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2019年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年05月

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「ルパン三世」モンキー・パンチさん死去 肺炎 はてなブックマーク - 「ルパン三世」モンキー・パンチさん死去 肺炎


漫画「ルパン三世」の原作者のモンキー・パンチさん(本名・加藤一彦=かとう・かずひこ)が11日午前7時26分、肺炎のため亡くなった。17日、公式サイトが発表した。81歳だった。
公式サイトは「漫画家であり有限会社MPスタジオ代表のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦)が、2019年4月11日(木)午前7時26分、肺炎のため逝去しました。享年83歳。故人の遺志により、葬儀につきましては近親者のみにて執り行いましたことをご報告いたします。ここに皆々様の生前のご厚誼を深謝いたします。ありがとうございました」(原文まま)
モンキー・パンチさんは北海道浜中町に生まれ、霧多布高校定時制に通いながら放射線技師の助手を務めた。19歳で漫画家を目指して上京し、貸本屋の漫画を描く仕事で生計を立てていた。その中、1965年(昭40)に双葉社「漫画ストーリー」から「プレイボーイ入門」でデビュー。翌年、同誌の清水文人編集長の提案を受け「モンキー・パンチ」をペンネームにした。
そして1967年(昭42)に「週刊漫画アクション」で「ルパン三世」の連載をスタートさせた。「ルパン三世」は1971年(昭46)に日本テレビ系でアニメが放送され、映画化もされるなど日本を代表する漫画、キャラクターとなった。5月31日には映画最新作「LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘」(小池健監督)が公開される。[2019.04.17]
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201904170000145.html



・モンキー・パンチさん死去。「ルパン三世」の生みの親、ペンネームの由来は本人も知らなかった
日本が誇るアニメ『ルパン三世』の原作者で漫画家のモンキー・パンチさん(本名:加藤一彦)が4月11日、肺炎のために死去した。81歳だった。故人の遺志により葬儀は近親者のみで済ませたという。同氏の公式サイトで発表された。

■編集長の独断で命名「ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ」
日本私立大学協会の公式サイトによると、モンキー・パンチさんは、1937年、北海道の浜中村(現在の浜中町)出身。終戦後に登場した手塚治虫さん(故人)の漫画にショックを受けたと話していた。
<<戦時中と違った新しい漫画にショックを受けた。『鉄腕アトム』や『ふしぎな少年』の模写を夢中でやった>>
北海道霧多布高校を経て、東海大学専門学校電気科中退。1967年に「週刊漫画アクション」で『ルパン三世』を連載開始した。読者の反響がなければ違う題材に変更される方針だった。
アメリカの風刺漫画雑誌「MAD」の影響を受けたという荒々しいタッチで、アルセーヌ・ルパンの孫にあたる大泥棒のルパン三世と、次元大介、石川五ェ門、峰不二子、銭形警部ら個性的なキャラクターを描き、先を読めない展開が人気を呼んで2年間、連載された。
1971年以降、たびたびテレビアニメ化されて大ヒット作品となった。1979年に公開された劇場版第2作の「ルパン三世 カリオストロの城」は、宮崎駿さんの映画初監督作品となった。
モンキー・パンチという変わったペンネームの由来については、双葉社で「週刊漫画アクション」の初代編集長だった清水文人さん(故人)の命名だという。本人は産経新聞のインタビューで以下のように振り返っていた。
<<あるとき、僕の漫画を見た清水さんが「加藤一彦という絵じゃねえよな。ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ」って。理由は聞けずじまいでしたが、作者が外国人か日本人か、わからなくしたかったんじゃないでしょうか。>>
via https://www.huffingtonpost.jp/entry/monkeypunch_jp_5cb6726de4b098b9a2dbec10

・昭和の神絵師が…「ルパン三世」のモンキー・パンチさんが逝去
  https://matome.naver.jp/odai/2155545267397073201



・モンキー・パンチ公式WEBサイト
 http://www.monkeypunch.com/

・モンキー・パンチ -:Wikipedia

・峰不二子で追悼…モンキー・パンチさんの訃報に芸能界からも悲しみの声
  https://matome.naver.jp/odai/2155554057824318001

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天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い-北野武,たけし流祝辞 はてなブックマーク - 天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い-北野武,たけし流祝辞

