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オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行 はてなブックマーク - オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行

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関係者によりますとオウム真理教の元代表の麻原彰晃、本名 松本智津夫死刑囚(63)に、6日死刑が執行されたということです。一連の事件では13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。
オウム真理教の代表だった松本智津夫死刑囚は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こした首謀者とされ、平成7年に始まった教団に対する強制捜査で施設に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判で松本死刑囚は無罪を主張しましたが、次第に意味のわからない発言を繰り返すようになりました。
平成16年2月、1審の東京地方裁判所は、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。
2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さなかったため法廷が開かれないまま裁判が打ち切られ、平成18年に死刑が確定していました。
その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを行っていました。
オウム真理教による一連の事件では、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭い、松本死刑囚など教団の幹部ら13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
ことし3月に13人のうち7人が東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、執行の時期が焦点となっていました。

■松本智津夫死刑囚とは
オウム真理教の代表だった麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)は教団による一連の事件を主導したとして死刑が確定していました。
昭和59年ごろに宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」を開いた松本死刑囚は、昭和62年に「オウム真理教」を名乗り、最終戦争が近づいているとして信者の危機感をあおって武装化を進めました。
しかし、平成7年3月の地下鉄サリン事件の後、警察の強制捜査を受け、2か月後に教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判では地下鉄サリン事件をはじめ、松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など合わせて13の事件で殺人などの罪に問われました。一連の事件で死亡した人の数は29人にのぼっています。
松本死刑囚は「自分は一切指示していない」などと無罪を主張しましたが、1審の東京地方裁判所は、平成16年2月、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。
2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さず、裁判所が法廷での審理を行わずに裁判の打ち切りを決めたため、平成18年9月に死刑が確定しました。
その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを繰り返し行っていますが、いずれも退けられています。
松本死刑囚は東京拘置所に収容され、平成18年に裁判所の依頼で接見した精神科医の意見書では、独り言を繰り返す以外は無言で、入浴や運動には拘置所の職員の介助が必要だとされていました。
また関係者によりますと、ここ数年は家族や弁護士が面会に来ても応じず、口を閉ざして意思の疎通ができない状態が続いていたということです。
松本死刑囚が公の場に姿を現したのは平成16年の1審判決の時が最後でした。

■オウム真理教とは
オウム真理教は、昭和59年に麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚が東京で開いたヨガと宗教のサークル、「オウム神仙の会」から始まりました。昭和62年には「オウム真理教」と名乗るようになり、神秘体験などを通じて信者を急速に増やしていき、平成元年に東京都から宗教法人として認められました。
教団は信者の財産をお布施として納めて出家するよう強く勧め、施設で共同生活を送らせていましたが、信者の親との間でトラブルが相次ぐようになりました。
平成元年11月、親たちの相談に応じていた坂本堤弁護士の一家の行方がわからなくなり、関与が疑われましたが、教団は「関係ない」と主張しました。
平成2年には松本死刑囚らが衆議院選挙に立候補しましたが惨敗し、この直後からハルマゲドン、最終戦争が近づいていると強調し、信者の危機感をあおっていきました。
その後、山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる施設で急速に武装化を進め、ひそかにサリンを製造しました。平成6年6月、最初の無差別殺人となる松本サリン事件を起こし、8人が死亡、140人以上が被害を受けました。平成7年2月には、東京の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を拉致する事件を起こし、教団への捜査が本格化しました。
そして強制捜査が迫った平成7年の3月20日、地下鉄サリン事件を起こしました。13人が死亡、負傷者はおよそ6300人にのぼる未曽有のテロ事件でした。その2日後、全国の教団施設に一斉に警察の強制捜査が入りました。
2か月後、松本死刑囚は教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。幹部らも次々と逮捕され、教団による一連の事件は終わりましたが、一部の信者は逃亡を続けました。
しかし平成23年にオウム真理教による一連の事件の裁判がすべて終わると、特別手配されていた3人のうち、平田信受刑者が警視庁に出頭しました。平田受刑者は、逃亡中、14年余りにわたって東大阪市のマンションで元信者の女性にかくまわれ、ほとんど外に出ずに生活していました。
出頭した理由については、裁判の中で、「松本死刑囚以外の死刑囚に対する執行はかんべんしてほしいという気持ちがあり、自分が出頭すれば執行が延びると思った」と話しました。その出頭の半年後、17年にわたって逃亡し、教団とは無関係の男性と東京や神奈川県で暮らしていた女性の元信者が通報を受けて逮捕されました。
さらに高橋克也受刑者もその12日後に逮捕されました。建設会社で働いていた高橋受刑者は女性の元信者の逮捕を知って社員寮から姿を消しましたが、防犯カメラに映った写真が次々に公開されて追い詰められ、東京の蒲田駅近くで逮捕されました。コインロッカーに入れていたバッグの中からは松本死刑囚の本や写真、説法が録音されたカセットテープが見つかりました。
特別手配されていた3人が逮捕され、警察の強制捜査から17年余りかかって一連の事件の捜査が終わりました。平田受刑者と高橋受刑者はその後有罪が確定し、女性の元信者は無罪が確定しています。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011513621000.html

