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気になりィーモ!!

気になった記事や事柄を 自分のノート代わりとする場に していけたらと思ってます。

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[雑学] 今更だけど、ニックネームの「ニック」って何なの? はてなブックマーク - [雑学] 今更だけど、ニックネームの「ニック」って何なの?

 本来の名前とは別に、親しみなどを込めて使う呼び名を意味するニックネーム(nickname)は、日本でも日常的に使われている英単語の1つ。名称の一種なので「ネーム」なのはともかくとして、頭についている「ニック」とは一体、何なのでしょうか。
 ニックネームという言葉の誕生は、14世紀初頭までさかのぼることができ、かつては「ekename」というつづりだったとか。「eke」は現代で言うところの「additional」「extra」などに相当し、直訳すると「追加の名前」という意味になります。ここから時代をへて「“eke”name→“neke”neme→“nick”name」と変化していったといわれています。
 ちょっと不思議なのは「多少音が変わってしまうのは当然としても、どうして『n』が付いたのか」という点。これには英語の不定冠詞「a」が関わっているといいます。
 「an apple」のように、母音の発音で始まる単語のときは「a」ではなく、「an」を用いるというのは学校でも習うところ。ekenameの場合も「an ekename」と表現されていたそうです。しかし、どこかで誰かが言葉の切れ目を勘違いしたのか、「an」の「n」が名詞側にくっついて「a nekename」になったのだといわれています。
 via http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/25/news063.html


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[タグ] 雑学 英語 語源
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| 雑学 | 05:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[画像] カエルの見分け方 はてなブックマーク - [画像] カエルの見分け方

◇アマガエルとアオガエル
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◇ヒキガエル
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◇トノサマガエルとダルマガエル
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| 雑学 | 22:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドイツ国旗の配色は「黒・赤・黄」ではなく「黒・赤・金」 はてなブックマーク - ドイツ国旗の配色は「黒・赤・黄」ではなく「黒・赤・金」

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ドイツの国旗はご覧の通り、黒、赤、金(表現上黄色ですが、本当は金色です)の三色の段で構成されています。由来は諸説存在し、一方では神聖ローマ帝国の紋章(金地に赤のくちばしと爪をもった黒い鷲)が礎であるともいわれますが、最もポピュラーな説としては、19世紀の頭にナポレオン軍との戦いに参戦した学生義勇軍の軍服をモチーフとして採用されたものといわれています。つまり、黒いマント、赤い肩章、金ボタンに由来しており、これらは自由と統一の象徴なのです。また同時に三色にもそれぞれ意味が与えられており、黒、赤、金は勤勉、情熱、名誉を表すとも言われています。1919年のワイマール憲法によって、この三色がドイツ国家を象徴する色とされ、ドイツ連邦共和国の憲法にあたる基本法(22条)で現在の色の配列が規定されました。
via https://www.spintheearth.net/germany_flag/

・ドイツの国旗 :Wikipedia
 http://www.abysse.co.jp/world/flag/europe/germany.html
・ドイツ国旗の配色は「黒・赤・黄」じゃなかった!?ドイツ大使館「(黄色ではない)」との発言に衝撃を受ける人々「43年間生きてきて初めて知った」
 https://togetter.com/li/1206959

[タグ] 雑学 ドイツ 国旗
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| 雑学 | 15:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ボタン」のかけ方が男女逆である理由 はてなブックマーク - 「ボタン」のかけ方が男女逆である理由

 普段、仕事にプライベートにと大活躍のジャケットやシャツですが、男性用は自分から見て右側にボタン、左側にボタンを通す穴「ボタンホール」があり、女性用は逆に、左側にボタン、右側にボタンホールがあります。このように、ボタンとボタンホールの位置が男女で異なるのはなぜでしょうか。
 オトナンサー編集部では、モード学園(東京・大阪・名古屋)でファッション史を教える塙恵子さんに聞きました。
 塙さんによると、古代は男女共に「一枚の布」を体に巻いたり、穴を開けてかぶったりすることで「衣服」としていたため、デザインに大きな差は見られませんでした。しかし、11~12世紀ごろから欧州の上流階級の世界で、男女の衣服に明確な違いが現れ始めます。その後、13世紀ごろにボタンが誕生したといわれています。
「当初はボタンホールがなく、装飾品として洋服のあらゆる場所に取り付けられており、多いものではフロントボタンだけで30個以上の服もあったようです。その後、装飾としてだけでなく、着装しやすさを求めた結果、ボタンホールが生まれたのではないかと考えられています。ボタンホールの細工は14世紀欧州の宮廷服が起源であるといわれています」(塙さん)
 しかし、ボタンとボタンホールが男女逆であることについては諸説あるそうです。
・・・
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■欧州の上流階級説
 14世紀ごろの欧州において、縫製に手間のかかるボタン付きの服は、上流階級の人々しか身につけられない非常に高価なものでした。当時の裕福な女性たちは自分で服を着ず、使用人に服を着せてもらうのが一般的な習慣。そこで、対面から留めやすいようにボタンが左側(男性の逆)に付けられていたという説があります。
「絵画などにも描かれているように、当時の上流階級の女性が着ていたのは華やかで複雑な洋服であり、自分で着用するのが難しかったのではないかと考えられています。ボタンが左側に付いているのは、その頃の名残であるという説です」
 なお、男性は自分で服を着ることが多かったこと、そして人口の大部分が右利きであるという想定から、着る側から見てボタンを右側に付ける形式が広がり、やがて一般化したとされています。

■軍服由来説=男性
 男性用ファッションの要素は軍服に由来していることが多いとされます。懐に入れた武器を右手で取り出しやすいように作られていた軍服にならい、男性の衣服は右にボタンが付けられるようになったという説です。

