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世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子) はてなブックマーク - 世界のQueenフレディ・マーキュリーが教えてくれた「多様性」~27年前の今日、世界が泣いた(by猪熊 弘子)




イギリスのロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公に描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』を、これまで3度観た。
一度目は学生時代からのコアなクイーンファンの友人が応募して当選した公開直前のプレミア試写会で、二度目はやはり学生時代からさんざん一緒にコンサートに行った別のロックファンの友人がチケットを取っていた「爆音」上映会。そして三度目は中学2年生の双子の息子たちを連れてIMAXの大画面で……という具合だ。
50年以上生きているけれど、映画館で立て続けに3度も同じ映画を観たのは人生で初めてのことだ。しかも毎回泣いてしまった。驚いたのはフレディが亡くなってからずっと後に生まれた中2の息子たちも感動のあまり泣いていたことだ。
ブライアンとロジャーは8年もの歳月をかけて、よくぞここまでしっかりとクイーンの歩みとフレディの人生を映画という美しい芸術に仕立ててくれたと思う。70年代にテープがすり切れるほど重ね録りをしてアルバムを作ったのと同じ熱意をもって映画作りにのぞんだのではないか。
思えば中学1年のときに初めてクイーンの曲に出会い、高校時代から本格的にクイーンを聴き始め、1985年には念願の武道館ライブに行き、今も毎日のようにクイーンの曲を聴きながら生きている。そして、いつの間にか自分がフレディの年を追い越してしまったことに気づき、愕然とするのだ。

「子どもたちが『この人のライブに行きたい』というので、この人はもう死んでしまったんだよと言ったら、子どもが泣いてしまった」――Twitterでそんな内容のつぶやきが流れるほどに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を通して「新しいクイーンファン」が増えている。ボーカルのフレディ・マーキュリーは今から27年前の11月24日に天国へ旅立った。自他ともに認めるコアファンのジャーナリスト、猪熊弘子さんがフレディの魅力を改めて伝える。

■1991年11月24日の悲報
1991年11月24日、あれから27年もの月日が経ったとは思えないほど、今もあの日のことは鮮烈に覚えている。フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが飛び込んで来たのだ。まさにその前日にフレディ自身がAIDS(後天性免疫不全症候群)であることを告白したことが報じられたばかりだった。
当時、AIDSはまだ不治の病だった。その年の2月に発売された「イニュエンドゥ」のPVで、痩せて形相が変わってしまったフレディの様子を見て、これはただ事ではないとは思っていたけれど……
当時は今のようにインターネットなどはなく、ニュースが世界中にネットで瞬間的に広まるような時代ではなかった。私は自宅で定時のテレビニュースでその知らせを聞いた。そのあとも、、私がクイーンファンであることを知っている記者の友人たちも通信社の配信でフレディ死去の報を得て「フレディが…」と電話をくれた。
「フレディが死んでしまった」
涙がボロボロ流れ落ちた。





たまたま小学生の頃からかわいがっていた愛猫が死んだのが翌日25日で、2つの悲しい別れが続いたことも忘れられない記憶だ。
それから2週間ほど後、私は海外での取材でオーストリアに行った。帰りはロンドン経由だったので、私はオックスフォードストリートのレコード店HMVまで駆けつけて、フレディの追悼本を買いまくった。店内にはフレディの追悼コーナーができていた。
その後、長い長い子育ての時間を経て(実は現在大学生の長女には密かにクイーンの曲に関わりのある名前を付けている)、私が再びロンドンの地に立つことができたのは、2016年9月のことだった。そのとき私は迷わずケンジントンにあるフレディの家を見に行った。フレディが最後を迎えた家だ。
「Love of my life」を捧げたという元恋人のメアリー・オースティンが今でも管理しているというスタジオ付きの家は、地下鉄の駅から10分ほど歩いた住宅街の中にあり、もちろん「豪邸」ではあるが想像していたよりもずっとシックなたたずまいだった。グリーンがかった高く長い壁には、世界中から訪れたのだろうと思われるファンのさまざまな言語での書き込みがたくさんあった。





■ベルばらや原辰徳が人気だったころ
初めてクイーンの曲を聴いたのは、今からちょうど40年前の1978年、中学1年生の時だった。
ちょうどその当時、私の周囲の女子の間では洋楽といえばベイ・シティ・ローラーズが超絶人気で、みんなタータンチェックのグッズや缶バッジを付けていた時代。ほかに『ベルばら』と、現・巨人軍監督の原辰徳氏が巨人入団前から大人気で、私の記憶の中では、ローラーズとオスカルと原選手がごちゃ混ぜになっているくらいだが、その中で鮮やかかつ不思議な印象を残していったのがクイーンだった。
放送委員として給食の時間に当番で校内放送の担当をしていたので、好きな曲をかけることができた。学校にあったLPレコードはクラシックがメインで、洋楽はビートルズのレット・イット・ビーやイエスタデイ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」といった教科書に載っているような曲がほとんどだったが、時には先輩たちが勝手に自分の好きなレコードを持ってきて曲をかけることもあった。そこで聴いたのがクイーンの「キラー・クイーン」だった。
指を鳴らす音からはじまり、メロディアスなピアノと印象的なボーカル、美しいコーラス、そこに重厚なギターの音が絡んでいく楽曲は、それまで一度も聴いたことがないとにかく不思議な印象で、いきなり心を引き付けられた。田舎の小さな中学校の木造平屋建ての古い校舎の真ん中あたりにあったちっぽけな放送室で、私は初めてクイーンに出会ったのだ。

■多様性をフレディから教わった
本格的に聴くようになったのは高校時代だ。田舎の女子高だったが、出会った友人たちがみんなローラーズ以来の強烈な洋楽ファンで、クイーンも彼女たちに教えてもらって聴くようになった。
当時は高校生のお小遣いではそう頻繁にレコードを買えなかったので、誰かがLPを買えばカセットテープにダビングしてもらったり、FM番組を「エアチェック」(録音)したりして聴いていた。『Music Life』を愛読するようになり、東郷かおる子さんのクイーンへのインタビュー記事を読みまくった。
今のようにすぐに動画が見られる時代ではなかったので、東郷さんの書かれる文章を熟読することからクイーン一人ひとりのキャラクターを理解することしかできなかった。たとえばインタビューの主語を「俺」と訳すか「僕」や「私」と訳すかで、読者の受け取り方は随分違って来るはずで、メンバーの個性にあわせて主語からかえていたのだ。
そういう意味では、東郷さんらがクイーンの音楽はもちろん、メンバーの人となりを的確に伝えてくださったことが、私を含む日本中のファンのクイーン愛を育くんでくれたのだろう。
LGBTへの理解についてもそうだ。ゲイの人は音楽界や芸術の世界で珍しいことではないし、むしろその方がカッコイイ、当たり前だよね、みたいな感覚があった。女子高生にも全く抵抗がなかった。フレディの派手なパーティや「愛人」の話はいつもMusic Lifeで読んでいたが、いやだと感じたことが一度もない。
後に84年に発売されたアルバム「The works」に入っている「Break Free」は女装のPVで波紋を呼び、アメリカに御出入り禁止になったのは有名な話だが、私は当時からあのPVが大好きで、友人たちとも何度繰り返し観たかわからない。フレディがザンジバルからの移民であることも同じくMusic Lifeで読んだ。
どこで生まれようと、どんな人であろうと関係ない。素晴らしい音楽を私たちに与えてくれる人が好き、ただそれだけのことだ。多様性を認めることの大切さ。そのスタンスをクイーンから学んだ。
そういえば、フレディはよくMusic Lifeのワースト・ドレッサー賞に輝いていたけれど、あのパッツンパッツンの市松模様タイツや、短パン1丁+首にタオルでステージに出られるのはこの世で(今はあの世でも出ているかもしれないが)フレディしかいない、ということをギャグにしつつも褒め称えていたのだろう。
個人的には70年代の白いヒラヒラのジュディ・オング風の袖が付いた服をフレディとブライアンが着ている姿がいちばん好きだ。70年代の長髪&ヒラヒラの王子様風のクイーンが今もいちばん美しいと思っている。





■いつ解散してもおかしくない時
高校2年の1981年11月には、「グレイテストヒッツ」が発売された。その当時のクイーンには常に解散説がつきまとい、4人もバラバラに活動していて、いつクイーンが解散してもおかしくない状態だった。
来日公演があれば絶対に行きたいと思っていたが、1982年の来日公演はちょうど高校3年で大学受験を控えていたし、東京公演もなく、大学生になったら行こうと諦めた。しかし、無事に大学生になったというのにしばらくクイーンは活動を停止していて、なかなか来日公演はなかった。
ついに手に入れることができたのが、1985年5月の武道館公演のチケットだ。武道館2階のやや東側のスタンドの一列目という最高の席で、高校時代の友人4人で駆けつけた。フレディの声は高音があまりよく出ず、やや辛いものがあったように記憶しているが、それでも生のクイーンの演奏は絶叫ものの感動で、フレディの「レーロ!」に呼応して「レーロ!」と歌ったことは今も忘れられない。
「次も来日したら必ず行こうね!」とみんなで約束したが、その約束は実現しなかった。結局、その時のライブが最後の来日公演になってしまったからだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のラストに出てくるLIVE AIDはあの武道館のライブからわずか2ヵ月後だから、私が熱狂したあの武道館での4人の姿そのものなのだと改めて思うと、また思い出し泣きしてしまいそうだ。
ちなみにLIVE AIDは1985年7月13日に開催された、アフリカ難民救済を目的とした20世紀最大のチャリティーコンサートだ。日本でも中継されたはずだが、なぜか私には当時の思い出がない。午後9時から翌日正午までの放送という長丁場で、いつ誰が出てくるかわからなかったから、見ることができなかったのかもしれない。
先日、ついに完全版のDVDを手に入れて観てみたが、クイーン以外に大好きでよく聴いていたバンドがたくさん出ていて、最後まで楽しめた。しかし、やはりいちばん素晴らしいのはクイーンの20分間だ。超シンプルすぎるステージをあれほど完璧に盛り上げ、スタジアムを興奮の渦に巻き込んだ20分間は、クイーンの最後の大きくていちばん美しい打ち上げ花火だったのだと思う。





■クイーンのメンバーが幸せでいることが幸せ
フレディの死後、ベースのジョン・ディーコンはほぼ音楽活動から引退し、今はロジャーとブライアンだけが「クイーン」の看板を掲げて活動している。2006年には元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースをボーカルに迎えて再出発したが、私自身は、ポール・ロジャースのボーカルは受け入れられず、ライブには行かなかった。その後、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「Queen with Adam Lambert」としてライブを開始した。私も2016年10月の武道館ライブには足を運んだ。
個人的には特に大好きだったジョン・ディーコンがいないことが本当に寂しいが、もともとクイーンというバンドはブライアンとロジャーが始めたバンドだったことを思えば、今の2人の活動は、ただ70年代始めに彼らがバンドを始めた時に戻っただけなのかもしれないと思えるようになった。