・麻原彰晃:Wikipedia

◇オウム真理教 松本死刑囚ら7人に死刑執行
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オウム真理教の一連の事件で死刑が確定した13人のうち、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚ら教団の元幹部7人に死刑が執行されました。
死刑が執行されたのはオウム真理教の代表だった松本智津夫死刑囚(63)のほか、いずれも元幹部の早川紀代秀死刑囚(68)、井上嘉浩死刑囚(48)、新実智光死刑囚(54)、土谷正実死刑囚(53)、中川智正死刑囚(55)、遠藤誠一死刑囚(58)の合わせて7人です。
オウム真理教は平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、裁判で13人の死刑が確定しました。このうち松本死刑囚は5月、教団の施設に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判では無罪を主張しましたが、次第に意味のわからない発言を繰り返すようになりました。
平成16年2月、1審の東京地方裁判所は「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さなかったため法廷が開かれないまま裁判が打ち切られ、平成18年に死刑が確定していました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
ことし3月、13人のうち7人が東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、執行の時期が焦点となっていました。
一連の事件で死刑が執行されたのは初めてです。

■死刑執行された7人 教団で高い地位
今回、死刑が執行された7人はいずれも教団の中で高い地位にありました。
オウム真理教は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)をトップに、日本やアメリカの制度をまねた省庁制度を教団の中に作りました。
この制度では、松本死刑囚のもとに「法皇官房」や兵器を開発する「科学技術省」などが置かれ、大臣や次官には幹部が任命されました。
今回執行された7人のうち松本死刑囚以外の6人はいずれも「大臣」でした。
早川紀代秀死刑囚(68)は施設の建設などを担当する「建設省」、井上嘉浩死刑囚(48)は非合法活動を行う「諜報省」、新実智光死刑囚(54)は警備を担当する「自治省」、土谷正実死刑囚(53)は「第二厚生省」、中川智正死刑囚(55)は松本死刑囚や家族の身の回りの世話をする「法皇内庁」、遠藤誠一死刑囚(58)は「第一厚生省」の大臣でした。
オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「今回の執行は、教団のトップと『大臣』を中心に執行したとみることもできる。教祖と側近が一緒に執行されたことで、側近が最期まで一緒だったという神格化につながりかねない」と話しています。

■7人の死刑囚が関わった事件
7人の死刑囚は、坂本弁護士一家の殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件のいずれかに関わりました。

■坂本弁護士一家殺害事件
坂本弁護士一家の殺害事件は平成元年11月に起きました。オウム真理教の信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士(当時33歳)と妻の都子さん(当時29歳)、長男の龍彦ちゃん(当時1歳)の3人が横浜市のアパートから姿を消し、部屋の中からオウム真理教のバッジが見つかりました。
平成7年3月に教団への強制捜査が始まり、今回執行された7人とは別の死刑囚の供述に基づいて9月に長野、新潟、富山の山の中で一家3人が遺体で見つかりました。
この事件は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚が指示し、早川紀代秀死刑囚、新実智光死刑囚、中川智正死刑囚など、合わせて6人の死刑囚が関わりました。

■松本サリン事件
松本サリン事件は平成6年6月に長野県松本市で起きました。裁判官の官舎を狙って市街地で猛毒の化学兵器、サリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けました。
この事件には松本死刑囚のほか、新実死刑囚、土谷正実死刑囚、中川死刑囚、遠藤誠一死刑囚など、合わせて7人の死刑囚が関わりました。

■地下鉄サリン事件
地下鉄サリン事件は平成7年3月に起きました。多くの通勤客が利用する東京の地下鉄を狙って猛毒のサリンがまかれた未曽有のテロ事件で、13人が死亡、被害を受けたのはおよそ6300人にのぼりました。
地下鉄サリン事件には松本死刑囚のほか、井上嘉浩死刑囚、新実死刑囚、土谷死刑囚、中川死刑囚、遠藤死刑囚など、合わせて10人の死刑囚が関わりました。

■関連施設は大きな混乱なし
東京都内には、オウム真理教から名前を変えた「アレフ」や「アレフ」から分裂した団体の施設が数か所あり、警視庁は東京拘置所も含めて、警察官や機動隊員を派遣して警戒に当たっています。これまでのところ、大きな混乱はないということです。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011514211000.html

