FC2ブログ

気になりィーモ!!

気になった記事や事柄を 自分のノート代わりとする場に していけたらと思ってます。

2018年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年03月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

[平昌オリンピック] 日本勢は冬季最多となる13個(金4、銀5、銅4)のメダルを獲得 はてなブックマーク - [平昌オリンピック] 日本勢は冬季最多となる13個(金4、銀5、銅4)のメダルを獲得

dims
■金メダル
・羽生結弦(フィギュアスケート男子シングル)
OLYMPICS-2018-FIGS-M/

・小平奈緒(スピードスケート女子500m)
OLYMPICS-2018-SKAT-W-500/

3b30fd9c

・高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃、菊池彩花(スピードスケート女子団体パシュート)
OLYMPICS-2018-SKAT-W-TP/

OLYMPICS-2018-SKAT-W-TP/

・高木菜那(スピードスケート女子マススタート)
OLYMPICS-2018-SKAT-W-MS/

■銀メダル
・高木美帆(スピードスケート女子1500m)
OLYMPICS-2018-SKAT-W-1500/

・平野歩夢(スノーボード男子ハーフパイプ)
OLYMPICS-2018-SNO-HP-M/

・渡部暁斗(ノルディク複合個人ノーマルヒル)
775095622-0079

・宇野昌磨(フィギュアスケート男子シングル)
JCE20180217b_083

・小平奈緒(スピードスケート女子1000m)
AFP_ZW0XM

■銅メダル
・原大智(男子モーグル)
OLYMPICS-2018-FSKI-MO-M/

・高梨沙羅(スキージャンプ女子ノーマルヒル)
OLYMPICS-2018-SKIJ-W-NH/

OLYMPICS-2018-SKIJ-W-NH/

・藤沢五月、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、本橋麻里(カーリング女子)
OLYMPICS-2018-CURL-W-GBR-JPN/

・高木美帆(スピードスケート女子1000m)
AFP_ZR1AE





・平昌オリンピック総集編、17日間の熱戦をまとめてみた
 http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/53034508.html

・「あっ…そだねーーー。」平昌五輪は兄弟姉妹がポイントだった件
 https://matome.naver.jp/odai/2151954875584573301

・小平奈緒が李相花へかけた言葉。「チャレッソ」の意味と2人の友情。
 http://number.bunshun.jp/articles/-/829944

・金メダリスト・小平奈緒選手を支援し続けた「相澤病院」に賞賛相次ぐ
  https://irorio.jp/nagasawamaki/20180219/441275/

・小平奈緒選手金メダルの裏で‥所属先の病院に称賛の声が広がっている
  https://matome.naver.jp/odai/2151900644981863101

・スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。
  http://number.bunshun.jp/articles/-/830008

・人生の先頭を交替しながら「髙木美帆」を引っ張り上げ、ひとつなぎの日本を支えた髙木菜那さんに心のMVPを贈るの巻。  
 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53270106.html

・五輪史上初の銅メダル!カーリング女子日本の快挙に感動の声広がる
 https://matome.naver.jp/odai/2151947419124226701

・銅メダルだね!そだねー!とにかく明るいロコ・ソラーレが日本カーリング史上初の銅メダル獲得でいいと思うーの巻。
 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53270427.html

・【写真特集】そだねー。もぐもぐ……笑顔と感涙 カー娘、平昌五輪名場面集
 https://thepage.jp/detail/20180227-00000014-wordleaf

・“感動をありがとう!”2018平昌オリンピック 日本人メダリストのコメントを集めてみた!
 http://getnews.jp/archives/2022083
 http://getnews.jp/archives/2023356
関連記事
スポンサーサイト



ブログパーツ アクセスランキング

| スポーツ | 23:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[動画]「アディダス」と「プーマ」2つの世界的シューズメーカーを生み出した兄弟の物語 はてなブックマーク - [動画]「アディダス」と「プーマ」2つの世界的シューズメーカーを生み出した兄弟の物語