■「私たちは家族だ」



ブライアンは、2012年10月から毎日のように、インスタグラムやツィッターで投稿を行っている。最近ではそれに刺激を受けたのか、ロジャーもインスタを始めた。つい先日は、ロジャーが自宅の庭に引き取ったフレディの像を見上げて「庭を歩き、旧友に挨拶する(A walk in the garden...saying hello to n old friend)」という投稿をしていて、ジンとしてしまった。大スターのリアルなつぶやきをじかに受け取れる時代が来るとは、フレディが亡くなった27年前には全く想像もしなかった。
ブライアンのつぶやきはロックスターとしてのこともあれば、天文学者としての時、一人の良き夫や父親としての時もある。時には英国政府を批判する政治的な発言や、動物愛護主義者としての呼びかけもある。世界的なロックスターが、大好きな星の話しを夢中でしている様子などを垣間見ることができると、「あぁ、ブライアンが嬉しそうで嬉しい」と優しい気持ちになる。なんとなく、クイーンのファンはみんな、フレディやロジャーをまるで親戚のちょっとイケてるおじさんのように感じているのではないかとこのごろよく思う。
私は今、大学院の博士課程後期に席を置いて博士号を取るために学んでいるが、研究が辛くてくじけそうになったときにはいつもブライアンが2007年にインペリアルカレッジで天文学の博士号を取ったことを思い出すようにしている。ロックスターの道を歩みながらも天文学者の道もあきらめなかったブライアンの生き方に、リアルタイムで励まされている。
もうフレディはこの世にいないけれど、ジョンも表舞台には出てこないけれど、ブライアンとロジャーの生き生きとした姿を見るだけで、毎日、幸せな気持ちになってしまう。この時代に生きていて本当に良かったと心の底から思える。この数年、ますますクイーンが好きになっている。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中では何度も“We are family.”という言葉が出てくるが、実際、クイーンは一度もメンバーチェンジをせず、お互いを家族として大切にいたわりながらここまで続いてきた。ファンもそんな「家族」として扱って貰っているように感じる。
それぞれ世界の違う場所で違う人生を生きているが、みんなクイーンが好き。それだけで十分に「家族」なのだ。フレディには今もこんなにもたくさんのあなたを愛する「家族」が世界中にいるんだよ、と伝えてあげたいくらいだ。
この原稿を書きながら、ふとクイーンの曲がかかっていることに気づいた。息子たちがクイーンの曲を聴いていた。「胎教」はもちろん、子守唄のようにしょっちゅうクイーンを聴かせていた息子たちは、映画を観て、全ての曲を知っていたので驚いたと言っていた。「家族」には確かにしっかりと次の世代が育っている。
via https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58624


◇賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ ~映画は嘘をつくから素晴らしいのだ~ (by伊藤 弘了)

 映画は嘘をつく。なぜか。観客に嘘を真実だと思い込ませるためである。映画『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、2018年)はきわめて巧妙にこの逆説を生き抜いている。
 筆者は特別熱心なクイーンのファンというわけではない。正直に言えば、『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞している間、「聴いたことはあるけれど、これもクイーンの曲だったのか」という体験を何度もした。そして、気がついたときにはすっかりこの映画に夢中になっていた。
 それでは、この映画の何にそれほどの魅力を感じたのか。クイーンの音楽そのものに人を惹きつける魅力があることは言うまでもないだろう。この映画に批判的な見解を示す人の多くも、クイーンの音楽を否定しているわけではない。むしろ、コアなファンほど、史実の改変や脚色を施された映画の物語を問題にしているように思われる。
 一方で、映画は世界中で驚異的な大ヒットを記録している。筆者のほかにもこの映画自体に魅力を感じた観客が膨大にいるのである。
 その魅力の源泉とは何なのか。筆者は映画研究者=批評家である。音楽的な知識には自信がないが、映画のことなら分析できる。というわけで、分析のためにこの映画を劇場で5回見てきた。その結果、ラストに置かれたライヴ・エイドのシーンが実に巧みな「嘘」に基づいて作り上げられていることがわかった。この記事では、クライマックスをなすライヴ・エイドの再現シーンに注目し、観客を取り込むために映画がどのような嘘をついているか、大きく4つにわけて解き明かしていこうと思う。

■宣伝文句「魂に響くラスト21分」がすでにウソ
 ライヴ・エイドのシーンがいかに忠実に再現されているかは、すでに各種宣伝やレヴューでさかんに取り沙汰されている。使われている楽器や衣装はもちろん、会場となったウェンブリー・スタジアムのセットは、ピアノの上に置いてある灰皿や飲み物のカップ類に至るまで緻密に再現されているという。また、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックは、優秀なムーヴメント・コーチの助けを借りて、ライヴ当日のフレディの動きを忠実に再演してみせている。SNS上には、じっさいのライヴ・エイドを撮影した映像と映画の該当シーンを比較する動画もアップロードされており、人々はその再現率の高さに文字通り目を奪われている(この動画は現在までに860万回以上再生されている)。
 確かに一見したところ、2つの映像でフレディが見せる動きはよく似ているし、映画がスタジアムやステージまわりの各種小物にまで気を配っていることも窺える。だが、この2つの映像は、いくつかの点で決定的に異なっている。この違いに着目することで、映画の周到な戦略が浮かび上がってくる。
 ライヴ・エイドの「完璧な再現」を売りにするこの映画は、クイーンがステージ上でパフォーマンスを披露した時間がおおよそ21分であったことにちなんで、「魂に響くラスト21分」という惹句を宣伝に用いている。しかし、ここにはすでに大きな「嘘」がある。

■「ラスト21分」実際の時間は...
 映画で描かれるライヴ・エイドのシーンは、じっさいには13分30秒しかない。確かに、ライヴ・エイドの演奏開始からエンディングで流れる2曲までを含めれば20分弱にはなるが、現実にクイーンの行ったステージ上のパフォーマンスが20分弱である以上、それを「完璧に再現」したと言うからには、劇中の対応するシーンの長さを揃えるのが筋だろう。



 ただし、筆者はこの嘘を批判したいわけではない。むしろ肯定的に評価したいのだ。7分以上も鯖を読んでいながら、そのことを指摘するレヴューがほとんど見当たらないのは、映画が成功している何よりの証である(もっとも、劇場にストップウォッチを持ち込んで時間を計りだすのはへそ曲がりな批評家くらいのものだろうが)。ほとんどの観客は、13分30秒の映像を21分のライヴ・パフォーマンスの再現として違和感なく受け入れている。つまり、21分というのは、物理的時間としては嘘でも、観客の生理的時間としては正しいのである。
 それでは、なぜこのような錯覚を与えることが可能になるのだろうか。その鍵を握るのが、再現シーンがついている2つ目の「嘘」である。

■再現シーンに費やされているショットは実際の3倍
『ボヘミアン・ラプソディ』の再現シーンと、じっさいに行われたライヴ・エイドの記録映像の二つ目の違いは、そこで費やされているショットの数である。記録映像(YouTubeでも視聴できる)が21分を175のショットで構成しているのに対して、再現シーンは13分30秒を約360のショットに割っている。使われているショット数に倍以上の違いがあるのだ。しかも、時間としては映画のライヴ・シーンの方が短い。そこで、両者を同じ条件で比較するために、ショットの平均持続時間(ASL=Average Shot Length)を求めてみることにしよう。
 すると、記録映像のASLが7.2秒であるのに対して、再現シーンのASLは2.3秒であることがわかる。ひとつひとつのショットにかけられている時間には平均して3倍以上の開きがあることになる。映画の再現シーンは、“スーパーソニック”な編集をクイーンの音楽と結びつけることで映画のグルーヴを増幅させ、観客に時間的な短さを感じさせないようにしていたのである。
 もちろん、単に短いショットを畳み掛ければ即座に観客に高揚感をもたらすことができるわけではない。それほど単純な話なら、あらゆる映画のASLはもっと短くなっているはずだ。ライヴ・エイドの再現シーンがすぐれているのは、そこに組み入れるショットの選択が絶妙だからである。このシーンには、じっさいのライヴでは撮影できないようなショットが大量に紛れ込んでいる。

■記録映像にはなかったスタジアムの「外」の様子
 それはどのような種類のショットだろうか。もっとも象徴的なのは、会場となったウェンブリー・スタジアムの「外」にいる人々を写したショットである。ショット数で言うと、これが25ほどにのぼる。ライヴの「完璧な再現」を謳うからには、スタジアムの内部(ステージおよび観客席)の映像のみで完結させるのが本来だろう(じっさい、記録映像はすべてスタジアム内のショットで構成されている)。だが、映画はライヴと直接には関係しないはずの映像を取り入れることによって、ライヴの「完璧な再現」を目指しているのだ。



 スタジアムの外の映像としてどのようなものが映し出されているか、その内容を具体的に見ていこう。まず、バーのテレビでライヴを見ている人々を写した一群のショットがある。バーの人々のショットは、スタジアムの観客のショットに織り交ぜられて編集されている。たとえば、「レディオ・ガガ」の演奏場面では、フレディのパフォーマンスに対してスタジアムの観客たちが両手を挙げて応えるが、同様の反応を示すバーの人々のショットがここに挿入されているのである。

■劇中のバーの人々は我々観客を"教育"している
 スタジアムの観客とバーの人々の反応が同じなのであれば、ことさらバーの人々を写す必要はなかったのではないか、と思うかもしれない。しかし、筆者の考えでは、バーの人々を写したショットはこのシーンに絶対に必要なものである。なぜなら、テレビの画面越しにクイーンのパフォーマンスを見ている劇中のバーの人々は、映画のスクリーン越しに同じパフォーマンスに見入っている我々観客の立場そのものだからである。スタジアムで生の演奏を見ている観客と、その様子を見ている映画観客との間にはスクリーンという絶対的な境界線が引かれている。劇中でライヴをテレビ視聴する人々には、スタジアムと映画館を媒介し、映画観客にこの境界を乗り越えさせるための蝶番としての役割が託されているのである。
 あるいは、こう言ってよければ、映画の観客は、スクリーンに映し出される自らの似姿を通して、ライヴのパフォーマンスにどのような反応を示せばいいのかを教育されているのだ。我々は、劇中の観客と同様に、熱狂をもって応えればいいのである。各地で好評を博している本作の「応援上映」は、映画による教育が見事に奏功している証左である。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」削除 3つ目の「ウソ」の意味
「観客」の問題をもう少し見ていこう。クイーンが「観客との交流」を重視していたことは映画内でも繰り返し強調されている。ライヴ・エイドの再現シーンでは、その「観客」の範囲を映画の観客にまで拡張しようと試みているのである。じっさいのライヴ・エイドで演奏された「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を再現シーンから削除するという劇中の「嘘」は、実はこの読みを裏付けてくれる。
 2度の足踏みと手拍子によって観客のライヴへの参加を可能にした「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のパフォーマンスは、劇中でも作曲過程からライヴの成功までを詳しく描き出している。だからこそ、ライヴ・エイドのシーンからはこの曲が削除されたのである(もう一度繰り返すのは蛇足になってしまう)。もちろん、映画の尺の問題はあるだろうが、そこで真っ先に切られたのが「ウィ・ウィル・ロック・ユー」であったことは必然と言っていい。

■「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を埋めたオリジナルシーン
 なぜなら、映画は「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を消去する代わりに、フレディの発声による「エーオー」のコール&レスポンスによって「観客との交流」というテーマを十分に展開しているからである。もちろん、このパフォーマンス自体はじっさいのライヴ・エイドでも行われているが、映画はこのパフォーマンスを劇中のほかのシーンと連関させているのである。劇中で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をライヴ演奏した際、フレディは最後にこのコール&レスポンスのパフォーマンスを短く2度だけ行なっている。
 この「エーオー」は、フレディがエイズの診断を下された際、廊下ですれ違った別の患者(おそらくはフレディのファン)の呼びかけに応えるという形で変奏されてあらわれる(これは映画オリジナルのシーンである)。最後のライヴ・エイドのシーンでフレディが見せる圧巻の「エーオー」は、直前に置かれたこのささやかなコール&レスポンスを大掛かりに反復したものなのである。エイズの告知シーンでファンからの呼びかけに小さく応えたフレディが、今度はファンに向けて全身全霊のパフォーマンスで呼びかける側にまわっているのだ。