北野武監督(72=ビートたけし)が10日、東京・国立劇場で行われた式典「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」で、ユーモアを交えた祝辞を述べて、会場を沸かせた。
紋付きはかま姿で登壇し、出番になると、安倍晋三首相ら出席者に一礼して舞台中央に立った。
まずはおじぎをして、演壇にあったマイクにおでこをぶつけるおなじみのボケで笑いを誘った。さらに「祝辞」と言った後、上包みに書かれた言葉を読み出して「あっ、こっちじゃない」とボケを続けた。
ようやく、祝辞を読み始めるかと思ったら、終わりの部分から逆さまに読み始め「あっ、こっちだ」と言って再び笑いを誘い、その後、祝辞を読み始めた。
以下、祝辞全文
「お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします」

「私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて日の丸の旗を持ち、大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。母は私の頭を押さえ、『頭を下げろ! 決して上げるんじゃない』と、ポコポコ殴りながら『ばちが当たるぞ』と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、ばちが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました」

「私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。なぜか呼ばれた私に、両陛下は『交通事故の体の具合はどうですか』『あなたの監督した映画を見ています』『どうかお体を気をつけてください』『頑張ってください』と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました」

「ただ、今、考えてみれば、天皇陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです。また、おみやげでいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、わが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、1粒800円で売っております」

「5月からは、元号が『令和』に変わります。私がかつて居た『オフィス北野』も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて『令和』に対して『オフィス冷遇』にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました」

「私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。皇后陛下におかれましては『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました。お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです」

「平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。そのたびに、ニュースでは、天皇、皇后の両陛下が被災地を訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成28年8月、陛下は次のように述べておられます。『私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました』。国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちはひかれ、勇気と感動をいただきました。あらためて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。ありがとうございました」
[2019.04.10]
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201904100000587.html



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[図書] 2019年本屋大賞に瀬尾まいこさん「そして、バトンは渡された」 はてなブックマーク - [図書] 2019年本屋大賞に瀬尾まいこさん「そして、バトンは渡された」


全国の書店員たちが「いちばん売りたい本」を投票で選ぶことしの「本屋大賞」に、次々と親がかわる境遇で育った女子高校生が主人公の瀬尾まいこさんの小説、「そして、バトンは渡された」が選ばれました。
ことしで16回目の本屋大賞は、全国の書店員たちが「いちばん売りたい本」を投票で選ぶ賞で、受賞作の多くがベストセラーとなり、映画やテレビドラマにもなるなど影響力の大きい賞として注目されています。
9日夜、東京 港区でことしの受賞作が発表され、ノミネートされた10作品の中から瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」が選ばれました。
この作品は、幼くして実の母親を亡くし、育ての親も結婚と離婚を繰り返したため、次々と親がかわる境遇で育った17歳の女子高校生が主人公の物語です。
父親が3人、母親が2人という複雑な家庭環境の中、主人公の成長や血のつながらない親子の日常のやり取りが温かい目線で描かれ、家族とは何かを問いかけています。
作者の瀬尾さんは大阪府出身の45歳。
大学を卒業後、中学校で国語を教えながら小説を執筆し、平成13年に小説「卵の緒」で坊っちゃん文学賞の大賞を受賞して、翌年この作品を収録した同名の単行本で作家デビューしました。
これまでに複数の文学賞を受賞しているほか、中学校での勤務体験を基にしたエッセーなども発表し、人気を集めています。

■瀬尾さん「胸がじんとします」



瀬尾さんは「本屋大賞は自分も大好きな賞なので、うれしいのは当たり前なのですが、胸がじんとします」と受賞の喜びを語りました。
そして「この本は1人の女の子にいろいろな大人たちが親として関わる様子を描いた作品です。愛情を注がれることはすごく幸せなことですが、愛情を注ぐあてがあるということは、もっとはるかに幸せなんだということを、書いていて改めて感じました。自分よりはるかに大きな未来や可能性を秘めた若い世代といられるのは、大きな喜びだと思います」と受賞作に込めた思いを語りました。
そのうえで「今後も皆さんに楽しんで読んでいただけて、誰かに伝えたいなと思っていただけるような作品が書けるよう、努めていきたいです」と今後の抱負を話していました。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190409/k10011878521000.html


◇その他ノミネート作品
■2位 『ひと』(小野寺史宜/祥伝社)
■3位 『ベルリンは晴れているか』(深緑野分/筑摩書房)
■4位 『熱帯』(森見登美彦/文藝春秋)
■5位 『ある男』(平野啓一郎/文藝春秋)
■6位 『さざなみのよる』(木皿泉/河出書房新社)
■7位 『愛なき世界』(三浦しをん/中央公論新社)
■8位 『ひとつむぎの手』(知念実希人/新潮社)
■9位 『火のないところに煙は』(芦沢央/新潮社)
■10位 『フーガはユーガ』(伊坂幸太郎/実業之日本社)