・早川紀代秀:Wikipedia
・井上嘉浩:Wikipedia
・新実智光:Wikipedia
・土谷正実:Wikipedia
・中川智正:Wikipedia
・遠藤誠一:Wikipedia

◇オウム真理教の6人に死刑執行 13人全員に執行
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オウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた6人の死刑が執行されました。教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には今月6日に刑が執行されていて、教団に対する強制捜査から23年余りがたって、13人の死刑囚全員に刑が執行されました。
死刑が執行されたのは、岡崎一明死刑囚(57)、横山真人死刑囚(54)、端本悟死刑囚(51)、林泰男死刑囚(60)、豊田亨死刑囚(50)、広瀬健一死刑囚(54)の6人です。
オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定しました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行されました。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていましたが、法務省によりますと、26日午前、刑を執行したということです。
教団に対する強制捜査から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行されました。

■林死刑囚とは
林泰男死刑囚(60)は、昭和63年に出家した古参の幹部で、教団の「科学技術省」次官として、施設の電気工事などを行っていました。
平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車の製造に関わりました。13人が死亡、およそ6300人が被害を受けた平成7年の地下鉄サリン事件では、日比谷線にサリンの入った袋をほかの実行犯より1つ多く持ち込み、その車両では8人が死亡するという最も大きな被害が出ました。
林死刑囚は事件のあとも1年半以上、逃亡を続けましたが、平成8年12月に沖縄の石垣島で逮捕されました。
裁判では事件に関わったことを認め、平成20年に死刑が確定しました。
平成27年には逃亡を続けていた元信者の高橋克也受刑者の裁判で、地下鉄サリン事件の当時の状況を証言しました。
林死刑囚は事件の2日前に教団の幹部から実行役を打診された時の心境について、「断ったらやばいと感じた。自分の家族に危険が及ぶかもしれないし、麻原彰晃、本名、松本智津夫元死刑囚に『教団を出たらポアする』と言われていた」と説明しました。
そして、「事件で被害を受けられた皆様におわび申し上げます」と謝罪の言葉を述べました。
林死刑囚は事件後に名字を小池に変えていました。

■岡崎死刑囚とは
岡崎一明死刑囚(57)は、最古参の幹部の1人で、一連の裁判で最も早く死刑が確定していました。
岡崎死刑囚は昭和60年にオウム真理教の前身の宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」に入り、その後「オウム真理教」と名前を変えた教団の中で、新たな信者の獲得や組織の拡大に関わってきました。
教団による事件では、信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士一家の殺害や教団信者の殺害に加わったとして起訴され、裁判では反省の言葉を述べました。
2審の判決のあと、NHKに届いた手紙には「弟子の多くは麻原以外になにも考えられない環境になっていきました」などと、閉ざされた教団の中で犯罪を重ねたことを悔いる言葉も記されていました。
最高裁判所は「残忍な犯行に加わった責任は極めて重い」として、平成17年に死刑を言い渡し、教団による一連の裁判で初めて死刑が確定しました。
岡崎死刑囚は裁判中に死刑囚の支援活動をしている寺の住職と養子縁組を結び、名字を宮前に変えました。支援者の話では、収容されている拘置所の部屋に坂本弁護士一家の名前を書いた札を貼り、繰り返し祈っていたということです。

■横山死刑囚とは
横山真人死刑囚(54)は、大学の工学部を卒業したあと、就職した企業を辞めて、昭和63年にオウム真理教に入りました。
教団では「科学技術省」に所属し、自動小銃の密造などに関わりました。地下鉄サリン事件では、5人の実行犯のうちの1人として、地下鉄丸ノ内線の車内でサリンをまきました。
裁判で横山死刑囚や弁護士は「サリンの毒性を知らず殺意はなかった」と主張するとともに、自分がサリンをまいた車両で死者が出なかったことなどを理由に刑を軽くするよう求めましたが、1審と2審で死刑を言い渡されました。
横山死刑囚は裁判の途中から法廷でなにも述べなくなり、平成19年、地下鉄サリン事件の実行犯で初めて死刑が確定しました。

■端本死刑囚とは
端本悟死刑囚(51)は、昭和63年、大学2年生の時に友人から教団の話を聞かされたのをきっかけに入信しました。
平成元年、オウム真理教の信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士一家の殺害事件に実行犯として加わりました。
当時の心境について、平成15年にNHKに寄せた手紙では「試練を与えて弟子の帰依を培う修行だと思いました」と振り返っていました。
事件のあと、いったんは教団から脱走しましたが「麻原を信じなくなったら、事件がただの殺人になってしまう」と思い、結局、教団に戻ったということです。
そして、8人が死亡し、140人以上が被害を受けた平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車を運転しました。裁判では「麻原ではなく自分の感性を信じるべきだった」と述べました。
1審と2審は、従属的な立場だったことや事件への反省を踏まえても刑事責任は極めて重大だとして死刑を言い渡し、平成19年、松本サリン事件の実行犯で初めて死刑が確定しました。

