵(あむろ・なみえ)1977年(昭52)9月20日、沖縄県生まれ。スーパーモンキーズを経て、95年4月に「太陽のSEASON」でソロデビュー。10代歌手の記録を次々と塗り替え、96年7月発売のアルバム「SWEET 19 BLUES」の初回出荷305万枚は当時の最高記録。97年に結婚し、翌98年に長男を出産も02年に離婚。NHK紅白歌合戦には10回出場。今年5月に沖縄県民栄誉賞。
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201809160000109.html

・「騒げ、沖縄!」安室奈美恵、ラストライブで歌手人生最後の8曲
  https://www.sanspo.com/geino/news/20180916/geo18091605050013-n1.html

・沖縄で安室奈美恵さんラストライブ!アムロちゃんへの愛が街を包む。
 https://matome.naver.jp/odai/2153696212978111901

・安室奈美恵「沖縄ラストライブ」 サプライズゲストは不仲説の「山下智久」
 https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09152255/?all=1

・“奈美恵コール”止まず‥安室さんラストライブが大きな感動に包まれた
 https://matome.naver.jp/odai/2153697862184169301

・山Pサプライズ登場!安室奈美恵ラストライブが異例づくしだった!
 https://matome.naver.jp/odai/2153705179608497601

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◆安室奈美恵さん、懐かしの名曲を、CDジャケットで振り返ってみた
■Can you celebrate?
シングル売り上げ第1位。ウェディングソングやカラオケの定番として今でも多くの人に歌われ続けている。人生の転機を挟んだ1997年、98年にも紅白で歌った思い出の曲。
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■Don't wanna cry
シングル売り上げ第2位。史上最年少(当時19歳)でレコード大賞を受賞した曲。
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■Chase the Chance
シングル売り上げ第3位。1995年の紅白初出場で歌った思い出の曲。
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■You're my sunshine
シングル売り上げ第4位。「シー・ブリーズ」のCMソングに...!
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■a walk in the park
シングル売り上げ第4位。カセットテープの日立マクセル「UD」のタイアップ曲。この曲がリリースされた1996年は「アムラー」が流行語になった。
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■Body Feels EXIT
小室哲哉氏プロデュース第1弾シングル
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■NEVER END
九州・沖縄サミットのテーマ曲となった
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■say the word
小室氏プロデュースを離れた後のシングル
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via https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/15/namie-amuro-lastlive_a_23527813/

◆「みんなは“強い安室”を求めてた」 安室奈美恵は26年間、何を語ってきたのか? ~1992年のデビューから引退までのコトバ (by近藤 正高)
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■“歌ではなく、演技を選んだ”少女
 安室が芸能の道へ進むきっかけは、よく知られるとおり、小学生のときに沖縄アクターズスクールに入学したことだ。友達の付き添いで見学に訪れた彼女に、校長のマキノ正幸がずば抜けた才能を見抜き、特待生として入学させたという話は語り草である。
 もともと音楽にそれほど興味があったわけではない。入学当初は、歌とダンスではなく、演技のクラスを選んだほどだ。それが友達のやっている歌やダンスの授業のほうが楽しそうに思えてきて、クラスを変更してもらうと、しだいに興味が高まっていく。歌うことを仕事にできればいいなと初めて思ったのは、中学に入り、スクールのイベントに初めて出演したときだという。

■「私、絶対に成功してみせる」母に見せた涙
 1992年、アクターズスクールの生徒たちにより結成されたスーパー・モンキーズの一員としてシングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビュー。中学在学中は、沖縄と東京を往復しながら芸能活動をしていたが、卒業を機に上京する。このとき最後まで反対した母親は、出発当日の朝、安室からボストンバッグを力ずくで奪い取って止めようとした。だが、彼女は涙を流しながら「私、絶対に成功してみせる」と言ってバッグを取り返す。根負けした母は、ちょうど財布にあった2万円を渡すと、後ろ姿だけを見送ったという(『週刊文春』1998年5月28日号)。