■翻訳小説部門:『カササギ殺人事件(上・下)』(アンソニー・ホロヴィッツ:著、山田 蘭:訳/東京創元社)
■発掘部門「超発掘本!」:『サスツルギの亡霊』(神山裕右/講談社)
via https://ddnavi.com/news/530909/a/

・本屋大賞 https://www.hontai.or.jp/

・2019年「本屋大賞」受賞!「瀬尾まい子」のおすすめ作品
 https://matome.naver.jp/odai/2155481750499389901

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| 図書 | 04:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新元号は「令和」 出典は「万葉集」 はてなブックマーク - 新元号は「令和」 出典は「万葉集」


平成に代わる新しい元号について、政府は1日の臨時閣議で「令和(れいわ)」とすることを決め、菅官房長官が発表しました。また、「令和」の典拠、いわゆる出典は日本最古の歌集である万葉集であると発表しました。元号は、皇太子さまが天皇に即位される来月1日に「令和」に改められます。
政府は1日午前、総理大臣官邸で、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、新しい元号の複数の原案を示し意見を聞くなどしたうえで、臨時閣議で新しい元号を「令和」とすることを決定し、菅官房長官が午前11時半すぎからの記者会見で発表しました。
この中で、菅官房長官は「さきほど閣議で元号を改める政令、および、元号の呼び方が閣議決定された。新しい元号は令和であります」と述べ、書を掲げて、平成に代わる新しい元号を「令和」に決定したと発表しました。



そのうえで、「令和」の典拠、いわゆる出典について「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよ)風和らぎ(やわらぎ)、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」と述べました。
菅官房長官は記者会見で、新しい元号の考案者について「考案者ご自身が秘匿を希望していることに加え 考案者を明らかにすれば新元号と特定の個人との結びつきが強調されることになりかねないため、お答えは差し控えたい」と述べました。
また、懇談会で出された意見や原案の数について質問されたのに対し、「意見聴取の場でどんなご意見があったかについてお答えすることは差し控えたいと思う」と述べました。
また、「新元号が日本人の生活の中に深く根ざしていくためには、他の案と比較して議論されることは適当でないと考えており、新元号として決定されたもの以外の案については、その数も含めてお答えは差し控えたい」と述べました。
そのうえで、「いずれにしても、今般決定された新元号が広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくよう努めていきたい」と述べました。
日本の元号は、研究者によりますと、「平成」までの247すべてが中国の古典を典拠としているとされていますが、日本の古典から引用されたのは初めてだということです。
新元号を定める政令は1日中に天皇陛下の御名・御璽(ぎょめい・ぎょじ)、いわゆる署名・押印を得て公布され、元号は、皇太子さまが即位される来月1日に「令和」に改められます。
外務省によりますと「令和」の英語のつづりは「R・E・I・W・A」だということです。[2019.04.01]
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868721000.html




・新元号「令和」、5月1日から=国書で初、万葉集由来-政府、6原案を提示
 政府は1日の臨時閣議で、新たな元号を「令和(れいわ)」と決定した。5月1日の皇太子さまの新天皇即位に合わせ、同日午前0時に元号が平成から改まる。現存する日本最古の歌集である「万葉集」が由来で、歌人の大伴旅人(おおとものたびと)の漢文から引用した。確認できる限り、日本の元号の典拠が日本古典(国書)となるのは初めて。
 菅義偉官房長官が記者会見で、墨書された新元号を発表。安倍晋三首相も会見して談話を読み上げた。首相は「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継ぎ、日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいとの願いを込めた」と説明した。
 「万葉集」の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす(しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす)」を典拠とした。考案者は公表しない。政府は令和を含む六つの原案を提示したが、選に漏れた候補も明らかにしない。
 過去の元号に「令」の字が使われたことはなく、政府関係者によると「令和」が候補となったこともないとみられる。新元号は645年の「大化」以来248番目。これまで日本の元号の由来は確認できる限り全て中国古典(漢籍)だった。
 政府は3月14日、国文学、漢文学などを専門とする複数の学者に新元号の考案を正式に依頼。菅長官が六つの原案に絞り込み、有識者による「元号に関する懇談会」と衆参両院正副議長に相次ぎ提示し、意見を聴いた。全閣僚会議で協議し、臨時閣議で新元号を定める政令を決定した。政府関係者によると、令和への異論は出なかった。
 発表直前に天皇陛下と皇太子さまに伝えられた。政令は直ちに陛下が署名して官報に掲載、公布された。5月1日に施行される。
 改元は、憲政史上初めてとなる天皇退位に伴うもの。国民生活への影響を最小限に抑える観点から、改元1カ月前に発表した。1989年1月から始まった平成は、4月30日の陛下の退位とともに幕を閉じる。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040100783&g=pol