■豊田死刑囚とは
豊田亨死刑囚(50)は、東京大学に在学中の昭和61年ごろに入信し、大学院で物理学を学んだあと、平成4年に出家しました。
教団では薬物や武器の研究や密造に関わり、サリンなどの実験のために教団がオーストラリアに作った研究室には、豊田死刑囚の名前がつけられていました。地下鉄サリン事件では、5人の実行役の1人となり、日比谷線の車内でサリンをまきました。
裁判では、被害者に謝罪したうえで、「すべてを話したい」と述べ、教団の実態や事件のいきさつを明らかにしました。また、証人として麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚が法廷に呼ばれた時には、「教団の今の信者たちは現実から逃げている松本死刑囚の姿をよく見たほうがいい。これ以上過ちを繰り返さないでほしい」と述べました。
弁護側は「マインドコントロールによって正常な判断ができなくなり、松本死刑囚の指示に逆らえなかった」などと主張しましたが、1審と2審で死刑を言い渡され、確定しました。
その後、元信者の高橋克也受刑者の裁判では証人となり、高橋被告と一緒にサリン事件の指示を受けたことなどを証言しました。
事件で駅員の夫を亡くした高橋シズヱさんとは、かつて、手紙をやり取りしたことがあり、法廷で表情を変えなかった理由を明かしました。手紙では、「遺族や被害者の方々の不快感や怒りを増大させるような言動をつつしむことが最低限の態度だと考え、結果として感情が表れないという印象を与えることになってしまったかもしれません」などと説明し、「全く申し訳ないことだと考えています」と謝罪していました。

■広瀬死刑囚とは
広瀬健一死刑囚(54)は、早稲田大学の大学院で物理学の研究をしていた昭和63年に教団に入信し、内定していた企業に就職せずに出家しました。
平成2年の衆議院選挙では、麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚らとともに立候補しましたが、落選しました。その後、教団の「科学技術省」次官として自動小銃の製造などに関わりました。
地下鉄サリン事件では、5人の実行役の1人となり、丸ノ内線の車内でサリンをまきました。裁判では「人々が救済されると信じてサリンをまいたが、被害者や社会に大きな迷惑をかけて大変申し訳ない」と謝罪しました。
弁護団は「マインドコントロールで正常な判断ができない状態になり、松本死刑囚の指示に逆らえなかった」と主張しましたが、平成21年に死刑が確定しました。
広瀬死刑囚はNHKに送った手紙の中で、「地下鉄にサリンをまけという指示も救済としか受け取れなかった。愚かにも殺人というイメージがわかない状態だった」と振り返っています。また、平成27年に開かれた元信者の高橋克也受刑者の裁判でも「教団の教えに従い、人々の救済だと思ってサリンをまいたが、独善的な考え方にとらわれていた」と述べていました。

■高橋シズヱさん「事件風化しないよう訴えていく」
地下鉄サリン事件で駅員の夫を亡くし、被害者の会の代表を務めている高橋シズヱさんは「けさも死刑囚のことを考えていたところだったので、突然の執行に胸がドキドキして混乱していますが、相次ぐ死刑の執行で、改めて事件の大きさや重さを実感しています。林死刑囚は高橋克也受刑者の裁判で姿を見た時、落ち着いた様子で死刑を覚悟しているように感じていました。死刑が執行されても被害者や遺族にとっては、事件にケリがつくというものではありません。今後も事件が風化しないよう訴えていきたいです」と話していました。

■江川紹子さん「衝撃を受けている」
オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「前回に続いて立て続けに死刑が執行されたことに、驚きとともに、当局の強い意思のようなものを感じる。心理や宗教、テロなどの専門家がオウム事件を分析するなど、執行以外のアプローチが必要ではないかと訴えてきた。オウムのためにまた人の命が奪われ、衝撃を受けている」と話しています。

■永岡さん「腹立たしさを感じる」
信者の家族で作る「オウム真理教家族の会」の代表として信者の脱会を支援してきたほか、みずからも猛毒のVXをかけられ一時意識不明になった永岡弘行さん(80)は「麻原以外の死刑囚はマインドコントロールされて事件に関わってしまった人たちであり、自分は親のような気持ちで接してきた。それなのに今回死刑が執行されたことに腹立たしさを感じている」と話していました。