■"民主主義的な"ショット配分 4つ目の「ウソ」の意味
 映画が「観客との交流」と並んで重要視しているのが「家族の物語」である。全篇の集大成とも言うべきライヴ・エイドのシーンでこのテーマを打ち出すために、映画は4つ目の「嘘」をついている。それはまず「バンドは家族」であることを映像的に示すところから始められる。このシーンは、ウェンブリー・スタジアム全体を見下ろすカメラが、超満員の観客の上を舐めるように滑っていき、ステージ上でピアノを奏でるフレディの顔のクロースアップを捉えるまでをひと続きに収めた華麗なショットによって幕を開ける。
 フレディのクロースアップに続いて映し出されるのは、クイーンのメンバーであるジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)、ロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ブライアン・メイ(グウィリム・リー)をそれぞれ単独で捉えたショットである。このあと、再びフレディのショットに戻って、今度はブライアン、ロジャー、(間にもう1度フレディを挟んで)ジョンの順に再びメンバーのショットが続く。このきわめて「民主主義的」なショット配分は映画独自のものであり(記録映像のカメラはもっぱらフレディを追い続けている)、バンド=家族の対等な関係性を示唆している。
 映画のカメラはバンドのメンバー以外にも向けられる。ライヴ・エイドのシーンには、ステージ脇からパフォーマンスを見守るフレディの元恋人メアリー・オースティン(ルーシー・ボイントン)と“友人”のジム・ハットン(アーロン・マカスカー)、マネージャーの“マイアミ”・ビーチ(トム・ホランダー)を捉えたショットが複数回にわたって挿入されている。彼らも広い意味でフレディの家族と言うべき存在であり、このシーンは彼/彼女たちをきちんと物語化して提示している。

■なぜクイーン演奏中に寄付が集まったように見せたのか?
 もちろん、映画はフレディと実の家族とのつながりを強調することも忘れない。このシーンには、自宅のテレビでライヴの様子を見ているフレディの家族のショットも挿入されている。とりわけ母親の存在は重要である。ライヴの直前にジム・ハットンとともに実家を訪れたフレディは、その帰り際に「ステージからママに投げキスを送る」と約束しており、映画ではじっさいにそれが果たされている。ライヴの最後の曲である「伝説のチャンピオン」を歌い終えたフレディは、観客席=カメラに向かって投げキスを飛ばす。すると、画面はそれを受けとめる母親のショットに切り返されるのである。母親はその場にはいないので、これは映像のうえでだけ成り立つ偽の切り返しである。このショット編集の妙によって、映画の観客にはフレディと母親の「交流」が成就したことが理解されることになる。
 また、ライヴ・エイドが目標としていた100万ポンドの寄付が集まったのがクイーンの「ハマー・トゥ・フォール」演奏中であったかのように描かれている点も、ひそかに家族のテーマと通じている。このチャリティ・コンサートが掲げる「アフリカ救済」という大義は、やはり直前のシーンでフレディと父親の会話を通して強調されていた。フレディは、父親が息子に望んでいた「善き思い、善き言葉、善き行い」を見事に実践することで、その期待に応えてみせたのである。(※)

■『ボヘミアン・ラプソディ』は再現ではなく、映画的勝利
 ここまで見てきたように、ライヴ・エイドのシーンは、「完璧な再現」などではまったくない。このシーンには映画的な潤色がふんだんに施されており、劇中で展開されたテーマや伏線を回収する場として効果的に機能している。これによって、観客は物語世界への没入を強力に促され、満足感を得ることができる(同時にクイーンのコアなファンや批評家たちはこの物語に乗り切れなかったと考えられる)。だからこそ、このラスト・シーンは多くの観客に「完璧な再現」という虚構を信じ込ませることができたのである。これを見事な映画的“勝利”と言わずして何と言おうか。
「交流」や「家族」というテーマに即してシーンの細部を検討してきたが、これら以外にも、映画にしか見られないショットがいくつか存在する。たとえば、「ボヘミアン・ラプソディ」のシングル・カットに強硬に反対した音楽会社の社長(マイク・マイヤーズ)のショットが差し挟まれている。社長の読みとは裏腹に、「ボヘミアン・ラプソディ」は大成功を収め、クイーンは世界的なロックバンドへと成長していった。しかし、鳴り響く電話のベルを無視して憮然とした表情を浮かべているかに見える社長は、実はひそかにそのような事態を喜んでいるのかもしれない(周知の通り、社長役のマイヤーズ自身はクイーンの大ファンである)。
via http://bunshun.jp/articles/-/9782


◆映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告




◆Queen Perform Live at LIVE AID on 13 July 1985 [ORIGINAL]


・クイーン (バンド) -:Wikipedia

・クイーン、フレディ・マーキュリーの知られざる10の真実
 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29438

・映画『ボヘミアン・ラプソディ』、そして1991年のブライアン・メイのインタビュー記事を題材にたどる史実との相違 
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20181125/bohemianrhapsody
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[訃報] マーベル・コミックの生みの親、スタン・リー氏が死去 95歳 はてなブックマーク - [訃報] マーベル・コミックの生みの親、スタン・リー氏が死去 95歳

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スパイダーマンやキャプテン・アメリカなど、米国のスーパーヒーロー漫画の新時代を築いたコミック原作者、スタン・リー氏が12日に死去した。95歳だった。
リー氏の娘の弁護士によると同日の朝、ロサンゼルスの自宅から搬送された先の病院で息を引き取った。同弁護士はリー氏の死因を明らかにしていない。
1939年に漫画界でのキャリアをスタートさせたリー氏は、漫画の原作や編集、イラストレーターなどとして活動。60年代初めには、スーパーマンやバットマンといった従来のキャラクターと一線を画す新たなスーパーヒーローの創作を手掛けるようになる。
こうして生まれたのがスパイダーマンやハルク、アイアンマン、ソーなどのキャラクターたちだ。決して完全無欠ではなく、人間的な弱さや日常生活での困難を抱えているという設定は、それまでのヒーロー像にはみられないものだった。作品の舞台も架空の世界や都市ではなく、ニューヨーク市など実在の土地がそのまま描かれた。
61年から64年にかけて世に出たこれらのスーパーヒーローは多くがアニメ化、実写化され、テレビや映画で世界的なヒットを飛ばした。
72年からマーベル・コミックの発行人を務めるようになったリー氏は、同社の顔として知られる存在になる。マーベルのヒーロー映画の大半ではゲスト出演もこなした。
2006年のインタビューでは「スパイダーマンが現在のように世界的なヒーローになるとは全く思っていなかった。当時はとにかく漫画が売れて、仕事を続けられることだけを望んでいた」と振り返っている。
via https://www.cnn.co.jp/showbiz/35128549.html

https://gigazine.net/news/20181113-stan-lee-passed-away/

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◆スタン・リーさん死去 かつて語ったスパイダーマン誕生


・スタン・リーが死去。『アベンジャーズ』を生み出したマーベルの伝説的クリエイターが歩んだ歴史
https://www.gizmodo.jp/2018/11/the-history-of-stan-lee.html

・興収記録も次々塗り替え、マーベルのスーパーヒーローがハリウッドにもたらした変革
 https://www.cnn.co.jp/showbiz/35128571.html



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[訃報] 高畑勲氏が死去:82歳=宮崎駿氏盟友のジブリ映画監督 昨夏頃に体調崩し入退院繰り返す はてなブックマーク - [訃報] 高畑勲氏が死去:82歳=宮崎駿氏盟友のジブリ映画監督 昨夏頃に体調崩し入退院繰り返す

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 宮崎駿監督(77)と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、ジブリ映画「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを監督した高畑勲氏が5日、東京都内の病院で死去した。82歳だった。
 関係者によると、高畑監督は昨年の夏頃に体調を崩し、その後入退院を繰り返していた。心臓が悪かったという情報もある。
 昨年11月に高畑監督に会った別の関係者によると、以前よりも痩せていて、歩く時は体を支えられていたという。この関係者は「子供のような好奇心でキラキラした表情が印象的な人だが、元気がなく、全く違った人みたいだった」と話した。通夜、葬儀は近日中に営まれる。
 高畑監督は東大卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎監督と出会い、アニメ制作会社をともに移籍しながら、70年代にはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などを生み出した。85年に宮崎監督らとスタジオジブリを設立。「火垂るの墓」「ホーホケキョ となりの山田くん」などヒット作を次々と送り出した。人気は世界に広がり、2015年にはフランス芸術文化勲章のオフィシエを受章している。
 徹底した取材によるリアルで自然な世界観に加え、「想像力が羽ばたく余地が生まれてこそアニメ」がモットー。こだわりが強く遅筆で、宮崎監督が「ナマケモノの子孫」と呼んだことも。「柳川堀割物語」は製作費を大幅にオーバーして話題になった。
 愛称は「パクさん」。食パンが好きで、東映時代にパクパク食べていたことから、宮崎監督やジブリの鈴木敏夫プロデューサー(69)が親しみを込めて呼んだ。
 アニメ作りの情熱や姿勢は宮崎監督を始め、後進のアニメ関係者にも大きな影響を与えた。

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・高畑 勲(たかはた・いさお)
1935(昭和10)年10月29日生まれ。三重県出身。東大文学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。68年、映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編監督デビュー。「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などの演出を手掛けたほか、「じゃりン子チエ」などの監督を務める。84年、「風の谷のナウシカ」のプロデューサーを担当。85年、スタジオジブリの設立に参加。98年、紫綬褒章受章。

via http://www.sanspo.com/geino/news/20180406/geo18040605050006-n1.html

・高畑勲監督 訃報 - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI
 http://www.ghibli.jp/info/012850/

・高畑勲:Wikipedia

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◆亡くなった「高畑勲監督」ドラえもんの救世主だった
 4月5日、アニメーション監督の高畑勲さんが肺がんで亡くなった。82歳だった。
 高畑さんは東大仏文科在学中、フランスの長編アニメ『やぶにらみの暴君』に感銘を受け、アニメーションの世界に関心を持った。大学卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、1968年、『太陽の王子 ホルスの大冒険』で監督デビュー。
 1971年、宮崎駿監督らとAプロダクションに移り、『ルパン三世』を手がけた。以後、『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』などに関わる。
 1985年、宮崎監督らとスタジオジブリを設立し、『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』など数多くの名作を作り上げてきた。2013年の『かぐや姫の物語』では、アカデミー賞アニメ部門にノミネートされている。
 そんな高畑さんを悼むのは、シンエイ動画名誉会長の楠部三吉郎さんだ。
「高畑さんは僕の恩人ですから。今、すごく悲しいです」
 楠部さんが高畑さんを「恩人」と評するには理由がある。楠部さんは1976年、Aプロダクションから独立してシンエイ動画を起業する。しかし、仕事がまったくなかった。そのときひらめいたのが、『ドラえもん』のアニメ化だ。
 もともと、アニメ『ドラえもん』は1973年に放送されているが、視聴率7%で半年で打ち切られている。だが、ドラえもんの魅力にとりつかれた楠部さんは、原作者・藤本弘(藤子・F・不二雄)に再アニメ化を持ちかける。
 しかし、打ち切りの悲哀を味わった藤本はなかなか了承しない。楠部さんがこう話す。
「藤本先生に直接お会いして、どうか『ドラえもん』をボクにあずけてください、と言ったんです。でも、藤本先生はこっちの気が遠くなるくらい黙ってから、“どうやって『ドラえもん』を見せるのか教えてもらえませんか。原稿用紙3、4枚でいいから、あなたの気持ちを書いてきてください”と言うのです」
 楠部さんは企画書を考えるが、なかなか形に出来ない。そのとき頼ったのが、高畑さんだった。楠部さんは高畑さんに『ドラえもん』全巻を渡し、読んでもらった。
「高畑さんは『こんなすごい作品が日本にあったの? 子供の願望をこんな形で叶えるキャラクターを出現させるなんて、これは画期的だよ!』と驚き、企画書の作成を受けてくれたのです」
 企画書の現物は残っていないが、楠部さんの著作『「ドラえもん」への感謝状』にはこう書かれている。
《『ドラえもん』は、子どもたちの夢想空想を、大人の知恵で少しだけふくらませてあげる。笑いの中で子どもたちの夢をふくらませてあげる。でも、現実世界はそんないいことばかりじゃない。だからのび太はできそこないで、最後はいつも失敗してしまう。子どもたちの夢想空想を笑いの中へ解放してくれる、解放戦士こそ、『ドラえもん』なのだ》
 藤本は、一読すると、楠部さんの目を見据え、「あなたにあずけます」とひと言だけ語ったという。こうしてドラえもんはアニメ化され、大人気となった。
 楠部さんが言う。
「高畑勲という人間がいなかったら、いまのアニメ『ドラえもん』は生まれていなかったかもしれません。高畑さんは、ドラえもんの恩人の一人です」
via https://smart-flash.jp/showbiz/37885