20140304221835

◆The Sibling Rivalry Behind Adidas Versus Puma

シューズ業界において、アディダスとプーマのライバル関係は有名なところ。
このアディダスとプーマの2社は、元はひとつの家族経営企業が2つに分裂したものです。
2社が生まれたきっかけは、アディダスの創業者であるアドルフ・ダスラーとプーマの創業者であるルドルフ・ダスラーの間で起きた兄弟喧嘩です。
1930年代、兄ルドルフと弟アドルフの2人はドイツのバイエルン州でスポーツシューズメーカーの「ダスラー」を設立します。
ダスラーは地上で最も質の高いスポーツシューズを作り、オリンピックでも多くのアスリートがダスラーのシューズを愛用しました。
1936年にドイツで開催されたベルリンオリンピック時には、アメリカのジェシー・オーエンス選手にシューズを提供。オーエンス選手が4つの種目で金メダルを獲得したことで、ダスラーのシューズは爆発的な人気を得ることとなります。
兄弟によるダスラーは大きな成功を収めるものの、運営する兄弟の関係は良好とは言えず、むしろ緊張感が高まるばかりでした。
関係者の中には2人の遺恨から窃盗事件まで起きたと語る人もいます。
そして第二次世界大戦後、ついに2人は兄弟の会社であったダスラーを潰すことに決めます。
その後、1949年に弟のアドルフは自身の愛称であった「アディ」と、家名の「ダスラー」から名前を取った「アディダス」を設立。
それに対し、兄のルドルフは「プーマ(PUMA)」を設立。プーマの名前の由来は、南アメリカ大陸のほぼ全域と北アメリカ大陸の広域に生息する大型肉食性哺乳類の「ピューマ(puma)」です。
ついに袂を分かつこととなった2人ですが、その後も兄弟は何年にもわたってお互いがお互いを訴える泥沼の訴訟合戦を展開します。
デザインや商標などあらゆる問題を取り上げては訴訟を繰り返し、弁護士に多額の費用を投じる羽目となります。
アディダスとプーマは同じドイツのバイエルン州・ヘルツォーゲンアウラハに工場を建てていたのですが、地元の人々まで含めた対立が勃発。ヘルツォーゲンアウラハは町の人々が他人が履いている靴を確認するために頭を傾ける様子から、「首を曲げた町」と呼ばれるようになります。
そんな対立を極めた2人の兄弟ですが、兄のルドルフが1974年に74歳で死亡し、その4年後に弟のアドルフが77歳で死亡。2人のお墓はヘルツォーゲンアウラハの墓地の両端に建てられており、生前に2人の間に大きな溝があったことを物語るかのようです。
それから何十年もの月日が経過した2009年。
プーマとアディダスが本拠地としているヘルツォーゲンアウラハで、2社の従業員が集まりサッカーのフレンドリーマッチが開催されました。



ダスラー兄弟の間にあった深い溝は、長い年月をかけて従業員たちの間に生まれた友好により埋まったわけです。

 via https://gigazine.net/news/20180222-rivalry-behind-adidas-puma/


関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| スポーツ | 22:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[訃報] 大杉漣さんが急死=66歳 急性心不全、名バイプレーヤーとして人気 はてなブックマーク - [訃報] 大杉漣さんが急死=66歳 急性心不全、名バイプレーヤーとして人気

20180221hochi211_0
 「ソナチネ」や「HANA―BI」など、北野武監督(71)の映画をはじめ、数多くの作品で存在感を示した俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名大杉孝=おおすぎ・たかし)さんが21日、急死した。66歳。徳島県小松島市出身。
 所属事務所が「弊社所属の大杉漣が、2018年2月21日午前3時53分に急性心不全で急逝いたしました」と公式ホームページで発表。葬儀は本人、家族の意向により親族のみで執り行うとし、「これまでお世話になりました共演者、スタッフならびに関係者、応援してくださったファンの皆様におかれましては、生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と記した。
 明治大を中退し、1974年転形劇場入団。80年に高橋伴明監督「緊縛いけにえ」で映画デビュー。84年以降舞台活動に専念するも88年の転形劇場解散によりフリーになり、90年から再び映画、テレビで活躍。93年に北野武監督の映画「ソナチネ」に出演し、注目を浴びた。
 以来、北野作品の常連で、98年同監督の「HANA―BI」と崔洋一監督の「犬、走る DOG RACE」で映画賞の助演男優賞を総なめに。その後も映画、ドラマで活躍。昨年1月には日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン」の人気コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります!18」のレギュラーとなり、同年8月24日に自身初のピタリ賞を出すと翌週9月7日放送分でもピタリ賞を出し、ゴチ史上初の2週連続ピタリ賞として話題になった。故郷をホームとするサッカーJ2リーグ・徳島ヴォルティスの熱狂的なサポーターとしても知られる。
via https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/21/kiji/20180221s00041000294000c.html

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180221/k10011337991000.html

・大杉漣:Wikipedia

・俳優・大杉漣さん死去‥突然の訃報に悲しみの声が広がっている
 https://matome.naver.jp/odai/2151921394601013601

・大杉漣さん語っていた名脇役の矜持「現場が僕の生きる場所」
俳優・大杉漣さんが2月21日、急性心不全で亡くなった。66歳だった。
名バイプレイヤーとして、数多くの作品で存在感を示してきた大杉さん。44年にわたる俳優人生の始まりは劇団「転形劇場」だった。
特殊なメソッドの舞台をやる劇団で、セリフなしに演じる<沈黙劇>は世間で高く評価されていた。
その後、Vシネマやピンク映画などへ活躍の場を広げていく。98年、北野監督『HANA-BI』、崔 洋一監督『犬、走る DOG RACE』で助演男優賞を受賞。一躍注目を集めた。
この会見で、記者から「これで下積みが終わりますね」と声をかけられたという大杉さん。このときのエピソードを、女性自身2014年6月17日号のインタビューで次のように語っていた。
「言わずにはいられなかった。『僕自身、今までやってきたことを、下積みと思ったことは一度もありません。僕は、そのときに、それがやりたかったんです。だから僕は、一生、下積みます!』って。その気持ちは、今でも変わりません。何が上で、何がしたという感覚が、僕にはないんです。脚本が面白いと思えば、どんな現場にも駆けつけたい。60歳を過ぎても、いい意味でのフットワークというか、さまよえる精神というものを、自分の中につねに持っていたい」
フットワーク軽く、硬軟さまざまな役を自在に演じ分けていた。大杉さんは<現場>に抱く思いをこう語っている。
「基本的に自分の考え方とか見方というものは、現場というフィルターを通すことによって感じたものの影響が大きかったと思います。そういう意味で、自分は<現場者>で、現場は僕がいちばんいたい場所ですし、さらに言えば『現場が僕の生きる場所』。その気持ちは今でも変わりません」
その言葉通り、亡くなった前日にもドラマ『バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~』(テレビ東京系)の撮影に臨んでいたという。
共演していた遠藤憲一(56)、田口トモロヲ(60)、松重豊(55)、光石研(56)の4人は以下のようにコメントを寄せている。
「最後の日まで、役者として現場に立ち、みんなを笑わせ続けていました。永遠に我々の目標であり、憧れでもある漣さんを、一同、心から誇りに思います。お疲れ様でした。どうか、安らかにお休みください」
 via http://blogos.com/article/279276/