■滝本弁護士「松本以外無益」
教団からの信者の脱会を支援し、みずからも信者から襲撃されたことがある滝本太郎弁護士は、「松本智津夫元死刑囚の死刑執行は当たり前だが、ほかの12人については、非常に無益だ。あの事件は、松本元死刑囚の指示・命令に従って起きたもので、ほかの12人は、マインドコントロールによる集団的な拘束力によって実行していた。12人は生かしておいて、その後の気持ちの変化を話してもらうことが、同様の事件の再発防止やオウムを潰すことに役立つはずだった」と述べました。
そのうえで、「特に若い人はオウム事件は過去のものだと考え、風化が進んでいくだろう。同じことが起きないように、どのような事件だったかを繰り返し伝えていくことが必要だ」と指摘しました。
滝本弁護士は、法務省が松本元死刑囚の遺骨の引き渡しを検討をしている四女の代理人を務めていますが、松本元死刑囚の妻と四女以外の4人の子どもも遺骨の引き渡しを求めています。
滝本弁護士は、「執行直前の松本元死刑囚は非常に静かだったと刑務官から聞いた。遺骨については、20日経った今も東京拘置所にある状態で、なにも進展していないので不安を感じている」と話していました。

■支援団体「今後も被害者の支援続けたい」
地下鉄サリン事件の被害者の心のケアなどを続けているNPO法人「リカバリー・サポート・センター」の木村晋介理事長は「来るべき時が来たと受け止めている。しかし、死刑囚にも家族がいることを考えると何とも言えない気持ちになる。広瀬死刑囚の母親に会った時、母親は『小さいころから利発で優しい子だった』と話していて、今回死刑という話を聞くと母親の顔が思い浮かぶ」と話していました。
そのうえで、「全員の死刑が執行されてもオウム事件は終わりではない。事件から23年がたった今も体や心の不調に苦しむ被害者は少なくない。死刑執行のニュースでさらに気持ちがざわつく方もいるので、今後も被害者の支援を続けていきたい」と話していました。

■坂本弁護士と同期 中村弁護士「短期間は想定せず」
教団に殺害された坂本堤弁護士と同期で、「オウム真理教犯罪被害者支援機構」の副理事長を務める中村裕二弁護士は「わずかな期間に13人の死刑囚全員に刑が執行されることは想定していなかった。これだけ多くの死刑執行は国際的にも批判があるかもしれないし、日本の死刑制度について議論する契機になるのではないか」と話していました。

■警視庁元幹部「執行は妥当」
当時、警視庁捜査1課の理事官として捜査の指揮にあたった山田正治さんは「事件の実態解明のために信者の死刑執行は待つべきだという意見もあるが、松本サリン事件から20年以上がたち、警視庁や専門家が調べを尽くしてきたことからも、今回の死刑執行は妥当だ。さらに言えば、遺族や被害者の苦しみや悲しみを思うと執行は遅すぎる」と話しました。

また、一連のオウム事件を振り返り、「事件ではマインドコントロールの怖さを痛感した。松本元死刑囚のことを信じ込んでしまうと人をだまして金を奪ったり、人を殺してしまったりすることさえもためらわない怖さだ。今の時代を生きる若い人たちもマインドコントロールの怖さをいま一度考えてほしい」と指摘しました。

■上祐代表「賠償に努める」
オウム真理教の元幹部で、信者どうしの対立から新たに「ひかりの輪」を設立した上祐史浩代表は「よりいっそう被害者の皆さまへの賠償に努めるとともに、事件の再発防止に努めていきたい」とするコメントを出しました。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180726/k10011549511000.html

・岡崎一明 :Wikipedia
・横山真人 :Wikipedia
・端本悟 :Wikipedia
・林泰男 :Wikipedia
・豊田亨 :Wikipedia
・広瀬健一 :Wikipedia


・平成のうちに終止符...オウム真理教の残る死刑囚6人の刑が執行された
 https://matome.naver.jp/odai/2153256720019836301

・日本震撼、オウム事件全史 写真特集
 https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995&d=d4_aum
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宙づりの幼児救出した移民男性、仏大統領と会見 市民権付与へ はてなブックマーク - 宙づりの幼児救出した移民男性、仏大統領と会見 市民権付与へ

 フランスの首都パリで26日、建物5階のベランダからぶら下がっていた4歳児を、移民の男性が素手でベランダまでよじ登って救出するという出来事があったことを受け、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は28日、この男性に市民権を与えると発表した。
 マリ出身で昨年9月にフランスにやって来たというマムドゥ・ガサマ(Mamoudou Gassama)さん(22)の、スパイダーマン(Spiderman)さながらの救出劇を捉えた動画はソーシャルメディア上で拡散し、再生回数は数百万回に上っている。



 それから2日を経た28日、ガサマさんはエリゼ宮(Elysee Palace、大統領府)に招かれ、マクロン大統領と面会。

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 国民的英雄となったガサマさんの滞在許可に言及したマクロン大統領は、「書類はすべて整う」と約束した。
 面会の様子は、大統領のフェイスブック(Facebook)ページ上で生配信された。その中で大統領は、ガサマさんの勇気をたたえてメダルを授与し、消防機関での仕事も提案した。
 半袖のシャツにジーンズ姿のガサマさんは救出劇を振り返り、「何も考えていませんでした。すぐさまよじ登りました」と話すと、マクロン大統領は「ブラボー」と称賛した。
 ガサマさんはメダルを受け取った後、「このような栄誉ある品をもらったのは初めてでうれしい」と喜んだ。[2018.05.28]
via http://www.afpbb.com/articles/-/3176313

・パリの「スパイダーマン」が救助した少年の父、ポケモンGOで帰宅が遅れていた
フランス・パリ北部で、マンション5階のベランダから転落しそうになっていた4歳の男の子を、22歳の移民男性がまるでスパイダーマンのように素早く壁をよじ登って救出した。パリ検察によると、男の子の父親はスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」をしていて帰宅が遅くなったという。CNNなどが報じた。
「事件」が起きたのは、5月26日午後8時ごろ。マンション5階のバルコニーの手すりに、男の子が両手で必死にしがみついていた。
いつ落下してもおかしくない状況で、事態が緊迫する中、西アフリカ・マリ出身のマムドゥ・ガサマさんがさっそうと現れた。ガサマさんは地上から瞬く間に壁をよじ登り、あっという間に5階まで到達。男の子を救出することに成功した。
男の子の母親はフランス領レユニオン島に住んでおり、父親がパリで男の子の面倒を見ていたという。当時、マンションに父親は不在だった。検察によると、父親は買い物に出かけており、戻る途中に「ポケモンGO」をプレイしたために帰宅が遅くなったという。
BBCによると、父親は子どもを監督せず放置したとして、2年以下の禁錮や3万ユーロ(約370万円)以下の罰金を科せられる可能性がある。
男の子を助けたガサマさんは28日、エマニュエル・マクロン大統領と面会。ガサマさんは認められた期間を過ぎて不法に滞在していたが、勇敢な行動が称えられ、特別に滞在許可を与えられるという。消防士の仕事も約束された。
via https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/30/real-spider-man-in-paris_a_23446492/

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震災から7年の “宮城県沿岸の今” を伝える英国人YouTuberの動画 はてなブックマーク - 震災から7年の “宮城県沿岸の今” を伝える英国人YouTuberの動画

◆What Happened In Japan After The Tsunami?


via https://rocketnews24.com/2018/03/11/1030259/

・東日本大震災から7年…地震の犠牲者に追悼の声が相次いでいる
 https://matome.naver.jp/odai/2152072036727605701

・【3.11特集】東日本大震災を生き抜いた人々の感動エピソード5選に涙が止まらない! 「見えない存在」の助け、命を懸けた救助…!   
 http://tocana.jp/2018/03/post_16245_entry.html

・サンドの2人を復興支援に動かしたカフェ
 http://blogos.com/article/282876/

・震災から7年もいまだ仮設住宅での避難生活7万人以上~不透明な状態が続く生活再建の行方
  http://blogos.com/article/282947/


・震災後 サンドウィッチマンがネタで使わなくなった『言葉』に、ハッとする
2018年3月11日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した、お笑いコンビのサンドウィッチマン。
7年前に東北で起きた東日本大震災をきっかけに、変化した考えかたや行動について語りました。

■震災から7年を経て
共に宮城県仙台市出身で、震災当日も宮城県気仙沼市でロケをしていたという2人。震災直後から積極的に被災地を訪れ、さまざまな支援活動を行ってきました。
サンドウィッチマンが開設した被災地への義援金口座『東北魂義援金』には、7年間でおよそ4億円の義援金が集まっています。
そういった現状を受け、番組内でサンドウィッチマンの伊達みきおさんは「それだけたくさんの人に協力していただいたからには責任があるし、ちゃんとやりたい」とコメントしました。

■ネタ中に使わなくなった言葉
番組で共演した糸井重里さんに「震災後、お笑いの面で気を付けたことはあるか」と問われた伊達さんは、次のように告白。
いまだからいえることだと、実は僕らのネタってあの、「死ぬ」っていう単語が結構出てくるんですよ。それは、やめましたね。

震災後しばらくは、ネタ中に「死ぬ」という言葉を使わないようにした理由を「簡単にはその言葉を出せないと思ったし、僕らの中でもいいたくなかった」と語る伊達さんに、相方である富澤たけしさんもうなずきました。

■友人との「またいつか」をやめた
さらに伊達さんは、震災をきっかけにやめたことの1つに「友人とのあいまいな約束」を挙げます。
僕なんかは、友達とかと「じゃあ今度飯行こうね」なんていう、いつ行くか分からないような約束するじゃないですか。「今度会おうね」みたいな。
そういう時は、必ず会うようにするようになりました。