 デビューしたあともけっして順風満帆ではなかった。ヒットに恵まれず、「沖縄に帰ろう」と何度も思ったという。ようやく1995年、安室奈美恵 with スーパー・モンキーズ名義による「TRY ME~私を信じて~」がヒット。同年4月には「太陽のSEASON」でソロデビュー、10月リリースの「Body Feels EXIT」より小室哲哉がプロデュースを手がけ、12月の「Chase the Chance」で初めてチャート1位を獲得する。以来、安室と小室のコンビは次々と大ヒット曲を生み出していった。

■「仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたい」
 しかし、華々しい活躍の裏で、どん底もたびたび味わった。結婚と出産にともなう1年間の休業から復帰した直後には最愛の母を失くす。悲しみを乗り越えたころには離婚。これと前後して、2001年には小室哲哉のプロデュースから離れ、音楽の方向性にも悩むことになる。後年、彼女は次のように当時を振り返っている。
《結婚も、出産で仕事を休むことも、何も怖くなかった。でも、母のことがあってからはずっと辛かった。なんでこんなに濃い人生なんだろう。もう仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていました。だけど、今がどん底だとすれば、これ以上悪くなることはないはず。そう思うと、少しずつ楽になれました》(『AERA』2008年5月12日号)


■「つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてた」
 2003年、安室はヒップホップやR&BのアーティストたちとコラボレーションしてSUITE CHIC名義でアルバム『WHEN POP HITS THE FAN』を制作。一緒に仕事をしたかった人たちと、やりたいことをやらせてもらった経験は、自己プロデュースに乗り出す大きな転機となった。ただ、そのなかでファンへの姿勢について考えさせられることもあった。
《当時、結婚と出産を経て、少し性格が丸くなっていた私は、やわらかいテイストの楽曲でいきたいと思っていたんですね。ところが、いざ楽曲を発表してみると、ファンの方が“あれ? なんか、ちょっと違う”って違和感を感じていて。つまり、みんなは“強い安室奈美恵”を求めてたんです。その反応を見た時、私は『私がやりたい音楽を貫くんじゃなくて、ファンの方が求めていることに応えたい』と思った。我を貫くこともできたのかもしれないけど、みんなの期待に応えることが、その時の私の中でベストだと思ったんです。あの選択があったからこそ、今の安室奈美恵がある。確実に、私のターニングポイントのひとつだと言えますね》(『MORE』2012年8月号)


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■「すべては“ライブ”を目がけてやっているんです」
 ファンの期待に応えることを何より大切にする彼女の姿勢は、ライブを重視することへとつながっていく。やがては活動のすべてがライブへと集約されていった。
《トレーニングはもちろん、曲を作ってレコーディングすること、CDをできるだけ多くの人に聴いてもらうこと……とにかく私がしていることすべては“ライブ”を目がけてやっているんです。ただ、それに気がついたのは20代後半、『PLAY tour 2007-2008』の時。すごく時間はかかりました》(『MORE』2010年5月号)

「PLAY tour 2007-2008」は、アルバム『PLAY』を引っ提げて2007年8月から半年間、日本を縦断したツアーだ。さらに翌08年7月、30歳にしてリリースしたベストアルバム『BEST FICTION』は売上が170万枚を超え、10代、20代、そして30代と“3年代連続”のアルバムのミリオン突破となる。国内のアーティストでは初の快挙だった。同アルバムにともなうツアーは、追加公演を重ね、女性ソロ歌手では最多の50万人を動員した。
 ことあるごとに「歌と踊りが一緒になったとき初めて自分が完成する」と語ってきた安室にとって、ライブこそ表現のすべてだった。今年2月から6月にかけて5大ドームをまわった最後のツアー「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」は約75万人を動員し、ソロアーティストにおける新記録を樹立。同ツアー終了後、彼女は《同じ楽曲を同じ空間で同じように楽しめるのは、コンサートでしか味わえないこと。私にとってはそれが一番楽しい時間でしたし、元気ももらえました》と語っている(『with』2018年10月号)。