・大杉漣さんが語った「白黒はっきりできないから、それを追い求めている」
 https://thepage.jp/detail/20180222-00000004-wordleaf?pattern=2&utm_expid=90592221-90.2mIRjpFWR8CO6I2YipatcQ.2

・【追悼】名優・大杉漣さんが語ってくれた「深すぎるフットボール愛」
 http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=35945

・サッカーをこよなく愛した大杉漣さんの急逝…… 地元徳島が開幕節で記帳所設置
  https://www.theworldmagazine.jp/20180222/03domestic/197836

・大杉漣の妻、旅立ちを知った日の気持ちを明かす 「覚悟はできていました」
 https://grapee.jp/460409

・たけし、生放送で涙…大杉漣さん急逝後初めて口開く 監督作での名演語る
DWzdBFxVoAA4Cw1
 21日に急逝した大杉漣さんが出演した映画「ソナチネ」「HANA―BI」などでメガホンをとったビートたけし(北野武監督、71)が24日、TBS系「新・情報7days ニュースキャスター」(土曜・後10時)で大杉さんの他界後初めてコメントした。
 番組では、昨秋に放送された同局系「ぴったんこカン・カン」(金曜・後8時)で共演した時の映像が流れた。たけしが作詞・作曲した「浅草キッド」を大杉さんがギターで弾き、たけしが歌い上げた映像だった。

DWzZWhvVoAENoYm

VTRが終わり「寂しいですね」と問われると、たけしは目頭を押さえて「うん…」「あぁ…」と口にしてしばらく言葉を発せなかった。
 約25年前、「名優・大杉漣」の才能を見いだしたのは北野監督だった。
 舞台を中心に活躍していた大杉さんは、1993年の北野監督の映画「ソナチネ」で武演じる暴力団組長の部下「片桐」を演じて注目を集めた。オーディションはわずか2秒間。大杉さんは98年のスポーツ報知のインタビューで「ドアを開けるなり『どうぞお帰りください』って。監督はちらっと見ただけ。上野動物園のパンダじゃないんだから」と振り返っていた。
 たけしは当時のことについて「オーディションの時ね、遅れているんだよね。マネジャーか誰かに聞いたんだけれど『ソナチネ』映画で受からなかったら、実家で普通のサラリーマンになりますって最後のオーディションに来て遅れちゃうんだよね。俺が帰ろうとしたら(大杉さんが)来て、漣さんが『申し訳ありません! 遅れました』って言うから。感じがこの人を使うべきと思ったのか」と“出会い”を振り返った。

DWzc0aVVMAA1Wor

 当初は30秒の出番の予定だったが、アドリブをうまくこなして、台本を書き直すことになり重要な役どころに抜てきされた。
 98年の映画「HANA―BI」でもタッグを組んだ。大杉さんは、銃弾に倒れ、絵を描くことに生きがいを見いだそうとする元刑事役。セリフが極端に少ない難役を演じきった。同作でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞するなど、その才能を世に広めた。
 大杉さんは昨年10月公開の映画「アウトレイジ最終章」まで、10作以上の北野作品に出演した。
 たけしは「最後のアウトレイジも出てもらっているんだよね。結末が申し訳ないけれど、漣さんが死ぬ役なんだよね。だから、なんかすごく変な言い方をすると、俺が生かして俺が殺したみたいな妙な気になって。悲しいけどね。申し訳ないなと思ってさ」と再び声を詰まらせた。
 たけしは急逝の一報を聞いた時、テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」の収録を行っていた。
 当日のことについてたけしは「マネジャーが大杉漣さんがお亡くなりましたと言うのよ。お亡くなりになりましたはわかるのよ。死んだってことだよね。誰がって。俺、大杉漣さんをこれほど知っているのに、(頭が)真っ白で分からないのよ」と振り返り、大杉さんの名前を何度も出されても、理解できなかったという。「頭がパニクってきちゃって」「大杉漣さんが死んだってことが、頭で理解できていないんだよね。しばらくかかったね。気がつくまで。漣さん? あの漣さん?」とショックの大きさを口にしていた。
 via http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180224-OHT1T50201.html

・大杉漣と北野武、その幸せな「2、3秒」の出会いについて
 http://blogos.com/article/279882/

・「もうちょっと生きたい」‥大杉漣さんが生前語っていた思いが泣ける
 https://matome.naver.jp/odai/2152000445636074901