◇「火垂るの墓」ポスターに隠された意味
亡くなった高畑勲監督のアニメ映画「火垂(ほた)るの墓」(1988年)がテレビ放映されたのを機に、公開当時のポスターにネット上で関心が集まっている。
戦火で親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が、草むらの中に分け入り、束の間の蛍の乱舞を楽しんで...。

■B29爆撃機のような影と焼夷弾のような光の玉
当時のポスターを見ると、こんな微笑ましい光景のようにも思える。
ところが、ツイッター上では、ポスターをよく見ると、背後に黒い影があるのが分かると、ここ数日大きな話題になっている。
その指摘によると、黒い影は、神戸大空襲にも参加した米軍のB29のような爆撃機の形をしていた。さらに、蛍の乱舞のように見えた光の玉は、その一部が米軍の落としていった焼夷弾らしいというのだ。実際、光の玉は、丸い形や流線型の形もあって、色も少し違っていた。
指摘したツイートは、13万件ほども「いいね」が押されており、大きな反響を呼んだ。ツイッター上では、「知らんかった」「うわほんとだ 上にいる」「そういうことだったなんて...」などと驚きの声が次々に上がっている。
それで、映画のタイトルに火が垂れるという表現をかけているのか、といった声も出た。ネット掲示板では、英語版のポスターの写真も投稿され、それを見ると爆撃機の姿が分かるとの指摘もあった。

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(日本版ポスター)

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(英語版ポスター)

■「当時を知る人が少なく、確証が得られない」 火垂るの墓は、主人公の兄妹が、親を亡くして防空壕で暮らし始めるが、栄養失調で妹が亡くなり、残された兄は街中をさまよって...というストーリーだ。原作が作家の故・野坂昭如さんの短編小説で、テレビドラマなどにもなっている。
悲しいストーリーだが、ポスターだけは、つかの間の美しい光景を描いたものと思われていたようだ。しかし、爆撃機や焼夷弾なども描かれているらしいと知って、ポスターへの見方も変わったといった声がネット上で出ている。話題は海外にも拡散し、台湾のネットメディアなどでも取り上げられた。
このポスターは公開当時作られたものの一つと見られるが、アニメを制作したスタジオジブリは4月16日、ポスターについて、「当時を知る人が少なくなっており、確証を得られるものがありませんので、お答えは控えさせて下さい」とJ-CASTニュースの取材に答えた。
映画を手がけた新潮社は16日、「文庫版は弊社から出ていますが、弊社の方では分かりかねます」と出版部が取材に答えた。
via https://www.j-cast.com/2018/04/17326287.html?p=all

◇高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)
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4月5日に肺がんで亡くなったアニメーション監督の高畑勲さんを偲ぶ「お別れの会」が、5月15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で開かれた。
冒頭、宮崎監督が"開会の辞"として挨拶。宮崎監督は高畑さんと出会った東映動画時代を振り返りつつ、「パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた」と、声を詰まらせながら盟友を偲んだ。
その全文を紹介する。
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パクさんというあだ名の言われはですね、まあ定かでない部分もあるんですが、大体もの凄く朝は苦手な男でして、東映動画に勤め始めた時もギリギリに駆け込むというのが毎日でございまして。買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べて、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたと。それで、パクパク、パクになったという噂です。
追悼文という形ではありませんが、書いてきたものを読ませていただきます。
パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた。
そのパクさんが亡くなってしまった。自分にもあんまり時間がないんだなあと思う。
9年前、私たちの主治医から電話が入った。「友達なら高畑監督のタバコをやめさせなさい」。真剣な怖い声だった。
主治医の迫力に恐れをなして、僕と鈴木さんはパクさんとテーブルを挟んで向かい合った。姿勢を正して話すなんて、初めてのことだった。
「パクさんタバコを止めてください」と僕。「仕事をするためにやめてください」。これは鈴木さん。
弁解やら反論が怒涛のように吹き出てくると思っていたのに、「ありがとうございます。やめます」。パクさんはキッパリ言って頭を下げた。そして本当に、パクさんはタバコをやめてしまった。
僕はわざとパクさんのそばへタバコを吸いに行った。「いい匂いだと思うよ。でも、ぜんぜん吹いたくならない」とパクさん。彼の方が役者が上だったのであった。やっぱり95歳まで生きる人だなあと、僕は本当に思いました。
1963年、パクさんが27歳、僕が22歳の時、僕らは初めて出会いました。初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています。黄昏時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりの残る通りを、ひとりの青年が近づいてきた。
「瀬川拓男さんのところへ行くそうですね」
穏やかで賢そうな青年の顔が目の前に遭った。それが高畑勲こと、パクさんに出会った瞬間だった。
55年前のことなのに、なんとはっきり覚えているのだろう。あの時のパクさんの顔を今もありありと思い出す。
瀬川拓男氏は人形劇団「太郎座」の主催者で、職場での講演を依頼する役目を僕は負わされていたのだった。
次にパクさんに出会ったのは東映動画労働組合の役員に推し出されてしまったときだった。パクさんは副委員長、僕は書記長にされてしまった。緊張で吐き気に苦しむような日々が始まった。
それでも組合事務所のプレハブ小屋に泊まり込んで、僕はパクさんと夢中に語りあかした。ありとあらゆることを。中でも作品について。僕らは仕事に満足していなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった。何を作ればいいのか。
すみません、どうやって...。
パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に出会えたのだと嬉しかった。その頃、僕は大塚康生さんの班にいる新人だった。大塚さんに出会えたのはパクさんと出会えたのと同じくらい幸運だった。アニメーションの動かす面白さを教えてくれたのは大塚さんだった。ある日大塚さんが見慣れない書類を僕に見せてくれた。こっそりです。
ちょっと、すみません...。
それは、大塚康生が長編映画の作画監督をするについては、演出は高畑勲で無くてはならないという会社への申入書だった。当時、東映動画では「監督」と呼ばず「演出」と呼んでいました。
パクさんと大塚さんが組む。光が差し込んできたような高揚感に湧き上がっていました。
そしてその日がきた。長編漫画第10作目(「太陽の王子 ホルスの冒険」)が大塚・高畑コンビに決定されたのだった。ある晩、大塚さんの家に呼ばれた。会社近くの借家の一室にパクさんも来ていた。
ちゃぶ台に大塚さんはきちんと座っていた。パクさんは組合事務所と同じように、すぐ畳に寝転んだ。なんと僕も寝転んでいた。
(大塚さんの)奥さんがお茶を運んでくれたとき、僕はあわてて起きたが、パクさんはそのまま「どうも」と会釈した。
女性のスタッフにパクさんの人気が今ひとつなのは、この無作法のせいだったが、本人によると、股関節がずれていてだるいのだそうだった。
大塚さんは語った。「こんな長編映画の機会はなかなか来ないだろう。困難は多いだろうし、制作期間が延びて、問題になることが予想されるが、覚悟して思い切ってやろう」。
それは「意思統一」というより、「反乱」の宣言みたいな秘密の談合だった。もとより僕に異存はなかった。
なにしろ僕は原画にもなっていない、新米と言えるアニメーターに過ぎなかったのだ。
大塚さんとパクさんは、事の重大さがもっとよくわかっていたのだと思う。勢い良く突入したが長編10作目の制作は難航した。スタッフは新しい方向に不器用だった。仕事は遅れに遅れ、会社全体を巻き込む事件になっていった。
パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人に泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。
僕は、夏のエアコンの止まった休日に出て、大きな紙を相手に背景原図を書いたりした。会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても、構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。僕はこの作品で仕事を覚えたんだ。
初号を見終えた時、僕は動けなかった。感動ではなく驚愕に叩きのめされていた。会社の圧力で、迷いの森のシーンは削られる削られないの騒ぎになっていたのを知っていた。パクさんは粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数からカット毎との作画枚数まで約束し、必要制作日数まで約束せざるを得なくなっていた。
当然のごとく約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。一体パクさんは何枚の始末書を書いたのだろう。僕も手一杯の仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。大塚さんも、会社側の脅しや泣き落としに耐えて、目の前のカットの山を崩すのが精一杯だった。
初号で僕は初めて、迷いの森ヒルダのシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。なんという圧倒的な表現だったろう。なんという強い絵。なんという...優しさだったろう...。これをパクさんは表現したかったのだと初めてわかった。
パクさんは仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を成し遂げていた。大塚さんと僕はそれを支えたのだった。
「太陽の王子」公開から30年以上たった西暦2000年に、パクさんの発案で「太陽の王子」関係者の集まりが行われた。
当時の会社の責任者、重役たち、会社と現場の板挟みに苦しんだ中間管理職の人々、制作進行、作画スタッフ、背景・トレース・彩色の女性たち、技術家、撮影、録音、編集の各スタッフがたくさん集まってくれた。もういまはないゼロックスの職場の懐かしい人々の顔もまじっていた。偉い人たちが「あの頃が一番おもしろかったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」の興行は振るわなかったが、もう誰もそんなことを気にしていなかった。
パクさん。僕らは精一杯、あの時を生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。
ありがとう、パクさん。55年前に...あの雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんのことを忘れない。

via https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/14/isao-takahata-farewell_a_23434642/

・高畑勲監督の『お別れ会』が行われ、盟友・宮崎駿さんが別れを惜しんだ
 https://matome.naver.jp/odai/2152636467010229301
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[映画] 『君の名は。』:「ハウル」超え、興収199億円超え、邦画歴代2位に はてなブックマーク - [映画] 『君の名は。』:「ハウル」超え、興収199億円超え、邦画歴代2位に

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 アニメ映画「君の名は。」の興行収入が4日に199億5千万円に達し、2004年に公開された「ハウルの動く城」の196億円を抜き、歴代邦画2位に浮上したことが5日わかった。配給会社の東宝が明らかにした。残るは首位の「千と千尋の神隠し」(2001年公開、308億円)があるだけとなった。
 日本映画の歴代興行収入は、「千と千尋」「ハウル」「もののけ姫」(1997年公開、193億円)とスタジオジブリの宮崎駿監督作品がトップ3を2004年以来、12年間にわたって独占してきたが、これでジブリ3強のうち2本までが崩された。
 「君の名は。」は、原作、脚本ともに新海誠監督による劇場用アニメ映画。今年8月26日に公開され、学生を中心に大ヒットした。公開前からヒットは期待されていたが、ここまでとは予想されていなかった。
 洋画を含めると、歴代2位は「タイタニック」で262億円、3位は「アナと雪の女王」で254億円余。4位は「ハリー・ポッターと賢者の石」で203億円。5位が「君の名は。」となった。4位との差は3億円余りなので、これも年内の射程距離につけた。
 その上のアナ雪を抜けるかどうかか焦点となる。東宝ではいぜん好調な動員が続いていることから、「君の名は。」の興行を越年することを決めている。
via http://www.sankei.com/economy/news/161205/ecn1612050016-n1.html