■「30代が、もう本当に素晴らしく楽しい10年間だった」
 昨年の9月20日、40歳になった安室は、《私が長年心に思い、この25周年という節目の年に決意した事》として1年後の引退を発表するも、その理由については明言しなかった。ただ、かつて彼女は、ブレイクしてからも何度となく「沖縄に帰りたい」と思ったと明かしたうえで、こんなことを話していたことがある。
《ある時冷静に『私はいつやめるんだろう?』って考えたことがあるんです。そこで出した結論は、周囲と私の“やめよう”っていう気持ちが一緒になった時にやめようってこと。もし、お互いに『もう、いいよね』、『そうだね』って一致する時がきたら、そこがやめ時なのかなって思ったんです》(『MORE』2012年8月号)

 引退を決意したのは、ひょっとすると、「すべてをやりきったからやめてもいい」という思いを本人とスタッフなど周囲の人たちが共有したからなのかもしれない。それを証明するかのように、引退直前のインタビューでは、《30代が、もう本当に素晴らしい楽しい10年間だったんです。いろんなことが自由にできて。だから、ここから先はこの最高の10年をもとに歩いていけると感じているんです》と口にしている(『ViVi』2018年8月号)。

■「毎日ゲラゲラ笑っているおばあちゃんになりたい」
 同じインタビューではまた、将来についてこんなことも語った。
《毎日ゲラゲラ笑っているおばあちゃんになりたいですね。もう何がそんなに楽しいのかわからないってくらいちょっとしたことで笑っている、みたいな。
 ちょっとしたことが、本当は楽しいことなのに、それじゃあもう満足しない感じになってしまっていて、ちょっとしたことでは笑えない世の中は、もうみんな疲れすぎ!(笑)って思います》

 どん底と頂点、いずれも味わった者だからこその発言だろう。安室奈美恵は歌手時代のすばらしい日々を糧に、新たな一歩を踏み出そうとしている。
via http://bunshun.jp/articles/-/9024


・アイドルからアーティストへ=歌とダンス「悔いなく」
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 安室奈美恵さんがアイドルグループ「スーパー・モンキーズ」でデビューしたのは1992年。14歳の中学3年生だった。那覇市に生まれ、厳しいレッスンで知られた沖縄アクターズスクールで鍛えた本格的な歌とキレのあるダンスは当時のアイドルの枠を大きく超えており、またたく間にスターとなった。
 ソロとなった安室さんがさらに羽ばたく契機となったのは小室哲哉さんとの出会い。当時一世を風靡(ふうび)した「小室サウンド」との相性は抜群で、小室さんプロデュースの「Chase the Chance」「a walk in the park」などが次々にミリオンヒットした。
 ファッションリーダーとしても絶大な支持を集め、茶髪のロングヘアーに細い眉、ミニスカート、厚底ブーツという彼女のスタイルをまねる女性が続出し、「アムラー」と呼ばれる社会現象になった。
 代表曲「CAN YOU CELEBRATE?」を出した97年、歌の歌詞と重なるようにダンサーのSAMさんと結婚(2002年離婚)。98年は出産のため休業し、宣言通りきっちり1年で復帰。そんな生き方への共感も広がった。
 その後はR&B志向を強め、アーティストとしてステージパフォーマンスを磨き上げた。そこには子どもの頃憧れた米国R&B界のスーパースター、ジャネット・ジャクソンさんへの思いがあったのだろう。
 全国ツアー100公演をこなし、デビュー25周年を迎えた昨年9月、残り1年での引退を電撃発表。「長年心に思い、この25周年という節目の年に決意した」と、こだわり続けたステージを絶頂期に去る固い意志を表明した。
 今月10日、NHK番組で安室さんは「歌って、踊って、かっこいい歌手になりたいと思ってデビューした。それに向けて一生懸命毎日過ごしてきたので、やりきったというのはあります。ちゃんと悔いなく」と、駆け抜けた四半世紀をかみしめるように語った。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091500456&g=soc