・「バイプレイヤーズ」最終回、大杉漣さんに感動の声続々
 https://matome.naver.jp/odai/2152045391080779801

DXsQaLvV4AA7QWj

DXsFLRPVQAEbmsZ.jpg_small

・「じゃあ、行きますかね」 最終回『バイプレイヤーズ』の恩返しに涙
  https://sirabee.com/2018/03/08/20161505856/

・#バイプレイヤーズ 最終回はオフショットと思われる映像も満載「漣さんありがとう」があふれてた「私の目が散水」    
 https://togetter.com/li/1206293

DXsDXMHVoAA2ZJP.jpg_small

・大杉漣さんの『直筆メッセージ』 長男の隼平さんが公開

関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 芸能 | 21:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ポジショナルプレー、これが決定版。 グアルディオラに直接聞いてみた。 はてなブックマーク - ポジショナルプレー、これが決定版。 グアルディオラに直接聞いてみた。

「ポジショナルプレーという単語を最近よく聞くんですが、あれは一体何物ですか? 記事や本を読んでも、今ひとつわからなくて……」
 最近、こんな質問を受けることが多い。
 たしかに「ポジショナルプレー」というフレーズは、難解に響く。考え方自体は昔から存在していたが、日本では使われてこなかったし、「戦術」や「ポジショニング」との違いもわかりにくい。
 ポジショナルプレーとは何か。
 自分なりに定義すれば、「攻守を問わずにピッチ上で優位性を創りだすために、戦術システムと選手の配置、組み合わせ方を考えた上で、監督が選手たちに実践させるプレーや細かなポジション取り、基本的なノウハウの集合体」となる。
 さらに補足するなら「監督が自らの理念に基づいて」という前書きや、「これまでの戦術的なアプローチが、さらに進化し、精緻化されたもの」と締めくくってもいい。
 もちろんこれはあくまでも総論だし、まだイメージがつかみにくいと感じられる方もいると思う。
 ならば、次のような説明ではいかがだろう?

PEP-Bayern-1

「ピッチ上のどこにボールがあるかを踏まえて、選手たちが正しいポジショニングをしていこうとする考え方。これを実践してシステムを機能させるためには、ディシプリンと思考能力の速さが必要になる」

■グアルディオラに直接聞いてみた。
 ちなみにこれは、ペップ・グアルディオラによる最新の定義だ。
 今回、私はイングランドの同僚、『サンデー・ミラー』紙で健筆を振るうサイモン・マロックに取材協力を依頼。2月9日に行われた記者会見の最後に、ペップ本人に解説してもらうことに成功した。
 ペップが平易な言葉で解説してくれたのは、質問自体がきわめてストレートな内容だったことも幸いしたに違いない。こちらが投げかけた最初の問いは、以下のようなものだ。

――ポジショナルプレーとは、一体どのようなものなのでしょう? あなたは、どう定義されますか?

 それに対する回答が、上述の定義だったのだ。
「ポジショナルプレー」はもともと、チェスの世界で知られるようになった概念だ。
 伝説的なプレイヤー、アロン・ニムゾヴィッチの『マイ・システム』は、ポジショナルプレーを解説した古典として名高い。
 ボードゲームに詳しく、サッカーもお好きな方の中には、「チェスや将棋で言うところの駒の動かし方」、「短期的な駒を取った取られたではなく、盤上のどのエリアをどうやって支配して、長期的にチェックメイトや王手まで持っていくかというセオリーの話だな」とピンと来られた方も多いのではいか。

■ペップに影響を与えた戦術家たち。
「ポジショナルプレー」という概念は、実はサッカー界でも決して目新しいものではない。「Juego de Posicion」というスペイン語そのものは以前から存在していたし、ポジショニングという観点でサッカーを進化させてきた戦術家としては、クライフやファンハール、アリゴ・サッキ、ビエルサなどの名前が挙げられるケースも多い。
 クライフが4-3-3にこだわる理由として、ピッチ上にダイヤモンド(パスコース)を最も多く描けることを指摘したのは有名だし、ファンハールは同じ発想で、各選手がケアすべき「勢力圏」という概念を精緻化し、ボールを奪われた際には、すぐにボールを奪い返せるようにする必要性を説いた。この発想は後に、ペップの「5秒ルール」に昇華していく。
 一方アリゴ・サッキは、イタリア伝統のカテナチオやマンツーマンに依存するのではなく、4-4-2をベースにゾーンディフェンスとプレッシングを組み合わせることを試みた。DFからFWまでの距離を30メートルに保ちつつ、選手同士の横方向の動きもシンクロさせるために、ピッチ上を24分割して徹底的にポジショニングを意識させている。
 ポジショナルプレーに関する議論では、「5レーン」という単語も登場するが、これはサッキが正方形で区切ったブロックを、ピッチの縦方向に5分割し、選手のポジショニングやサポートのしかたを、さらに細かく規定したアプローチだと考えればわかりやすい。
 そして日本でも信奉者の多いビエルサ。「エル・ロコ(変人)」の異名をとる戦術家は、ピッチ上に描かれる布陣と試合の“棋譜”をひたすら研究し続けた末に、こう断言する。
「サッカーには125のパターンしかない」
 彼もグアルディオラに多大な影響を与えた人物だった。