「会えなくなるような気がして。何があるか分からないから」と続ける伊達さん。伊達さんによると、東北では震災後、同窓会を開催する人たちがとても増えたのだそうです。

■復興のゴールとは
7年経ったいまも、明日があるか分からないという危機感が常にあるというサンドウィッチマンの2人。
震災をきっかけに、伊達さんは午前3~4時ごろまで眠れなくなったエピソードを明かし、富澤さんは外出する際に食料や飲み物を持ち歩かないと不安になるという現状を語りました。
番組内で糸井さんから「復興のゴールはあるのか」と問いかけられた2人は、首を横に振ります。
伊達さんは「震災を知らない世代が立て直していくんでしょうね」とつぶやき、何十年後の未来に思いをはせました。
被災地への活動を行う中で、さらに地元への愛が深まったというサンドウィッチマン。被災地に人を呼びこみ、盛り上げていく活動は今後も続けていくつもりだといいます。
サンドウィッチマンの震災に対する考えや行動に、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられました。
・2人の話を聞いていて、7年間で危機感が薄れていったことに改めて気付かされた。
・分かる。震災後、遠方の友達には積極的に会いに行くようになった。
・復興のゴールはどこなのか…。重いけれど、少しずつでも近付いていると思いたい。

震災から7年という時が経ったいまも、以前のような生活を送れないまま暮らしている人たちはたくさんいます。
震災の爪あとは、被災地で暮らす人の生活だけでなく、心にもなお残り続けているのです。
いまの私たちにできることは何か…と、改めて考えさせられます。
via https://grapee.jp/467189
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[動画] 6つの衝撃映像で振り返る3.11の本当の恐怖 ― 津波の恐ろしさを後世に はてなブックマーク - [動画] 6つの衝撃映像で振り返る3.11の本当の恐怖 ― 津波の恐ろしさを後世に

■イオン前で地震発生~津波襲来(宮城県多賀城市)

 宮城県多賀城市のイオン前。仙台港から100mほど内陸に入ったところにある。大地震発生後に屋外に避難した人々が、遠くに津波が襲来しているのを見て、「上がって!」と叫ぶとともに、車が流されている光景を見て悲鳴を上げる。
 このような市街地は、周囲に高い建物がない地域に比べると避難できる商業施設などがあるため、恵まれているかもしれない。市街地で津波に襲われそうになったら、とにかく高い建物に上ることだ。

■仙台港近くのオフィスで地震に遭遇(宮城県仙台市宮城野区)

 この映像は津波ではなく、地震発生時のものだ。仙台市宮城野区の仙台港近くにあるオフィスで撮影された。東北地方太平洋沖地震では、仙台市宮城野区で震度6強を記録したが、撮影者は「大地震だ!」と叫びながらも撮影の手を止めず、結果的に貴重な映像となった。頑丈そうなビル内とはいえ、勇気を振り絞っての撮影だったに違いない。その後、屋外に出て、外の状況も撮影されている。撮影者は、津波が襲来した際には同ビルの階上に避難したものと思われる。

■仙台空港の滑走路に津波が襲来(宮城県名取市)

 海上保安庁音仙台空港基地の保安官による、津波襲来直後の無線での報告。仙台空港の滑走路まで津波が押し寄せた光景を撮影している。多くの自家用車や小型飛行機が流されていく。
 撮影者と思われる保安官が、「ここも危ないですが逃げようがありません。今2階にいますけれど、どうなるかわかりません」と伝える。その後に保安官らは、2階にいても身の危険を感じ、屋上へと避難して全員無事だったという。

■高台から津波の襲来を眺める人々(宮城県気仙沼市本吉町前浜地区)

 映像の開始時点で、すでに津波が襲来している。津波が軽々と堤防を超える様子を見て、撮影者の男性は「あぁ、もうダメだ」「ここまで来ないか?」などとつぶやく。その後、撮影者も危険を感じて、より高台へと避難を始めた。
 気仙沼市の死者数は1,000人以上と、大震災で3番目に多かった。震災後、国は同市に高さ9.8mの防潮堤を約1kmにわたって築くという案を示した。しかし地元住民からは、白砂青松で知られる海水浴場が消えてしまうと反発の声が上った。巨大防潮堤の建設によって赤土が流出し、陸と海が分断され、カキの養殖などの漁業にも悪影響が出るという。大震災を契機に、各地で防潮堤建設ラッシュが始まり、「日本中の海岸が壁で覆われる」といった声も上っているが、必ずしも住民たちがそれを望まないケースもあるようだ。

■石巻ガス本社屋上から津波を撮影(宮城県石巻市明神町)