・【安倍首相談話全文】「令和」に込めた思いは… 「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」
新元号「令和」が発表された。安倍晋三総理大臣は、菅官房長官の発表に続き、記者会見で談話を発表した。談話の全文は以下の通り。 

<<本日元号を改める政令を閣議決定致しました。
新しい元号は令和であります。これは万葉集にある『初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す』との文言から引用したものであります。
そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。
悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。
文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。
5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位のご理解とご協力を賜りますようお願い致します。
政府としてもほぼ200年ぶりなる歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、国民こぞってことほぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。元号は皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに1400年近くにわたる我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。
この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っています。>>
via https://www.huffingtonpost.jp/entry/reiwa-abe_jp_5ca17f54e4b0474c08d0b676


・漢字2文字に理想込め=元号、現在は日本のみ

 特定の年代に漢字の名前を付ける元号(年号)は中国・前漢の武帝の時代から始まった。「統治者が時間も支配する」という考えに基づくとされ、さまざまな理想が込められている。ベトナムや朝鮮にも広がったが、現在も使われているのは日本だけだ。発祥の地である中国では清の滅亡とともに廃止され、現在は西暦が用いられている。
 日本で最初の元号である「大化」は645年に定められた。しかし、続く「白雉」「朱鳥」とも実際にはほとんど使われなかったとみられている。
 4番目の「大宝」(701年)以降、公文書には全て元号を用いると定められたことで定着。「天平勝宝」のように漢字4文字が使われたり、南北朝時代に二つの元号が並立したりした時期もあるが、基本的には漢字2文字を使った元号が現在まで切れ目なく続いている。
 江戸時代までは天皇の即位だけでなく吉兆や災害などでも改元したため、一つの元号の平均期間は短く、十干十二支と併せて使われていたと考えられている。明治への改元とともに天皇1代で元号一つとする「一世一元の制」が定められ、天皇と元号の結び付きが強まった。
 戦後に皇室典範が改正され、元号は法的根拠のない単なる慣習となった。このため一時は廃止論も唱えられたが、1979年に元号法が成立。近年はグローバル化の進展もあり、日常生活では西暦使用が拡大しているが、公文書などでは今も原則として元号が使われている。
 元号に詳しい所功・京都産業大名誉教授(日本法制史)は「年の名前を漢字で表すことで、そこに理想や希望を込めることができる。西暦と元号は矛盾するものではなく、うまく使い分けることで日常生活の役に立つ」と話している。
via https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040100154&g=soc

・新元号は「令和」。この選定に「万葉集」が使われたワケが話題に
 https://matome.naver.jp/odai/2155409002765725601

・新元号 6案すべて判明 「令和」考案は中西進氏か
新元号の選定作業で、政府が示した6つの原案すべてが明らかになり、新元号に決まった「令和」以外は、
▽「英弘(えいこう)」、
▽「久化(きゅうか)」、
▽「広至(こうし)」、
▽「万和(ばんな)」、
▽「万保(ばんぽう)」の5つの案でした。「令和」の考案者は、関係者の話などから万葉集が専門の国文学者、中西進氏とみられます。
新元号の選定にあたって政府は、考案を委嘱した専門家から提出された候補名を、読みやすく、書きやすいなどの「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込み、1日、「元号に関する懇談会」などに6つの原案として示しました。
「英弘」が日本の古典を、「広至」は「日本書紀」と儒教の基本的な考え方を示した中国の古典、「四書五経」の「詩経」の2つを、
典拠としているということです。
また「久化」「万和」「万保」は中国の古典が典拠に含まれているということです。
一方、政府は「令和」の考案者は明らかにしないとしていますが、関係者の話などから、万葉集が専門の国文学者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏とみられます。

■中西進さん 独自の視点で万葉集を長年研究
中西進さん(89)は長年にわたり万葉集の研究を続け、日本の古代文学の研究に大きく貢献してきました。
中西進さんは東京都の出身で、東京大学を卒業したあと、筑波大学や国際日本文化研究センターの教授を歴任し、大阪女子大学や京都市立芸術大学の学長を務めました。
長年にわたり万葉集の研究を続け、万葉集の和歌の作り方が当時の中国の影響でどのように変化したかを論じるなど、独自の視点で研究を行い、日本の古代文学の研究に大きく貢献してきました。
また研究のかたわら、子どもたちに万葉集を講義する「万葉みらい塾」を全国の都道府県で開くなど、古典の普及にも努めています。
こうした功績が評価され、平成25年には文化勲章を受章しています。
 via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870221000.html
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