■ポジショナルプレー=ポゼッションではない。
 これほど長い伝統がありながら、「ポジショナルプレー」という単語が近年注目を浴びるようになったのは、やはりペップによるところが大きい。
 特にバルサの監督時代、ボールポゼッションが7割から8割を超え、6冠を達成してからは、どうすればあんなサッカーができるようになるのかと、誰もが秘密を探ろうとした。
 ただし、ポジショナルプレー=ボールポゼッションを高めるノウハウ、ではない。
 ポジショナルプレーとは、ピッチ上で優位性を確保し、敵のストロングポイントを打ち消し、勝利を手にしていくためのノウハウにすぎないし、監督が目指すサッカーやチーム事情(選手の特徴)、採用する戦術システム、対戦相手によって求められるプレーは当然異なってくる。

■ペップ「攻撃している時も、守っている時も」
 言葉を換えればポジショナルプレーとは、特定の戦術を指すのではなく、戦術を根底で支えるポジショニングといった意味合いに近い。だからこそペップが率いるチームは、ポジショナルプレーを基盤に、さまざまなシステムを使いこなせるのである。
 またポジショナルプレーは、守備でも攻撃でも必要になる。現にペップは、最初の質問に対して、こう付け加えるのを忘れなかった。
「ポジショナルプレーという発想は、自分たちがボールを持って攻撃している時でも、逆に相手に攻撃されている時でも当てはまる。
 ポゼッションを失った時には、選手たちはすぐにボールを奪いかえすために、正しいポジションを取らなければならない。すぐにボールを奪い返せない場合には、カウンターアタックを受けないために、やはり正しい位置につく必要がある」
 ペップのコメントは、守備か攻撃かという発想自体が時代遅れになりつつあることを示している。
 守備と攻撃を表裏で捉えるアプローチは2002年頃から顕著になり、コレクティブ・カウンターや5秒ルール、ゲーゲンプレスなど、様々な形を取って進化してきた。
 これに伴って、ポジショナルプレーの方法論も、守備でも攻撃でも優位性を確保するものに進化し、さらに精緻化されてきた。

■ピッチ上にある3つの「優位性」。
 ちなみにポジショナルプレーの議論では、ピッチ上には3種類の「優位性」があるとされる。
 いわゆる「数的な優位」、「質的な優位:選手のクオリティがもたらすアドバンテージ」、そして「位置的な優位性:ポジショニングの組み合わせがもたらす効果」だ。
 この点については、他の日本人ジャーナリストの方々がすでに解説されているので、細かな説明を繰り返すのは避けようと思う。かわりに今回は、3種類の優位性にまつわる「トリック」について触れてみたい。
 ポジショナルプレーに関しては、欧米でも多くの指導者が解説を試みてきた。スコットランド出身のキーラン・スミスもその1人である。彼は精力的に情報を発信し、ポジショナルプレーの有用性を説いてきた。

■数的不利でも、ポジショニングで覆せる。
 たとえば来月末には、ジョシュ・ファガという人物による『サッカー指導の真の巨人たち』という書籍が欧米で発表される。この本では、1つの章をポジショナルプレーに割いて、キーランの理論を説明している。
 そこで紹介されているキーランの指摘は示唆に富む。
「数的に不利な状況でも、ポジショニングによって優位性を作り出すことはできる」
 ポジショナルプレーで得られる3つの優位性は、すべてが同じ価値をもっているわけでない。むしろ2番目の要素と3番目の要素、質的な優位性と位置的な優位性の組み合わせによって、数的優位さえ覆していくことができる。
 これこそが、ポジショナルプレーがもたらす最大のメリットの1つだろう。ピッチ上のさまざまな場所で自由に優位性を確保しながら、ゲームをダイナミックに動かしていくことができるようになるからだ。
 このようなケースの一例として、キーラン・スミスはマンチェスター・シティのアグエロのプレーを挙げている。事実、アグエロは効果的なポジション取りによって、ゴール前の数的に不利な状況を覆していくことができる。
 ただし私が思い出したのは、ゼロトップ時代のバルサだった。
 メッシはゴール前での駆け引きどころか、ゴール前そのものをがら空きにする「ゼロトップ」のプレーによって、中盤でもサイドでも、そして最終的にはゴール前でも、決定的に有利な状況を創り出していたはずだ。

■ペップの口からもメッシの名前が。
 この推論は、あながち間違っていなかったらしい。2月9日の記者会見、こちらが投げかけた2番目の質問に対しては、ペップは自らメッシの名前を口にして解説してくれた。
――ポジショナルプレーは、伝統的な戦術システムや、戦術的フォーメーションといかに違うのでしょう? これまでの常識を覆す革命的なものなのでしょうか、それともあなたがバルサで学び、さらに監督として実践した方法論を発展させたものなのでしょうか?
「ポジショナルプレーが従来の戦術と唯一違うのは、ほとんどのチームよりも、もっとフレキシブルなプレーをするようになることだと思う。
 バルサの場合、それは簡単だった。クライフが導入したユースチームのシステムで育ってきた選手が多かったし、僕たちにはメッシがいた。メッシがいると、ありとあらゆることが楽になる」

■組織サッカーをきわめて、フリーマンを作る。
 ポジショナルプレーはあくまでも組織的なアプローチであり、ディシプリンを徹底すればするほど、うまく機能するようになる。
 ただしペップの発言は、彼がメッシのようなフリーマンをピッチ上に作り出そうとしてきたことを物語る。いささか形容矛盾のようになるが、組織サッカーをきわめることによって、組織をポジティブな方向で壊せる選手を登場させようとしてきたと言ってもいい。その試みが結実したのが、自らがバルサを率いていた頃のメッシのプレーだったのである。
 ペップ曰く。
「ポジショナルプレーという考え方は、硬直した方法でプレーする発想のように聞こえるだろうが、実際には選手がピッチ上の異なる場所に移動する自由を与えてくれる。敵をピッチ上の(狙った)エリアに誘導していき、自分たちがスペースを活用できるようにするための発想にもなっている」