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・ベスト盤は230万枚=最後まで記録ずくめ
 16日に引退する安室奈美恵さんは多くの記録を残した。18歳の初ソロアルバムに始まり、昨年11月のベスト盤「Finally」まで10~40歳代の全年代で売り上げ100万枚以上のアルバムを出したソロアーティストは彼女だけ(音楽調査会社オリコン調べ)で、息の長い人気ぶりを裏付けた。
 10代は3枚のアルバムがミリオンセラーになり、「SWEET 19 BLUES」は300万枚を突破。10代最後の1997年に出したシングル「CAN YOU CELEBRATE?」が作った邦楽女性ソロアーティスト歴代売り上げ1位記録の229万枚は今も破られていない。
 98年をピークに国内のCD販売は下降線をたどる。20代に入った安室さんもその影響を受けるが、それでもシングル曲は95年のソロデビューから昨年まで23年連続でオリコンチャートの10位以内に入り続けた。この記録もソロアーティストの歴代1位だ。
 引退表明からの1年間はブームが再燃。ベスト盤「Finally」の売り上げは今月までに230万枚を超え、今年2~6月のファイナルツアーを収めた映像作品も、音楽ジャンルでは過去最高の150万枚突破を達成した。社会現象を引き起こした「平成の歌姫」は、強烈な記憶とともに「記録」を残してステージを去る。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091500460&g=soc

・「思い出に残る作品に」=ライブDVDがミリオン突破-安室奈美恵さん
16日で引退する歌手の安室奈美恵さんのラストツアーを収録した「namie amuro Final Tour 2018~Finally~」がDVDとブルーレイ合わせて発売初週で129万2000枚を売り上げ、音楽映像作品として初めてミリオンを突破したと5日、音楽調査会社オリコンが発表した。
 安室さんは「私にとって生涯忘れられない作品となりました。たくさんの思い出が詰まったこの作品、ファンの皆さんにとっても思い出に残る作品になっていたらうれしく思います」などとコメントを出した。[2018.09.06]
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090600158&g=soc


・安室奈美恵さん 写真特集
 https://www.jiji.com/jc/d4?p=amr920&d=d4_ccc

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・「安室奈美恵さま これからも、あなたは私たちのHeroです」異例の広告にあふれる”愛”

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https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/15/amuronamie_a_23528470/

・[CM] #ALLFOR916「はじまり」篇、「ファンの歌声」篇


・[CM] #ALLFOR916「私たちのヒーロー」篇


・安室さん、笑顔でパフォーマンス=ラストライブ写真公表
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 15日に沖縄県宜野湾市で開催された安室奈美恵さん(40)のラストライブの写真が引退日となった16日、公表された。また、同日夜、同市のビーチで行われた花火ショーを安室さん本人が会場で鑑賞。浴衣姿で楽しんでいる写真も公表された。
 「I ※(※はハートマーク) music!」と書かれた黒いTシャツなどシックな衣装で登場した安室さん。共演者とダンスしながら笑顔を見せるなど、地元での最後のステージを楽しんでいる様子だった。ラスト曲「How do you feel now?」をこれまでをたどる映像をバックに歌うと、涙をぬぐう観客の姿があちこちで見られたという。

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 共演した平井堅さんは「最後までかっこよく潔い安室さんだったので、この先も楽しい人生を謳歌(おうか)してほしい」とコメント。同じ沖縄出身のバンドBEGINは「沖縄中が安室さんに包まれていて、改めてそのすごさを感じました。最後のステージに一緒に立てたのがうれしいです」とコメントを出した。[2018.09.17]

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via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091700116&g=soc


・[CM] 7 ELEVEN x namie amuro セブン・イレブンx安室奈美恵 「沖縄に来る」


・[CM] Hulu-We♡Namie|安室奈美恵一夜限定CM


◆1993年~2018年 安室奈美恵CM集




◆25th Anniversary History Movie (Japanese ver.) / NAMIE AMURO ~glorious days~


◆安室奈美惠 Music Video Collection Special 2018 ~Finally~


◆安室奈美恵 メドレー&ファッションの変遷 1995~2012


・花火観賞に最後のメッセージ‥安室奈美恵引退に芸能界からも労いの声
 https://matome.naver.jp/odai/2153711280135556701

・安室奈美恵、ファンとの25年を振り返る「一瞬でも心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しい」
歌手の安室奈美恵さんが9月16日、引退した。自身の公式サイトを通じて、「ファンの皆さまへ」と題したメッセージを公開した。
2017年9月16日、デビュー25周年を迎えたその日に、1年後に引退すると宣言し日本中を驚かせた。「私らしく2018年9月16日を迎えたいと思います」と発表した通り、ファンを大事にして駆け抜けた1年だった。
安室さんは今回公開したコメントの中で、「昨年引退を発表させていただいてからこの1年、1日1日を大切に過ごさせていただきました」と振り返る。ファンへの感謝の気持ちを繰り返しつづった安室さんは、「25年間ほんの一瞬でも ファンの皆さんの心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しく思います」と記した。
ラストイヤーを宣言し、ファンに「寄り添う」ための努力を惜しまなかったこの1年。
近年ではほとんどテレビ出演をすることのなかった安室さんだが、別れを惜しむファンの期待に応えるように、NHKの特番「安室奈美恵 告白」、「紅白歌合戦」などに出演。安室さんの大ファンを公言するタレントのイモトアヤコにサプライズする形で「世界の果てまでイッテQ!」(日テレ系)にも出演し、イモトとの対談を果たした。

■故郷の沖縄と、安室さん
沖縄にまつわるニュースもたくさんあった。
5月には、沖縄県から県民栄誉賞を授与され、当時知事だった故・翁長雄志氏に「日本のみならず世界の多くの人々を魅了し続け、若者のファッションリーダーとしても、一時代を築かれました。沖縄出身の歌手やタレントの草分け的存在となっています」とたたえられた。
8月半ばから引退までの1ヵ月間にわたり、故郷・沖縄の観光ブランド「Be.Okinawa」のPRに無償協力した。

■ミリオン連発、記録ずくめの1年に
もっとも大切にしてきた音楽活動も、記録ずくめだった。
最後のドームツアーを収録したライブDVD「namie amuro Final Tour 2018〜Finally〜」は予約販売段階でミリオンを突破。音楽映像作品のミリオンセラーは、史上初の記録だ。
11月に発売したベストアルバム「Finally」も同じくミリオンを記録。10代に発売した「DANCE TRACKS VOL.1」「SWEET 19 BLUES」「Concentration20」、20代に発売した「181920」、30代に発売した「BEST FICTION」に続いて、40代でもミリオンセールスを記録した安室さんは、日本国内アーティスト史上初の、4つの年代で続けてのミリオン突破を記録した。 
引退前日の9月15日には、故郷沖縄でラストライブに臨んだ。
安室さんは平井堅さん、山下智久さん、ジョリン・ツァイさん、DOUBLEとそれぞれコラボした楽曲を披露。全8曲を歌い、最後は、「How do you feel now?」で締めくくった。
文字通り、「1日1日を大切に」最後の日を迎えた安室奈美恵さん。ファンへの思いを「25年間ありがとうございました」の言葉に託した。
ファンに宛てたメッセージを以下に紹介する。
【コメント全文】
ファンの皆様へ
ファンの皆様、
いつも応援してくださりありがとうございます。
わたくし安室奈美恵は、
本日16日をもって引退致します。
昨年引退を発表させていただいてからこの1年、
1日1日を大切に過ごさせていただきました。
引退という選択をした私に対し、
ファンの皆さんにも色々な感情があったかと思います...
それでも、
最後は笑顔で送り出そうと思ってくださる
ファンの皆さんの優しさに心から感謝しています。
実りある25年間をファンの皆さんと過ごせた事、
応援してくださり、支えてくださった事、
改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
「ありがとうございました。」
25年間ほんの一瞬でも
ファンの皆さんの心に寄り添える歌手でいられたなら嬉しく思います。
応援してくださったファンの皆様、
「25年間ありがとうございました。」

 安室奈美恵

■マスコミへの「お願い」は続く...。
有終の美を飾り芸能界を引退した安室さんだが、引退翌日の9月17日、公式サイトには「お願い...」と題されたメッセージが掲載された。
沖縄の家族や関係スタッフへの過度な取材を慎んで欲しいとお願いする内容だ。
安室さんは9月11日、公式Facebookページに全く同じ内容の「お願い」をつづっていた。
全身全霊で25年を駆け抜けた安室さんに、一刻も早く休息が訪れて欲しい。
 via https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/16/namie-comment_a_23529275/

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