・『君の名は。』:興収164億円で「ポニョ」「アバター」超え 邦画歴代5位
 大ヒット中の劇場版アニメ「君の名は。」(新海誠監督)の累計興行収入が、8月26日の公開から10月23日(24日付)で、164億円を突破したことが24日、明らかになった。「崖の上のポニョ」(2008年、宮崎駿監督)が記録した155億円、「アバター」(2009年、ジェームズ・キャメロン監督)の156億円を超え、邦画の歴代興行収入ランキングで5位、全体でも9位に入った。
 59日間での累計興行収入は約164億1000万円、累計動員数は1260万8655人で、22、23日の映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)では9週連続で首位を獲得している。
 「君の名は。」は、1000年ぶりとなる彗星(すいせい)の来訪を1カ月後に控えた日本を舞台に、山深い田舎町に暮らす女子高生・三葉と東京で暮らす男子高生の瀧が、入れ替わってしまう……というストーリー。主人公・瀧を俳優の神木隆之介さん、ヒロイン・三葉の声を女優の上白石萌音さんが演じており、声優として長澤まさみさん、谷花音さん、市原悦子さんらも出演している。[2016.10.24]
via http://mantan-web.jp/2016/10/24/20161024dog00m200028000c.html

■日本の歴代興行収入ランキング
・1位:「千と千尋の神隠し」308億円
・2位:「タイタニック」262億円
・3位:「アナと雪の女王」254億円
・4位:「ハリー・ポッターと賢者の石」203億円
・5位:「君の名は。」200億円
・6位:「ハウルの動く城」196億円
・7位:「もののけ姫」193億円
・8位:「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」173億円
・9位:「ハリー・ポッターと秘密の部屋」173億円
・10位:「アバター」156億円
・11位:「崖の上のポニョ」155億円
(※2016.12.5時点 興行通信社より)





・映画『君の名は。』公式サイト:http://www.kiminona.com/index.html

・<君の名は。>新海監督「価値観訴える映画、作りたくない」

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 アニメ映画「君の名は。」の勢いが止まらない。興行通信社の調べで8月下旬の封切り以来、週末の観客動員数は8週連続1位、累計約1200万人超。世界89の国・地域での配給も決まった。新海誠監督(43)に、ヒットをどのようにとらえているのか聞いた。【聞き手・最上聡】(一部映画の内容に触れている部分があります)

◇アニメの受容のされ方が変わった
 --10代の若者を中心に広がっているヒットですが、特徴として観客の男女比の差が少ないという分析があります。
 新海 僕がアニメを作り始めて14年になりますが、今作で何か急に変わったという意識はありません。少しずつ時間をかけての変化がありました。(劇場3作目の)「秒速5センチメートル」(2007年公開)まで、観客はほとんど男性でした。次の「星を追う子ども」(11年公開)で女性が増えたかな、と。作品に女性が楽しめる要素があったのかもしれませんが、(本作で瀧役を務めた)神木隆之介さん(23)から(人気ライトノベル原作のテレビアニメ)「涼宮ハルヒの憂鬱」(06年放送)でアニメに入った(関心を持った)という話を聞くと、このころ日本でのアニメの受容のされ方が変わった感があります。カジュアルになり、男性だけのものでなくなったのでは。(前作の)「言の葉の庭」(13年公開)で、女性がずいぶん多いな、と。今作「君の名は。」で半々といった感です。

 --娯楽多様化の昨今、これだけ若者にお金を払い映画館に行ってもらうのは大変なことです。若者の気持ちをどのようにとらえるのでしょう。
 新海 先日、テレビ番組に出演したとき、女子高生からも「なんで40代のオジサンが私たちの気持ちが分かるの?」という、若干失礼な質問を受けました(笑い)。若者を取材したわけでもなく、「本当のリアル」が描けてはいないと思います。しかし、10代の若者の「本当のリアル」が存在するのか、あっても40代とどれほど違うのか。僕は10代のころ苦しかったことは、濃度は薄れても今も苦しいし、強烈にあこがれたものは、手に入らずとも今もまぶしいものだと思います。「なんで?」と尋ねた彼女たちも、突然大人に切り替わるのでなく、グラデーションで私たちに続いている。世代差や性別差より、一人一人の人間の違いの方が大きい。差を考えても仕方ないと思います。

 --公開前、観客に「サービス」を提供したいとの話をしていました。どう「見る人」の目を意識しますか。
 新海 今作に限らず、観客の気持ちは、頭と紙の上ではありますが、徹底的にシミュレーションします。退屈しないだろうか、目の前の出来事が理解できなくても、興味は持ち続けてくれるだろうか。自身がクリアすべき水準を超えればいいという作り方ではなく、どう伝わるか、どう伝えるかを意識しています。特に今回、脚本に重きを置き、プロデュースチームとの会議で半年かけて改良しました。脚本の先の絵コンテを作る作業は一人でしましたが、一人で作業しながらも考え続けました。

 --これまで作品を見てきて「作りたいものを作る」という印象でしたので、意外です。
 新海 (劇場1作目の)「ほしのこえ」(02年公開)から、もちろん自身の創作欲求を満足させたい気持ちもありますが、この人に見てほしい、自分の知っている人に直接感動してほしいというところから、顔の見えない観客にも届くようにと広がりましたが、「誰かに届けたい」という気持ちは変わりません。毎回反省はあります。思ったより届かなかった、思うように届かなかったと。例えば「秒速」は、慰められたと言ってくれる人もいる一方、「ショックを受けた。2回見られない」という人もいた。ちまたで「鬱アニメ」と言われたりもし、もちろん作品から強い何かを感じ取ってもらえたなら良いのですが、私自身はもう少し前向きなものを届けたいと思っていました。14年間試行錯誤しつつ、「星を追う子ども」でも「言の葉の庭」でも制作中毎週、脚本について周囲の意見は聞いてきたのですが、今回方向性の強いプロデューサーの川村元気さんを中心に、これまで以上に徹底して意見を聞くことをしました。根本は変わりませんが、これまで実現しきれなかったことができた。今の僕の最新のやり方が今回のやり方です。

 --「君の名は。」は自身で小説も執筆していますが、これまでと違い、簡明に書いていますね。
 新海 意図的に変え、ライトノベルのレーベルのつもりで書きました。どこまでできているか分かりませんが、文体は意識的に使い分けています。「言の葉の庭」の小説を1年近くかけ、執筆した経験が大きいです。文字表現、物語を紡ぐ自信を得ることができました。「言の葉の庭」は章ごと語り手を変えているのですが、文体や人称が自身の中で操れるようになりました。「言の葉の庭」の1章に高校生の相沢の視点で書かれたものがありますが、今回の「君の名は。」はそのノリでやってみようと。

◇長編の尺を初めて制御しきれた
 --私は新海監督のこれまでの作品では、どちらかと言えば短編・中編の方が好きでした。今回、「君の名は。」は長編ということで、どうなるか注目していたところです。短編と長編について、どう考えていますか。
 新海 僕は村上春樹は短編、長編とも好きですが、繰り返し読むのは短編です。僕の作品で短編が好きな人も長編が好きな人もいるでしょうが、毎回、前作を踏まえた反省で、短編の後は長編、長編の後は短編、中編と制作してきました。「ほしのこえ」をつくって次は長編をと「雲のむこう、約束の場所」(04年公開)をつくり、全編をコントロール仕切れなかった反省から「秒速」をつくり、できたので「星を追う子ども」をつくり、その反省で中編の「言の葉の庭」をつくり……と。長編の「君の名は。」は、その後の小説やCM制作の経験を生かして、僕のキャリアの中では、ある程度思い通りに作れました。ですので次は短編という気持ちはありません。今回、長編の尺を初めて制御しきれた気がします。「雲のむこう、約束の場所」「星を追う子ども」は2時間を把握しきれず、「この部分の接続がうまくいっていないが、今更戻れない」といったことがありましたので。観客の受け止めは別でしょうが、今回はもう一度長編をやりたい気持ちが強いです。今ならできる、と。

 --頼もしい言葉がありましたが、これまでずっと「男女のすれ違い」をテーマに作品を作ってきましたが、ほかのテーマを作るのか、あるいはもっと深める道があるのでしょうか。
 新海 観客が僕に何を期待してくれているのか、ということがあります。「言の葉の庭」の観客は約10万人で、今作は1000万人超、100倍に膨れあがりました。多くの人にとって「君の名は。」の新海誠だと思います。若い少年少女のドラマの結びつきを期待し、もう1回見たい。そんな人が大多数なら、もう1回やるべきだと思うのと同時に、「自分にはこれしかできない」という作家性の核があるかなという思いもあります。しかし、先に言った「言の葉の庭」の小説を書いて、僕も違うことができるのだという思いも出てきました。章ごと短編の体をとっている小説ですが、章によっては母親視点で書いてみるなど、必ずしも恋愛が軸になっていません。手応えがあったので、男女の関係性以外に自身の中で掘るべきテーマがあって、何を広げていくか、今まさに考えているところです。まだ空手形ですが、何か違うことができるような気もします。

 --「君の名は。」に物語については、何を削ったかの方が興味深くあります。加納新太さんの本(「君の名は。Another Side:Earthbound」=本編のサイドストーリーを描いた小説)では、三葉の父親の章が興味深かったです。新海さんは、こんな話を描きたかったのではと思っていたら、元々脚本に入っていた話ではないとありました。
 新海 映画が終わってから忙しく、実は加納さんの本は、読めていないのです。自分の作品の本を読む余裕がない(笑い)。「星を追う子ども」で妻を亡くした夫の話を描いていて、今回の父もそうなのですが、そこを描こうとは思っていなかった。もちろん、映画をつくる上でぼんやりと背景のイメージはありましたが。それを加納さんは膨らませ、肉付けしてくれたのだと思います。妻を亡くした特殊能力を持たない男は、三葉たちより僕たちの現実により近い。モチーフへの興味はありますが、観客が何を見たいのかを同時に考えるわけです。いろいろな意見がありました。父をもっと掘り下げた方がいいとか、三葉と瀧が恋に落ちる瞬間もっとを描くべきだ……などと。しかし、捨てていきました。つじつまを合わせるのが映画の目的ではありません。限られた107分間で、面白かったと映画館を出てもらう必要があります。捨てた部分に大事なものがあったかもという指摘はあり、次回のタネがそこに眠っているかも知れませんが、今回は捨てるべくして捨てたと思います。