■メッシがいないチームでペップがしたこと。
 組織の完成度を上げつつ、いかに組織の枠にとらわれない人材を育むか。ペップはバルサやメッシと袂を分かった後も、この難しいテーマに取り組み続けてきた。
 バイエルンを率いていた頃も、シティを指揮するようになった現在も、ペップが率いるチームは最も戦術的なプレーをすると同時に、最もフレキシブルな対応をする集団となってきた。
 それどころか、バイエルンやシティにはメッシのような選手がいない分だけ、フレキシブルな状況を生み出すためのノウハウは、さらに研ぎ澄まされてきた印象さえ受ける。
 たとえば昨シーズンのシティは3-2-2-3のW-Mシステムで臨んだことも多かったが、このシステムは試合中、意図的に2バックにも4バックにも変化した。それに応じて選手も、ポジショニングと役回りを順次切り替えている。MFのフェルナンジーニョなどは、驚くほどマルチな仕事をこなせる選手に成長した。
 その意味でポジショナルプレーとは、決して監督が1人で導入できるようなアイディアではない。
 もちろん駒の配置を決めていくのは監督だが、チェスと違って常に駒を直接動かし続けられるわけではない。一旦ホイッスルが吹かれれば、ゲームは選手に託される。
 だからこそポジショナルプレーを実践する際には、選手の戦術理解度と判断力、そしてチーム全体の練度も大きく問われてくる。

■チームが苦しい時もフィロソフィーを。
 ペップは先月のリバプール戦の後、こんな発言もしている。
「どんな監督にとっても、一番難しいのは自分がやろうとしていることを選手たちに納得させることだ。納得させやすい選手もいれば、そうではない選手もいるし、試合に勝てなければ、選手たちはシステムが機能していないのではないかと不安になる。だからチームが苦しい状況にある時でも、フィロソフィーを堅持しなければならない。
 どんな戦術的なシステムでも、機能させるためには時間とコミットメントが必要になる。だからこそグラウンドでのトレーニングの時間は本当に貴重なものになる。選手たちはシステムを習得すればするほど、システムを信頼し、もっと自然にシステムを機能させることができるようになっていく」

■複雑ではないが、精緻な考え方。
 ポジショナルプレーという考え方は、決して複雑ではないが実に精緻で、現代サッカー論の到達点の1つになっている。
 また監督の分析能力やビジョンだけでなく、選手の育成や戦術的な理解度、チームづくりの在り方といったテーマにまで深く関わる奥深いものだ。
 建設的な議論を、誰にでもわかりやすい形で広く展開していければ、日本サッカー界全体の底上げにつながるのは間違いない。サッカーについて語ったり、考えたりする作業も、もっと楽しくて味わいのあるものになる。ポジショナルプレーとは、僕たちサッカーファンのポジショニング(サッカーを見る際の立ち位置)も磨いてくれる、素敵なマテリアルなのである。
via http://number.bunshun.jp/articles/-/829947


関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| サッカー | 22:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[平昌五輪] [フィギュアスケート] 羽生結弦、66年ぶり連覇で日本勢金メダル第1号!宇野昌磨は銀で日本勢ワンツー はてなブックマーク - [平昌五輪] [フィギュアスケート] 羽生結弦、66年ぶり連覇で日本勢金メダル第1号!宇野昌磨は銀で日本勢ワンツー

pye18021714470039-p10

WS002

WS001
 平昌五輪第9日(17日、江陵アイスアリーナ)フィギュアスケートの男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=は合計317・85点で66年ぶりの2連覇を飾り、日本勢の金メダル第1号に輝いた。同3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=が合計306・90点で銀メダル、同2位の元世界王者ハビエル・フェルナンデス(26)=スペイン=が合計305・24点で銅メダル、同4位の金博洋(20)=中国=が合計297・77点で4位。同17位のネーサン・チェン(18)=米国=は6度の4回転ジャンプを着氷させ、合計297・35点で5位だった。
 銀盤の陰陽師が、五輪の魔物を退治した。正念場を乗り越え、羽生がフィギュアスケート男子で66年ぶりの五輪2連覇を達成。真価が問われた舞台で底力を発揮した。
 冒頭の4回転サルコーは流れるように着氷、続く4回転トーループも余裕があった。3回転フリップも決め、序盤のジャンプは全て成功。ジャンプの基礎点が1・1倍になる後半は、4回転サルコー-3回転トーループの連続ジャンプに成功、だが連続ジャンプを予定していた4回転トーループの着氷で大きくバランスを崩し、2本目が跳べなかった。それでも得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)から3連続ジャンプを決めた。最後のジャンプだった3回転ルッツの着氷でも前のめりになったが、演技後は満足そうにガッツポーズをみせた。
 昨年11月に右足首の靱帯を損傷するアクシデントに見舞われ、平昌五輪までの調整が大幅に狂った。1月にようやく氷上に戻り、ジャンプが跳べるまでに回復すると、1日にSPを3回、フリーは2回の通し練習で持久力を高めた。約4カ月ぶりの実戦となった16日のSPでは圧巻の演技で首位に立った。
 笛や太鼓の音色からなる映画「陰陽師」の音楽で演じるフリーの「SEIMEI」は、2季ぶりに用いた自信作だった。2度も世界歴代最高得点(当時)をマークした演目で挑んだ氷上決戦で、絶対王者が再び輝いた。[2018.02.17]
via http://www.sanspo.com/pyeongchang2018/news/20180217/pye18021713530030-n1.html