■授乳用説=女性 
 ほとんどの女性は授乳時、利き手の右手をフリーにして左手で赤ちゃんを抱っこします。その際、シャツのボタンを右側からスムーズに外して授乳できるように、左側にボタンが付けられているという説です。

■乗馬用説=女性 
 昔の女性は乗馬する際、馬の左側に両足を垂らして横座りする「サイドサドル」という乗り方をする人が多かったとされます。サイドサドルで乗ると体の右側が前方を向くため、前から吹く風が服に入り込まないようにボタンを左側に付けたという説です。

「このようにボタンの由来には諸説ありますが、一般的には『欧州の上流階級説』が広く知られています。ただし、ファッションは流行や時代によって変化するもの。近年話題となっているノージェンダーなファッションの流れによっては将来、ボタンの位置における男女差もなくなっているかもしれません」
via https://otonanswer.jp/post/7922/
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| 雑学 | 19:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[動画] 世界で2番目に飲まれている飲み物「お茶」の歴史 はてなブックマーク - [動画] 世界で2番目に飲まれている飲み物「お茶」の歴史

◇The history of tea - Shunan Teng

水に次いで世界で2番目に飲まれている飲料が「お茶」です。トルコでは甘いチャイが飲まれ、対照的にチベットでは塩辛いバター茶、日本では抹茶など、お茶は消費される国によってさまざまな飲み方があるのですが、そんなお茶のルーツに迫るTEDのムービーが公開されています。

中国の神話に登場する神農は、人々に効果のある薬草を見つけ出すため、山の中で目に付く草木を片っ端から食べて歩きました。その中には毒草もあり、神農は1日に72回も食中毒になったと言われています。
そんな中、神農が見つけたお茶の葉を口にしたところ、毒で弱ったからだを復活させる効果が得られたと伝えられています。
実際のところ、お茶の葉に解毒効果はありませんが、古代の中国でお茶が重宝されていたことを書き記しているわけです。
考古学では、世界で初めてお茶の木が栽培されたのは、約6000年前の中国だと言われています。約1500年前のギザの大ピラミッドが建設されるよりはるか前から、人々はお茶をたしなんでいたのかも。そんな中国のお茶の木は世界中で飲まれているお茶の源流になっているとのこと。
しかし、お茶の葉はもともと飲料として飲まれていたわけではなく、ある国では野菜として食べたり、ある国では穀物と混ぜておかゆにしたりと、古くは食物として消費されてきました。
約1500年前になり、ようやく人々はお茶の葉にお湯を入れると飲料として飲めることに気がついたそうです。

数百年の時を経て、お茶の飲み方は洗練されていきます。中国で乾燥させたお茶の葉を挽いて粉状にしたものとお湯を混ぜた飲料が誕生し……
その飲料は「末茶(抹茶)」と呼ばれるようになりました。
中国で抹茶は非常に人気の飲料になり、中国のお茶の文化の始まりになったとも言われています。その証拠に、中国の皇帝は本や詩とともにお茶をたしなんでいたこともわかっています。

9世紀の唐王朝時代、日本人の僧侶が初めてチャノキを日本に持ち帰ったとのこと。
それが日本の茶道文化の発祥となり、独特なお茶の作法を生み出すことにつながりました。
中国では、14世紀の明王朝時代にお茶が磁器や絹に並ぶ、重大な輸出財の1つに数えられるほどになったとのこと。輸出品としてお茶の人気が高まったことで中国に多大なる経済的影響力があっただけでなく、世界中にお茶が普及するきっかけになったそうです。

1600年代になると、オランダの商船がヨーロッパに大量のお茶を運ぶようになりました。
ヨーロッパに運ばれたお茶は、1661年にチャールズ2世と結婚したキャサリン・オブ・ブラガンザ王妃に親しまれ、王妃はイギリスに紅茶の文化を根付かせた功績者とされています。
また、当時のイギリスは植民地の拡大を続ける世界的強国でした。イギリスが世界的な影響力を強めるにつれ、世界中に紅茶の文化が広まっていくきっかけにもなったとのこと。
しかし、1700年までのお茶は中国で栽培されていたため、コーヒー豆の10倍の価格で販売されていたとのこと。
高価なお茶は貿易商品としても重宝され、交易に当時で世界最速の大型帆船「クリッパー船」が使われるなど、西洋の貿易会社間での激しい競争を生み出しました。
当時のイギリスはお茶の代金として銀を支払っていたそうですが……
「お茶の葉の対価として銀は高価すぎる」ということが発覚し、紅茶の支払いには麻薬のアヘンが使われるようになったとのこと。その結果、アヘンは中国で大量の中毒者を生み出し、重大な公衆衛生問題に発展しました。
1839年に、清王朝はアヘンを運ぶイギリス船を破壊するという声明を出しました。これがきっかけで、清とイギリスの間で2年間にわたって続けられた「アヘン戦争」が勃発したわけです。
アヘン戦争に勝利したイギリスは、香港を植民地化しました。
同じころ、イギリスの東インド会社はお茶をイギリスで栽培し、市場をコントロールすることを望みました。
そこでイギリスのプラントハンターであるロバート・フォーチュンは、中国からチャノキを盗み出し、インドのダージリンへ運んだことで知られています。

中国を起点に世界中に広まったお茶はさまざまな発展を遂げ、国によってまるで異なる味わいの飲料として世界中で親しまれています。・・・
via http://gigazine.net/news/20170519-history-of-tea/



[タグ] 雑学 お茶 歴史 中国
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| 雑学 | 10:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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