 --例えば映画ではクライマックス、三葉の父がなぜ訴えを聞き入れたかの理由などが劇中、説明されていません。
 新海 あの場面も、説得を描いても面白さに寄与しないと思います。果たして三葉が助かるか、助からないかという観客の関心をそいでしまう。この映画は、三葉と瀧の気持ちを描きました。映画の時間軸は寄り添い、手を離さないよう作らねばと思いました。制作中迷ったのは瀧は三葉だけでなく、街の人々全体を助ける話だから、どこかで街を救うモードにならなくてはという点でした。そうしないと倫理的、道徳的に成り立たないと思った時期もありました。しかし、そうではないとギアを戻しました。結果的に皆救えたし、瀧は三葉以外の人のことを考えていないわけではない。しかし10代の恋心、相手を知りたくて必死に手を伸ばす。ようやくたどり着いたのに相手が消えてしまい、もっと強い気持ちで……というものと違う動機を映画に入れるのはよくない。映画の一要素として社会を描くのは必要ですが、高校生が急にスーパーマンになって「社会派」になってしまったらおかしいので「お父さん」が必要なわけです。映画の中で何を大事に扱うか。「君の名は。」は、瀧と三葉、2人の気持ちから手を離さないようにしようと作りました。もちろん、いろいろな人がいろいろな見方をしますから、これだけ公開から週がたちますと、「ここが足りない」など、いろいろな意見が聞こえてきますが。

 --以前からの新海監督のファンという人など、どんな感想が耳に入ってきていますか。
 新海 漠然とですがネットでツイッターやブログを見てみると、以前の作品とあまり変わらない感覚が強いです。かつて村上春樹がエッセーで「10万部売れていたころは世界の人から愛されていたが、『ノルウェイの森』で100万部売れるようになって世界中から憎まれたまらなく寂しくなった」と書いていたのが印象的です。僕は村上春樹とは立場も違いますが、100倍に観客数が増えたことで観客との距離感が変わったかと言えば、驚くほど熱量は変わっていません。「言の葉の庭」は「10万部」の作品ですが愛され、支持されているようには見えませんでした。インターネットが広まって以降に作品を送り出していますから、東京・下北沢で「ほしのこえ」を数千人に見てもらったころから、罵詈雑言(ばりぞうごん)と称賛がむき出しでネットにありました。その状態は、今も変わりません。

 --比較的に納得の作品になったようですが、当然ながらできなかった、うまくいかなかった部分はありますよね
 新海 個人的に追求したかった部分があるのですが、観客への届き方を見ていると、それが観客にとって大事だったのかという思いもあります。特にきちんとやりたかったのは技術的な部分、色彩設計など画面の作り込みです。アニメーターともっとコミュニケーションをとり、画面をもっと良いものにできたのでは、と。できなかったのは時間的制約だったり、僕より先輩のアニメーターを前にしての経験不足だった部分です。これまで作品では色彩設計を徹底的にすべて自分でやっていたのですが。もちろん、今作のそれが悪いわけではありません。現在、あるCM映像を制作していますが、それは今までのように自分の理想の画面を作り込みたいと思っています。しかし今回の観客数が100倍に跳ね上がった結果を見ますと、自分の満足する画面作りと、観客の満足とはあまり関係ないのではないかと(笑い)。少なくとも現在求められているのは物語だったり、語り口のテンポだったり、スピード感だったのかなと思います。あるいは、自分の本当の武器はそこかもしれないと気付かされました。やりきれなかった部分をどう考えるかは、自分の中でも整理できていません。

◇「誰かに届けたい」という気持ちは変わらない
 --作家性の強いこだわりの強い方だと思われていますよね。
 新海 以前の対談でも「新海さんは全部思い通りになるんでしょ」と言われまして(笑い)。外からはそう見えるのか、と。実際は伝えるべきコアがあれば、後はお任せしますというタイプだと思います。初め自主製作でアニメ作りを始めたので、全部自分でやりたいという人だという印象が強いのかもしれませんが。絵に関しても、自分より1万倍うまい人が業界にはたくさんいます。

 --個人的に、新海監督作品には少女漫画の文法を感じるところがあるのですが、どうでしょうか。
 新海 読まないわけではないですが。例えば私の作品に父性主義、父権主義はないと思います。そんな意味で、女性作家の小説の方が好きなものが多いのかもしれません。父が権威を大事にする人で、男はこうあるべき、人生はこうあるべき、と「あるべき」を言う親で、良い影響も、良くない影響も受けているかと思いますが、それに対する反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。ですから批評家に映画はこうあるべき、と言われるのが大変腹立たしい(笑い)。ある種の映画は強い主張で作られて、そういった作品もあるべきですが、「少年少女はこう育つべき、こんな環境が人間にいい」といった誰かに価値観を強く言う映画は作りたくありません。どんな選択肢があるか、選択肢で迷うような存在は描きたいと思います。
via http://mainichi.jp/articles/20161020/k00/00m/040/119000c

◆「話題にしてくれた皆さんのおかげ」 映画館がない聖地・飛騨で「君の名は。」上映会

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 https://www.buzzfeed.com/harunayamazaki/hida-kiminonaha-2?utm_term=.ttpgGxxwR#.mq8LOjjDr

・「飛騨古川駅」
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・「気多若宮神社」
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・「君の名は。」、聖地で初上映 映画館なく、地元が要望
 人気アニメーション映画「君の名は。」(新海誠監督)の上映会が6日、岐阜県飛騨市であった。実在する場所が作品中に登場し、「聖地巡礼」のファンでにぎわう飛騨市だが、映画館がなく、これまで地元では見られなかった。
 市文化交流センターで3回上映され、各回とも650人が鑑賞した。冒頭には、「映画館がないとは知りませんでした。今日は皆さんに見てもらえてうれしいです」という新海監督のビデオメッセージも紹介された。
 チケットは10月23日の発売開始後、2時間足らずで完売するほどの人気ぶり。飛騨市古川町の坂下裕美さん(39)は「夫と長男は富山市で見たけど私は初めて。うわさ通り、わが家近くの駅もそのまんま描かれていました」と話した。
 岐阜県北部の飛騨地方には、高山市の映画館が廃業した2014年から映画館がない。「ふるさとが描かれた人気映画を地元で見たい」という要望を受けた市が、配給元の東宝と交渉して実現した。
 「君の名は。」は8月から全国公開された。飛騨市の「聖地」には、今も多くのファンが訪れる。飛騨市図書館の西倉幸子館長によると、10月の週末には約500人が訪れて館内を撮影する日もあり、10月の入館者は前年同月比で9割増だった。[2016.11.06]
via http://www.asahi.com/articles/ASJC656XJJC6OHGB00N.html


・映画だけじゃない!『君の名は。』原作小説が売れまくっている!
 http://matome.naver.jp/odai/2147722212213401201

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・現実世界そのまま!『君の名は。』の聖地巡礼スポットをまとめてみた
 https://www.buzzfeed.com/shunsukemori/yournamelocations?utm_term=.yig2kOOeG#.kwlKgPP9D

◆『君の名は。』ロングヒット!新海誠の魅力はそれだけじゃない! 秒速5センチメートル、言の葉の庭… 胸を切なくさせる感動の4作品
・新海誠の原点! 商業デビュー作『ほしのこえ』
・二つの彷徨う恋心の行方は…『秒速5センチメートル』
・雨と緑に彩られたひと夏の青春物語『言の葉の庭』
・“さよなら”を言うための旅『星を追う子ども』
via http://ddnavi.com/news/343883/a/

・こりゃヒットするわ…「君の名は。」の神対応がステキすぎ!
 http://matome.naver.jp/odai/2147849903285437601

◆君の名は! 興行収入上位3作品の作画監督が同一人物という事実(1位の「千と千尋の神隠し」、2位の「君の名は。」、4位の「もののけ姫」) /
アニメーター安藤雅司氏
 http://buzz-plus.com/article/2016/12/06/masashi-ando-animator-kiminonaha/

◆黒板アートで「君の名は。」 美術講師がチョークで再現
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 興行収入が206億円に達した大人気のアニメ映画「君の名は。」。その宣伝用カットをチョークで忠実に描き、ネット上で話題となっている先生が奈良県にいる。美術を、ひいては学校を生徒たちに好きになってほしい。そんな思いで黒板に向かっているという。
 先生は奈良県立郡山高校(同県大和郡山市)の美術講師、浜崎祐貴(ひろたか)さん(31)。
 青空の下、階段に立つ制服姿の男女。黒板アートで仕上げた「君の名は。」は、色を重ね、線の密度を変えて微妙な色まで表現した。生徒から「9月の文化祭用に描いて」と要望され、3日で完成させた。
 ログイン前の続き作品をツイッターの自分のアカウントに投稿すると「クオリティー高すぎ!」「学生時代にこんな先生に会いたかった」と評判が広がった。6万3千リツイートされ、お気に入り登録数は10万を超えている。
 浜崎さんは奈良県香芝市で育った。大阪芸大を卒業後、食品会社などでパッケージデザインなどを担当した後、25歳で奈良県内の中学校の美術講師になった。昔から美術の先生になりたいと思っていた。黒板アートに取り組むきっかけは、以前の教え子から送られてきたLINE(ライン)だった。
 郡山高に赴任した2014年11月、教え子が突然、黒板に模写したピカソのゲルニカの写真を送ってきたのだ。おそらくはただの思いつきだったのだろう。だが、自分でも実際に描いてみると、これを見た美術部員が「やばい!」。それ以来、生徒の目を引きつけ、授業に興味を持ってもらうため、美術室の黒板にレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐(ばんさん)」や葛飾北斎の「富嶽(ふがく)三十六景」などの作品を描いてきた。
 「作品」は仕上がった当日のうちに消してしまうこともある。「消すところまで含めて黒板アート。そのはかなさも魅力なんやと思ってます」
 美術部の顧問は着任当初から務めている。元気がなかったり、打ち込むことが見つかっていなかったりする生徒は放っておけず、入部を勧めてきた。5人だった部員は、浜崎さんの勧誘もあり、いつのまにか28人にもなった。
 2年の丹羽慶輔さん(16)も浜崎先生に誘われた一人。柔道部員だったが1年の秋にけがで退部し、学校に行く意味を見失いかけていた時に声をかけられたという。「人とよくしゃべるようになったのも、今、学校が楽しいのも、先生のおかげやなって思う」
 浜崎さん自身、中学3年の時に学校を休みがちになった経験がある。父親を亡くし、バスケットボールもけがでやめた。いろいろなことが重なり、「しんどくなってしまった」。
 それでも「学校に行かなきゃ」と思った時、足が向くのは決まって美術の授業がある木曜日だった。担当していたのは「自称二十歳」の女性の先生。絵や工作は得意ではなかったが、会えるのが楽しみだった。板書はギャル文字風。浜崎さんを「はまちゃん」と親しみを込めて呼び、話すと心が楽になった。
 進路についても、美術科のある高校をあげて「はまちゃんやったら、この学校やな」とアドバイスしてくれた。全然先生っぽくなかったが、そのせいか何でも話せた。こんな大人に自分もなりたいと思った。
 今でも美術の先生として思い描く理想像は彼女の姿だ。黒板アートを通じ、少しでも近づきたいと願っている。
 美術部員にも今春初めて開かれた「日学・黒板アート甲子園」(主催・日学)への参加を勧めた。「美術ってふだんは個人プレー。みんなで一つのことに挑戦してみてほしかったんです」
 当時の17人の部員全員が黒板に向かう自分たちの背中を描いた。地元の名産でもある「金魚」をテーマに部員たちが構想を練っているところで、試行錯誤を重ねている様子を忠実に表現した。
 結果は、全国97校157点中、2位にあたる優秀賞。地域色を存分に生かし、カラフルな色彩も高評価だった。何より、チームワークの良さや仲間たちと楽しみながら描いている情景が浮かび上がってくるという点で高校生らしい良作とされた。
 黒板アートのおかげで、浜崎さんは校外でも話しかけられたり、イラストを頼まれたりする機会が増えた。しかし、浜崎さんは「芸術やないんです」と話す。黒板アートは、あくまでも美術を好きになってもらうきっかけに過ぎないという。「最終的に学校が楽しいと思ってもらえたら、最高なんですけどね」
 via http://digital.asahi.com/articles/ASJDH6JVPJDHPOMB010.html?rm=259

・浜崎祐貴さん:TwitterInstagram


◆『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」
アニメ映画『君の名は。』は、社会現象とも言えるほどの大ヒットとなった。2016年8月の公開後、国内の興行収入は200億円を突破し、邦画では歴代2位。観客動員数は1500万人を超えた。海外でも92カ国・地域での配給が決定。アカデミー賞の前哨戦とも言われるロサンゼルス映画批評家協会のアニメ映画賞にも輝いている。
『君の名は。』を手がけた新海誠(しんかい・まこと)監督を「ポスト宮崎駿」と評する声もある。『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』など思春期の男女を描くことに定評があり、熱心なファンはいたが、興行収入は『言の葉の庭』の1億3000万円が最高。大ヒット作は、なかった。
今回は、高校生の男女の精神が入れ替わるという、大林信彦監督の『転校生』を彷彿とさせるラブストーリー。ロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」の劇中歌も評判になり、これまでの新海ファンだけでなく多くの人々が映画館に足を運んだ。
ハフィントンポストは東宝本社で新海監督にインタビューした。『君の名は。』が空前のヒットになったことを監督自身はどう見ているのか。この映画を通して何を訴えたかったのか。2011年の東日本大震災で新海誠監督の「心の在り方」が変わったこと。その影響を受けて生まれた作品だったことを、改めて明らかにした。

■「僕たち日本人は『もしも自分があなただったら…』と常に考えるようになった」
――興行収入200億円という空前のヒットになりました。新海監督ご自身、こうなることを予想していましたか?

いえいえ、僕も全く予想していませんでした。配給会社の東宝ですら予想していなかったと思いますね。

――これだけ多くの人が映画館に足を運んだ理由は何でしょう?

もちろん1つの原因だけじゃなくて、いくつも挙げることはできると思います。RADWIMPSが手がけた音楽の存在も大きかったし、映画のビジュアルの力も大きかった。田中将賀さんのキャラクターデザイン、作画監督の安藤雅司さんのアニメーション、あるいは背景美術チームの美しい背景画の力があったと思います。

それでも特に1つ挙げるんだとしたら、やはり「物語が響いた」んじゃないかと思うんです。『君の名は。』の物語は、大きく分けて2つのレイヤーがあります。

表面のレイヤーとしては、ボーイ・ミーツ・ガールです。少年と少女が出会い、少年が少女を失い、もう1度出会うという図式です。伝統的なボーイ・ミーツ・ガールのストーリーラインを踏襲しています。直球のボーイ・ミーツ・ガールへの渇望や需要が、日本の若い観客にあったんじゃないかと思います。

もう1つのレイヤーが『君の名は。』には、あります。ボーイ・ミーツ・ガールの下側にあるものは、少女が夢のお告げで人々を災害から救うという話です。2011年以降、僕たち日本人は「もしも自分があなただったら…」と常に考えるようになったと思うんです。言い換えれば、今の自分とは違う自分があったかもしれないという感覚です。「もしも自分があのとき、あの場所にいたら」とか、「もしも明日、東京に大きな災害が起きたら…」とか。それは、思いやりが深くなったというよりは、常にそうなる可能性があるということを突きつけられて、意識下に染みついてしまったという印象です。

『君の名は。』は、男女の入れ替わりで始まります。ヒロインの宮水三葉(みやみず・みつは)が、東京の男の子になるコミカルな話ですが、最終的には東京の立花瀧(たちばな・たき)が「もしも自分が、消えてしまったあの町に住んでいたら…」と考える物語に変わります。僕たちが2011年以降にずっと想像していた「もしも私があなただったら…」という想像力が、そのまま映画の中にあります。それが無意識のうちに、たくさんの日本人の観客にリンクしたのかもしれない、と思っています。

――最終的に、三葉は災害から救われます。新海監督は「災害からの救済」を描きたかったのでしょうか?

そうではありません。しかし、観客を「幸せな気持ちにしたい」という思いは、単純にありました。「映画館を幸せな気持ちで出てもらえる映画にしよう」と。ただ、『君の名は。』という物語で一番重要なのは、エンディング以前のところまで。瀧は三葉を救うことができた。「もしも私があなただったら」と考える過程を経て、「私はあなたを救った」という場所まで辿り着けた。そこで、災害をめぐる物語としては完結しています。

でもそれは、本作では物語の下のレイヤーに過ぎないんです。いわば無意識の部分。上のレイヤーには、ロマンチックなボーイ・ミーツ・ガールの図式がある。やっぱり最後にもう一度、少女に出会わなければいけない。そうじゃないと本当の意味で物語は終わらないから、瀧と三葉が最後に再会することは最初から決まっていました。僕は、それ以外の終わり方はまったく考えていませんでした。

■3.11以後は「生を獲得する物語にしなければいけない気がした」
――新海監督の作品では『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』など、離ればなれになった男女はそのままであるパターンが多かったと思います。『君の名は。』では、なぜハッピーエンドにしたんですか?

もちろん僕自身が年を取って変わった部分もあるとは思います。でも、やはり大震災が起きた2011年が、大きなきっかけだった気がします。2011年以前、僕たちは何となく「日本社会は、このまま続いていく」と思っていました。もちろん、人口が減って経済規模も縮小していくなど、少しずつ社会が衰退していく予感はあったとは思います。でも、さほど起伏のない「変わらない日常」がこの先ずっと続くんだという感覚がありました。

そういう世界で生きるためには、変わらない日常から意味を引き出すことが必要でした。コンビニでもいいし、遅れてしまう電車でもいい。些細なところから、生きていくために必要な慈しみや、豊かな意味を引き出していくことが重要だったように思います。

そういった空気感の中では「初恋の相手を再び獲得して幸せになった」という起伏のある物語よりは「初恋の相手を失っても生きていく」という、喪失から意味を引き出す生き様を、映画で描くことが必要だと僕は感じていました。でも2011年以降、その前提が崩れてしまったように思います。

町は、いつまでも町のままではない。いつかは無くなってしまう。劇中で瀧が入社面接で言った「東京だって、いつ消えてしまうか分からない」という台詞の通りです。そういう感覚の中で僕たちは生きるようになった。そこで描く物語は、今回のように決して諦めずに走っていき、最後に生を獲得する物語にしなければいけない気がしたんです。やっぱり2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきたような気がします。

――それは時代の空気感もそうだし、新海監督の心情もそうなってきたと?

そうですね。僕自身もたぶんそうだと思います。

――ちなみにこの企画が始まったのは、東日本大震災の前ですか?後ですか?

後です。東宝に最初の企画書を出したのが2014年の7月です。6月ぐらいに2週間ぐらいで書き上げました。

――震災のことは最初から念頭にありましたか?

この企画書の中で、すでに周期性の災害をもたらすものとして彗星を出しています。そして、地震も周期性の強い現象です。2011年以降、日本人の多くは「僕らは周期的に揺れる地面の上に住んでいる」ということを思い出したはずです。本作は「震災をモチーフにした映画を作ろう」という考えではありませんでしたが、2011年以降に発想した物語として、人が住んでいる場所に周期的に何かをもたらしてしまうものを物語に入れ込もうというのは、自然な成り行きだったのだと思います。

――自然な発想として、災害の後に生を掴む話になっていったということですね。

そうですね。もうそこは本当に感覚的なものでした。なかなかうまく言語化できないんですが、2014年の時点で「これから作る物語はこういうものだ」という強い感覚がありました。内容の迷いはなかったんです。細かなディテールはそこから1年かけて、迷って迷って組み立てていきました。でも根本のプロットは、最初に発想した企画書から変わってないですね。

■「相手が瀧である必然性はない方がいいと思った」
――先ほどのボーイ・ミーツ・ガールの件の話に戻ります。『君の名は。』は、離れ離れになった男女が再会します。「運命の人との出会い」を描いてるようにも見えますが、監督ご自身は「運命的な出会い」を信じますか?

僕自身は信じないほうです。でも、たとえばRADWIMPSの野田洋次郎さんや、(瀧の声を充てた)神木隆之介君、(三葉の声を充てた)上白石萌音ちゃんと話していると、3人とも「信じている」と言っていましたね。

それは仕事の差なのかもしれないですけど……。僕は基本的に人生で起きることって、コントロールできない偶然の積み重ねの要素が大きいと思うんですよね。誰かとの出会いにしても、僕が東京に来なければ起きないことだったし、東京に来なければアニメーションも作らなかったかもしれない。1つ違う選択をしただけで、人生はまったく違ったものになる。

「だからこそ決まっていたんだ」という解釈をする人もいるかもしれませんが、僕は決まっていたというよりは、偶然出会ったみたいな感じ方をしますね。ただ、偶然の出会いに、あとから理由が欲しくなる気持ちも分かる気がします。「出会った理由が欲しい」と思ったときに、「結び」や「縁」や「運命」という言葉を使うのだろうなとは思います。

――では監督ご自身の解釈としては瀧と三葉は、運命の相手と出会ったわけではない?

いえ、映画では「運命の相手と出会った」という描き方をしています。しかし、僕は今回の作品中で「なぜ三葉が入れ替わったのが瀧だったのか」という理由は、敢えて描かないようしました。三葉は誰かと夢の中で入れ替わる必要がありました。災害から人々を救うために、あるいは自分が助かるためにそうする必要があった。ただ、その相手が瀧である必然性はない方がいいと思ったんです。

――なぜですか?

「瀧でなければいけない」という話にすると、それこそ決定論になってしまいます。観客にとって、自分たちと入れ替え不可能な物語になると思ったんです。脚本会議でも「なぜ瀧なのか?」という声は出ましたが、そこに理由があっては逆に駄目だと思いました。瀧と三葉の出会いに必然性を求めると、物語の可能性を狭めてしまう。僕たちの人生の可能性を狭める話になる気がしたんです。

――2人の出会いは、まったく予測不可能な偶然で構わないと。

むしろその方がいいだろう、と思いました。

■作品を通じて「世界がちょっとでも良くなればいい」
――新海監督は、今回の映画で観客にどんなメッセージを届けたいと思いましたか?