775095567ML00459_Figure_Ska

SOUTH KOREA PYEONGCHANG 2018 OLYMPIC GAMES
 フィギュアスケートは17日、男子フリーが行われ、羽生結弦(ANA)が合計317.85点で2014年ソチ大会に続く金メダルを獲得した。男子の五輪連覇は1948年サンモリッツ、52年オスロ両大会を制したディック・バトン(米国)以来66年ぶり。ショートプログラム(SP)首位の羽生はフリー2位として逃げ切った。
 宇野昌磨(トヨタ自動車)はSPに続いてフリーも3位となって合計306.90点とし、初出場で銀メダルを獲得した。フィギュアスケートの日本勢が同一大会の同じ種目で複数のメダルを獲得したのは初めて。
 ハビエル・フェルナンデス(スペイン)が合計305.24点で銅メダル。金博洋(中国)が4位。ネーサン・チェン(米国)はSP17位から巻き返して5位に入った。田中刑事(倉敷芸術科学大)は18位。 

 ◇羽生結弦の略歴
 羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)ANA所属。09~10年シーズンにジュニアGPファイナルと世界ジュニア選手権の2冠。全日本選手権は12年に初優勝し、4度制覇。13~14年シーズンはGPファイナル、ソチ五輪、世界選手権の3冠達成。世界選手権は2度、GPファイナルは4度優勝。172センチ。23歳。宮城県出身。

 ◇宇野昌磨の略歴
 宇野 昌磨(うの・しょうま)トヨタ自動車所属。12年ユース冬季五輪銀メダル。14~15年シーズンにジュニアGPファイナルと世界ジュニア選手権の2冠。15年からGPファイナルで3年連続表彰台に上がり、17年は2位。全日本選手権は16年から2連覇。17年世界選手権2位。159センチ。20歳。愛知県出身。

via https://www.jiji.com/jc/article?k=2018021700412&g=spo


◆羽生結弦のフリー




◆宇野昌磨のフリー


WS003

12段仕様ベース

・羽生結弦、66年ぶりの五輪連覇!宇野昌磨の銀と共に歴史的快挙。
 http://number.bunshun.jp/articles/-/829942

・羽生結弦、連覇と止まらぬ涙の真実。「良くない右足に、感謝しかない」
0026255670
 2月17日、羽生結弦は歴史的な偉業を達成した。
 6分間練習のために姿を現した瞬間から拍手と歓声が起こる。曲は『SEIMEI』。演技がスタートした。
 冒頭に予定するのは4回転サルコウ。6分間練習ではしりもちをつくなどしたが、試合ではクリーンに着氷する。4回転トウループ、トリプルフリップも成功。
 長いブランクから懸念されていたのはスタミナだった。だがそれが杞憂であるかのように、後半最初のジャンプ、4回転サルコウ+トリプルトウループをきれいに決める。
 続く4回転トウループ-シングルループ-トリプルサルコウのコンビネーションジャンプは、はじめのジャンプでステップアウトして単独の4回転トウループになった。ただ、その後に予定していたトリプルアクセル-ダブルトウループを、トリプルアクセル-シングルループ-トリプルサルコウに切り替えてリカバリーを図る。
 そしてトリプルループを決め、最後のトリプルルッツは体勢を崩しながらも懸命にこらえた。

■あらゆる要素が向上しての金メダル。
 フリーの得点は206.17。総合得点は317.85。この時点でトップに立った羽生は、続くハビエル・フェルナンデス、宇野昌磨に抜かれることなく、そのまま1位を保って連覇を達成した。
 勝利を掴んだ要因をあえて1つあげるなら、総合力にほかならない。ジャンプ、スピン、ステップ、あらゆる要素を、非の打ちどころのないところまで羽生は向上させてきた。
 ジャッジスコアに目をやれば、2つのジャンプのミスこそあったものの、それ以外の11の要素のGOEのほとんどには、最高を表す「+3」という数字が並んだ。プログラムコンポーネンツには、9点台後半という高い得点がずらりと並んでいる。