 宮城県石巻市明神町の石巻ガス本社の屋上から撮影された映像。石巻港に押し寄せた津波によって、車が次々と流されていく。「これでは終わりだな」「ここもヤバイよ」「友だちが心配だー」といった声が上がる。その後、撮影者を含む人々は、建物の屋根の上へと避難した。周囲を見渡した光景を見ると、撮影者のビルより高い建物はほとんどないようだ。多くの人々が、高台に避難できずに命を落としたと推測される。
 石巻市では、東日本大震災で最大となる3,200人以上の命が失われた。この映像から得られる教訓は、海沿いの土地で暮らすか働いている場合は、津波襲来に備えて避難する場所を特定しておくべきということだ。

■消防団員が避難を呼びかけながら撮影(岩手県陸前高田市)

 消防団員が撮影した映像。周囲の人々に「逃げろ、逃げろ!」と呼びかけながら、自らも車に乗り込んで避難する。恐らくスマホで撮影を始め、運転中もハンドルを握りながら撮り続けたのだろう。時には画面が横になったり逆さになったりするが、撮影が続けられた結果、後世に伝えるべき貴重な映像資料が残った。
「(津波が)堤防を超えて来たから逃げろ」と拡声器を使って繰り返すが、道行く人々の多くは、後ろを振り向きながら普通の速度で歩き、緊迫感があまり感じられない。震災時には、約2kmにわたり高さ5.5mの防潮堤があったが、津波で全壊し、市役所などがある市街地は壊滅した。もしかすると、消防団員が切羽詰まった声で呼びかけても、急ぐそぶりを見せなかった人々の中には、防潮堤の存在を信頼しきっていて、津波を堤防が超えることなどありえないと疑っていた人もいたのだろうか。
 陸前高田市では、宮城県石巻市に次ぐ1,500人以上の死者が出た。今年1月には、高さ12m、全長2kmにわたる新しい防潮堤が完成した。だが、防潮堤が高くなったからといって、それに全幅の信頼を置いてはならないだろう。東日本大震災では、高さ12mを超える津波に襲われた地域も多かったのだ。

via http://tocana.jp/2017/03/post_12573_entry.html

◆東日本大震災公開動画検索システム
WS002
 http://311movie.irides.tohoku.ac.jp/SearchPage;jsessionid=1B869D823096381B34A0AF5CD88E6C2A?0


◇震災から6年…まだまだ続く行方不明の捜索と復興の現状
 https://matome.naver.jp/odai/2148917695866245301

・【3.11】「復興したとはまだ言えない」 東日本大震災から6年、気仙沼の街はいま
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/kesennuma-city-311_n_15291180.html

・【東日本大震災特集】まだ語られていない課題、知られていない話がある
 https://www.buzzfeed.com/ryoyamaguchi/311-2017?utm_term=.ww0yqeeDL#.yig2kOOeG

・あの日、津波で亡くなった娘へ 父が贈るあたたかく、少しふしぎな手紙
 https://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-suzuki-san?utm_term=.txqdGRR3w#.ibjAnggQw

・冷酷すぎる! 安倍首相の3.11会見打ち切りで露わになった政権の東日本大震災“被災地”切り捨ての姿勢
 http://lite-ra.com/2017/03/post-2984.html

◇栄村大震災とは? 3.11翌日の震度6強 「忘れられた被災地」の現状は
 http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/sakaemura-daishinsai_n_15306046.html
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近鉄:ダイヤ乱れ客と口論の車掌 地上に落ち骨折=東大阪 はてなブックマーク - 近鉄:ダイヤ乱れ客と口論の車掌 地上に落ち骨折=東大阪

Cs177NZUIAAWClQ[1]
 21日午前10時35分ごろ、東大阪市小阪1の近鉄奈良線河内小阪駅で、女性が線路内に立ち入り、駅を通過する神戸三宮行き快速急行にはねられ、死亡した。この事故の影響でダイヤが乱れたが、河内小阪駅より奈良側の東花園駅(東大阪市)で対応に当たっていた男性車掌(26)が客と口論となり、制服上着と制帽を投げ捨てて線路内に侵入するトラブルがあった。車掌はその際に腰椎(ようつい)を骨折した。
 近鉄によると、河内小阪駅での事故後、奈良線を走る電車が一時運転を見合わせるなどした。車掌が乗務する電車は東花園駅で運転中止になり、車掌もホームで乗客への状況説明などに当たったが、その際に乗客と言い争いになり、線路に降りていったという。
 東花園駅は高架にあり、車掌は線路上を歩いた後、高架から数メートル下の地上に飛び降り、救急車で病院に運ばれた。近鉄は「不適切な行動を引き起こし、心よりおわびします」としている。[2016.09.21]
via http://mainichi.jp/articles/20160921/k00/00e/040/242000c

http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/20/kintetsu_n_12111748.html
http://togetter.com/li/1027118

[タグ] 近鉄 事件 電車
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