107分間の映画という体験を「とにかく楽しんでほしい」と、最初から思っていました。せっかく映画なんだから、映像もきれいで、音楽にもドキドキして、展開も予想できなくて、涙も流して、笑い声をあげて、「ああこの107分間良かった」と思ってほしい。「それがエンターテインメントだ」と、はっきり目標にしていました。

そこまで強い気持ちで「エンターテインメントを作ろう」と思ったのは、この作品が最初でした。まずは楽しんでもらえれば、それで十分幸せだし、自分の役割をある程度果たせたとは思います。その上で感じてほしいことがあるとしたら、やっぱり「もしも私があなただったら」という想像力ですよね。そういう想像力を刺激するような作品であればいいなと思いました。

――震災以降、日本人みんなが感じているそういった思いと、どこか通じるところがあればということですね。

そうですね。必ずしも、震災までリンクしなくてもいいと思うんです。「自分が誰かだったら」というのは、全ての思いやりや、共感のベースだと思うんですよね。「これはとても辛い」と思って、出会ったこともない人のために寄付をする。会ったことのない人の境遇に、涙を流すこともできる。

それは、エンターテインメントを楽しむうえでの基本的な素養でもあるんです。物語を通じて、人は共感することを学んでいくんだと思います。そこで培われた共感は、現実世界でもきちんと自分の人生を助けてくれる。「もしも自分が自分ではない誰かだったら」という想像力に作用するような物語を作りたいと思っていました。人間の最も大事な能力の一つが、共感であり他者への想像力ですよね。

「世界が少しでもより良くなればいい」という気持ちは、誰の中にもあります。僕も自分の仕事を通じて世界がちょっとでも良くなればいいって気持ちはあるんです。

今回の『君の名は。』を作るときも、この映画によって「もし自分が自分じゃなかったら……」と考えるきっかけになればという思いがありました。たとえば僕は今回『君の名は。』が幸運にもヒットしましたが、『君の名は。』がヒットしなかった自分だって、別の世界にいると思うんですよ。今の自分じゃない自分っていうのは、やっぱりどこかにいます。

『君の名は。』に引きつけて言えば、三葉がいなくなってしまった世界だってあると思うんですよね。

――もちろんいなくなってしまった世界もあるだろうし、あの2人が会えない世界も……。

それもあるでしょうね。取りこぼしてしまった可能性は常にあって、そこに思いを馳せることが、世界を少しでも良くすることだと思っています。
 via http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/20/makoto-shinkai_n_13739354.html

◆『君の名は。』新海誠監督の人生を変えたのは、宮崎駿さんの『天空の城ラピュタ』だった
『君の名は。』が空前の大ヒットとなった新海誠(しんかい・まこと)さん(43)は、その異色の経歴でも知られる。アニメーションの監督になるのは、アニメ会社で動画や原画などアニメーターしての修行を積むケースが多いが、新海さんはTVゲームソフト会社「日本ファルコム」で、ゲーム用のオープニングムービーなどを担当していた。2000年に自主制作した短編アニメ『彼女と彼女の猫』が第12回CGアニメコンテストでグランプリを受賞する。ファルコム退社後、2002年に『ほしのこえ』で商業作品デビューをした。
『君の名は。』の制作経緯を聞いたインタビュー前編に続いて、新海監督にアニメーション業界に入った経緯と、「ポスト宮崎駿」という評価も出ていることについて、新海監督自身はどう思っているのかを聞いた

――新海監督はゲーム会社に勤めながらアニメを自主制作し、その後アニメ監督になりました。アニメーターから監督になることが一般的なアニメ業界では特殊な経歴ですが、なぜアニメを作りたいと思ったんですか?

もちろんアニメが好きだったというのが大きいんですが、「自分が今生活している世界」のことを描きたいと思ったんですよね。ゲームはゲームで創作物だし、小説や映画と同じように感動することができるんですが、僕が勤めていたゲーム会社は、ファンタジー系のロールプレイングを作る会社だったんですよ。
現代物が当時なかったので、剣と魔法の世界を描くゲームを、会社で毎日ひたすら作っていました。それはそれですごく楽しかったんですが、それを作っている自分は毎日、満員電車に乗って、朝6時に起き、スーツを着てネクタイを締め、会社に行って、終電で帰っていました。
当時の自宅の最寄り駅であるJR武蔵浦和駅から自転車に乗って、家の途中のコンビニで晩御飯を買って、夜中の1時か2時ぐらいにコンビニ弁当食べて、ちょっと本読む……という生活でした。自分が作っているものと、自分の生活があまりに違う。
自分の生活……。たとえばマンションの鉄の階段とか、コンビニの看板とか、そういうものが出てくる作品を作りたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。勤務先のゲーム会社の方向性と、どうしてもずれてきたので、自分の日常に近いものが出てくるアニメーションを自主制作で作り始めました。「自分の日常を肯定したい」という気持ちがあったんだと思います。

――ではアニメという媒体をやりたかったというより、身の回りの日常を自分なりに咀嚼して描きたかったと?

でもアニメを選んだのは、単純に絵が好きだったんだと思いますね。あと絵で表現されるもの、人の目で一度解釈されたものを見るのが好きだというのもあると思います。僕は中学一年生のころに、宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』を映画館で見たときの衝撃がすごく大きくて、今でも強く覚えています。
『ラピュタ』を見て「雲ってなんてきれいなんだろう」と思ったんです。『ラピュタ』の背景美術を通じて、雲の美しさを突きつけられました。『ラピュタ』を見たあとに現実の空を見たら、こんなに複雑で美しいものだったんだと、作品を通じて教えられたような感覚がありました。絵って、世界の見方を人に教えてくれるものだと思うんですよね。だからこそ絵画っていうものがずっとあるわけで。だから絵そのもののそういう魅力が、好きだったんでしょうね。

■「宮崎駿さんは最後の国民的作家かもしれない」
――『君の名は。』の興行収入は宮崎監督の『もののけ姫』にも迫る勢いです。(編註:11月27日までに『もののけ姫』を超えている)。新海監督をポスト宮崎駿と見る声も出ています。宮崎駿監督は新海監督にとって、どういう存在でしょうか?

もう何もかも違います。僕は、まだお会いしたこともありません。宮崎駿さんは、映画監督が国民的作家であり得た、もしかしたら日本で最後の人かもしれないと思っています。
夏目漱石や村上春樹など、日本の誰もが知っていて、誰もが一度は作品を目にしたことがある人が国民的作家だと思います。でも、そういう存在が失われつつある気がします。価値感が多様化していき、ネットでいくらでも作品を楽しめる状況では、一つの映画を繰り返し見ることが減っていくと思うんですよ。
みんなが、それぞれ違うものを別々に楽しむ。そうなると、国民的作家は登場しにくくなります。宮崎駿さんはそれができていた。彼の圧倒的な才能と能力がそれを可能にしていた部分もあるし、時代が可能にしていた部分もあると思います。だから、これから先、ああいう人は現れないんじゃないかなと思います。

――新海監督ご自身は、そういった国民的作家になりたいという気持ちは?

ないです。今回の『君の名は。』に関して言えば、観客数でいえば1400万人行きましたから、作品自体は、たまたまこの世の中にリンクしたと思うんですよ。やっぱり『君の名は。』というのは、そこまで届いた作品だと思います。
でも宮崎駿さんは、彼の人生そのものが、日本の社会とリンクし続けた人です。そういう人って滅多に現れないと思うんです。作ったものが1作、2作がたまたま世の中とリンクするということは稀に起きると思うし、『君の名は。』はそういうことが、自分の身に起こった作品だと思います。ただそれが、今後もやり続けられるとは全く思っていません。

――では今後、どういう作品を作りたいですか?

それも分かりません。その都度、テーマを見つけて単純にベストを尽くすだけだと思います。
あと自分に何かアイデンティティがあるとしたら「観客と繋がっている」と思っていたい。「観客のために物を作るんだ」と思い続けたいですね。「こういうものが見たかったんだ」って観客の皆さんに思ってもらいたいんです。「見たいものを作る」だと、ある種予想ができます。でも、何か自分では気づかなかったけど「これが見たかったんだ」と、作品を見るたびに思ってもらえたら幸せですよね。

■ものづくりは「人が生きるのを助ける仕事」
――新海監督は異色のキャリアでアニメ監督になり、ある意味で夢を叶えたと思います。世の中には、夢を叶えられなくてモヤモヤしている人も多いと思いますが、そういう人々へのメッセージがあれば。

あまりポジティブなメッセージは届けられないんです。「頑張って続ければ、いつか届くよ」みたいなことが言えるわけではないです。それって分からないじゃないですか。
僕だって『君の名は。』がヒットしなかった自分もいるかもしれないと思っているし、商業デビュー作の『ほしのこえ』が当たらなかった自分というのは今でもいるような気がしています。だから映画監督なり、アニメーターなり、ものづくりを目指す人に何か言えるとしたら、ものづくりは「誰かを少し助ける仕事」だと思うんですよね。たとえば医者や警官など、社会の中で明快な有用な役割がある仕事とは少し違うように見えるけど、でもやっぱり「人が生きるのを助ける仕事」だと思います。
自分たちも、創作物に助けられてここまで生きてきたはずですよね。漫画やゲームやアニメ、小説に助けられて生きてきたはずだから、自分もそのサイクルの一部だと思ってもらえたらうれしいですね。自分が誰かを助けていて、自分も誰かに助けられている。「作品を作る」とはそういう行為だと思ってもらえたら、ヒットするヒットしないとは別の水準で、自分のやっていることに誇りが持てると思うんです。
via http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/20/makoto-shinkai_n_13741822.html



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[映画] ズートピア:隠された小ネタやこだわり  はてなブックマーク - [映画] ズートピア:隠された小ネタやこだわり 

zooTopiasm[1]
 映画『ズートピア』は高度な文明をほこる動物の世界を舞台に、警察官になる夢を持つウサギのヒロイン・ジュディが詐欺師のキツネ・ニックとともに陰謀に立ち向かいながら成長していくディズニーの長編アニメーション。4月下旬の公開から7週間の累計興行収入は65億円と、今年公開された作品の中ではNo.1(6月12日現在)。大ヒット作『アナと雪の女王』の記録(興行収入約255億円)を塗り替える勢いだ。
「今作は、子供たちはもちろん大人たちもハマっている。口コミでどんどん大人のかたに広がっているのを実感しています」とディズニー担当者は語る。
 キャラクターがかわいいだけではない、『ズートピア』の魅力について映画通たちの話から解き明かす。
 動物たちのキャラクターは徹底的なリサーチによりつくり上げた。スタッフが動物たちのリサーチのために18か月間もの時間を費やし、ケニアなどに行き、その動きや性格を研究しつくした。ジュディにもウサギの習性がしっかりと反映されている。
「ウサギは暗いところだと目が見えづらくなるから、暗闇のシーンでは、ジュディに懐中電灯を持たせるなど、思わず“へえ~”といいたくなる動物の豆知識が満載なのも見どころの1つです」
 ゾウやキリンのように大きな動物もいれば、ネズミのように小さな動物も暮らすズートピア。製作総指揮のジョン・ラセターは、「登場する動物はすべて実際のものと同じサイズ感に」とこだわったそう。
 さらに、吹き替え版ではジュディ役に上戸彩(30才)らが声優を担当している中、ディズニーファンをざわつかせているのがニック役の声優。
「声を担当しているのは森川智之さんというベテランの声優で、トム・クルーズやユアン・マクレガーの吹き替えでもおなじみです。東京ディズニーシーのエントランスで“ようこそ”とアナウンスしているのも森川さんなんですよ」
 また、こんな味のある図らいも。
「日本語版ポスターにある巨大看板にはサマンサ タバサを思わせる“Savanna Thavasa”(サバンナ タバサ)やナイキを思わせる“Just Zoo It”などのフレーズも出てきます。劇中でも『ベイマックス』に出てくるカフェや『アナと雪の女王』のハンス王子と同じ名前のケーキショップが登場したり、見るたびに新たな発見があって楽しいです」
 映画や海外ドラマファンにたまらないネタも豊富。
「マフィアのボスキャラ・Mr.ビッグは『ゴッドファーザー』から、後半のジュディが列車を動かそうと奮闘する場面は『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』を元ネタにしていると監督自らがインタビューで明かしています。また海外ドラマ『ブレイキング・バッド』の麻薬密造シーンを彷彿させるような箇所も見逃せません」
 他に、隠れミッキーや『アナと雪の女王』のアナとエルサの衣装をまとったキャラが出てくるので、まだ見てない人は探してみるのも楽しいかも。
via http://www.news-postseven.com/archives/20160618_422396.html


◆ズートピアのミステイク集
・17 Mistakes of ZOOTOPIA You Didn't Notice


◆ズートピアの削除シーン
・Zootopia DELETED SCENES & Rejected Concepts EXPLAINED


・Zootopia: All Promos, Teasers, and Deleted Scenes


◆Shakira - Try Everything (Official Video)



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