■どのジャンプも、体が覚えていた。
 そうした数字ばかりではない。氷上での4分30秒は、会場の視線を1点に集中させる力にあふれていた。あらゆる技術を磨き、表現という曖昧かつ磨くのも容易くない重要な部分でも、確実に成長を遂げた。
「サルコウもトウループもアクセルも、何年間もやってきているので、覚えていてくれました」
 羽生は言う。長年にわたって技術を磨いてきたからこそ、氷上に戻ってからの期間が短くても、素早く取り戻すことができたのだ。
「本当に大変でした。思っていたよりも」
 だが、それだけではない。
 試合後、羽生は言った。
「足の状況については何も話すつもりはないですけれども、本当に大変でした。思っていたよりも」
「世界選手権については、(出場は)分かりません。右足は良くないと思っています」
 それらの言葉は今なお、怪我が完治しているわけではないこと、決していい状態にはないことを示していた。
 演技が終わったあと、羽生が右足に手をあてたのは「感謝しかないから」だと言う。負傷を乗り越えたといっても、怪我が治ってのことではなかった。怪我を抱えつつ、つきあいつつの演技だった。
 その中でサルコウ、トウループ合わせて果敢に4本の4回転ジャンプに挑んだ。4回転ジャンプばかりではない。いくつものジャンプに挑み、スピン、ステップ、すべてをやり通したのだ。まさにぎりぎりの、紙一重とも言っていいチャレンジだった。
 そのチャレンジに勝利できたのは、氷上に乗れない期間も学術論文に目を通すなど、やれることを探しては全力で取り組んだ姿勢にある。
「誰かに言われてやったわけではないです。自分の強みは、自分で考えて分析して、感覚として氷上に出せることだと思います。それができたということ」

■怪我してよかったとは絶対に……。
 ただ、こうも付け加える。
「怪我してよかった、とは絶対に思いません」
 4年をかけて目指してきたオリンピックシーズン、しかも羽生の知性であれば、明確なビジョンを描いて進んできたはずだ。なのに、大きなアクシデントによって、それを崩さざるを得なかった。
 怪我がなければ……たいていの人なら、そういう「たられば」に陥っても不思議ではない。
 また「怪我してよかったと思わない」という言葉にも、直面した事態の大きさがうかがえる。
 それでもやれることを尽くし、めげることもなく、過剰に緊張することもなく、威風堂々、リンクに立ち続けた。その芯の強さこそ、金メダルを手にすることができた真の要因だった。
 そんな羽生は、最終滑走の宇野昌磨の得点が表示された瞬間、涙を流した。流した涙は、止まることがなかった。
 心の奥底には、不安や緊張がなかったわけではないだろう。ただ、それを表出させることなくコントロール下に置くことで、ショート、フリーと見事な演技を見せた。
 終わった瞬間、そのコントロールをほどいた。流れ続ける涙は、そう感じさせた。
 そしてそれは、自分と戦い、自分に勝利したことを意味してもいたのだ。
  via http://number.bunshun.jp/articles/-/829940

・感謝という無限のチカラ!「美しいフィギュア」を演じ切った羽生結弦氏が、平昌五輪で金メダルと心の勝利を獲得の巻。  
 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53269652.html

・羽生結弦、ハビエル・フェルナンデスに抱きつき涙 同門コンビの絆に感動広がる
 https://mdpr.jp/news/detail/1747400

・羽生結弦選手が同門ハビエル・フェルナンデス選手と強いハグ・号泣したのにはこんな理由があった
 https://togetter.com/li/1200672

・種類本数から質へ。羽生が連続金メダルで示した究極4回転時代
  https://thepage.jp/detail/20180217-00000004-wordleafs?pattern=2&utm_expid=90592221-90.2mIRjpFWR8CO6I2YipatcQ.2

・羽生結弦が「SEIMEI」への熱き思いを語る。「日本の音楽で金メダルを取れたのは歴史的なこと」      
 http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/26/yuzuru_a_23371684/
関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| スポーツ | 06:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[動画] 世界70カ国の「乾杯」 はてなブックマーク - [動画] 世界70カ国の「乾杯」

◆70 People from 70 Countries Say Cheers in Their Native Languages | Condé Nast Traveler
関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 生活 | 22:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

[動画] シャンシャンのひざカックン はてなブックマーク - [動画] シャンシャンのひざカックン




・上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」
  http://www.ueno-panda.jp/
・上野動物園公式サイト - 東京ズーネット
 http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 動物 | 22:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

九州・沖縄の大橋4選 はてなブックマーク - 九州・沖縄の大橋4選

◇角島大橋
・山口県下関市~豊北町角島間の海士ヶ瀬戸
・2000.11.03開通、1,780m
kadoshima01

kadoshima00

Wikipedia:角島大橋
じゃらんnet:角島大橋
・角島大橋|観光情報|山口県の旅行・観光情報 おいでませ山口へ
  http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/11030


◇古宇利大橋
・沖縄県国頭郡今帰仁村の古宇利島~名護市屋我地島の済井出
・2005.02.08開通、1,960m
furufuri00

furufuri01
沖縄県道247号古宇利屋我地線:Wikipedia
じゃらん.net:古宇利島
・古宇利大橋|情報一覧|沖縄の観光スポット・サービス|沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語
  http://www.okinawastory.jp/spot/1321


◇伊良部大橋
・沖縄県宮古島市の宮古島~伊良部島
・2015.01.31、3540m
irabu00

irabu01

Wikipedia:伊良部大橋
じゃらんnet:伊良部大橋
伊良部大橋 | 大日本コンサルタント株式会社


◇池間大橋
・沖縄県宮古島~池間島
・1992.02開通、1425m
ikema00

ikema01

Wikipedia:池間大橋
じゃらんnet:池間大橋
・池間島ねっと - 観光情報[池間大橋]
  http://www.ikemajima.net/hasi.php


・きれいな海に長い橋。インスタ映え間違いなしのオススメの大橋を紹介
  https://matome.naver.jp/odai/2151730962844731101

 
関連記事
ブログパーツ アクセスランキング

| 風景 | 22:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |